【一章第三話】 世界に一人ぼっち
玄関を開けてから常に鼻を攻撃してくる強烈な臭い。
この臭いは一度嗅いだことのある臭いだ。
思い出したくもないがこれは絶対にあれだ。
それはそうあの本屋から逃げていた時に俺の眼前に現れた鬼も同じような鋭く尖った臭いを放っていた。
鉄のような何とも言えない強烈な臭い。
今まで嗅いだことのない泥と血みどろの臭い。
即ちこれはそーゆうことだろう。
多分……。
別にそれはそれでいい。
先に言っておこう俺は家族が嫌いだ。まぁ奴らも俺の事が嫌いだと思うがな……。
俺は家族とあまり、いや完全に仲が良くない。
お互いに憎み合ってすらいるほどだ。顔を合わせれば文句を言われる、奴らは俺の為とか言いながらも俺の為に何てこれっぽっちも思っていない。
奴らのやりたい事は子供の支配だ。
自分の価値観を押し付け、強制し無理に実践させ、自分にとって必要ないものを悪だと決めつけ子供から遠ざけようとする。ゲームの管理監視がいい例だ。
奴らは自らの価値感を押し付けたいだけ、奴らは自らの価値感だけで善悪全ての判断をする。自分が気に入らないと思ったモノは親の仇の如く徹底的に排除しようとしてくる。
自分に従わない奴を罵倒し、愛の暴力という名のただの暴行を加え自分の理想に近づけようともする。
自分らのやることは正当化して、反論する俺を逆切れだのと言い倒す。話し合いという名のただの一方的な言葉による攻撃、態度が気に食わないからと俺に鉄拳制裁を喰らしたりする。
掃除という名の監視活動を行い、俺の漫画をわざわざ本棚から抜き取りゴミ箱に投げ捨てる。たいして掃除もしないまま俺の部屋を漁り散らかし出ていく。
そもそも俺はこまめに掃除をしているほうだ。
気に入らないとことが有ればすぐ奴らは俺の大切なものに手を出す。
当てつけのように、見せつけの如く俺のモノ達に危害を加える。
そして俺をゲーマーだのなんだのと罵倒し、妹に「こんな人間にはなってはだめだよ」と風潮する。奴らの時間制威厳を素直に守っていてもだ……。
奴らは時間を一秒でも時間を守れなかったら暴れ牛の様に激昂する癖に自分らが約束した時間を破っても平然と「たかが少し遅れただけだろ」と俺に言い放つ。挙句の果てには、こんな数分でワーワー言ってるとか器が狭いぞ、大人になれよみたいな台詞を吐き捨ててゆく。
俺はそのたかが数分でゲームがお前たちの手によって売り飛ばされたというのに……。
理不尽な事を言われることもあった。
親の命令だとか言われて無理やりにも嫌なことをやらされた事もあった。
奴らの命令を従順に聞いていたのに、奴らは俺を攻撃するのだ。
――何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
奴らは草の根まで掻き分けるかように叱る理由を探出し、叱りつけて来るのだ。
それは愛や心配などから乖離している、最早それとはかけ離れている。
小学生の頃は従順に奴らの命令を聞いていた。奴らに付き従う犬の様に。今思い返すとよくそんな事が出来ていたなと、屈辱感に襲われる。
友人関係でも奴らの尻拭いを散々させられた。
大人は知らないと思うが子供の関係はゲームで人間関係が成り立ってる事もある。ゲームが上手ければ友達同士の集まりに呼ばれることもあるし、学校の日常会話でもゲームの話は日常茶飯事で飛び出してくる。
――例えそれが欺瞞の友情だとしてもだ。俺にはあの関係が全てだった。
友達が居なければ進化しない奴だっている。俺はアイツを大爆発を使うだけの特攻要員にはしたくなかったのだ。だがアイツは親の手によってリサイクルショップに消えていった。
四人で協力しなければ簡単には倒せないモンスターもいる。友達の家に集まって和気藹々とモンスターを狩り倒す日々がどれだけ麗しかったことか……。
友達の装備集めの頼みに、「しゃーねーなぁ」と言いながら素材集めに付き合わされる日々がどれだけ充実していたことか。
だがそれもあの日々も奴らの手によって俺の下から消え去っていった。
全ては奴らの手によって。
先に消えたのはゲームだった。親の理不尽な言い掛かりからゲームはリサイクルショップに売り飛ばされた。友達たちとの記録もリサイクルショップに行ってしまった……。
友情ごと、俺のこれまでの全てを否定された様な気がした。
4回目だ……。
守れなかった。
何も出来なかった。
あの時は奴らが怖かったのだ。
奴らに従っていれば痛い目に合わない、奴らの理想でいれば痛い目を見ることは少なくなるだろう、奴らの理想になればゲームたちもまた買うのを許されるようになるだろうとそう小六の俺は考えた。
あの時の俺は未熟だった……。
俺は奴らの理想でいれるよう努力をした。毎日部屋に籠って勉強して。友達の誘いを断り続けた。奴らの手伝いを率先してやってテレビもからも遠ざかり過剰すぎる位の早寝早起きを日々を続けた。
そんな生活に自由など無かった。
そこでは俺に人権なんてものも奴らの行為に抗議することも許されなかった。学校でも次々と友達が消えていった……。
運が良かったのは俺がいじめに合わなかった事ぐらいだ。
だが奴らに満足などなかった。テストで九十点台を取ろうが怒られ、百点満点を取ったとしても「当たり前」の一言で一蹴される。
何をやっても当たり前。失敗すると愛の拳が飛んでくる。虐待ではないが、俺にとってのあれは恐怖でしかなかった。
本当によくあの屈辱の日々に耐え来られたと思う。
だが破綻点は訪れた。そうだ当たり前だ、偽りの自分を装っていれば必ずこれは訪れる。
よく近くも2年もあの偽りの姿を続けられたと思う。
それは中一の二月の後半、その頃俺の身には嫌なことが度重なり起きていた……。
多分自暴自棄に陥っていた。母親の愛の拳に初めて応戦した。俺の思っていたより母親は弱かった。
次の日仕事から帰ってきた父親とも拳を交えあった。
流石は大の大人だ。力だけは、俺よりも強かった。ただ俺と父親の戦いは、痛み分けに終わった。
思った以上に父も弱かった、反抗すれば、抵抗すれば何か戻って来るのではないか。一筋の光が俺の脳裏を過り手段を与えたのだ。
あの戦いで俺は理解した。
今までの努力は無駄だと、このままではゲームは一生帰ってこない。そして……。
「戦わなければ何も変わらない。戦わなければ取り返せない。戦わなければ自由はない」
父親と戦った次の日に銀行の貯金を切り崩しゲームを買った。
――銀行の貯金は俺の思っていたよりかなり少なかった。俺のお年玉はどうやら奴らの手によって使われていたみたいだ。
俺は積極的に親へのレジスタンス運動に明け暮れた。
親と戦うために筋力鍛錬にも励んだ。
親に反抗してテレビを見続けた。
親の全てに反抗し否定した。
奴らの理想からかけ離れた最悪の、災厄の息子になってやった。
そこで深夜アニメに出会った。最初のほうはなんというか気恥ずかしい感じもあったが、辛い事ばかりが続いた俺の心をあのアニメたちは掴んで離さなかった。
あのアニメこそが傷付き、風に晒された俺の心を癒し救ってくれた。
俺はあれから萌の道を進んだ。親によって閉ざされた漫画の道を再築した。そして新たにラノベの道を開拓していった。膨大な量の周回、厳選を繰り返す一人前のゲーマになった。
だが親は、それを見逃したりはしなかった。
買ったラノベは捨てられ、揃えた漫画は汚されていた。
そのたびに親を殴り付けに出撃した。例え一対二でも殴る事を、蹴る事を、反抗する事を、抵抗することを辞めなかった。
奴らが奪ったものは弁償までさせて全て取り返した。
取り返したものに引き換え、家族との関わりは消えていった。
それでも俺は良いと思っている、孤独で一人でいいと思っている。というか多分それこそが俺の使命であり償いなんであろう。
食事も一緒にしなくなった。奴らが外食に行ったときは食卓の上にお金だけがポツリと置いてあった。
小遣いの日にはお金が食卓に置いてあるし、俺の生活や趣味に全く鑑賞してこなくなった。
別に孤独だとか寂しいとかそんな感情は持たなかった。
歴史以外の勉強もやらなくなった。夜遅くまでゲームや読書に明け暮れた。
――受験生になってもだ。
膨大な恨み辛みの中にもほんの少しは奴らに感謝している事もある。
俺に干渉しなくなったこと。毎日だが飯を作ってくれたこと。高校生になってからは、弁当を毎日作ってくれたこと。金をくれたこと。抵抗の為とはいえ筋力鍛錬を習慣に出来たこと。
一度も出てけとは言わなかったこと。
それくらいだ……。もう何もない。
膨大な恨み辛みの中の一筋の感謝だ。
もう一度述べておこう。
――俺は親が嫌いだ。
例え親が目の前で死んでいても特には何も思わない。特に思うことはない。
親を殺した殺人鬼と相対することになっても俺は親の仇や復讐などと言った感情では動くことは無いであろう。
綺麗に靴を玄関に揃え、いつもならこの家の最後の居場所である部屋に向かうのだが、今日は強烈な臭いの原因を探るためリビングの扉を開いた。
それに武器が欲しかった。
多分奴はまだ居る。
よくある扉を開くとともにタダでさえ強烈な臭いがより強く吐き気を催す臭いとなり鼻を刺突する。
言葉を失った、表現すら例えることさえも敵わない。
――リビングの真ん中の辺りには父親がドス黒い血を流し倒れている。
近くには両手とゴルフクラブが転がっていた。
血を見たことでよりいっそ臭いが強くなった。鉄のような金属臭いむせるような強烈な臭いだ。
だがその臭い忘れるくらい、死体になった父親の顔は間抜けな顔をしていた。
血は鮮やかな色ではなく工業廃水のようにどす黒く汚れている。
「フッ無様だな」
……口角がだんだんと上がっていく。
……不謹慎かもしれないがとめようにも止められないのだ。
こんな天井が低い部屋で長いゴルフクラブで立ち向かおうとしたことも。
死に顔も。
千切れた腕も。
此奴の存在自体も全てが可笑しくて、可笑しくてしょうがない。
此奴の死体を踏み潰してやろうかと思ったが、母親や妹がいないことを思い出した。
「そうだこの家には、此奴を殺した奴がまだ居るな」
その敵自体はまだ眼前に現れていないが、家に入る前からこんな素人でも感知できるくらいの存在感のようなものを放っている奴がいる。
俺は最後に父親の顔を見た……。
今まで間抜けに見えた死に顔が何か悲しみを背負いながら死んでいった人間の顔に見えた。
相も変わらず……。
何度でも言ってやろう。
俺は親が、家族が嫌いだ。
俺の全てを否定する俺の大切なものを奪い尽くしてきた、馬鹿みたいに俺に罵声を浴びせて来た、親が嫌いだ。
一瞬だが上がっていた顔の口角が降下した様に感じた。
感じただけであろう、多分。
気のせいだ……。絶対に気のせいだ……。多分……。
そう……。
・・・・・・・・・・・・・ ———馬鹿馬鹿しい俺が親にそのような感情を向けるだと。
断じてありえない。
俺は恨んでいるんだ、憎んでいるんだ、殺したいほどに、地獄に突き落としてしまいたいぐらいに、俺は奴らを嫌っているんだ。
オヤジの死体に背を向け隣り合っている台所に向かい、水切り籠の上に食器とともに置いてある包丁を手に取った。
包丁は濡れていて冷たかった。
包丁に付着した水滴を布で拭き取った。
濁ったような輝きをしていた包丁が布が動いていくにつれ白刃の光を帯びてゆく……。
包丁が輝きを取り戻すにつれ俺の包丁を握る手も強くなる。