【三章第三話】 敗北の少年
屈辱の地であると共に、自分の片割れを捨て切れた喜びの聖地、俺が俺でいれ、なりたかった俺になったと実感できる所。
やはり俺はここでしか生きることが出来ない。
此処にしか喜びを見出せない。
そう、ここは血の狂気と心理の正気、滅びと再生渦巻く諸行無常戦場だ。
「何を言っている新人めが、気でも狂ったのか? 戦場でそんな笑えない冗談言うなよ」
班長の萩原は俺がきつい冗談を言ったと勘違いしている。
どうやらこいつは分かっていないらしい。偵察班の癖して戦況を見極める目というものが備わっていないようだ。
視界全体に広がる戦場、マンションという高いところからしか見ることが出来ない一貫したこの戦場の戦況。
この戦は負ける為にしているのだ。
負けに向かっててどんどん突き進んでいる。
何故このような事態に陥っているのかは分からない、いや理解する気にもなれない。どーせこの戦の失態を誰かに押し付け誰かが成り上がるための策としか考えていないのだろう。
だが敵はそんな敷かれたレールみたいなシナリオの上を走ってはくれなかった。
ここで負けたら勢いづいた鬼は確実に敵は名古屋まで攻め込んでくる。それこそ阿鼻叫喚の魔女の窯の底とやらを見れるんだろうが、気に入らねぇ。
奴らと真面に戦えるだけの頭数すら揃えずに、そして戦術までもを放棄して与えたのは突撃命令のみ。
下は血と狂乱渦巻く一方的な殲滅戦だ。総崩れにならないのは命を顧みず鬼の群れに突撃したり、単騎になろうとも横合いから鬼に突進する戦果に飢えた学生たちが数多く残っているからだ。
結果を悟ってしまったのか逆に大人はもう諦めかけている。
軍団戦を主とする鬼に対し市街の建物を生かした散兵戦を取っているが大人たちは一塊になり殺され屍になるのを待っているようだ。
大人たちは既に自分の人生に踏ん切りをつけて藁のように死んでいっている。
ただし総崩れにならないということは彼らにもまだそれなりに意地とか未練とかそんな感情を抱いてはいるのだ。
「五番隊 知多班全滅 七番隊渥美班も全滅寸前」
双眼鏡での法師の報告をもとに莉乃が本部へと連絡をする。
さっきから聞こえてくるのは全滅・敗走・撤退のみ。
そして此奴は安堵しきっている、自分は偵察班だから死ぬことは無いと、安全な所で、劇でも見るように人の死を観察している。
俺は変えたい。こんな状況を……。
そういえば彼奴らはどうなったんだろうな? しかし鬼たちが中段辺りまで攻め込んできているこの様子からして前線はもう散りに散っているだろう。
部隊としては。
しかしまだ単騎の学生は大勢潜んでいるだろう。物陰に、建物に身を潜め息を殺しながら逆転の隙を、復讐の完遂、出世の糸口となる何かのタイミングをきっと狙っているだろう。
だから、だから俺はこんな状況を……。
こんな状況になるのはとっくに分かっていた。だから俺は彼らの糸となる。
それが建前だ、本当はこの地に下りてあの狂気の渦に飲み込まれたいのだ。
本当は一緒になって死の剣舞を踊り出したくてうずうずしているのだ。
生きてきた中で感じたこともない高揚感に駆り立てられているのだ。
生と死が同居する戦場で生きた心地を感じていたいのだ。
この戦いに勝つか負けるかなんてもんは正直関係ない。と言うか俺はこの人間様が築き上げて来た世界を壊す気も守る気もさらさらない。
この地を取り返すのは。この愛知を守るのは一重に殲滅対象となっている彼らの勇気だ。俺には知ったこっちちゃねぇが。
「こちら偵察班第十一班、我々は敵に発見され敵の襲撃に遭っている 救援もと……」
事前の打ち合わせ通り莉乃は大真面目に上に嘘の報告をし、タイミングを見計らったように地面に置かれていた通信機を支給された神器でハリマが真っ二つに切り裂いた。
「お前ら敵に寝返る気か」
やっと状況を把握出来たのか萩原は鞘から刀を抜き放った。
「だから俺は反対だったのだよガキどもにこんなものを与えるのは」
少尉は空中でぶるんと一度刀を振るった。
「たかが数パーセントの神器を与えられたもの風情で俺に勝てると思ってるのか?」
「人が鬼に寝返る? ご冗談を、俺はこの戦況を変えに行くんですよ。」
刀も抜かず、ずけずけと萩原の間合いに入っていく。
「もう一度だけ、言っておこう指揮権を譲れ。今なら命だけは助けてやる」
萩原は目で莉乃やハリマに助太刀を求めているが、全く応じてもらえず、遂には痺れを切らしたのか俺に向かって刀を振るってきた。
「お前みたいな新兵が戦況を変える? 馬鹿いえ、一度も負けたことのないガキが図に乗ってんじゃねぇよ。俺たちはお前らの数倍は勝ちも負けも経験してきたんだよ。微弱な神器しか持たして貰えないお前らが俺に勝てるとでも? よかろう掛かって来い。准尉お前は命令違反だ、上官の権限で殺してやる」
一度も負けたことのない? ふざけるな。
この俺が負けたことも無いだと?
――負けっぱなしの俺が……。
「お前は一つ大きな勘違いをしている。一度も負けたことがないだと、俺はお前以上に負けているぞ。上手い立ち回りが出来ず上がらないレート、夜間によく確認もせず進撃させる無能な上官をもち水底に消えていった叢雲」
俺は負け続けた、負けの先の勝利目指し昼夜を問わず選出を考えて来た。もう轟沈が無いようにと彼女の死を糧に頑張ってきた。
そこにある二千位台目指して。そこにある完走目指して。そこにある勝利を目指して。
俺は負けばかりだ。
友を失った、家族との関係も失った、親友を失った、自らの尊厳も失った。
親に負けた、テストに負けた、一色に負けた、好きな人にも負けた。
そうしてそうして、逃げ続けて、その逃走した果ての世界でも俺は自らの人生を掛けて立ち向かっている猛者に負けた。
彼らに完敗したのだ。引き籠りたくても引き籠る勇気もないこんな俺が彼らに勝っている点など一つも無かった。
「何を言っている、そんな非現実的な世界での出来事と現実を一緒にするんじゃねぇ」
渾身の一撃だっ! って顔した萩原が頭上から刀を俺目掛けて落下させてきた。
「何を言っている、たとえ画面の中の軍隊であろうとも負けは負けだ。それにその世界こそ俺の全てでそこで培ったものこそまがう事無き現実だ」
軽い……。
片手で刀を取り出し神器を迎撃する。
手に返ってくる衝撃もない。ただただ俺は刀で張り詰められた紙を裂くようにいとも簡単にそれを弾き飛ばした。
萩原の剣は宙を舞いマンションの下へと落下する。
「お前その武器鬼が宿った武器だな。どっどこでそんなもん手に入れやがった」
俺に無力化された男は所々言葉を詰まらせ、俺から距離を取ろうと少しずつ後ろに後退していっている。
「ちょっとは頭のある お・と・な なんですし自分で考えたらどうです? して班長さんよ其方の利き腕はどっちじゃ」
眼の前の男はよたよたと後ろに後退しながら、ただただ小さく悲鳴を上げるだけで質問に全く答えようとはしない。
「どちらだと聞いておろうに」
隊長の様子を眺めたまま俺は動くことは無い。
「そうか……」
一気に距離を詰め、峰を横っ腹に向かって軽く薙ぎ払う。
痛みを抑えきれず腹を押さえ地面に屈んだ所に顔面に向かって硬いブーツの爪先での蹴りを入れる。
鼻先に向かって撃ったがちと外れてしまったか。
「残念~ 時間切れです。あーあ、質問に答えてくれたら少しの痛い思いで死ねるところだったのに、残念賞」
素のトーンで話したつもりだったが予想以上に高いトーンで言葉を発してしまった。
班長は声にならない声を上げ顔を両手で押さえながら地面に仰向けで倒れている。
こーゆのを豚の叫びと言うのであろうか。
近くに寄っても萩原は顔を押さえたままで俺の接近すら気が付いていないようだ。これなら狙いやすい……。 ここっ。
刀を頭上から振り下ろし、侍の命であると言われる右腕を斬り落す。
萩原は地面ゴロゴロと転がり自分の片割れにのしかかってもいた。
「次は左だ」
涙と鼻血で濡れ、恐怖か血がほかの所から流れている為か血の気の引いた顔を萩原はしている。
「誰にも言わないから助けて下さい、助けて、助けて、ごめんなさい、ごめんなさい」
俺の良心に期待しているのかか弱く時より息を漏らしながら俺に訴えかけてきている。
「えー、どうしようかな?」
俺は少し迷ったような感じを出しておく。
「そうだにゃぁ、部下に命乞いしてる今の気持ちってどんなの?」
萩原が黙ったまま息を漏らすばかりで答えることは無い。
バコン。
萩原の口元に向かってボールでも蹴るかのように足を振るう。
「じゃぁ少尉の刀は何パーセントのだったんですかねぇ? 未だに帯刀している辺りからそう高くはないと思いますが」
転げている班長に向かって質問を問いかける。
「10パーセント」
10パーセントって大して俺らと変わらないじゃないか。
「ふふーん、そうですかそうですか」
萩原の前に立ち刀を再び構える。
「鬼がっ、人の皮を被った化け物が。許さないぞ、死ね、死んでしまえ」
自分の最期を悟ったのか、さっきとは一変して高圧的な態度で捨て台詞を吐いてきた。まぁまだ死ねませんがね。
「何を馬鹿な事を俺は人だよ。まだ化け物にすらなっちゃいないただの人間だ」
言葉が言い終ると同時に赤く彩られた白刃は地面を軽く叩いていた。それと同時に荒ぶる馬の如き騒音が周囲に響いたがこの戦場ではこんな音はよくある事だ、BGMに過ぎない。
班長を背にハリマの方へと向かう。
「待て……。行くな……。せめて俺を殺してからいけ……」
両腕を切断された萩原が地を這うように体をくねらせて俺達にか細い声でとどめを刺せと訴えた。
「まだ死ねませんよ、貴方にはまだ利用価値があるので」
弱いものは自分の死すら満足に選べない……。
理解なものだのう、一色。弱い者いじめってのは、強者による一方的に蹂躙ってのは楽しいもんじゃのう。お前もこんな気分だったのか?
この班長から少尉の階級バッチを取り上げた。
「殿……」
「大和君……」
ハリマと莉乃が俺の名前だけを呼び言葉を詰まらせる。
「俺の事を軽蔑するか? 悪逆非道で屑な人間だと思うか」
莉乃は首を横に何度か振った。
「いぇ…… あのう大和君の今まで見たことも無い心からの笑顔を見たなぁと思って」
莉乃の言葉をすぐさま聞き口に手を当ててみたが確かに口角が上がっていた。
莉乃は何故か俺に向かって微笑んでくれた……。
いまだに悶え苦しんでいる萩原の方へ向き直り道摩法師の名を呼ぶ。
「我が臣下の鬼よ此奴を喰え。主君の命令だ、お前に拒否権は無い」
法師はよろよろとまだ息も意識もある萩原の方に向かった。
「今のは……。どーゆ意味だ、鬼? 何故鬼が人間に従ってる」
聞き取るのもやっとなほぼ無音に近い声がした。
「踊り食いですよ貴方の。獲物は恐怖に震わせてから喰らうのが一番美味、出来のいい部下には旨いものを喰わせてやるのが上司の務めですから」
「で、出来ません……」
法師は萩原を見つめたまま次の動作に移ろうとはしない。
「何を躊躇っている? お前は人では無いのだぞ、どれだけ心が清かろうが周りの奴らが聖人だと持て囃しても、お前の体に流れる血は何の血だ? 化け物の血であろう、お前はどれだけ人間らしいことをしても人間にはもう戻れないのだよ」
人差し指を親指で曲げて鳴らす……。
「主君の命令が聞けないのか、お前の忠誠とはそんな薄っぺらいものか? 真の忠臣とは戦場で主君の為に死ねと言われたら喜んで命を捧げられる者の事を言うのではないか? 早くしろ、失望させてくれるな」
誰が見ても分かる程に挙動不審な震えた動きをハリマはする。それはそうだ時間が経ったからといってトラウマが消える訳では無い、そのことは俺自身が嫌というほど味わってきた。
「もう一度命ず、此奴を喰え」
「しょっ、承知……」
そういって法師は達磨の前に立ちはだかった。
「やっと死ねる」
小さく萩原はそう呟いた。満足そうな顔をして、待ちに待ち、恋に焦がれた死がやっと訪れた瞬間だ。
目の前のハリマはあの部屋で最初に出会った時の姿をして手に小太刀を取り出し萩原の腹に切り込みを入れた。
世界に響く命尽き果てるまでの最後の足掻き。
燃えカスのようなところに生命と言う薪をくべて最後に彼は火を宿したのだ。
体中から溢れ出る吐息と共に血、内臓その他諸々が搔き出され萩原は人では無く餌となり死んでいった。
「もっとだ、もっと体中、全身を使って舐め回すように班長を喰え」
これが仲間の死か、いいものだなぁ。なんと儚くそして愛おしいい、お前らにも味わってもらいたいよ、お前にも見せてやりたいよ狂気の沙汰を、赤い大海を、なぁ。
自分の開いた穴に顔を近づけ、腕で臓物の海を泳ぎ、引き千切り、掴み、喰い漁り自分と一体化する。溢れ出る深い深い黒色の液体は舌を使い、服を使い全身で吸い回し自らの糧とする。
もはや彼は誰がどう見ようとも化け物、怪異、物の怪そのものなのだ。いくら心が人であろうとも体はこれを求めていたのであろう、そんなむしゃぶりつき様だ。
「補給は出来たな、鬼蘆屋道満よ」
この体中に血を纏わり付かせた鬼はこくりと頷いた。
「喰い残しは外に捨てろ、死体が誰だか分からなくなるほど喰われちゃ後の作戦に支障が起こる可能性があるからな」
血だらけになった法師は死体の足を掴みマンションから投げ落した。
少尉……。
貴方と過ごした時間、短い時間でしたが色々な店に連れてってくれたりと楽しかったですよ。
まぁ地獄で俺を恨んでて下さい。
手元の階級バッチをポケットにしまった。
「お前もよく見ていられたな」
ただただ思ったことを独り言のように呟いた。
後ろで悲鳴や嫌悪に満ちた声ひとつ出さずにグロに耐性の無いであろう莉乃が目を反らさずによく見られていたなとついつい思ってしまつた、こいつも俺と同じで屍の上を歩く覚悟ってのはあるようだ。
「いえこんなことは散々やらされましたから……」
キュッと自分の服の袖を掴み莉乃が苦し気に声をせり出す。
「法師、お前に命令する。ここから一番近く、即ち左翼の出来るだけ偉いやつを最優先に殺し、出来るだけ多く一兵卒に紛れて殺して来い」
この鬼はやっと理解したようだ自分が人肉を喰わされた理由を。
左翼といっても敵は一塊で動いている、後方で徐々に安全な道を進軍してきている大将たちのいる本軍を除いてはここで左翼の機能を停止させればすぐそばにいる右翼も総崩れとなり本陣に押しかけていくはずだ。
さすれば此方よりも遥かに勢力に余裕のある、援軍を十分に期待できる鬼たちは退くであろう。
泥沼化させて援軍の到着を待った方が確実なのだから。
「このハリマ確実に左翼の大将を討ち取ってご覧に入れましょう」
法師は刀を置き地面に手を付け身を屈めた。
「土産だ、ただの一兵卒がそんな良さ気な刀使ってるのはおかしいだろ。だから大将はこれで討ち取ってこい」
空で血を払い【約束された勝利の剣】を鞘に納め法師に向かって投げる。
法師は刀を受け取ると一礼し刀を消し去った。
「お前は先に行け、くれぐれもほかの偵察班には見られるなよ。後で戦場で会おう」
「殿こそ御武運を」
法師は俺に背を向け小走りで下の階に下りる為に置いてある梯子の所までいき、俺に一言浴びせて飛び降りて行った。




