【二章終章】 頑なに彼は元来た道へ引き返すのを拒む
「いいや大した用ではないわ。ただ今日は梨奈さんに食事会に呼ばれて時間になったから貴方の家に行ってはみたものの誰もいなくて」
「そうか、それで俺を捜していたと」
しかし食事会をやるとか聞いていないんだが。まぁ彼奴の事だ、戦場に行く前の最後の晩餐的なノリなんだろうな。
最後の晩餐とか変な死亡フラグをおっ立てやがって。
「そうね。主役がいなければ始まらないもの」
「主役? 誰が?」
「ええ、貴方の昇進祝いなんですって草薙大和准尉」
銀雪は整った敬礼をした。
ああ、それで莉乃は今日用事があると言って帰れなかったわけか……。
「しかし美浜、そんな事俺に言ってもいいのか? 俺何にも聞かされてなかったんだけどサプライズの心算だったんじゃぁ……」
銀雪の表情が見るみう内に崩れ落ちていった。これは珍しい、彼女でもこんな困ったような表情をするんだな。
「もしかして私梨奈さんの計画をぶち壊してしまったかも……。いいえ草薙君は予定を聞かなくても暇だということが分かっていたから言わなかっただけだわ」
おいおい、そーゆことは頭ん中でやってくれよ。俺でもショックを受けちゃうよ、現に最近忙しいんだし。
「そうかそうか。まぁ驚いた真似だけはしてやるよ」
「止めた方がいいわ一瞬でバレる未来しか思い浮かばないわ」
まぁそうだわな。多分誰にだってバレるであろうリアクションを取る自分の姿が容易に想像できる。
「知らないものを知ることは出来るが、知っているものを知らなかったことには出来ない。人って残酷ね、機械と違って」
彼女は哀れみを込めてその言葉を噛み締めるように呟いた。全く俺悪くないんですがなんでか責められてません?
「で家が空いて無くて困ったんだろ、なら鍵を貸そうか? 俺小一時間は帰る気ないし」
彼女は首を振った。
「遠慮させて貰うわ。それに貴方とは一度ゆっくり話してみたいと思ったの」
彼女は無遠慮にそう呟いた。
「俺と?」
「ええいつもの学校では出来ない話よ」
「これから稽古があるんだが」
「それの後でもいいわ、何なら准尉の練習を見てみたいし」
一先ず立ち話もなんなんで直ぐ傍の神社まで付いてきてもらった。
それから銀雪を適当な所に座らせて体感で三十分くらい無言で末森城に置いてきている木刀を振り続けた。
流石に銀雪の前では薩摩示現流染みた木を打ち付ける鍛錬はしないが。
この間銀雪も何も言葉を発することなく、そして別段興味を失った訳でもなくただただ変わり映えしない光景を眺めていた。
「それで話したい事ってなんだ?」
剣を振りながら彼女に問いかけた。
「いえ別にどうでもいいことだわ」
「ふーん」
空返事を返しておく。
「今回の貴方の配属場所は確か中段の後方だったよね」
「ああそうだが、それがどうした?」
彼女は珍しく口を噤み言おうとしていたであろうことを言わずに躊躇っている。
数分無言の時が流れる。
はぁ……。埒が明かない。
木刀を置いて彼女を見通すように立ちはだかった。
「で? 何が言いたいん」
「次の戦い、貴方が死んでしまいそうで……」
銀雪は申し訳なさそうにそして尚且つ慈愛と慈悲に満ちた表情で呟いていた。
「俺は死なんさ。まだ死ねん」
本当なのかと、なぜこんな事を言ってしまったのかと問い返したくなってくる。
「そうなら良かった私の思い違いみたいで」
言葉とは裏腹に表情は曇ったままだ。
「私には貴方は死のうとしてる人間のようにしか見えないわ。初めて貴方の内側を知った時から貴方は生への執着が乖離して、死場を探しているような人間に見えたのだけど」
勿論貴方が強いってことは知ってるわ、とも付け加えてそう銀雪は俺に言い放ってきた。質問に答える事も出来るだろう、しかしそれは彼女にとって多分残酷な答えだ。
彼女の優しさを無下にするような答えを返してしまうだろう。
「さぁな、ただ一つ言えるのは俺の意志は昔から変わらないってことだ。あの中学のあの日以来な」
「私は貴方が心配なのよ。気が付いたらどこか遠くに行ってそうで……。それにそんなんじゃ莉奈さんも報われないわ」
今まで俺に向かって発したことの無いような包み込むような声色をしている。それは何処までも優しくて、それは何処までも深く、深く柔らかい。
「それともう一つ聞いていいかしら?」
彼女らしくない、普通の微笑みを浮かべながら彼女は俺に質問への応答を求めて来た。
「なんだ?」
「貴方は何故私に怯えているの? 最初に会った頃からどうしてそんなにも怖い者でも見るように怯えた眼をしているの?」
銀雪の一言により世界が止まった。
俺が……。怯えている……。
は?
いったい誰に俺が怯えていると。銀雪に? そんな訳……。 ない筈だ、ないと信じていた。
否定したい、否定しないと、肯定してしまったならば俺は駄目になってしまうだろう。
過去の夢の内容が俺の頭の中で暴れ回る。
「私だけじゃない、そう梨奈さんにも貴方は目の底にある光を恐れで曇らせているわ……」
そんなはずは。
俺は恐れも慄きも怯えも全て捨てた筈だ。何をいまさらそんなことを。
汗が重力に従い頬をツーっと伝っていく。
「そっ、そんなことはないんだが」
気が付いたら俺はらしくもなく手を振り、身振りまで使って違うと彼女に訴えかけていた。
「莉奈さんは私に何か隠している事がある。そして梨奈さんは自分の名前を呼ばれるときに少しだけ、一瞬だけ相手に悟られないように表情を暗くするわ」
どうこれで分かったでしょと言わんばかりに銀雪は自分の慧眼を証明出来る証拠を提出してきた。
「俺は怯えているのか……」
認めてはいない、認めたくはない、でも俺は彼女に訳が分からなさそうに聞き返している。
「ええ、一見違いなさそうに見えても貴方の奥底は怯えの色に染まっているわ」
彼女により振り放たれた一刀は俺の脳天への一撃はいとも容易く真っ二つにした。
怯え……。そんな訳が。
――お前はお前自身は知らぬところで女に恐怖を抱いているはずだ。
そんなものは捨てた。
――人間そう簡単に長年に渡って、そして幼い頃から仕込まれてきた根底は変えられねぇ筈だ。
違うっ……。
――お前は母に恐れを抱いていた。幼子に矯正と言う名の行為を行う母に。
だから反抗した、母も父も意外に弱かった。
――いいや、お前にとって母と父は恐怖の象徴と力の象徴の象徴な筈だ。拭いきれない根底にある恐怖と、今のおまえを形作っている力の在処な筈だ。
お前はまるでキメラのような存在だ。継ぎ接ぎだらけの化け物さ。
他者への羨望の部分だけをコピーアンドペーストして作り上げた、そのなりたかった自分になってしまったお前はもはや草薙大和ではない。
違う……。違うさ。
――何が違う? 実際にお前は怯えていたんだぞ。恐怖の象徴である母に、恐怖の象徴である女性に。お前は散々怯えているだろう。
好きな人に見向きもされなかっただけで己の持てる力全てを使いお前とお前の親友を狂わせた女や、好きだった女性は彼女自身の好きな人に近づくためにしかお前を使っていなかった。
散々お前は恐怖してきた筈だ。
そんなことは昔の話……。今は違う。今は違う。
でなければ俺は何のためにあの業火に身を投げたんだ。あの焔で自分ごと恐怖を焼き払ってきたんだ。
「草薙君……。もしもし草薙君」
ああ、俺は何考えてたんだったっけ。
「草薙君?」
「ああ、すまんちょっと色々と」
駆け寄ろうとしていた彼女に手を使って何もない事を証明する。いやどちらかと言えば振り払ったが正解なんだろうな。
「どうして貴方はそんなにも震えてるの?」
彼女は本当に心配そうに此方を覗きこむように見て来た。
震え?
視線を彼女から外し自分の伸ばされた手を凝視する。
俺は震えていた。隠しようがない位震えていた。
「どうしてなんだろうな」
何事も無いように平然と答えるように努めた。
体が自分の命令を無視して小刻みに揺れている。
こんな弱いところ。
こんなに弱い人間。
――能のない人間なんていらないわ。どうして貴方はそこまで無能なの。貴方なんて生まれて来なければ、いや生まなければ良かったわ。
能の無い……。また俺はあの時と同じことを……。俺の唯一の取柄がいま全く機能していない。
恐怖なんて忘れた筈だ。確かにそんなものは感じていない。
強く生きなければ。強く強く。
じゃぁ何で震えているんだ。
早くこれを止めないと、じゃないとまた見捨てられる。
心からのあの軽蔑した目で見られる。
あったかい……。
全身に今まで経験した事の無いような痛みと共に今にも崩れ落ちてしまいそうなくらい重症な亀裂が走った。
世界は一変して自分を境に楽園が広がった。
――こっちにおいでよ。此処にこれば怯えも悲しみも苦しみも全てが無くなるよ。一瞬で楽になれるよ。
楽園の主は俺にそう告げた。
――貴方はもう十分頑張った。もうこれ以上頑張ることは無いわ……。
痛い、痛い。
「いい、俺は何も頑張っていない。俺だけ変われていない」
――あと一歩だけ頑張れば貴方はもう苦しむことは無いのよ。考え得る事を悩むことも全てを受け容れてくれる人が貴方にはもういるわ。例え人殺しの貴方でもあの場所では貴方が一番人を殺してない、純白を垣間見えさせている人間なのよ。
「変わりたい、変われない」
――もうこれ以上頑張る必要も、無理に自分を追い立てて変えようとする必要もないわ。
それは何処までも暖かく、気を許せば前に足を進めてしまいそうになるくらいには心地よかった。
目を閉じればそこに楽園は広がっている。そこに、ここに、目の前に……。
きっと、きっと理解してくれる守り神もそこには存在して居る。
それは何処までも深く深く美しく。もうこの一歩を踏み込んでしまったならもう二度とこちらには戻れないそう俺にも分る位にそこは誰しもの楽園であった。
もういっそこのまま踏み出してしまおうか。戦うことも変わっていくことも放棄して元の弱い自分に戻ってこのまま沼の中に。
全部が全部を投げ出して。
――そうよ、そのまま目を閉じるの。
どうしてお前はそんな声で俺に語り掛けて来るんだ。
誰だお前は何だ。どうしてそうなんだ。どうしてそんな顔でそんな目ででどうしてその姿で俺に話しかけてくるんだ。
昔あれ程欲していたのに。
どうしてその時は来てくれなかっただ。
あの時はどうしてこんな風になってくれなかったんだ。あんなに夢にまでも、夢に出てきて欲しいほど望んでいたのに。
――そのまま自分の体重の赴くままに。
どうして俺は抗うことが出来ないんだ。それは甘く甘く甘く何処までも包み込むような香しい世界だ。
大和、大和君、草薙君
「大和君、大和君」
ああ声が聞こえる、そうだ……。もうちょっと頑張らなければな。
あの時、抗うお前の姿は憧れ以上の言葉に埋め尽くされていた。ああ、俺もあんな風に紫水みたいにお前みたいになりたかったなぁ。
俺は変われちゃいない、この姿も結局はあのまま、俺は多分もうどう頑張っても変われはしないんだろうな。
なぁ莉乃、俺はお前達にはどう足掻いてもなることは出来ない。ただしお前は俺の様になってしまう可能性は十分にあり得る。
お前は絶対に俺みたいになってはいけない……。
だから俺は見てみたいんだ。
そうだ、だから俺は助けなきゃな。
そんな事を終えた後に俺は戦うんだ。正義を掲げた人間とそうして死闘を繰り広げて、お互いの手の内を全て見せ合って……。
そしてそこで俺の願いは成就するんだ。なぁ、莉乃ちゃんと俺を殺してくれよ?
俺の長年夢見た願いは夢の様に俺を連れて行ってくれるだろう、目を閉じれば。そうだな、ここであっちに行ってしまうと全てが水の泡だ。殺した人間が浮かばれねぇ。
俺の願いも叶うことは恒久的に無くなってしまう。
まだ頑張らなければな。
世界は突如として現実に舞い戻った。
そして俺は彼女に握られた手を振りほどいていた。無意識にそして尚且つ素っ気無く。
ああ、分かったかもしれない。俺がこいつ等に怯えている理由が。
こいつ等といると俺は俺でなくなる気がして怖いんだ。
今でさえも躊躇いかけてしまっている、答えを出すのを未だに渋っている、自分の目的を提示せずに流れに流れて行ってしまっている。
またあのガキに戻ってしまうような錯覚を覚えてしまっているんだ。
「酷いわ、そんな振り払い方するなんて。乙女心を踏みにじられた気分だわ」
冗談っぽく彼女は呟いた。
「俺の領分に進行してきたんだ。撃退されるのが世の常だろう」
「進行ねぇ、あんなに手を震わせといて、あんなに一杯一杯の苦し気な顔してそりゃこっちとしては恩もあるから助けてあげてくなるわ」
恩ね、恩。ああ、あくまで利害関係でしかないと。
逆に安心した。
「そうね、そういう事にしといてて頂戴」
彼女はどこかの誰かさんがよく使用するいたずらっ子っぽい笑みを浮かべた。
「貴方は私の事を知っているのに私は貴方も梨奈さんも楠木君の事もなにも知れていない気がするわ。何だか私だけ除者にされている気分」
「んなこと言われてもな」
今までの事を無かったように取り繕った声音で返事を返した。
「私は知りたいの貴方がこれまでどんな道を歩んできたのか、梨奈さんの過去も悲しみも、楠木君の事も」
俺の過去か……。ろくでもない話ばかりだな。
「私は知りたいの貴方の根底にあるそれを、その震えの正体を」
今はこれっぽっちも話す気分にはなれない。
あんなろくでなしの男の事なんて。
「いつか話してやるよ、梨奈とハリマとお前の前でな。特に何も無い普通でつまらん男のこれまでの歩みをな」
「約束よ……。何時かでいいから絶対に守ってよね。次の戦いで死んでこの約束を反故したら墓の前で一生恨み続けるわよ」
彼女は力強く噛み締めるようにそして嬉しそうに笑った。
「私は待ってる事しか出来ないから。貴方も梨奈さんの事も全部、貴方たちが話してくれるまで待つことしか出来ないから」
自分に言い聞かせるように決意を固めるように銀雪はそう言葉を発した。
「そうか、そうしてくれると有難い。俺も梨奈も。まぁ梨奈の方は近いうちに話してくれるんじゃないのかな?」
「ええ、貴方も近いうちに話してくれることを祈ってるわ」
「多分無理だな」
拭いきれないものを全て拭って自分に架した成すべきことを果たしてからになるだろうな多分。
俺があの特に引っ張る必要もない過去の話をするのは。
「そうね、当分話してくれなさそうね、貴方は。それでも待ってるわ、だって私達なんだか長い付き合いになりそうだものね」
「はは、さっきまで俺の戦死を心配していたお前が言う事か」
「そうね。でもなんだかやっぱり貴方は死にたがっている様に見えるわ。他人を滅する死神の癖して、自らが滅されることを望んでいるように見えるわ」
そんな事を言っている、いやこの一連の銀雪はとても優しい人間に見えた。
いや彼女は優しいんだろう。
俺が否定した甘さを持ち合わせている。戦場では何の価値もない甘さを。
「帰るか……」
木刀を元の場所に置き直して彼女に向かって呟いた。
「そうね、貴方が帰るっていうならついて行くわ」
「そうか」
「そんな暗い顔しない。貴方は主役なのよ今日の会の。さっ、明るい顔で行きましょう」
そういって此奴らしくなくちょっと小走りになって先を行った。
俺は変われていない……。
こんなどうでもいい日常を良いと思ってしまっている俺は変われていないのだろう。
俺はどう足掻いても変われないのか……。
どう戦っても結局此奴が立ちはだかってくる。
銀雪俺はお前を羨ましく思うよ。成長じゃなくて変わる事が出来たお前が。
莉乃は外に出るときに財布をちゃんと持ってくるようになったし、あの陰陽師も現代の文化に馴染んでいる。
彼奴は明智梨奈として嫌でも変われているし、彼奴も言わずも原型が保てていない位に変われている。
なのに俺だけがあの少年の頃から、俺だけが紫水を殴った人間から、俺だけが涙して逃げ回ってた弱い奴から変わる事が出来ていない。
「貴方は変われていると思うわ」
背を向けた銀雪は、茜色に染まった銀雪はそう一言だけ呟いた。
変われた……。
変われたのか……。
俺が……。
この俺が……。
誰かに始めて俺の人格を認めて貰えたような気がした。
そうしてそれの口角は自然に少しだけ上がっているだろう。
しかし背を向けた彼女にはそれを見ることは叶わないだろうな。




