【二章第八話】 俺は俺が分らない
「殿注意してください、彼女の持っている武器は我々鬼の武器と相反する、神の力によって生み出された神器の一つ、しかも神帝兵が使っていた力の濃度が薄い武器などではなく、かなり純度の高い剣です」
床に串刺しにされたまま動けないでいる法師が顔を上げ俺に助言をする。
神器の話は昔法師から聞いた事がある。
古来より非力な人類では到底及ばない鬼を討ち果たすために神からの与えられた唯一にして最大の祝福、それが神を宿す器、神器だ。
「失礼ですね。昔の軍隊や、清和軍が使っている、中途半端な力しかもってない欠損した神器を人類が作り出した剣に僅かな量だけ入れているあんな玩具と一緒にしないで下さいよ。私の剣は先祖代々から伝わる、神代の時代、神が神を殺すために生み出した本物の神の剣なのですから。貴方はその身で痛いほど味わったでしょう」
法師の様子を見てみると所々、服についている血も凍りつき、体に刻まれた傷の切り口の所が黒ずみ紫色に変色し、凍傷のようなものを負っていた。
神々しいまでの光を放っている彼女の剣からは冷気のようなものが噴き上がりそれが彼女の周りを煙のように包み込みゆらゆらと揺れている。
お互いに踏み出すことは無い。相手がどのような行動をしてくるのか、自分のこの攻撃は相手に通ずるのか、お互いがお互い経験の無い読み合いをしているのだ。
彼女の顔にはもう先程までの優しさなどは寸分も残ってはいなかった。
バベルの塔の神話で神は人々を互いに違う者同士にし、お互いを理解できないモノへと変えた。人と人は相容れないモノでお互いの価値観や常識なども簡単にズレていってしまう、そんな人それぞれの違いは話し合いなんかでは容易に埋める事も解決も統合も出来ない。俺はどこかの誰かがエルバ島から脱出するまで踊り続ける気など毛頭ない。
ならば話は簡単だ。答えは一つ至極全うだ。
相容れないなら、分かり合えないなら、踊り続けるというなら実力行使に出ればいいのだ。他者を這いつくばらせ、平伏させ、納得がいかなくても無理に納得させる。他者を脅し、脅かし、従属させ、服属させる狂ってなんかいない、逆に分かり合えないと分かっていても分かり合おうとする方こそが狂っている、人々の生活を見ても歴史を見ても結局はこれが世界の心理なのだ。
さぁ俺を打倒せ、俺を討って、倒して、望む物での好きなもんでも手に入れてみろ。
刀を振り上げようにも天井が低く横幅も狭いここはとてもじゃないが太刀を振り回すところに向いておらず、なかなか次の動作に移ることが出来ない。
っつ。
天之尾羽張の鋭く尖った穂先が光となって伸びてきたのを既でのところで身を捩じらせ躱す。
「大和君は今のを終わりと表現したが終わりなんかじゃないよ」
一気に距離を詰められる。
「これは始まりだよ、私のお家再興劇の開幕。私は鬼を生け捕りで軍に連れて帰ることで彼奴に我が家の復権を認めさせるの」
彼女の神剣の連続攻撃を俺の鬼剣が防いでいく。
受けきれるか……。武器が交わるにつれ、刀から冷気が伝わってくる。
【約束された勝利の剣】では無理か、やはり山城でないときつかったか。
違う……。
刀を振り上げるたびに悲鳴を上げる体、剣を捌くことに身体全体に響く痛み、反撃に出ようと柄を握り締める際に感じる肉を抉られたようなこの感じ。
俺は捨てた筈だぞ、こんな感情もこんな痛みも。何のために人として大切なものを捨てたんだ。何のために俺は俺自身を踏破したんだ。
絶え間なく彼女の剣は攻めあぐねている俺を容赦なく攻め立てる。
靄のような冷気が棘ような形に変化して剣とは別に俺に向かって突進してくる。
これはやばい。
俺は上体を下に倒し靄を回避する。そしてその回避を踏み込みに変えてバネの様に下から斬りかかる……。
体中に電流のようなものが走った。痺れるように緩み、体の力全てがそれに吸い取られて別の何かに上書きされる。
足が思うように動いてくれない。
思うような勢いが出ていない。
鋼と鋼が打ち合う冷たい音。
下方からの攻撃は勢いが足らずに容易く彼女の剣に封じられてしまった。
「人を殺すってどんな感覚か知ってる? 大和君」
彼女のその口から冷たい言葉が漏れだした。
「ああ知ってるとも」
彼女との一定の距離を保ちながら俺も口を開く。
「数多くの死体を、数多の数の髑髏を私たちの一族は踏み越え、時には踏み抜いて来た。天童家の、いや織田家の後ろには常に死体が道を作っている。だから私は私達が殺したもの達の為にも、一族の為に死んでいったモノの為にもここで立ち止まる訳にはいかないの」
彼女の静かなそして勢い強くて力の籠った一撃、一撃が俺を一歩一歩と後退させていく。
何故だか何処からかここ数か月の出来事が走馬灯のように頭の中に過った。
一体俺は何がしたいのか。
関わりたくないのに拒絶さえ出来ていない。
裏切られるのが怖いのに、手元に置いてしまっている。
彼女は俺を特別だと言った、要らないとはねのけたのに、要らないと割り切っているのに、必要ない無価値なモノだと決めたのに。
それでも、それでも、俺は俺自身を納得させられる理由を何処かで探し続けていた。
そうか……。認めたくはないがこいつらと過ごしているうちに俺もタヒチに流れ着いてしまっていたのか。
俺もバウンティー号で、真田丸という名の船で、この残された名古屋という最後の巨船の中で楽園に戻る為に舵を奪う反乱に参加してしまうところであった。
知らない間に安心していた。
きっとここで彼女と逃避してしまえば楽なんだろう。
俺は決めたのだ、現実から目を背けないと。復讐を必ず成し遂げる、必ずだ。
なのにまた逃げようとしている、また救われようとしている、また助かる道を必死に考えている。
でも、もうそんなのはいいから。
思えばあの逃避していた三年間はとても辛い日々であっただろう?
自分は何処までも可愛くて、大事で、憎んでも憎んでも憎めなくて。
だから世界が壊れることを望んでいた、だから世界と共に嫌な自分が消え去ることを信じていた。
世界が変わったら変われると、世界が壊れたら未練も躊躇も何もなく自身に想いの限りの復讐が出来ると信じていた。
俺には誰一人いない、誰一人いないのに、繋がりを求め、必要とされることを求め、それを理由に助かろうとしている。
自分が揺れているその助かろうとしている道は絶望しか、後悔しかないっていうのにまた俺はその道を取ろうとしているのか。
なぁ、助けてくれよ明智、救ってくれよ紫水。
今度こそ、変わるんだろ俺。
刀がミシミシと音を上げ根を上げそうになっている。
「どうだもうお喋りしている余裕はなくなったのか」
鍔同士が接触してガチガチという音を上げ、刀身は敵を殺そうと標的の方を向いている。
刀はもう無理そうだが全身の傷みや消え去り体が軽くなっている。
いける。ああ、いける。
「私は絶対勝って帰る。帰らねばならない。例え大和君の体の何処かを捥いだとしても、例え気になっていた人をこの手で殺めたとしても。私はここで勝たなければならない」
彼女は体の全体重を剣に掛けてこの鍔迫り合いを制しようと膨大なる自分に与えられた力をそれに乗せて来た。
渾身の力を込めて彼女の剣を押し返して、俺は壁ギリギリへと後退する。
そして……。
彼女の剣戟が此方に到達する前に床を踏み込み攻めに転じる。
彼女のこの瞳どこかで見覚えがある……。何処か親友に似た、全てを丸く収めようとしている、無謀なことをやろうとしている、馬鹿な奴の目。
それは俺なんかと全然似ても似つかない、俺が真に憧れた立ち姿。
敵は俺の猛攻から逃げる為にジリジリと後退していき、ついには剣の間合いから外れた。
それでも俺は彼女を捉え続ける。
土壇場の彼女の一閃が繰り出されるがそれを躱し、いったん彼女の間合いの外に出る。
「貴方は私と同じものに憑りつかれている、私も貴方もそれしかないみたいだね。ここに来てこれをいうのも可笑しいけど、お互い分かりあうことは出来ないの?」
何と儚い甘さ、全てに執着した者は全てが中途となり、その全てによって身を滅ぼされることになるぞ、昔の俺のように。
お前と俺は同じものに取りつかれているかもしれない、でもお前は。
お前は、俺ではない。
俺が取れなかった道を選んだ、俺になんて絶対に辿れることのない道をお前は進める可能性を持っている。
否定の意味を込めて刀を構え直す。
「ならば俺を倒してみろ。選べるものこそ強者だ、何も選べず流れに思うがままにされるのが弱者だ、だからこそ自分が選びたいのなら俺に勝って自分で選択しろ」
おそらくこれが最後の激突になるであろう。
次の剣の交わり合いでで勝負が決まる。
心から沸々と戦いの高揚感が湧いていたのはさっきまでの話だ。驚くほどに俺の心は俺の胸の内に無かった。
失望……。
俺は俺が一番嫌いだ。
あの時何も出来なかった俺が、あの時何かをやった積りになっていた俺が。
俺は俺が大っ嫌いだ。
あの時、誰とでも仲良くなれると、皆が皆分かり合うことが出来ると思っていた俺が。
それでどうした、なぁ少年よ。友達よりも家族を取った少年よ、己のほぼ全てを捧げて努力することによって得られたものは有ったのか少年よ。
なぁ、答えてくれよ。あの時の親の理想であろうとしたお前は満ち足りていたのか? 学校で友達が一人一人といなくなっていく生活の何処が良かったのだ?
如何した? なぁ、答えろよ。身内ですらその小さな掌の中から溢してしまうようなお前が誰一人余さず溢さないようにしようなどという考えが無駄だと分かったか?
なぁ少年よ。
自分の器を弁えろよ、お前はどう足掻いたって紫水にも、目の前の彼女にだってなれない。今更その道を進もうとしたって無駄だ。
決してなれない。
彼女を見ているとたくさんの光景が蘇ってくる。
彼女を見ているとあの憎々しい俺が心の中に現れる。
彼女は俺ではないが俺だ、俺になる可能性も、はたまた別のものになる可能性も秘めている奇跡の存在。
その失望は昔の俺に向けられたものなのか、昔の俺のような彼女に向けられたものなのか……。
半歩後方に足が下がる……。床を踏み込み渾身の突きが間合い外から繰り出される。
彼女から鋭い突きが繰り出されるまで一瞬の出来事だった。
刀を片手で持ち、即座に姿勢を低くし、伸び上がる力と遠心力に刀を預け光の側面から突きを迎撃する。
神話の剣と伝説の剣の名を持つ刀が衝突し合い、鋼同士が冷気を帯びる。
「どうやら刺し違えてやることは出来ないみたいだ」
彼女の刀の勢いを止め俺は刀の握りを変えて彼女に斬りかかろうと……。
世界が突如として変わった。
いや変わってない。
そこにはいつもの梨奈が。
そこには刀を持った莉乃が。
何も持ち合わせていない、穏やかな日常の彼女の心臓に向かって俺は小刀とも言えないナイフを……。
刀を持ち合わせ狂気に乾いたその眼の彼女を袈裟懸けに斬ろうと刀を……。
俺は笑っていた。日常の彼女を殺して、そのナイフで何度も何度も肉に向かって突刺して。彼女は死する瞬間にきっと俺に向かって微笑みかけてくれるだろ。
きっとこの刀を振りかざせば、この刃に肉を断たせれば、きっと。
俺の頭で突如再生された映像のように彼女は容易く死んでしまうであろう。
俺は彼女に向かって刀を……。
敵は紫水と同じ笑みを浮かべる、俺の行動すべてを受け入れると、こうまでなっても俺を救ってやると。
目からはその熱意が消える事は無い。
死ね、俺を殺せなかった者よ。
消えろ、紫水の亡霊目が、もう二度と当てつけのように出てくるんじゃねぇ。
さようさなら、初めて俺を特別だと言ってくれたヒト。
俺の中で誰かが叫ぶ、俺の中で全く別の感情が行動を制御しようとしている。
コロスナ
コロスナ
コロスナ
オマエハマタシンユウニヤッタコトヲクリカエスノカ?
振れなかった。
俺は空いた左手で鞘を握りしめ、そのまま渾身の突きを繰り出し次の対応が極端に鈍くなっている彼女の柄を握る手を刃の無い側面から振り払ってしまった。
神剣は宙に放り出され、彼女は痛みに耐えきれず地に崩れ落ちた。
「大英帝国の伝説を読んだことはあるか? 重要なのは剣じゃなくて鞘の方だ」
地べたに這いつくばりながらも手を伸ばし剣を取ろうとする彼女の額の辺りに何の躊躇もなく蹴りを入れる。
足元に落ちていた自称神剣を部屋の隅に蹴り飛ばす。
サラサラしている髪の毛を掴み壁へと体を押し付ける。彼女はこれ以上の抵抗は無理だと悟ったのか抵抗してくることは無かった。
「お前の夢は叶わない、お前の野望は打ち砕かれた、お前自身の幻想なんてものは全て遠い理想郷だな」
法師を串刺しにしている剣を抜く。
「お前そんな角を生やしているタイプのおにだったか? 角なんか生やして無様だなぁ、人に紛れて生きる鬼さんよ」
斬られて欠落した肩を押さえながら身を震わせ立ち上がる道摩。
「我々鬼は生命の危機を感じると例えどんな姿であっても額から角が生えてきてしまうのです。別段私は角があろうが、なかろうが何の違いもありませんがね。それに折られてもまた生えてきてしまいますし」
地面には普通の人間ならもうとっくに死んでいる量の血の池が出来ている。法師の体のどす黒い切り口は黒より暗い影に包まれ再生が進んでいるように見える。
「再生に一体あとどれくらいかかるんだ? 鬼の武器に斬られるのと神剣に斬られるのでは治癒時間に違いはあるのか」
「大体どの剣に斬られても元に戻るまでは一日くらいは必要です」
法師はそう俺に言った。
「そうか」
さてこいつをどうするか。
いや俺は如何して此奴を生かしてしまったんだ。




