【一章第十三話】 存在証明
自動販売機で珈琲を買い終わった頃、排出口に缶が出てくる音が響いたのか、ただただそこら辺を路地の明かりに照らされうろちょろしていただけなのか一匹の雑兵の姿をした鬼を俺は発見した。
旗や、装備、そして彼らが生きていた時代、そんな違いはあれど今日はもういかにも雑兵って感じの鬼は見飽きるほど見続けて来た。
彼らが人を殺すのも、彼らが人を喰らうのも。
鬼が死ぬところも見た。
しかし俺は何もしていない。
俺はただそこに居ただけ、俺は守られていただけ。
俺はこの手で鬼の生命の灯が消える瞬間に立ち会ったことなどない。
まだ俺はこの手を、この体を奴らの血で穢しきってはいない。
自分の中である決断がなされた。
強く強く根強い決意。
法師の刀を抜き放ち、まだこちらに気が付いていない鬼にそろりそろりと近づいていく。
それはもう戦闘とは呼べない、そうそれは言うなれば狩りだ。狩人は闇夜に紛れ獲物に迫っていき、体に電流が走ったのを合図に獲物目掛けて飛びかかる。
奴も流石に俺の存在に気が付いたのか後ろを振り返った、刹那。
鬼の腹に刀が突き刺さった。
鬼は訳の分からなさそうにとても困惑したようにただ痛みを感じ悲鳴を上げながら地面に倒れる。
鬼の顔面に足を乗せ、追い打ち様に鬼の右手に刀を突刺し、どんどんと引いていく。
血が勢いよく周囲に飛び散る。刀は朱殷に染まり服は何の疑問もなく鉄色の水を吸うのだ。
ジタバタと行く先を定められなかった鬼のもう片方の手が俺の足を掴んだ頃にはもう鬼の腕は本体と離れていた。
そこから刀を払って俺を離すまいと掴んでいた手に深手を負わせる。
「お前はもう俺のものだ、俺の意のままに……」
殺してあげてももいいよ……。
それは有り触れた狂気の一つ、それはそう珍しい事ではない鬼への反抗、それは誰しもが鬼の体によって阻まれてきた反撃を成し遂げたのだ。
狩る側のモノが逆に狩られる側のモノへと成り下がっている。
鬼の荒い息使い、そしてその後の生命の根源までもを吐き出してしまうかのような息の吹き出す音。
一振りの刀が首に突き立つ。
首級でも上げるかのように首を胴から切り落とし、陣笠を取り上げ髪を掴んで首を振り回し空に放り投げる。
空に第二の月が打ち上がった、それはとても綺麗とは言えない、人の皮を纏った化け物の顔をした月だ。
第二の月はどこにでもある街灯の明かりを反射され輝いていた。
「月が綺麗ですね」
我人の狂気を愛す。
ああ愛しの復讐、こーしていると何故だか昔の弱い自分と違うということが証明されているようで胸がスッとする。
もう俺はあの時の俺ではない。
あの嫌いだった自分はもうここにはいない。
俺は憧れた俺に変われたと思う、きっときっと自らの半径数百メートルの世界くらいは俺中心にでも回ってくれるだろう。
鬼は刀を抜く間もなく、意図も簡単に頭を吹き飛ばされた。
敵は反撃さえも敵わずに絶命した。
無性に力が体の奥の奥から湧き上がってくる、必要以上に能が早く回転してくれる。それは雷にでも撃たれた様な感覚、それはいわば痺れ、そして衝撃。
体が軽い、まるで肉体というの枷でも外したかの様にラグなく文句も無く命令通りに動いてくれる。
全身に閃光が走ったその後、俺は途端に力が溢れ出て来た。
とてもいい気分だ。
高く上がった首は落下する、落下する。
月が落ちてくる場所を見定め刀で華の一刀両断をしようとするが、首は刀に当たって吹き飛ぶだけであった。
アスファルトの上に首が虚しく転がる。地面には死骸だけが無様に置かれたいる。
全てが全て思い通りに行くと言う訳では無いようだ。どのように斬り込めば、どのような角度から刃を入れればよいか、未だに俺は分からぬことだらけ。
それが今証明された。
まぁ仕方ないとは思うが。
そして残った死体から使えそうな物があるか死体を漁ったが特にめぼしいものは見つからず、結果刀を持ち帰ることにした。
この刀は法師の刀の鞘と比べて、木目が浮かび上がったシンプルな装飾の鞘だった。鞘から抜いて刀身を晒してみると、刃毀れもなく、名人が打たような美しい白刃が映し出された。(素人目)
というか正直言ってどれも同じように見える。ただ法師の刀の方が殺人に特化でもしているのは刀はやけに太くて長いかった。
それから元の場所に戻った俺は外の景色を眺め、時間が来るのを待った。
外の景色は相も変わらず炎が上がったり、ヘリが飛んだりと騒がしく、退屈はしなかった。
スマホのアラームの音に従い俺は寝ていたと思われる法師の体を揺すり起こしてやった。
「殿っ、その刀どうしたんですか」
法師が驚きの声を上げる。
今の俺は道摩に貸してもらった刀とは別に、もう一つの刀を持っている俺を見て従者はとても困惑していた。
「鬼を一匹殺しただけだ」
法師に刀を投げつける。
まだ俺より詳しそうな法師に鑑定を依頼するために刀を大雑把に、雑に投げた。
「これに鬼は宿っているか?」
法師は鞘から本身を抜き取り、まじまじと刀身を見つめた。
「確かに鬼は宿っていますが……。宿っているのはかなり力の弱い鬼です。これでは普通に使うことは出来ますが、鬼の能力で斬れるのはほんの少しの長さでしょう」
そいやー、鬼が宿った剣だと刀身よりも遠くのものを斬れるとか何とか言ってたな。
「刀の方はどんな感じだ」
法師は鑑定士のように刀身を眺める。
「よくある刀ですな。鈍らではないが業物にはほど遠い」
「此奴で鬼を斬ることは無理なのか」
俺の愛刀になる予定だった『約束された勝利の剣』の存在意義が……。絶賛俺の宝具候補だったんだぞ。
まぁ日本刀にこんな厨二な銘を勝手に付けるのも良くないな。次らかはもっとまともな銘にしよう。
「いえ、微弱でも刀に鬼を宿していれば、通常の武器が効かない鬼にも刃は通るようになります」
そうか一応俺の鹵獲した刀には意味があるようだ。
法師から丁寧に返された刀を握るとそれを包み込むように地面に丸くなった。さっきから頭がガンガンと五月蝿くやかましい。
必死な何かの訴えが頭を刺してくる。
「ふーん、じゃあ俺は寝る、また二時間後に起こしてくれ。起きたら即出発だららな」
そーいってまたスマホをセットする。
特に何も考えていないし、瞼を閉じてはいるがなぜか眠れない。
耳には、脳には妙なノイズ交じりの何かが響き渡っているだけだ。
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人々の声が聞こえる……。
みんながみんな俺を罵っている。
もうそれすらもただの雑音でしかない。そんな言葉ではもう心は痛めない、きっとそれはただの音でしかない。
彼らの声に俺は意味など持たせていない、意義など見出していない。
彼らの訴えは言葉としてすら判断していないのだ。
誰かが耳元で何かを呟いた、何かを囁いただけ。
そんな何かに俺は刀を抜いていた。
どこかで言葉が響き渡る。
罵声、罵倒……。
少しずつ違うが内容は全て同じだ、でも何を言っているのかまでは分かるつもりすらない。ただ憎しみが鼓膜を揺らし、悲しみが瞼の裏に霞むだけ。
そんな騒めきに俺は鞘を捨てて刀一つとなって斬りかかっていた。
ただただ機械的に刀を振り声を潰して回っていた。
これはあくまで意識上の話、実際にはそんなことなど起きていないし、俺の眼が写しているのは自分の瞼の裏。
例え今日見捨てた人間の声が聞こえようがそれはこちらがそれを勝手に思いだしているだけ。だから、俺はその人たちを一人一人記憶から消して回っていた。
そんな彼らを俺は無価値なものだと判断した。
そんな中……。
世界が切り替わった。
突然の光景に俺はどんな反応をしていいかすら分からなくなった。
俺の知らない誰かの見た景色。誰かの最後の光景……。
片目だけ、瞼を持ち上げた……。
先程と全く変わらない場所。
片目は全く別の、全く違う時間帯を写している。
俺は困惑していた。見覚えのあるような無いような公園、そして息を切らせているのか小刻みに揺れ動いている視界。
そして一瞬のうちに誰かの世界が闇に包まれた。
この世界の誰かがまた一人物に返ってしまった。必死に逃げ続けた誰かの無念の死、死は人間を駆り立てた。
死神は人の命を刈り取った。
俺は誰かの死を見せられた。そう誰かの……。
片目に続く、ただただ漆黒の闇。もしかしたらもう俺の瞼の裏を見ているのかもしれない。
もうそれが俺は何なのか分からなくなり、もう片目を開いた。
確かに片目を引かいた筈なのに、眼を見開いたはずなのに。
片目は一向に像を映すことは無い。ただ片目は虚無を、一面の色すらない虚無を捉えている。
そして……。
えっ?
何故か最後に光が見えたような気がした、眼を見開く寸前の、閉じられた瞼のほんの一筋だけ割り込んだ赤い光。一瞬の出来事、ほんのコンマ一秒ほどの光景。
でも、でも。
自らの眼はもう自らの前にあるものだけを映している。冷たい冷たい無機質なコンクリート。あれは何だったのだ?
誰かの声が耳に響き渡ってくる。
その言葉は消そうにも俺の脳内から消えてくれない、いくら斬ってもまた繋がってしまう。
この言葉を発した、ものは誰かは分からない。
この言葉にすら意味が有るのか分からない。
もしかしたら俺がまた無意識のうちに生み出してしまった言葉なのかもしれない。
「必ずお前を……」
そんな言葉だけが俺の耳元に嫌に残り、引っ掛かるものが有る。
あれは何だったのか、あの時俺は寝ていた訳では無い。
何かが心の中に流れ込んできたような感覚。
耳元でいつもの曲が流れた。ただ俺は茫然としていてそれを止める事が出来なかった。
法師に声を掛けられる。
意識とは別に置き上がっている自分がいる。
まるで何かに俺が乗っ取られた様な感覚。
罵倒、罵声の元は分かっている。
ただどうしてもあの言葉だけが分からないし、そんな言葉を聞いた覚えすら無い。そんな景色を見た事なんて確実に無い。
昨日コンビニで拝借した食料の残りを軽く食べ、法師に荷物を背負わせ、日の出前の暗い道をスマホ頼りに、名古屋に向かって歩き出した。
昨日から不思議と疲れは感じない……。
口の中にはほんのりとグレープフルーツジュースの苦みが広がっていた。
「必ず、お前を」
聞き取れたのはそこの部分だけ、でもとても懐かしく、とても苦々しく。俺の心の片隅を、俺の思考の半分をこの言葉は朝食の最中ずっと占領し続けていた。
なんだか今日の朝食は味気がなかった。