【一章第十話】 彼の者の名は・・・
「おれは……。勝ったのか?」
目を開けると元の世界に戻っていた。まだ後頭部が痛い、目の焦点が定まらない。イマイチ状況が掴めないでもいる。
でも感じようもない満足感が、やっと変われた自分への嬉しさが其処には確かにある。
やけに広がった視界には斬られた母親の死体と、自称陰陽師蘆屋道満がベットの下で倒れている。
俺はこいつ等を守れたのだろうか? 机の上の積み上げられた新刊漫画や小説が放り棄てられた妹の腕により赤く染まっている。
机の目覚まし時計はもう四時半を回っている、一体どれだけあの空間に居たのだろうか? 二日ぐらい法師を甚振っていた感覚があるのだが、こちらの時間は余りにも動いていなかった。
まぁそんなことはどうでもいい。
この街から離れよう。
食料や着替えそれにちょっとのラノベや漫画を持ち出せるようなバックをクローゼットの中から探そうとベットから降り立ち上がった。
「またれよ……」
震えた声の主が俺の足首を弱弱しい手で掴む。
なんだこいつ、俺はあの空間で精神を断ったはずだぞ。
まぁ見たところこの震え方からかなりのトラウマや恐怖心を抱えているだろう。
「離せよ」
親指で人差し指を鳴らすと、波が引くように自然と手が身体から離れていく。
そのまま法師は縮みこんだ。
時より痙攣のように体が動くものの、法師は小刻みに震えたまま動かない。このまま逃げるための準備を続けても問題なさそうだな。
法師に背を向けクローゼットの方に向かおうとする。
「またれよ……。私は貴方にもう危害を加えるつもりはない……」
振り返ってみる法師が今にも倒れそうな感じで、身を震わせなら酷く弱弱しい佇まいをしている。
「どうか……。どうか……。御身の名前をお聞かせ下さい」
俺は法師を見つめる。
法師は怯え体を震わせる。
「どうか……。どうか……」
体の震えに逆らうように、法師は俺に名を聞き続ける。
何か別の精神が乗り移ったのではないかと思わせる、体と心がまるで別の行動をとっていた。
虚ろにすらなっていない眼。どうしてだ? 俺は奴の精神を完全に破壊したはずだぞ。
奴の眼からは敵意もあの時の法師の感情がすべて消えている……。何故だか全てが書き換えられている様だった。奴の眼からただ感じ取れるのは謎の尊敬の眼差し……。
そんな奴の期待に俺は答えていた。
「草薙大和」
法師の震えが急に止まり、目にも光が蘇る。手からは納刀されているが闇を裂き刀が現れる。
俺は道満の精神を殺しきれてなかったみたいだ……。
ああここで死ぬのか何にもできなかったな、守ることも復讐も。だがそんな事を心待ちにしている自分も心の何処かに存在して居た。
死の寸前まで来ているのに妙に頭が冷静だ。恐怖もなにも感じない。
もういいんだ、もう。覚悟がとうの前に出来ている。
「草薙大和殿とお見受けしました。私は今より殿に一生の忠誠を誓います」
刀を頭の前に置き俺に向かって平服している。
は?
「信じて貰えないかも知れませんが此の身は貴殿に救われました。貴殿が居なければ私は長い長い永久に続く苦しみに囚われ続けていたでしょう……。ですから私は命の恩人である貴殿に我が命捧げます。もう私の命は貴方の物です。私の事が気に入らなければそこにある刀で私を斬り捨てて貰っても構いません」
頭を下げたままだから法師がどんな面しているかが見えない。
ただ興醒めだ、なにか途轍もない失望が心に生成される。
「相分かった……。即刻お前の首を刎ねてやるから覚悟しな」
丁寧に置かれている刀をを鞘からワザとゆっくりゆっくり引き抜いていく。
法師は身じろぎ一つせず頭を床に擦り付けている。
此奴を殺せば、この鬼が憑依した武器が我が物になる。
生存の確率が上がる、復讐という言葉に現実性が帯びてくる。でもな、でもね。
法師の首に峰を当てる。
刀を上段に構え、より恐怖や苦痛を与える為敢えてすぐには刀を下さず、ここぞという気分になるまでこの状態を維持する。
「痛たた……。痛い……。そこにいるのは大和? 何馬鹿なことしてるの、早く救急車呼んで私を助けなさいよ」
刀を振り下ろす気分になる前にこの部屋で異変が起きた。死んだと思っていた母親が息を吹き返したのだ。
口角が上がる。心からぷつぷつと喜びが浮いて出てくるのだ。
床に落した鞘を拾い上げ刀を手早く納刀する。
「興がそれた。顔を上げろ」
顔を上げた法師に向かって軽く鞘に収まった刀を投げつけた。
「俺の下で働くというのは死ぬより辛い道のりを歩むことになるかもしれんぞ、何の躊躇もなく同胞を殺せるというなら、何の躊躇いもなく人間を断頭出来るというなら……。俺はお前を配下として認めてやろう」
鞘の返り角を持った法師に向かって主君として初めての命令を下す。
平伏した家臣への最初の命だ。
「忠義を示せ、そこにいる人間を片付けろ」
法師の顔から汗が流れる。
「それは殿の母君なのでは」
いきなりの命令に法師は驚きのあまり声を上げる。
彼は驚いた顔をした、彼は鬼ではなく人として情を問うてきた。
「そこにいるのは母だ、だが家族でも何でもない、同じ血を分けているだけの他人だ。ただの死に掛けの人間だ。早く介錯してやれ」
人差し指を鳴らす……。
その音を聞いた瞬間、法師はこちらに露出している肌という肌から汗を吹き出す。
「いいから、やれ」
法師が忠誠のポーズらしきものをして立ち上がり、袈裟懸けに斬られた跡がある瀕死の母親に向かっていく。
処刑人は立った。
「そこらの本がこれ以上汚れたら困るからここで殺すなよ」
「なんてこと言ってるのやまとっ」
「能のない人間なんていらない」
いつかの何処かの言葉。俺が最も嫌った、俺が最も怯えた言葉。とても嫌な言葉。自分で言ったことだ、自分の言葉だ。返してあげるよ。
「そうだわこれは夢だわ、きっと、そうだわ」
ふっ、最期まで醜態を俺に晒すか。クソ親よ。
法師は母親の髪の毛を掴み窓を開け金切り声を上げる母親とともに2階から飛び降りる。
最後の母の顔……。
それはきっと。
お母さん、貴方は俺の力の象徴です。だから、俺はオマエヲ殺さないと後ろに戻ってしまうかもしれない。
貴方は貴方の言葉通りに俺を生まないのが正解だった。
俺じゃない別の誰かが貴方の息子になるべきだった。
「よし逃げる支度の続きをしようか」
クローゼットを開けようとしたところで自分の手が血に汚れている事に気付き、二階のトイレに付いた手洗い場でごしごしと血を落す。
世界が壊れ始めても水道は今はまだ使えるようだな。
クローゼットから大きなバックを取り出したところで、外から近所迷惑になるような大きな大きな悲鳴が聴こえて来たがそれを無視して作業を続けた。
机の上に置いてあった本たちは血でダメになっていたが、クローゼットの収納ケースに入っている本や、引き出しの中にあるゲーム機ややタブレット、小型パソコンなどは幸い無事だった。
一先ず、無事だった積み上げられた収納ケースの中にある無事だった漫画やラノベを本当に好きな本だけに絞り込み小型のアニメイトで買った小型の収納ケースに移していく。
ここで選ばれなかった本たちはどうなるのだろうか……。俺はこの家に戻ってくることが出来るのだろうか?
親の死のときには全くと言っていいほど湧いてこなかった悲しみという感情が心の底から溢れ出す。
そんな感情のせいかついつい本を沢山持って行ってしまいそうになる……。
俺の愛読書である、『平野耕太先生のヘルシング10巻やドリフターズ4巻』は何が何でも持っていくつもりだ。
精々十巻くらいしか入らない小型の収納ケース二つに漫画を詰め最後の一つにラノベを詰めこみ修学旅行以来使ってない大型のかばんに収納ケースを入れ込む。
残りのスペースには折れるの覚悟で漫画やラノベを押し込み、漫画やラノベが入る隙間が無くなったら、パッケージにしまってあった携帯ゲームのカセッツトをカセットケースにしまい込み残った小さな隙間に入れていく。
そうしてバックが一つ完全に二次元で埋まった。夢と希望がふんだんに積み込まれたバックが完成した。
クローゼットからリュックサックを取り出しそこには、タブレットや小型ノートパソコン、携帯ゲーム機などを入れる。
プレステやWii Uなどはバックの容量上残念だが持っていけない……。
ゲーム機が入ったバックには衝撃吸収の為になるかどうかは分からないがねんどろいどやキーホルダーやゲーセンで取ったぬいぐるみを詰め込んでおく。
肩掛けバックに物を詰め終えた頃に、妙に小奇麗になった道摩が部屋に戻ってきた。
「殿は何をなされているのですか?」
「その呼び方止めろよ。てか、お前も手伝え」
机の中に溜め込んだクリアファイルとポスターカードの山と大きめの収納ファイルを渡す。
法師が困惑した表情を俺に向けるのでポスターカードを収納ファイルに収納して見せた。
やっとやることが分かったようで法師はポスターカードの山を解体して、次々に収納ファイルへと入れ込んでいく。
法師の仕事姿を背にクローゼット内のタンスから服やタオルを幾つか取り出しリュックサックに詰め込み、分厚くなった収納ファイルを背中側に入れた。
これ以上の物は持って行けそうにないな……。
俺は部屋を一周見渡した。
大きさ的に持っていけないフィギュア、何故か見ても全然興味が湧いてこなくなった城や軍艦のプラモデル、血に濡れた机、テレビゲーム用の小さな液晶テレビ、持ち出せなかった本、ゲーム、壁に掛かった買ったばかりの『艦これ』のカレンダー。
俺の心に深く 二〇一六 一月十七日 が刻み込まれた。
荷物を全部法師に持たせ外出用の服一式、コートとマフラーなどの防寒具を取り出し俺はこの部屋を後にした。
もうここに戻ることは無いだろう。
一階に向かう途中で俺はふと疑問に思う事があり足を止めた。
「此処に寝っ転がってた死体はどうした?」
「御父上と母君と妹君の骸ならこの私が埋葬させて頂きました」
「そんな風に俺の糞親を呼ぶんじゃねぇ。こいつ等はもう死体に成っちまったからゴミだ、ゴミに名前なんていらねえ」
気が付いたら人差し指の上を親指が撫でていた。
俺は怒っている、とても感情的に怒鳴っている。嫌いな奴に感情を裂く方が無駄なのに、分かっているのに亡き者の為に怒った。
「ですが……」
法師はビクビクとこちらの顔色を窺いながら反論しようとする。
ここまで飼ったことないが子犬のような弱り切った態度をされてはこちらの興が反れる。
「お前も案外甘いんだな。俺はてっきり正義の晴明の宿敵、どんな手でもやって見せる極悪非道の陰陽師だと思っていたのだが」
「はぁ……。後世では私とあの老害の印象はそんな風に伝わってるんですね。あの老獪、結構歳を取ってるくせに、鬼の力を利用して若者になって宮中を出歩き、事実無根の私の噂を其処等中の侍女に触れ回るんですよ。挙句の果てには道長の命だが、我が主君の顕光公の悪しき噂まで流し始めた故に、私が無断で晴明を播磨の佐用に誘き出し戦いを挑んだのです」
法師のコメディーチックなノリに少し驚いた。だが奴は大真面目に言っている。
「で、その戦いの結果はどうなったんだ?」
法師はガラリと顔色を暗くする。
「お互いに心の内にいる鬼に力を求めすぎたせいか、鬼に体を乗っ取られてしまいました。晴明がどうなったかまでは分かりませんが、多分今も体を鬼に乗っ取られたままで心の中に囚われ続けているでしょう。そして私は殿が鬼の精神だけを完璧に殺し去るまでは、今まで鬼の裏の精神として、ここまで生き続けてきました」
「はぁ、俺の知ってる歴史と全然違うな……。お前って大抵悪役として出て来るし」
そんな話をしながら階段を下り一階にきた。
「そういえばだが、お前はどっちが真名なの? 道満? 道摩?」
「どちらも我が名故好きに呼んで貰っても構いません」
法師はそう淡々と答えた。
特に名前に執着はないようだ。
「じゃあ気分に応じて使い分けるから、あと俺は今からシャワーを浴びるから此処で荷物を見ておいてくれ」
「心して此処で警護させて頂きますが、しゃわあ? とはなんです……」
ああ此奴の前で片仮名を使うの止めよ、説明がめんどい。
俺は法師の質問には答えずそっと扉を閉め脱衣所で服を脱ぎ捨て、手に持っているコートをハンガーに掛けた。
電気やガスはまだ使えるようだな。
ダバダバとシャワーと垂れ流す。まだ温まる前のシャワーは冷たかったが……。
特に何も感じない……。明鏡止水……。まるでそんな言葉を表したかのようなような心境。
さっきまで自分を殺そうとしていた奴を前に俺は根拠のない余裕すらある。
ここで法師が殺しにかかってきてもきっと気分は変わらない。
身体に血が付いているかまでは分からなかったが、一応軽く頭と体と洗って持ってきた代えの服に着替えた。
赤いコートを羽織りながら足で扉を開けリビングへと向かった。
勿論リビングには血の池だけで死体は無かった。
両親の財布の中身を自分の財布の中に移し替え、親の通帳とキャッシュカードを肩掛けバックの小ポケットに突っ込んでおく。
リビングに置いてあるカイロを根こそぎ取り、ポケットの中やシャツに貼り、コートのボタンを占めてマフラーと手袋を装備する。
法師に預けておいた、着替えなどが入った軽そうなリュックを背負う。
「行くぞ。付いてこい」
「外に行かれるのですか?」
「当たり前だ」
「暫しお待ちを」
法師の服が闇を纏い、俺の心の中で見たで見た鎧へと形を変える。
地面に置いてあるリュックを鎧の上から背負い、本が大量に入った修学旅行で使うような大型のバックを持たせる。
なんともリュックのせいで雰囲気が台無しである。
「そんなことも出来るのかよ、その鎧にも鬼が宿っているのか?」
「いえ、これは姿が固定されてない鬼というものの能力を使って、出したものでありまして……」
「じゃあお前は今も鬼なのか?」
再び疑いの目を法師に向ける。お前人の精神が戻って来たのだろ?
「例え残虐な鬼の精神が死んだとしても鬼の力はこの体が消滅するまで消えることはありません。だから私は今もこれからも……。鬼です……。いえ、遥か昔の陰陽師になるときに鬼と契約した瞬間から、私はヒトのような鬼でした……」
「そうか、まあ俺の手足になるというならその力散々悪用させてもらうぞ」
俺は玄関へと歩き出した。
「汚さず丁寧に持ってけよ。あと敵と戦うときはそれ絶対に置いてやれよ」
外は一月らしく凍てつく風が吹き荒れていた。時計はもう五時を回り、日没の早い冬らしく辺りには漆黒の帳が下りている。
凍える風、万物を飲み込み闇、二度と戻れないであろう我が家、俺は一人の従者を連れ、歩き出すのであった。
遠くから鬨の声のような声が聞こえて来た。
そこでは未だに多くの人が死んでいるんだろうな。
「紫水よ、俺はもう絶対に逃げない、そして諦めない。誓うぞ、必ず復讐を成し遂げてやる……」
一段と強い風が吹いたが、妙になにも感じなかった。
髪が少し揺れる、心は揺れすらしない。迷わなきゃいけない所を。
俺は心の何処かで紫水はもう亡き者になっていると確信してしまっていた。
諦めが人を殺す……。
これも一種の祈り、生きては欲しいが死んでいてほしい。こんな俺は紫水には見られたくはない。
だから俺は紫水を殺した。




