【序】 死ぬ気で頑張れ、死んでしまうくらいに
「貴方はどこにいますか? 英雄草薙大和、貴方は一体何処に立って何を見ていますか?」
悲痛に満ちた少女の投げ掛けは軽やかに闇に吸い込まれていく。
彼女らの前に立つのは化け物と裏切り者。
刃は月の光を跳ね返し、淡く薄く光り輝く。無数の光が乱立し、刃がこの世の闇を際立たせる。
裏切り者の悪役は正義の味方を嗤った。
その質問に答えることはない。
「草薙大和貴方の敵は誰ですか?」
武器をこちらに向け遠間から敵は疑問ばかり、愚問ばかりを投げ続ける。
埒が明かないな……。
「俺の敵か? そんなものは決まっている」
「そういって何時も何時も答えを教えないんでしょう、意味ありげな言葉だけ言って……。言わなければ分からないことばかりですよ」
三人の忠臣を気取った敵はいつでも攻撃出来ると言わんばかりに刀を構えてきている。
「なぁ……。俺はどこにいると思う? 俺は何と戦っていると思う?」
「草薙大和、少なくともお前は俺の敵で、莉乃様に仇名した蝙蝠野郎だ」
「蝙蝠野郎? 莉乃が力を付けたら急に味方として割り込んでくるお前たちも蝙蝠なんじゃないのか。特にそこの二人、お前ら本当は都合のいいこと言って情勢次第では土岐家に付き続けるつもりだったんじゃないか?」
北野の丹羽彼らの親はどんな理由だろうが一度は土岐家に与したモノ達、ならば同じではないか。
英雄だろうが蝙蝠だろうがそれは人が勝手に付けた印でしかない。英雄なんて呼ばれてはいけない者が英雄と持て囃され、蝙蝠だった者たちに蝙蝠と呼ばれる。
真実、真意それはなんだろうな。
「命を懸けて言おうそんなことはない、と。俺はお前のように莉乃様を裏切ったりはしない」
「じゃぁ最初から彼奴の味方で、彼奴の傍にいてやれよ……」
そんな言葉が零れ落ちる。
「えっ……」
自然と目線が上がり今まで見れなかった敵の顔を見ることとなってしまった。
帽子越しに見える敵の反応は……。一人は憤怒、一人は憎悪、そして一人は戸惑い。今日初めて見た敵の顔はたった一名予想外の顔をしていたのだ。
「なんで貴方は莉乃様の傍にいてあげないんですか? なんで莉乃様の味方ではなくなったんですか?」
その質問に答えを言おうと……。
彼女は自らの事のように悲痛な顔をして最低の言葉を言うのだ。
「莉乃様は貴方を愛しているのに」
「彼奴は俺を愛してなんていない、彼奴は不幸で自分よりも下だった俺を利用したに過ぎない、詰まるところ俺じゃなくても良かったんだ」
「それ本気で言っているんですかっ」
抑えきれない怒りの眼差しを彼女は俺に向けてくる。
「冗談って、言ってほしいのか」
「ああ、全部嘘だと言ってほしいよ。莉乃様の為にも全部嘘っていうわけにはいかないのか蝙蝠」
「もう無理だ、北野」
俺たちの関係は全部終わったんだ。
「たかがちょっと顔がいいだけの莉乃だから良かっただけでお前ら気持ち悪い没落した家のオヤジに愛をささやかれても同じこと言えるのか、なぁ楢柴?」
「そんなことどうだっていいじゃないですか、私の身にそんなことは起きたことはないので分かりません」
「どうだっていいか……」
「もしかして英雄さん、貴方莉乃様が怖いんじゃないんでしょうか?」
敵は、楢柴楓はしたり顔であえて俺を草薙大和とは呼ばず英雄と強調して呼び、俺のすべてを見透かした顔でそう言い放った。
「貴方は罰を求めている、貴方は滅びを求めている、貴方は救われないことを求めている、貴方は強さを求めている、貴方は死を求めている」
楢柴は首を振った。
「貴方は救われたいのです、誰かに許して貰いたいのです」
「お前に何が……」
「分かりますよ、莉乃様に許されたい、莉乃様に罰を求めている私なら、私達なら。貴方はそんな顔をしています」
彼女は嗤った、中途半端な蝙蝠を嗤った。
「莉乃様は貴方を救いますよ、幾ら貴方が莉乃様を拒絶しようとも……。貴方の弱さも罪も理想も夢も」
――やっと、やっと大和君の役に立てた……。いいよ、全部私は受け入れるから、大和君、大和君、大和君、大和君、大和君。理解者にはなれなかったけど、最後までちゃんと貴方を理解しようとし続けるから。
手に絡みついた鉄の枷や鎖が椅子とすれガチャガチャと音が鳴る。ついその前までは目隠しが付けられていたのが原因か、彼女のどこまでも深く黒い眼は虚ろに揺れていたが確実に芯の芯まで俺だけを見ていた。
ついこの間の言葉、正直この言葉を聞いてゾッとした、その目を見て恐怖した。そして泣きそうになった。
――なんでもっと早く俺の前に来てくれなかったんだ……。
どうして恨んでくれないんだ、どうしてお前は憎まないんだ。お前の配下はこんなにも俺の事を恨んでいるのに。
「知ってる、だから棄てた。俺は救われては駄目な人間なんだ、俺は救われた瞬間に俺は弱くなる、弱くなってしまえば俺の価値はなくなってしまう」
「弱くなったからって何なんですか……」
「この世は弱さを認めない、この世界は価値の無いモノには地獄でしかない。弱さは悲しみしか生まない、無価値は苦しみしか生まない」
「価値がない人なんてこの世にいませんよ」
――能のない人間なんていらないわ。どうして貴方はそこまで無能なの。貴方なんて生まれて来なければ、いや生まなければ良かったわ。
何処かの誰かの言葉が反芻される、嫌な奴の嫌な発言、そして嫌いな主張。
「お前らはもちろん莉乃も分からいだろうな、無価値とみなされた人間の苦しみなんて」
「貴方は一体何を目指しているんですか? まさか悪人になれば価値ある人間になれるとでもいうんじゃないでしょうね」
「ああそうだ」
「正義か悪か……。この世にそんな言葉なんてありませんよ、どちらも正義かどちらも悪か」
「この世にはどうしようもない人間はいるよ。どうもできなかったから、どうしようもないほどに誰からも見向き去れなかった人間が」
貴方には見てくれる、貴方しか眼中にない人間がいるんですよ、そんなような言葉で敵達は俺を諭そうとする。
「決めたんだ、決めていたんだ。代償を払ったとき、縄から顔を遠ざけたとき、彼奴に手を挙げたとき……。もし世界が変わるようなことがあれば次は自分の思うとおりにやると」
闇から漆黒に塗られた刀を取り出す。
彼らは皆俺を嘲笑った。
「貴方の事がちょっとだけ分かった気がします。そして貴方が次やることも」
「ああ、そうか」
「ええ、貴方のためにも私から言いましょうか」
「そうしてくれると有難い」
「英雄覚悟しろ、一度死地に送ってやるから戻ってきたときは目を覚ませよ」
「お前らも死ぬ気で掛かってこいよ。必死で頑張って、必ず死ぬくらいに狂気を振るえば目の前の蝙蝠にも通じるかもな」
楢柴、丹羽、北野は一斉に地面を蹴った。
「話を聞きたいなら、話を聞かせたいなら斬り伏せ力を示せですね」
「ハリマ」
その一言で犬は彼らと俺の間に立ちふさがり剣を取った。
「珍しいですね、貴方が私を頼るなんて。てっきり自分一人でやるから手を出すなとでもいうかと」
黒いコートにスーツに赤い襟付きブラウスをしている燻された銀と黒の髪を持つ長身の男は闇から剣を取り出した。
「俺は今怪我人なんだ、怪我人に三人も相手にさせる気か?」
「さて、珍しく殿が私を頼ってくれたのだしここは私の力を見せねばなりませんね」
「織田家の遺臣たちよ、前の壁を斬り抜けてみろよ。そいつを超えられたならば、そいつの刃を捌き切って俺の眼前に到達出来たならば話くらいは聞いてやろう」
世界がふさがらない程度に深く手を当て深く帽子を押し込んだ。あまりここでむやみやたらには戦うわけにはいかない。
こいつらは本質を理解していない。
俺も本質を理解しないようにしている。
楢柴は俺に問うた、貴方は誰の味方ですか? と。
俺――の味方だ。――につくことにした
「ハリマ、敵を殺さない程度に殺せ」
「英雄を殺す程度に殺すな」