【三章外伝】 すーぱーあふぇくしょん
「え~、本日も我が鎮守府は平和なり~」
鼻歌が室内に響く。
いつ敵が攻めてくるか分からない張り詰めた状態の中その歌は場違いすぎる明るさを持っていた。そしてこの歌は緊張を解すどころか一部の者に苛立ちさえ与えた。
ただその者は別の理由で元から苛立っていたのである、最終的にはその歌がその者の導火線を着火することになったがは事実だが。
「おい、叢雲。歌なんていいから仕事をしろ。働かずにそんなもんばっか読んで食う飯は旨いか?」
紅色の髪を持つ凛とした顔立ちの軍服の女性が椅子に踏ん反りがえっている男に向かって怒鳴りつけた。
ああいつものが始まったとその部屋にいた人々はそろりそろりと外に出るのだ。
「旨いに決まってるじゃん」
英雄、古今東西それは何かしらの危機の時に閃光の如く現れ人々を危機から救う、若しくは救ったものに与えられる名前である。
そして彼も人々からその名を賜った。
草薙大和はその英雄の称号を要らないものだとはしているが都合のいいに扱い利用している。だが彼は違う。
そもそも彼に自らが英雄である自覚なんてものはない。
何故なら彼は弱いからだ。とてもじゃ無いが彼は鬼と剣を交えたくないし、鬼に勝てる自信なんてものも持ち合わせておらず、可能性のかなり薄いものである。
だが事実彼はその手腕で何十万もの命を救ったのだ、それも一夜で。
それは誇れることであり、誇ってもいいことだが彼は決して一度もそのことを誇ることなんてない。
ただ自分は押し付けられただけ、ただ自分は行動しただけ、ただ自分はあれを渡されただけ……。
――ただ自分の上官が臆病で、自らが乗艦した艦が良かっただけ。
「頼む、頼むからその本を読むのは止めろ、一生に一度の願いを使っていい、だから仕事中だけはその本を読むのは止めてくれ」
さっきの態度とは一変して真紅の髪の軍人は縋りつくように彼に向って頭を下げたのである。
そして彼もその予想外の、生まれて初めてのいつも罵声ばかり浴びせてくる彼女のお願いというものに寒気を感じ狼狽していた。
「ああ、分かった」
たいそう豪華な机の上に見合わぬ本をポンと置いた。
この瞬間彼女は涙が流れそうになる感動を覚え、普段は文句ばかり唱えている神へ感謝の言葉を心の中で言おうとしたのだ。
だが神は非常に無常であった。
彼は木製の引き出しをズズッと開けまた彼女を苛立だせるものを取り出したのである。
「よしぃ、マンガはヤメッ。今日はまどマギを見よう、朝まで一挙放送、アニメ版から劇場版までぶっ通しだぁぁぁ」
一片の曇りも迷いもない声でもともと部屋に置かれていた大きなテレビのにスキップでもしそうな勢いでこの英雄と呼ばれる男は向かっていくのである。
この瞬間の映像を人々に見せたのなら多くの良識のある人間は彼から英雄の称号を取り上げろと言うであろう。
「いい加減にしろ九条叢雲、税金でニートみたいな生活して楽しいかぁ。ほら名古屋の奴からも救援願いが届いているぞ」
英雄の名は九条叢雲、家系をたどれば貴族や鎌倉摂家将軍に繋がるような高貴な家の出身ではあるがそれも昔の話。
彼の家も対鬼の心得ある家である。
それも普通の旧神帝兵の家とは違う、彼の祖父は神帝軍の一員でもあり帝国海軍の将校でもあった。
帝国海軍が強かった理由……。
圧倒的な米英の物量に個で戦えた理由。
帝国海軍の軍艦の一部には鬼を取り込み鬼の兵器と化した軍艦がいたからである。
例えば、ソロモンの悪夢 【夕立】
それは、ソロモンの鬼神 【綾波】
そしてもう一つ死神―――。
叢雲は聞かされてはいないが一部の研究結果からは榛名や大和や羽黒そして武蔵もそうではないかと言われているが真相は最早闇の中である。
ただ彼は家系がそうで、祖父が―― に乗っていたからという理由だけでそれに乗せられ英雄にさせられただけなのだ。
それは日本が秘密裏に保持してきた最終兵器であった艦。
木造、最悪エンジンも何もない手動、良くても旧型の蒸気機関式の艦隊。骨董品以下展示物になりそうな遺物の大砲を使うような敵達との海戦はそれは一方的なものであった。
だからこそ彼は押し付けられただけだといい誇れないのだ。
正しく誰が指揮をしても結果は変わらなかったから。
それでもそんな敵に東京の制海権は一時的にでも奪われてしまった。そして本営のご老人方は誰も臆して戦おうとしなかった。
皆指揮官を押し付けあったのだ。
それはそうだ。
嘘かホントかわからない最終兵器とは名ばかりのガラクタ。誰も第二次世界大戦期の船なんかに乗りたくは無い筈だ。
そんなものよりかはある程度戦果を挙げることが確認された通常兵器である最新式の船に乗艦することを人々は臨んだ。
そして最終的に押し付けられた叢雲は英雄になった。
ただ与えられたのは名前と名ばかりの爵位だけ、戦果や武功、功績は皆軍の上層部に全て奪われてしまった。そして叢雲本人や英雄の虚像がこれ以上膨張していくのを恐れ、軍は神奈川にいる敵に緊張感を与えるために静岡に拠点を作れとの命令を叢雲に下した。
実質敵地への左遷だ。
名古屋や東京、どちらの支援も可能になるため無意味な指示ではない、正し東京の特色的に実質それは無意味であった。
「んなもん棄てとけ」
そう言い捨て叢雲はDVDを入れてざーぁっとカーテンを閉め始めたのである。
この叢雲仕事では徹夜をしないを信条にしている癖して趣味のためなら余裕で何日も徹夜する男である。
しかしこの男も最初の内は敵の襲撃に恐れてこんなあり様ではなかった、何時も何時も自分をこんなところに送った上官に恨み言を言っている有様であった。
「うぇぇぇいい。さいこー」
時とは恐ろしいもである。
元々彼は権力などに固執していない、むしろこのような暮らしを望んでいたのである。彼は今現在ここに送った上官に感謝すらしている。
「はぁぁぁぁぁ……」
大きな大きなため息と共に一人の軍人がテレビのコンセントを引き抜いた。
「何するんだよぉっ、凜ちゃん」
飛田凜彼女はここ数年で急に大人らしくなった、最も原因はハッキリしているが……。
彼女はこの作戦に選ばれたときはもっと少女らしかった。
この英雄に尊敬以上のモノを抱えていたくらい。
ただそれは段々と壊れて行って今やそれは見る影もなくなってしまった。
最初は荷造りの時……。叢雲から渡された段ボールの底のガムテープが弱くて彼女は中身を地面に落としてしまったのである。
そこで見たものはまぁ叢雲のモノではない可能もある……。
その時は凜はそう解釈し、上手く美化してきた。
最初の内の緊張状態が続く鎮守府ではそれが上手く機能していた、そして叢雲も何もせずじっと椅子に座っていた。
時より聞こえる叢雲の愚痴に心からの応答を返していた。
凜は心から叢雲をこんなところに送った老人を恨んだ。
ただ一向に敵が攻めてこなかった。
敵が攻めてこないことが段々と分かって来たのである。
そこから彼女の年齢は一気に上がって行った。
まず叢雲は執務中に漫画を読みだした。それでは終わらない、次に執務室に度し難いフィギュアが置かれていった。
それも日に日に触れていき段々と恰好や服装が際どくなってきているのである。
それでも凜は必死に美化した。
皆の緊張を解すためわざとやっているとか、極度の緊張のせいでネジが吹き飛んでしまったとか……。
そうして美化していったがついには限界が訪れた。
はっと正気に戻ってみれば壁には元が見えないくらいポスターが貼ってあり、棚の書類は消えフィギュア群がキッチリと並んでおり、机の中身は漫画とアニメボックスと携帯ゲームで埋まり、テレビにはPS4が常に接続されている状態になっていた。
そこに英雄なんてものはいなかった。
目の前にいるのは姿だけは大人のガキ、そしてヲタク。ヲタはヲタでもキモが付くほどのヲタである。
一応言っておくと彼女はオタクには理解がある。ミリタリーオタクや歴史オタクには素直に称賛を送ったりもするし、同鎮守府にいる艦船オタクには素直に尊敬の念を抱いている。
ただしそれには生理的嫌悪を覚えている。
凜は心からこんな奴と同じところに隔離した老人たちを恨んだ。
「いいか叢雲その名呼び方をするな」
最初は英雄とか九条提督などと呼んでいたが今の凜は呼び捨て、寧ろクズとかゴミとかと呼んでやりたいくらいですらある。
こんな税金を趣味に使い非常事態に趣味に明け暮れるような男には年上でも敬意も尊敬もない……。
「で、名古屋の奴はどうするんですか?」
「あ? 内は東京様の方針通りでやってきますよ」
「はぁ」
凜はこの英雄に過度な期待をしすぎてしまったのである。
確かにこれは正しい。
何故なら東京は今現在叢雲と同じだから。
東京は東京都全域と千葉と神奈川の一部を要塞化して引きこもっているのである。絶対防衛都市として東京は守りに徹しているのだ。
叢雲が静岡に派遣されたのもこの風潮を変えようとするためであるが大して効果は無かった。
逆に英雄が失われた領土を取り返してくれるから守りを固めろとの世論の方が強くなった……。
「名古屋さんと関わると絶対奴ら怒るぜ、特に今の東京の有様なんて見たら」
「た・し・か・に、それは分かりますけど……」
凜にもそれは心当たりがあった。
何故なら東京の軍はすでにルールを全面放棄しているからである。
もっと砕けた言い方をすると、守りに銃を普通に使っているのである。それも貴重な神器を混ぜたバレルを使って鬼が接近する前に撃ち殺している。
それに対して名古屋の軍は律義に言いつけ通り白兵戦で侍よろしく本物の侍と斬り合っているのである。だからこそ早く助けたいとも思っている。
「お前、秋津神威を直に見たことはあるか?」
唐突に叢雲はとある人物の名前を口にした。
「ええ、少なくともあの人は貴方より英雄らしい人でしたよ」
秋津神威それは百人切りをしたともしなかったとも言われる東京最強の兵士。
やれと言われた事はどんな無理なことだって平気な顔してやってしまう天才。
「俺は直に奴とあったことがあるが奴の百人斬りは嘘だ。正確には34人斬りだと言っていた、軍が盛ったんだと……」
ただしそれでも十分に凄いことである。
鍵屋の辻の決闘で有名な荒木又右衛門はそこで斬ったのは36人。
「それ以外にもあの人は十分に凄いことをしてますよ」
確かにそうである、例えば僅か数人で数百の敵の包囲を破って無事帰還を果たしたり、三度連続で敵の大将の首を挙げたり、数えればキリがない。
防衛に徹している東京だが全ての部隊が攻勢に出ない訳ではない。今現在東京の軍の攻勢は御剣家の兵の動員力と彼の天才性に依存しいる様である。
「彼奴はバケモンだったよ。彼奴のでは対鬼の心得もない普通の家だったと聞く、家族を鬼に殺されたわけでもない……。なのにどうしてなんだ……」
それは名古屋にも言えることだがそれよりもより範囲が広い。東京の人間の殆どは直接的に鬼の脅威を目の当たりにしていない。
それも防衛ばかりに声が上がる原因の一つなんだが。
「秋津神威、機械みたいなやつだった。本当に彼奴に感情があるのかどうか一見しただけじゃ分かんなかった……」
九条叢雲は同じ英雄として何度か神威と対面はしているが神威の内心は全くと言っていいほど掴めていない。
ただ神威に残る感情は底知れぬニガテの文字。
「聞けば名古屋の英雄さんも神威と同じ対鬼の知識のない一般の家の人間がそうなったと……。まぁ彼の場合は多少鬼の被害を受けたみたいだが……。寧ろ神威より質の悪い話の通じない復讐者かもしれない」
「草薙大和……」
「英雄ってのは俺以外は多分ネジのいくつかはぶっ飛んでんだと思う。じゃなきゃそうはなれない。草薙大和、そいつは一体どんな復讐者なんだろうなぁ」
この感覚は凜には分からない。
同じ英雄と呼ばれている、英雄に片足を無理にでも突っ込まされている叢雲にしか分からぬ境地であった。
草薙大和の人間像を知っただけで彼はその男の底知れぬ暗さと嘘くささを見抜いていた。
「英雄、できれば一生合いたくない奴らだ。まだあのお嬢様の方が話しやすかったぜ」
「へぇ、提督はあのお嬢様みたいな娘が好きなんですねぇ」
凜は此処だけあえて叢雲の名を提督と呼んだ。
「ああ、好きだ。彼奴を揶揄ってやるのは楽しい」
「失礼ですよ、あの娘はあの娘のやり方で頑張っているんですから」
御剣カレン、今の話で上がったお嬢様の名前。
東京の特別な貴族の家の一人娘、それも莉乃と違いタイプの世間知らずであり、鬼に対して好戦的な考えを持った人として知られている。
ただし肝心なところ以外はあまり上手く行っていない模様。
叢雲は東京にいたころの彼女を良く揶揄って遊んでいた。
「俺はお前も好きだぜ……」
叢雲は唐突にそういった。
「えっ……」
「お前も揶揄うと面白い反応するからな」
凜の中でほんの小さな心がさっと消えた。
そして壁のポスターを指さした。
「働け、そろそろ捨てるぞそれ」
「ええっ……。捨てたら提督辞めます、軍辞めます」
「駄々を捏ねるな叢雲」
凜のそれは結局のところ脅しでしかないが毎度同じ返答にそろそろ嫌気がさしてきた。叢雲のお世話係りのような立ち位置もそろそろ如何にかしたいと思っているのが彼女の今である。
ただし彼女は決して自分から仕事をほっぽり出したりはしない。
「ていぅかさぁー、凜ちゃんだって、明らかに軍の規定違反な格好しているじゃん……」
確かに凜は髪をツインテールにしたり、誰も注意しないことをいいことにちょっとしたお洒落なんかもしている。
ツインテールにしだしたのは完全に叢雲が原因だが……。初めて会った時に最初に言われた言葉。
「君、ツインテールが似合いそうだね」
叢雲の方は完全に忘れてしまっているが凜は今でも律義に守っているのだ。
お洒落の方はそれをしていないと彼女はやっていられないからである。というか彼女は叢雲と付き合うことにより急速な自分の変化に恐れを覚えているのだ。
これは心の問題が大きいのだがここ最近彼女は毎日が億劫になり、常に体には怠さが付き纏い、段々と世界から新鮮味や危機感が消えて行っているのだ。
それを彼女は年を取って感性や体力がなくなっていると錯覚しているのである。
仲間の大人っぽくなったね、という言葉に常に恐怖を感じているのだ。
そうは言っても彼女の顔立ちは良く、ここ数年で少し大人びたくらいで別段何も変わっていない。
皆案件人間である叢雲を世話してくれる凜へのご機嫌伺で言っているのだ。確かに彼女は最初の内はその言葉でとても機嫌を良くしていたのも事実である。
「お前には言われたくないぞ、九条叢雲」
ぱっと髪のリボンを解き凜はそういった。
「いや、長髪自体がアウトというか……」
その言葉を聞いた途端この髪をお前の前で切ってやろうかと叢雲の机の上に置いてあるハサミを手に取った。
お洒落も叢雲に反論を与るくらいならやめる覚悟はあった。
「まて、まて。話せば分かる、話せば分かるって……」
叢雲は大切な部下の自らの身を張った強硬な態度に狼狽した。
「じゃぁ、そのアニメを見るのを止めろ、それと金輪際私の事に口を出すな」
ただし凜は知っている、こうすれば自分の髪を切る前に叢雲は言うことを聞いてくれることが。多用は禁物なことも……。
それと無理な要求もだめだ、これが効くのは良くて3日くらい、ずっとアニメを見るなと言ったら彼は迷わずアニメを取る。
「ほんとごめん、マジごめんなさい。凜様どうかお許しを、当分反省しますからそんなに思いつめないで」
当分と言っても明日か明後日にはまた元通りになっている。
「分かればいい、じゃぁ仕事をしろ。せめて名古屋の軍への返事はお前が書け」
突如叢雲ドアの方に向かい執務室を後にしようとした。
「おい、どこ行こうとしてんだ? て・い・と・く」
「いやちょっと、船の方を見てくる」
散歩と予想していた凜にとっては至極意外な返事だあった。
「そんなんでどうやって皆を守る気なんですか? 急に鬼が攻めてきたらどうするんです?」
ため息交じりに凜は問うた、凜もこの答えは知っているが確認のためだ。
「その時は逃げろ、無理だと思ったらとっとと逃げろ、此処なんて大して守る価値なんてないんだから、こんなとこよりお前たちの命の方が価値がある」
一理はあるがこの戦わない姿を凜はあまりよくは思ってはいない。
叢雲はドアノブに手を掛けた。
「俺はお前も、ここのみんなも大事で、大好きだから。そん時が来たらちゃんとみんな逃げてくれよ」
普段は言わないようなことを叢雲は言い捨て、扉を閉めた。
執務室に残された凜はやっと案件人間から解放され、張っていた肩の力だ抜けた。
「大好き……。だって……」
なんだかんだで案外彼女は案外ちょろいのである。
叢雲はそのまま彼の持つ船のところに向かった。
あまり気付いている人はいないが彼は毎日そこに来て船と対話しているのだ。
これが叢雲の日課であり、その日あったことを動かぬ相棒に報告しているのだ。
「なぁ雪風、俺はお前の幸運を信じているぞ。頼むからこのまま毎日凜に怒られるような俺が無能でオタクな税喰らいでいさせてくれよ」
3月の夕暮れの時に彼は自らの相棒にそう呟き、彼しか聞き取れない返答を待った。