【一章第六話】 Missing
「おい! 起きろよ」
うっう……。闇の中から二度と聞きたくない声が聞こえるような気がする。
誰かが呼んでいる、また気を失っていた。
一体ここはどこなんだ?
「もしもし~ 聞こえてますか、おーい」
段々と意識が、頭が正常に稼働してくる。
固い物……。俺は何かに突っ伏しながら寝ていた。何もない世界に何かがあった。
目を閉じていても分かる。あの光は何かの世界を形成したのだ。
重い瞼をゆっくりゆっくり周りを警戒しながら開けた。
机……。それにこの格好……。
なぜか俺は制服を着ていた。
冷たい風が首筋を吹き抜ける。俺が着ているのは中学の制服だった……。
まさか! いろいろな疑問が現れては風化していく。
それらに答えなど出るはずが無い……。でも感覚的に本能的に分かってしまっている。
首を捻りながら周りを見渡す、いいや違うこの行動は。
この動きは俺の意志によって動いているんじゃない。
見覚えのある景色、見覚えのある部屋、見覚えのある人……?
正直ゾッとした。全身の心臓が音を立てて激しく波打ち始めた。
思わず冷汗がポトリポトリと重力に従い机に落ちて……。上手く呼吸が出来ない。頭が……。目が……。抉られるように痛い。手が思うように動かない……。
胸が引き締められそうだ。心臓が張り裂けそうだ。頭が石になってしまいそうだ。
「大丈夫かお前? そいやーお前この間までインフルで休んでたんだったな」
俺はあの空間での出来事を思い出した。俺の一番のトラウマをこんな形で見せてくるとは。
最も悪い事だ。
最上級の遥か彼方。
「ちょっと来いよ!」
いやだ……。嫌だ……。
必死に抵抗しようにも体も手も足も、俺自身が言うことを聞いてくれない。
そりゃそうか。これはあくまでも俺の記憶を当時の俺視点で見ているだけ……。
——当時俺がとった行動以外は何一つとして動くことが許されていない。
目の前にいる男だどんな名前だったかはもう忘れた。
必死に忘れようとしたこの出来事。
でも忘れることなど許されない。忘れてしまうことを自分は許さない。
目の前の男は、無理やりに俺の手を引っ張り教室の最上位カーストのグループが溜まっている場所へと連れいく。
「おっ来た来た」
このグループのリーダー的存在、実質このクラスの指導者が笑顔で俺を迎え入れる。
俺はこいつの名前をしっかりと覚えている。
一色裕樹俺が憎んでも憎んでもまだ足りない、そんな相手だ。
忘れる訳もない、そうだそうだ。
ただ悔しいが俺は今でも此奴に恐怖している。怯えを隠せていない。
一色はニコニコしながらグループの中へと俺を誘う。
俺はこのグループとあまり関わりを持ってない。このグループとは完全に関わりを持ってないだけで、別に個人個人となら付き合いもある人もいる。
特に一色含めその周辺の参謀ポジションの奴らとは、同じサッカー部という付き合いもある。
久しぶりのクラスには何か不穏な空気が流れていた……。もしかしたら俺がイジリという名の虐めに遭うのかもしれないし、ただの部活の業務連絡なのかもしれない。
そして俺は数日のクラスの状態が分からなかった。
だから困惑していたのだろうあのときは……。
只今は全て知っている。
いいや昔も殆どを察していた、知っていて困惑したふりをしていた。
そして今は目の前の奴らが最悪のシナリオに向かって物事が突き進めていく。
一色の連れのような奴が一色に俺の方を見ながら嫌な笑みを浮かべ耳打ちをしている。
「おう! 準備は出来たな! やれ」
まるで王が家来に命令を下したかのようにグループのパシリどもがグループの外れにある席に向かって喜々として飛び出しその席を取り囲む。
正直言ってもうこれ以上先は、見たくない。
そう、こいつらが取り囲まれている席というのは俺の親友の席なのだ。
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葛城紫水それが俺のたった一人、生まれて初めて唯一無二の親友。
小学二年からの付き合いで当時俺の通っていた小学校に転校してきた。
紫水は夏休みが終わったと共に俺の席の前に転校してきた。
転校して来たばかりの彼奴はとても不思議な奴だった。ただどこか子供の癖して人と関わるのを避けていた気もする。
どっちが先に話しかけかも、どのような経緯で仲良くなったかも、もう忘れた。ただお互いがお互いに気の合う仲だった。
小学生の頃は公園で遊んだり、夏には自転車で遠くに行ったりした。こんな言い方をすると紫水としか遊んでないみたいだが別にそれ以外の友達とも普通に遊んだ。
ただ紫水と遊んでいる時が一番楽しかった。
俺は多分紫水に自分に無いものを見ていたのだろう。自分に無いモノを持っているからといって相いれない存在として扱ったのではなく、素直に自分の届かない所に手を掛けている彼を凄いと思い、そんな友と何かするのが楽しかったのだ。
紫水は俗にいう天才だ。
紫水の出す作文は、ほぼ全てが賞を取るし、テストもほぼ90点以上、成績も五段階評価のオール5以外見たことない。
挙句の果てには、スポーツも万能、俺の影響でやり出したゲームも上手い。
まぁゲームの方は、俺のほうがぎりぎり勝っていたけど……。
とある千葉県が舞台のラノベで読んだのだが、天才が故に継続するが出来ないという少女がいたが、紫水は違い俺から見たらかなりの高みに居るのだが、常に上を目指し精進することを止めなかった。ゲームでも何でも。
自分の才をひけらかすことも、それに奢ることもしなかった。知識の無い物に正論という凶器を突き付け、一方的に攻め倒すこともしなかった。
完璧、そんな言葉を擬人化させたような人物だった。
あいつには俺たちがどんな風に見えていたんだろう……。一度気になった事が在ったが結局聞くことが出来なかった。
あいつは俺の大事なものを親が奪った時、次々と俺の友達が去っていく中、数少ない俺の友として居てくれた。あの時ほど友情の素晴らしさを感じたことはなかった。
紫水は俺に勉強の仕方のコツを教えてくれたり、時には勉強会と称し自宅に招きゲームをやらせてもらったりした。
それから月日が経ち、中学生になり俺達だけでなく周りも成長した。
悪い意味でも良い意味でもみんな成長した。小学生の頃の共和政が消え失せ、群雄割拠の時代になったのだ。
指導者が現れ、指導者が仲の良かったり都合の良いものをグループに入れる、身分が出来始め、上の者が意図的に弱い者を虐げ集団の結束を図ろうとする。そして自分が差別階級の人間と同じ事をやられるのが怖くて皆そいつらと関わらないようにする。上位グループに入りたくて、そのいじめに自ら積極的に参加するものも現れる。
そんな奴に限ってグループに入れたとしても、大抵は雑用やパシリしかしてないがな。
中一のときに所属していたカーストが、大抵の場合は中学生活三年を通して同じカーストであることが多い。
だから彼らは過剰なまでに自分を変革していったのであろう。
より良い青春を送るために。
彼らの青春群像劇の配役が決まるのは、大体六月から七月くらい、俺と紫水がいた一年三組では、小学生の頃にサッカークラブのキャプテンをやっていた、一色を中心にしたグループが主役を勝ち取ったのだ。
かくして役者は壇上に集い一色に気に入られた奴しか美味しい思いが出来ない阿鼻叫喚の一色の、一色による、一色の為の馬鹿馬鹿しい青春群像劇が幕を開けたのである。
王になった一色はクラス共通での身分を制定した。
何も知らない先生たちが自慢する「結束力のあるクラス」がそこに誕生した。
勿論この身分制度はクラス全員に適用したわけではない。ぼっちと性格的意味以外も含まれる真面目は例外として扱われた。
紫水は最初からどのグループにも所属せずに、我関せずという感じでこの争いに介入すらしなかった。クラスのトップが一色に決まろうと、一色が紫水を自分のグループに入れるために熱烈な勧誘をしようが、あいつはあいつのままだった。
俺はそんな紫水の態度を誇らしく思っていた。
俺も天才の友達という理由で一切被害が降りかかる事なく最初から傍観を決め込めた。
完全に流れ弾が飛んでこない友人の後ろでクラスという名の世界を見ていた。
いや見れていた……。
もしかしたらあいつが俺の知らない所で守ってくれていたのかもな……。小学生の頃のように。
クラスが一部を除いて結束しようが、その一部と教室で堂々と談笑しようが、依然として一色の手が伸びてくることはなかった。
悠々と外敵に怯えず学校行事を楽しめた。紫水の天才的な人間性のお陰で……。
あの時までは……。
二月の中旬、春まではまだ少し遠く冬将軍と共にインフルエンザも猛威を振っているシーズン。
俺は、冬将軍とインフルエンザに負けた……。
まぁ世に名高きナポレオンもソ連軍も勝てなかった冬将軍に日本人で凡人の俺が、冬が来るたび将軍に打ち負かされるのは当たり前といえば当たり前だが。
三年ぶりにインフルエンザに罹ってしまった。
健康の為とかいう過剰なまでの早寝早起きなど親の作った生活スケジュールを守っていたにもかかわらずも、39度の大熱が出てしまった。
確か二日位死にかけてた記憶がある。
そんな熱ののピークは終わったが、俺の中でまだ微かに熱が燻っている最中、紫水がお見舞いに来てくれた。
少し休んだだけなのになんだか久しぶりに人と話したような感覚に襲われるほど俺は家族とも、身近な人とも、親しい人とも会話という会話をしてなかった。
紫水は部屋に入るや否や俺が休んでいるうちに学校で起こった出来事や授業のことなどを話し始めた。
だがそれが紫水との最後の真面な会話となった。そこで俺は親友であるはずの俺は気付くべきであった。紫水は明らかに何か俺に隠している事があると。
俺は忘れない。
「じゃあな……。また今度……」
別れ際に紫水が発した言葉だ。何気ない何時もの別れの挨拶の割には妙に悲しい顔をしていた覚えがある。
無性にその「また今度」がもう一生巡って来ないような気がした。
何故だかとてつもなく悲しい気持ちになった。
確かあの時去りゆく彼奴に声を掛けたのだが、どんな言葉を掛けたかは今ではもう忘れてしまった。俺が発した言葉だけが跡形もなくポッカリと俺の記憶から抜け落ちている。
ただその日のあいつは今までに見た事無いくらいの悲しい顔と後姿だった。
結局インフルで一週間丸ごと休んでしまった。
体調が回復していつも通り起きて、いつも通りに学校へ行き、いつも通りのクラスに入ろうとした。だが悲しいことにクラスの様子だけは、いつも通りじゃなかった。
あの光景は衝撃的なものだった。体中に衝撃が飛んでくるくらい俺は驚いた。
とある席の人がイジメられていた。
暴力を振られていた。
悪口を言われていた。
周りのクラスの奴らはゴミ屑でも見てるかのような非道で冷徹な目をしている。
その割に皆楽しそうに笑っているのだ。
罵倒が罵倒と共鳴し合い一切口を開かない彼を悪意に満ちた言葉達が飲み込んでいく。
一切口を開かない彼にらちが開かないとみた一色系列の者共が、席から無理やり立たせ頭を押さえつけ、そいつの顔面に膝蹴りをキメた。
鈍く重い音と抑えようにも体の外に漏れてしまったかのような荒い息づかいが耳の中で響いた。
俺は何もする事が出来なかった助けることも、助けようとすることも、そいつの代わりに一色の連中と文字どうり戦うということも、声を掛けてやることも……。
怖かったのだ。
自分が恐ろしかった。
自分の感情の中に安堵感があることが。
膝蹴りを喰らう瞬間あいつは俺を見て「何もやるな」そう言っている様に見えた。
その時はそれの真の意味が分からなかったが、何もやるなと目で合図しながら、あれは俺に助けを求めていたのだ。
その時の俺はそのサインを受け取り内心安堵していたのだ。
あの連中と戦わなくていいことを。
否、もしかしたら「助けて」のサインだけだったかもしれない。
ただ自分が助かりたいがためだけに俺は勝手な解釈をしただけだ。
あの時どんな行動をすれば平和的に解決出来たのか?
どうしてこんな状況になっていたのか?
俺は分からない。
なぜあの席の人があんなにも一色達にボコボコにされているのかが、何ぜ俺の親友が虐められ皆から蔑まれなければならなかったのかが。な故親友は何もやり返そうとしないのか、何故俺は動こうとすらすらしなかったのか。
俺には……。
あの時の俺には……。
今の俺には……。
分からない。
真実は一つ俺は何も出来な――。やらなかった。ただ教室の入り口でその行為を突っ立って見ている事しか出来なかった。
棒立ちになっている俺を見た一色の口角が上がったような気がした。
――放課のたびに紫水は一色達の言葉責めに合い、3時間目を迎える頃にはサンドバックのような扱いを受けていた。
止める事が出来なかった。
俺は机の上で寝たふりをする事しかできなかった。
最低だ……。俺は俺の事しか考えていなかった。
いつ自分にあの罵声や拳が飛んでくるかビクビクしながら怯えていた。
起きていると悪い事しか考えないから無理にでも眠るようにした。
そして授業も5時間目が終わり最悪な日があと1時間で終わろうとしている。
相変わらず俺は机に突っ伏していた。
そこに一色の使いが俺にとって地獄の沙汰の様な計画に無理やりにも参加させるため俺を起こしに来たのだ。
そして話は今に戻る……。