前日譚
これから始まる本編(現代)の前日譚です。
感想なども残してくれると有難いです。どんなものでもいいので感想下さい
「はぁはぁ」
此処を抜ければあと少しで大和だ、彼はそれだけを目標にただ歩き続けている。
手足の感覚が段々と無くなって、視界が段々霞んで今にも倒れそうな位に彼は衰弱していた。それでも彼は体に鞭打って前に進まなければならない。
零れる汗、意識の外で震える手足。
「こんなところで死ねるか……」
体のどこもかしこもガタがきている、それでも彼は決して歩みを止めることは無い。
普通なら動かないはずの彼の体を突き動かせているのは彼の心に大きく鎮座する復讐心ただ一つ、彼はこの心により生かされているのだ。
「殺してやる、殺してやる」
心に思い続けていたことをいつの間にか口にしていた。
憎い……。
自分が……。
何故あのような慢心をしてしまったのだろうか。普通なら、あの剣があれば俺はあいつを殺すことが出来たのに、そんな事を思ってもそれはもう過ぎたことでしかないのだ。
彼は間違いなく、間違えようもなく敗北した。
「大和に辿り着けさえすれば……。俺が王になれさえすれば」
地面と膝が擦れ合い、痛々しい音を上げる。
これが神通力というものなのか、これが断りを司る者たちの実力なのか……。全く攻撃を受けていない内臓までもがめちゃめちゃにされたような痛みを覚える。
彼は知っていた、彼はもう気が付いていた。
一度膝をついてしまったのならばもう元に戻ることは出来ないと。
地面が朱く染まっている、何度も何度も眺めて来た赤黒い命の源。
彼は恐る恐る口元を拭ってみる。
血だ……。
受け入れがたくも、受け入れねばならぬ現実。
「まだ死ねない」
彼は全身の力を振り絞り立ち上がろうとした。
カランッ
彼にはもはや何物もその手に繋ぎ止めて置ける力など残ってはいない。
あるのは意地と、野心。
「待ってくれ……。ああ待ってくれ……。お前までも俺を置いていく気か」
音も無い、力も無い、きっと耳を澄ましてやっと聞き取る事の出来る慟哭が一体に飲み込まれる。
動こうにも、彼の体はピクリとも動かない。
血を吐き過ぎたせいか、はたまた諦めてしまったせいか。
そんな訳があるものか、そんな筈があるものか、いくら気持ちが自らを励まそうにも心が折れてしまっている。
これは全てあの伊吹の神にやられたのだ。
長い長い東征もあと少しというところ。
慢心さえなければ彼は伊吹山の神などに後れを取ることなどなかった。彼は油断さえしなければいつも通りに敵を打倒せていた。
ただ彼は少々浮かれていたのだ、視野が少しばかり狭くなるくらいには彼は常で敵と対峙ていなかった。
次こそはきっと父に認めて貰えるだろう、と彼の心は浮かれきっていたのだ。懐かしの大和にあと少しで帰れると彼はそれに囚われ侮った、目の前の神相手に。
男の眼にはメラメラと燃え上がり全てを飲み込む紅蓮が渦を巻いていた。
ただもうその火を燃やす薪が尽きてきている。
この旅で彼の失ったモノは大きすぎた。愛しき人を神に奪われ、仲間を神に殺され。
復讐心一つでは最早どうにもできない。
「何故俺が神に諂わなければならない。大和は鬼の国だ。神なんぞに、荒ぶる神なんぞに大和は渡さない」
もはや彼の声は弱弱しく、今にも消えそうだった。
「あんな雪玉如きに屈してなるものか。俺は出雲、熊襲を平らげた男だぞ」
彼は醜くも過去の栄光にすがってまでも己の内なる、秘めたる力を出そうとしている。
ただ彼も薄々は分かっていた。
彼も彼で今の自分のような人間がどの様な最期を迎えたかなど嫌というほど眺めて来たのだ。
(そんなものはねぇよ…… なぁ抗う者よ)
心の内から自分ではない、明らかに他人の声が聞こえてくる。
知っているが認められはしない。
知ってはいてもそれを認めてしまえば空っぽになってしまう。
「俺はもう死ぬのか。まだ死にたくない。コロス コロス あの伊吹山の神だけは、あの海神だけは あの神々全てを俺は……」
(お前はじきに死ぬ。これはもう決められたことなのだ。お前の憎む神によってな)
――イヤダ。 シニタクナイ。 オレハオレノナスコトヲマダナシテイナイ。
彼の心で恨みの言葉が虚しく木霊していく。
遅い、遅い、最早遅いのだ。
消える星に揺れる灯。
(ならば俺が力を貸してやる、神をも殺せる力を、父も認めさせれる力を、皆を守れる力を。だからお前の全てを差し出せ)
――お前は誰だ?
(生まれ持っての神通力により、この世に生を得てすぐさま母を殺し、そしてすぐさま怒り狂う父に殺された。喜びも何も知らぬまま、復讐心だけを身に纏い今も霊体となってなんとか生き延びている、神に仇名す鬼神とでも言っておこう)
彼の住む大和は鬼の国だ。鬼は万物に憑依し人々に恵みをもたらしてきた、だが近年それを良しとしない神が我が真の人間の救世主だと名乗りを上げ各地で、大和で活動を始めていた。
正義感が強い彼は、兄が神を信仰することを許せなかった。
若気の至りであろう、彼は兄をこの手で殺してしまった。そして彼はこの世で唯一の人間にして鬼神と信じられている父に恐れられ遠ざけられた。
男に何者かの持つ記憶が流れる。
彼はその眼を知っていた。
何者かに刃を向ける男の眼と、自らの父の眼が全くもって同じであることに。
彼は彼なりに父に許されようと大和に仇名す神とそれを信じる者たちを喜々として狩り殺していった、狩り殺すことでしか自らの価値を見出すことが出来なかった。
殺すことでしか、償い許しを乞うが出来なかった。
そして狩り続けた結果沢山のモノを失ってしまった。
それもついこの前までの話、今まさに彼は自分自身を失おうとしている。
あの山の神の力によって……。
(どうした殺したいのであろう? 神をあの憎き神々を)
――ソウダ……。
意識が朦朧とする、死というものが近づいてきていることが自分でも分ってきた。
手足が動かない、地面が目の前にある。
暗黒。遂に彼は力を失った。
(汝、力が欲しければ我が手を取れ)
何処かも分からない、何もなく廃れ切った暗黒の世界に氷漬けにされた鬼が立っている。
その周りには小さな鬼が祈りをささげていた。
考えるより先に体が動いた。
彼は必死に立ち上がり、その手を……
・・・・・・・・・・・・・・・
彼の周りに突如煉獄が生まれた。
何者かも、そして何者でも焼き尽くしてしまうその炎。
「殺してやる、絶対に神を皆殺しにしてやる」
幾百、幾千、幾万年かかっても必ず成し得て見せる。彼は大きな大きな誓いを打ち立てた。
鬼がいずれこの地を支配する。俺はその国の王に、またあの大和を取り戻す。
彼は、戦の天才であった彼は天災の如き力と天災を起こさんとする野望を手に入れたのだ。
そのためにも協力者が必要だ。
彼の歴史はここで終わった、彼はここで死んでしまったのだ。
ただ彼は神となり肉の身に魂を留めた。
運命をも、この世の理をも曲げる力を手にしてた。
男の姿がどんどんと人からかけ離れていく。
空には大きな大きな、白鳥が一匹羽を広げて大和の方へ羽ばたいていった。
――黙示録曰く、一人の男の復讐心がこの世界に暗黒を齎す。
――黙示録曰く、五度目の太陽が沈み六度目の太陽が世界を照らす時代、世に大いなる衝撃と共に破滅が始まるであろう。