episode8
食事を終えた二人は、店を出て海辺にきていた。
月夜の闇にほのかに光る水面。
枝真は柔らかい砂浜を、サクサクと音を立てて踏みしめていた。海に少しでも近づこうと歩みを止めない。
「おい、俺から離れるな」
後ろから声を掛けられ、振り返ると少し離れた場所で旭日が心配そうにこちらを見ていた。
枝真が小走りでかけよると、安堵したような笑みを浮かべる。
「夜の海ってはじめてみた。すごく綺麗」
「……ああ」
枝真も微笑み返し、旭日の横に並んで一緒に海を眺める。寄せてはまた打ち返す波を見ていると心が安らいだ。
「枝真」
「ん?」
「目、閉じろ」
急に瞳を覗き込まれて、枝真は反射的に後ろに仰け反った。
「え? え?」
「閉じろ」
「なんで?」
「いっ、……いいから早くしろ」
じれったそうな声で詰め寄られ、枝真は覚悟を決めるとギュッと目を閉じる。旭日が背後にまわった気配をかすかに感じた。
チャリッと金属音がしたかと思うと、首もとに冷たいものがあたる感触があった。
「もう、あけていいぞ」
おそるおそる目をあけると、枝真の首もとにはシルバーネックレスが。
「旭日くんこれって……っ」
このネックレスは、昼間立ち寄ったアクセサリーショップに売っていたものだ。
桁外れの値段に慄いて、すぐに店を出たはずなのに何故今ここにこれがあるのか。枝真は、ネックレスと旭日を交互に見た。
「ゾウのやつでよかったか?」
「うっ……うん! 嬉しい! でもいつの間に?」
「……まあ、細かいことは気にするな」
チェーンの先についているキラリと光るちょっと真の抜けたゾウのオブジェを両手で優しく握りしめて、小さな子供のようにはしゃいでいる枝真。それを見て、こんなに喜ぶなんて、さっき枝真をうなぎ屋に残してまで全力疾走で買ってきたかいがあったと旭日は思う。
「大切にするね!」
少女の言葉に、旭日は首を縦に振った。
「そろそろ帰るか?」
「うん……ん?」
返事をして直ぐの事だった。
枝真は突然強い睡魔に襲われ、生あくびをひとつすると、両手で目を擦り、焦点の合わない視界に焦った。
「なに、……これ」
「枝真?」
「……」
体を不安定にふらつかせながら、枝真は膝から崩れ落ちる。
幸い足元は柔らかい砂浜だったので、体への衝撃は微々たるものだった。
旭日は少女の名前を叫ぶと、すぐに抱き起す。
「どうしたんだ?!」
腕の中で微動だにしない少女を何度も揺さぶり、声をかけるが反応がない。
これはマズイと、旭日は枝真を抱きかかえて車に引き返そうとする。
しかし、予想外の人物に声をかけられ足を止めた。
「枝真、こんなところにいたんだね」
声の主はそう言うと、ゆっくりと旭日たちに近づいてきているようだった。砂を踏みしめる足音が波音と重なる。ここからだと暗がりのためか、まだ人物の顔が特定できない。
「だめじゃないか、俺に何も言わずにこんな遠くへくるなんて……」
月明かりに照らされて影になっていた部分がみるみるうちに露わになる。
優美に姿を見せたのは、壮介だった。
その姿を認め、旭日は思わず身構えた。
「お前、こんなところまでなにしにきた」
顔中に殺気を漂わせて、壮介を睨みつける。
壮介は、そんな旭日に怯むことなく冷やかな笑みでこちらを見据えると適度に距離をあけて足を止めた。
「何をしに? それはこっちの台詞だよ旭日くん」
「何だと?」
旭日は、眉根を寄せた。
「君も酷い男だね。こんなところへ枝真を連れてきて、思い出づくりだなんてさ」
「何の話だ」
「殺す前に良い思いをさせてあげようと思ったんだよね? 冥土の土産のつもりかな?」
壮介は射抜くような鋭い視線を旭日に向けた。
「違う! ……お前、こいつにまた薬を使っただろ」
「枝真は今眠ってるだけだよ。錠剤は君に全て捨てられてしまったからね。インジェクションって言葉を聞いたことがあるかな? 枝真は寝ている間とても無防備になるからね。俺直々に投薬させてもらったよ。……ただ、効き目がでるまでに少し時間がかかってしまったけれど。次回からはもう少し強めに調合しても大丈夫そうだな」
「仮にも隣人として、こいつの良き理解者として今まできたんだろ? それなのに、よくそんな酷い真似ができたもんだな。お前の行動は絶対に許されないことだ」
「枝真は好奇心旺盛な子でね。ちょっと目を離すとどこかにふらりといなくなってしまう。だから念の為の保険だよ。意識を飛ばして動けなくしてしまえば、倒れた所を回収しにいけばいいだけ。首輪や手錠も考えたけど、俺の趣味じゃなくてね」
潮風に髪を靡かせながら、不適に物言う壮介からはなんの感情も伺えない。
「狂ってるな……。理解に苦しむ」
旭日は深く息をつくと、壮介を避けるようにしてその場から離れようとする。
しかし、させまいと壮介が旭日の肩を掴んで引き止めた。
「まだ話は終わっていないよ、旭日くん。君の目的はなんだい? 君が枝真の前に現れて二週間経つけれどいつでも殺せる機会はあったはず。どうして早く行動にでないの?」
「お前に話す義理はないだろう。それに俺はこいつを殺しにわざわざここまできたわけじゃない」
掴まれた肩を、腕の中にいる枝真を落とさないように片手で払いのける。