episode7
「おい、起きろ」
肩を揺すられて目を覚ます。どうやら枝真は、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「ついたぞ」
「……へ? ついったてどこに」
寝ぼけ眼で目を擦りながら車からおり立つと、潮風にふわりと枝真の長い髪が揺れる。連れてこられた場所は海だった。
「わあ、海だ!」
今にも海目がけて駆け出していきそうな少女を、旭日は首根っこを掴んで阻止する。
「待った」
「え?」
「もう時間がない、海はまたあとでこよう」
海に連れてきてくれたんじゃないの?と首を傾げる少女に旭日は「いくぞ」と告げると、背中を向け歩き出した。
枝真は、かけあしで後を追う。
浜辺から少し歩くと、小奇麗なレストランにたどり着いた。
入店と同時にタキシードを着たウエイターの男性がついて、席まで案内される。
「店のおすすめにしたけど、食えないのなかったよな?」
「うっ、うん。えっと……これはいったいどうゆう?」
次々と運ばれてくる料理をめまぐるしく眺めながら、枝真はあたふたしていた。
つきあってほしいというのは、夕飯のこと?それにしても、なんでこんな豪華な料理がたくさん……。
「腹へってなかった?」
「ううん、お腹は減ってるんだよ! 減ってるんだけど状況が理解できなくてえっと……っ」
なんと言えばいいのか……、うーんと悩み込む枝真の前に、コトンと一際大きな皿がおかれた。
「え? ケーキ?」
枝真が目をまるくして見つめる先には、ロウソクに火のともったホールケーキが。
「前に春樹が、枝真とは誕生日が一日違いなんだと言っていた」
「……誕生日?」
「お前、今日誕生日なんだろ?」
今言われて、ハッと気が付いた。
枝真は自分のスマホに手を伸ばす。
学校の友人たちから「おめでとう」と祝いのメールが何通も届いていた。
明日に控えた弟の誕生日のことで頭がいっぱいで、自分の誕生日のことなどすっかり忘れてしまっていた。
「……忘れてた」
「おめでとう」
「ありがとう……」
枝真は目頭があつくなるのを感じた。
自分でも忘れてしまっていた様な日を、この人は気に留めてくれたのかと。
思えば、枝真の誕生日の日は何故か毎年休日と重なる事が多く、家族や幼馴染の壮介に祝ってもらうことがほとんどだった。
もちろん、それもとてもありがたいことなのだが、旭日が祝ってくれることが今はとても嬉しかった。
「おい、泣くなよ」
「ごめん、嬉しくて……ごめんね」
旭日は「仕方ないやつだな」と鞄からハンカチを取り出すが、一緒にコロンと何かが落ちて枝真の足元で止まる。
「……ん? 旭日くんスマホおっこちたよ?」
枝真は旭日のものと思われるスマートフォンを持ち上げたところ、誤って画面に手が触れてしまう。
「見るな!」という旭日の声も虚しく、枝真は画面に映る内容にしっかり目を通してしまった。
そこには、〝女子が誕生日を祝われたいレストラン☆〟など、似たような記事の閲覧履歴がブワッとでていた。今来ているこの店の情報も載っていた。
予約必須の人気店らしい。そこまで読み終えた所で、旭日にスマホを取り上げられてしまう。
「……みたか?」
真っ赤な顔で、怒った様に凝視してくる旭日に枝真は、すまなさそうに頷く。
「……旭日くん、私のためにこんなに熱心に調べてくれたんだね」
お昼に電話をしてくると席を外したのは、おそらくこの店の予約をとるためだったのだろう……と枝真は一人で納得していた。
「別に……それより、ロウソクが溶けてきてる」
照れ隠しなのか、旭日は枝真から視線を逸らすと、ケーキを指差す。
「あ、うん。あのね……」
「どうした?」
枝真はもじもじと体を揺らしながら、旭日の顔をチラリと見た。
「便所なら、あっちだぞ」
「……」
「なんだよ?」
怪訝そうな顔で様子を窺う旭日に、意を決して言い放つ。
「おめでとうの歌うたってほしいの!」
「はあ?」
「春樹と壮介は、ロウソク消すときにいつも歌ってくれるよ?」
目の前の少女が言いたいのは、多分バースディソングの事だろうと旭日は解釈したが、店内には他の客もいるというのに、一人で歌唱させられるなんてとんでもない、と顔を引きつらせた。
「家に帰ってから、あいつらに歌ってもらえ」
旭日は全力で断ったが、「おねがい!」とうるんだ瞳で見つめられ、しぶしぶ受け入れる。
蚊の鳴くような声でサラッと歌うと、とっととロウソクを消せと言わんばかりに目で訴えた。
「旭日くん、全然聞こえないよ」
「……」
今すぐ逃げ出してしまいたい衝動をグッと堪えて「誕生日だから……」と自分に言い聞かせると、こころもち音量を上げて歌う。
「……旭日くん。実は、音痴?」
「……もう勘弁してくれ」
降参してその場に突っ伏した旭日に、テーブルをはさんで正面に座っている少女はクスリと笑って、静かにロウソクの火を吹き消した。