episode64
機械音と、大きな揺れに枝真は意識を取り戻した。
天井で継続的に回るシーリングファンがまず目に入り、視線を辺りへ巡らせると、薄暗い室内に浮かび上がる壮介の姿が目に止まった。血まみれの体で項垂れるようにしてチェアに腰かけている。
微かに息をがあり小さく肩が上下に揺れてはいるが、このまま放っておけば壮介の命もなさそうだ。今彼は眠っているのか、とても静かだ。
枝真は手術台のようなものに寝かされている。
壮介がすぐ傍のチェアに座っているのも、きっと自分が逃げないように見張るためであろうと少女は理解した。
頭を擡げて自分の体に視線を向けると、いつの間にか薄いブルーの手術着に着替えさせられていた事に気づく。枝真は、小さく息を吐くと壮介に気づかれないように体を起こし、冷たい床へと裸足で降り立った。
そのままそっと壮介に近づくと、手を振って反応を見る。けれど幼馴染はまだ眠りの波間をたゆたっているのか、まったく反応を示さなかった。
壮介が起きない事を確認すると、枝真はホッと胸を撫で下ろし、すぐにここから抜け出す方法を探し始めた。
見た所、出口のようなものはなく。枝真は鋼鉄の壁に手をついて、触りながらドアの溝を探した。
しかし、いくら探しても見つからない。
「どうしよう……壮介が目を覚ます前にここからでなくちゃいけないのに」
苛立ちと焦りから、枝真は唇をかみ締めると、壁を片手でドンッと叩いた。
すると、少女の前に半透明のパネルが浮かびあがってきた。驚いた枝真は「わっ」と声を上げてその場でひっくり返ってしまう。
『虹彩認識を行います。左目をイメージセンサにあててご本人であることを認証してください』
女性の機械音と共にそのパネルが鏡のように少女の姿を映しだした。
「虹彩認識? いったい何のこと?」
『虹彩認識とは、虹彩のパターンを利用したバイオメトリクス技術の1つです。虹彩のしわパターンを識別して、「機能を使うことが許されたご本人」であることを確認する技術を“虹彩認証”と呼んでいます』
「瞳の模様がパスワードの変わりってことなのかな……。指紋認証しかしたことないけど……っ」
枝真は、すぐに立ち上がるとパネルに顔を映す。直後、瞳に向かって赤いレーザーが当てられた。
『照合を行いましたが登録されている方で該当者がおりません。もう一度スキャンしますか?』
分かっていた事だが、もちろん枝真の登録がここにあるはずがない。あるとしたらそれは壮介の登録データだ。
枝真は、壮介を引っ張りパネルの前まで連れていこうと試みたが、二人の体格差では、到底動かせそうにない。
「やっぱり無理……何か他に方法は……」
『お困りですか? 特定の個人様と同じ虹彩を得る方法もございますが、いかがなさいますか』
先ほどの無機質な女性の声がする方へ枝真は、思わず顔を向けた。この状況を打破できるかもしれないと思ったからだ。
「特定の個人と同じ虹彩? 壮介と同じ虹彩を得ることができるってこと?!」
『そうです』
機械的なその返事に、枝真は生唾を飲み込んだ。
「どうしたらいいの」
『まず、登録されている個人様に許可を得て、虹彩付きコンタクトレンズを作成する必要があります』
「虹彩付きコンタクトレンズ? そんなものどうやって作るの」
『ラボで開発された特殊な点眼薬を使用して、虹彩をコピーしたコンタクトレンズを作ることができるのです』
「その点眼薬いったいどこにあるの」
『室内をスキャン致します……』
無機質な女性の声がそう告げると、室内全体に赤いレーザーが走った。ものの数秒で部屋のすみずみまでレーザーが行き渡る。
『……スキャン完了致しました。質問者様から向かって6時の方向に該当物あり』
言われた方向へ足を向けると、小さなテーブルの上にいくつか薬品が並べられていた。その中でも、瞳のマークが書いてある目薬のようなビンを発見すると、枝真は頷いてそれを手にとった。
「これね」
『使用方法はいかがなさいますか?』
「教えて」
『薬品をコピーをしたい個人様の瞳に数摘点眼して下さい。そして目を瞑り、20秒放置してください。この時ジェル状の内容物が虹彩をコピーして固まります。最後に出来上がったコンタクトレンズを瞳を傷つけないよう細心の注意を払って取り外してください。手順は以上です』
指示されたとおりに、枝真は項垂れていた壮介を上に向かせると上瞼と下瞼を無理やり引き剥がした。そして、薬品を投薬してなんとか物を作り出すことに成功する。
ここまでこねくりまわされても目を覚まさない壮介に、枝真はほんの少し不安を覚える。
「色々教えてくれて助かったよ、ありがとう。えーっと……あなたの名前はっ」
『私は、ノア。人工知能AIです。私の事は人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させたものだと認識して頂ければ結構です。そして、ここはアーク。操縦者の意思と選択によって時間旅行を行う乗り物です。タイムマシンといったほうが、より分かりやすいでしょうか』
「タイムマシン……? ちょっと待って! ここは何処かの施設じゃないの?!」
『いいえ、ここはアーク。現在、20XX年へ向かって走行しています』
「走行って……じゃあ外は……宇宙? いつだったか、タイムスリップする女の子の話を本で読んだことがあるけれど、何十年も先の未来に行くためには光の速さで宇宙船を動かさなきゃいけないって書いてあった。その飛行船に人間が乗り続けることは物理的に不可能だって……っ」
『あなたは、一般相対性理論という言葉を耳にしたことがありますか? かの有名な発明家は、ブラックホールの存在を認め、これを光でさえも飲み込んでしまうほどの強い重力を持つ天体。いわば時空に開いた穴と表現しました。理論上、時間方向に反転してやるとなんでも吐き出す穴、すなわちホワイトホールの存在を考えることができます。この両者を結びつけるトンネルをワームホールと呼んでおりこの発見がタイムトラベル実現に大きく貢献して現在に至ります』
「タイムトラベル……本当に今この船は未来に向かっているんだね……っ」
枝真は、壮介の瞳からコピーしたコンタクトレンズを装着すると、パネルの前まで移動して再認証を行った。
『……認証完了致しました。御登録者 ソウスケ 様 開錠致します』
「ノア、本当にありがとう」
『Not only to me was that just to be done 私はただなすべきことをしたにすぎません』
「……ふふっ、あなた英語もできるんだね。ノア最後に一つだけ聞いてもいい?」
『なんでしょうか』
枝真は真剣な表情になると、チェアの上で未だ眠っている壮介に目を向けた。
このまま放っておけば、きっと彼は死ぬ。
不意に、壮介と過ごした楽しかった日々が頭をよぎった。
本当に壮介は枝真にとって兄のような存在で、色々と心配や迷惑もかけた。
相談に乗ってもらったことも、数え切れない程にある。
けれど、その記憶はどこまでが本当で、どこまでが嘘なのか枝真には判断できない。
騙されていたのだ。ずっと。
悔しい、悲しい、どうして……?
そんな想いが胸を駆け巡った。
ここで情けをかければ、この先自分が死ぬかもしれない。
でも……。
「……あの人あのままにしていたら、きっと死んでしまうよね?」
『生体スキャンを開始します』
枝真の言葉に即座に反応を示すと、ノアは壮介にレーザーを通わせた。
『生命に関わる危険なバイタルサインを検知。速やかに治療が必要となります』
「……わかった。この人を助けるためにはどうしたらいいかな? 教えて、ノア」




