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ラストエンカウント  作者: 豊つくも
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episode58







 むせ返る様な薔薇の香りに枝真は、咳き込みながら瞳を開いた。


 焦点が定まらない状態で、ぼんやりと人影が動くのが見える。


 確か自分は、壮介と出くわして少し会話をして、その内に眠くなり……その後の記憶は――


 朦朧とする意識の中で、なんとか自分の今置かれている状況を整理しようとする。



「お目覚めかい? 俺のお姫様」



 真上から降り注いできた聞きなれた声に、枝真は目線だけを上げた。



「そ……すけ?」



 自分でも恐ろしいほどに体が言うことを効かず、表情が強張った。



 何だろう、これは。



 そして、クリアになってきた視界に言葉を失った。


 枝真は今、ブルーシートの上に横たわっている。そして、その周りには手術に使うメスや電動ノコギリ、チェーンソー、ハンティングナイフ、スキナーナイフ、ケイバーナイフ、コディソー等、まるで大型の生物を解体するかのような準備が整われていた。



 さらに、壮介が黒い薔薇をブルーシートの上で寝ている枝真の周りに一輪ずつ落としていく。それを、隣で春樹が淡々とした様子で手伝っている。



 強い薔薇の香りは、この黒薔薇のことだと理解した枝真は何と言っていいかわからず、ただ壮介に視線を注いだ。



「体が痺れて動かない、どうして? って顔をしているね」



 黒薔薇を飾り終わった壮介が、満足げに薔薇に囲まれた枝真を眺めている。

 その隣には、無表情でこちらを見つめる弟の姿があった。



「壮介……これは、どういうこと?」


「枝真、お前は今日、いるべき場所へ帰るんだ」


「……え?」


「お前の綺麗な肌や髪……、臓器を待っている人がいるからだよ。俺の役目はその橋渡しをすること」


「何を言っているの……」



 頬を強張らせる枝真に、壮介は「いい顔だ」と静かに笑った。



 彼は涼しい顔をして、その場を立ち上がるとブルーシートの周りをゆっくりと歩き出す。



「俺はね、結構向こうじゃ名の知れた、研究員であり医者なんだよ」



 歩きながら視線を交えてくる壮介に枝真は驚愕の表情を向ける。



「壮介は、私の幼馴染で……、それで同じ学校に通ってて……」


「ああ、それは全部偽りの記憶だよ。偶像だ」



 枝真の言葉を、壮介が嘲笑うかのように遮った。



「なに……?」



 意味が理解不能で、枝真は眉をひそめた。



「俺たち人間が見聞きしたり体験したことは、まず脳の海馬という部分に整理されて保存されるんだ。この状態は短期記憶といわれるもので、ほとんどが数分以内に消えてしまものだけどね。海馬に一時的に保存された記憶のうちの一部は、海馬から大脳皮質に移され、そこで長期記憶される。これが俗にいう思い出ってやつさ」


「思い出……」


「枝真は、生まれたての頃人形のように空っぽで一人では本当に何もできない女の子だったんだよ。俺が、毎日声を掛けて、世話をしてお前に少しずつ人間らしい仕草や行動を教え込んでいったんだ。だけど……お前はいつまでたっても俺の行動や考えを理解しようとはしなかった……いや、違うな。正しくは、出来なかった」



「……」



 いきなり話が目まぐるしく飛んで、枝真は困惑するも壮介は、気にせずに言葉を続けていく。そして、歩みは止まらない。



「何故なら記憶を司る海馬がお前にはなかったからさ。お前の後にも何人もクローン人間は、生成されたんだ。だけど何故だが海馬だけが欠けて生まれてきた。……だからね、俺は自らの手で枝真の海馬を作り出してあげたんだよ。この世に生を受けたお前の為に素敵な思い出を埋め込んであげようと思ってね」



 そう言い放った直後、壮介がたまらなく楽しそうに笑うのだ。


 普段の枝真に向ける優しさや愛情は微塵も感じることの出来ない狂った笑い。




「大好きな幼馴染と、……可愛い弟と、優しい両親、気の合う友達……。最高のシナリオだっただろう? 楽しかっただろう?」



 笑みをはりつかせた状態で、壮介が枝真の頭上で一度足を止める。









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