episode55
旭日がそこで言葉を止めた意味がすぐにはわからなかった。しかし理解した途端、枝真は眉を顰める。
「それって……私?」
少し黙り込んだあとで、旭日が「ああ」と小さく呟いた。
「枝真は、由利の移植手術の為に作られた日本で初めてのクローン人間だった。けれど、俺たちの暮らす未来でもクローン人間を作り出すことはご法度。法律でかたく禁じられている。しかし、その禁忌を犯したのが市民の安全を、秩序を守るはずの警視庁直属の研究所だ。……とんでもない話だよな。作業は外部に漏らさぬように内密に行われていたようだが、関係者がリークしようと動いていることが明らかになった。これ以上隠ぺいできないと判断した研究所は最終的に、由梨を放棄し、警視庁の特殊部隊に枝真の抹殺を依頼した。全てなかったことにしようとしたんだ」
内部告発しようと動いていた関係者というのが、恐らく佐伯のことだろうと枝真は察した。
「……突拍子もない話で。何て返したらいいかわからないけど。それが今まで旭日くんが私に言えなかった話なんだよね?」
枝真は初めて知った事実に打ちひしがれた。同時に予感していた出来事が的中してその表情はかすかに落胆の気配がある。
「……黙っていてすまない。どう伝えたら枝真を傷つけないか、俺なりにずっと考えていた。だけど、どんなに悩んでも答えは見つからなくて、結局ずるずるここまで引きずってしまった。お前に隠し事をしている罪悪感に押しつぶされそうな夜もあった。お前は俺を信用して、頼ってくれて、いつも傍にいようとしてくれていたのにな……。俺は守ると口ばかりで何もお前に返せていないし、してあげられていなかったな」
自分自身を咎めるような口調で旭日が言うと、枝真は首を振った。もういいのだ、と言うように隣に座る旭日の手に自分のそれを重ねる。
「そんなことないよ。正直に話してくれてありがとう。実は私もそれについて気づいていた事がいくつかあったの。背中についた生成番号……。佐伯さんにもね、旭日くんがお気づきの通り少し話を聞いたの。でも今の会話で全て納得がいった。誰かのクローンだって話をそのまま呑み込めたわけではないけれど……。ねぇ、これから先どうしたらいいのかな? 私が、由梨という子に臓器を提供すれば、全て丸く収まるの? わからないよ……」
硬い表情で枝真がそう問うと旭日は、いても立ってもいられなくなり枝真をグッと自分の方へ引き寄せた。
「俺と一緒に生きよう」
旭日の声は切実で、枝真はすぐに返事が出きなかった。
「俺がお前の存在を……、世の中に……世間に認めさせる。何か言ってくるようなやつがいたら、俺がそいつらからお前を守る」
「どういうこと?」
枝真は、旭日の目を見つめたまま思わず聞き返した。二人の視線が絡み合い、旭日は落ち着いた口調で枝真にこう告げる。
「未来で一緒に暮らそう」
思いがけない言葉がふってきて少女は、目を見開いたまま固まった。
「未来で暮らすって……っ。だって、私の事殺そうとしている人が未来にたくさんにいるのに、逆に危ないんじゃ……っ」
「未来で法的に枝真の存在が認められれば、何も怖がることはないんだ。もう、ビクビク何かに怯えて生活しなくてもいい」
「法的に……。私を認めてもらうことなんてできるのかな……っ」
一緒に暮らそうと、守ると言ってくれた旭日の言葉は本当に嬉しかった、だけど不安が先立って素直に喜べない。
「策もなく枝真を助けにきたわけじゃない」
旭日は自信に満ち溢れた表情で見つめてくる。
「言っただろう。お前の笑顔を守るためにここにきたんだ、と」
その言葉に、枝真は過去の記憶を辿りながら頷いた。
そういえば、そんな台詞を前にバルコニーで聞いたことがある。
決して急かすことなく、泰然とした様子で旭日は枝真の返事を待っていた。
「旭日くん。未来には、甘いものたくさんあるの……?」
決断を迫られた枝真は、突然突拍子のない台詞を口にする。旭日もそれには一瞬驚いた顔を見せた。
「ん? まあ……そうだな。たくさんあるよ」
「そっか……。でも、学校の友達……静は、未来にはいないんだよね……?」
寂しそうに放った自分の言葉に、不意に涙が滲みそうになった。
未来に行けば、きっともう静に会うことはないだろう。
「最後に、さよならだけは言いたいな。静に」
それが、今の枝真の精一杯の返事だったのだろう。それを察した旭日は少女の瞳に溢れてきた涙をそっと拭ってやると、無言で頷いた。




