episode54
旭日は、春樹が部屋を出ていくのを見送るとベランダの方へと足を向けた。
ベランダでは枝真が手すりに体を預けて肩を落としていた。
「夜は冷える、中に入れ」
後ろから声をかけたが、半身をこちらに向けて一度振り返ったものの少女は室内へ入ろうとはしない。
旭日は困ったように、短く息を吐き枝真の傍まで歩み寄る。
そして後ろから包み込むように優しく抱きしめてやった。
枝真は、ピクリと一瞬体を震わせたが、旭日が柔く頭を撫でてやるとそれはすぐに収まった。
「俺に触られるの嫌か?」
少女の反応を見て思わず問いかけてしまったが、枝真はゆるく首を横に振ると振り返って正面から旭日に抱き着いてきた。
「旭日くんっ、私、私ね……っ」
今にも泣きそうな声を聞いて、旭日は枝真を横抱きにして抱きかかえると「部屋に入ろう」と小さく囁いた。
* *
旭日は枝真をお姫様抱っこした状態で寝室へと運び、ベッドへその体をゆっくりと降ろしてやった。
室内は電気はついていなかったが、月明かりでぼんやりと照らされていてとても幻想的な雰囲気だ。
ベッドの端に座る枝真の隣に、旭日も腰をおろす。
少女が自分から話をしてくれるのを旭日は黙って待っていたが、枝真は長いこと俯いて口を開こうとはしなかった。暫しの沈黙の後、旭日が静寂を破る。
「俺は、この時代の……今よりもずっと未来から来た」
突然旭日がそう切り出すと、枝真は緊張した面持ちで顔を上げる。
「少し、俺の話をしようか」
旭日は、枝真の肩を軽く叩いて緊張を解いてやると自分の生い立ちをゆっくりと語り始めた。
「俺が物心ついた時には、母親はもういなかった。父親が男手ひとつで俺を育ててくれたんだ。勉強も運動も昔から割りとできるほうで、九歳の時には大学院の飛び級入試に合格して、翌年には修士課程を修了。その後、父親の後を追って警視庁に入った。それが、たしか十四歳の時だったな。所属は、警視庁の刑事部異次元犯罪対策捜査一課。監査官なんて役職についてはいるが、所詮名前だけのお飾りに過ぎないんだ。毎日、けん銃射撃や逮捕術、武道の稽古。主に〝柔道〟〝剣道〟〝合気道〟を叩き込まれた」
枝真が旭日の方を見やると、旭日もそれに気づいて視線を交えた。
「枝真の事を知ったのは、実は本当につい最近なんだ。その時俺は、未解決事件を取り扱っていて、どうしても当時の資料が必要になってな。資料室に足を運んだ。俺は、監査官という立場にいたからそれを利用して極秘資料にもたやすく目を通す事ができた。そこで、たまたま手に取った資料に何故かお前の写真が紛れ込んでいた」
「私の……写真?」
尋ねる枝真に、旭日は黙って頷く。
さらに彼はベッドから立ち上がり、ナイトテーブルに手を伸ばして引き出しから何かを引っ張り出した。
そして、もといた位置に座り直すと一枚の写真を枝真へと差し出した。
受け取った枝真は驚愕した。写真に写っていた被写体は紛れもなく自分だった。ただ、この写真を撮った覚えはまったくない。診察台のようなベッドに腰かけ、無表情にカメラのレンズを覗き込んでいるであろう自分。顔色は青白く表情にも人間味がない。
――まるで人形のような。
「旭日くん、これは……っ」
「この写真をみた瞬間から何故かお前が気になった。俺はその写真を抜き取って、独自にお前の調査を始めた。誰に指示されたわけでもなく、自発的に。この写真の少女が一体何者なのか、知りたいと思った」
「……」
何も言えずに枝真が黙っていると、旭日が真剣な顔つきになる。
「調べていくうちに、恐ろしい事実が分かってきた。警視庁ご用達のラボと呼ばれる研究所がある。そこで、レプリカの生成が長年行われていたんだ」
「レプリカって……クローン人間のことでしょう?」
かすれた声で枝真が旭日に問う、鼓動が急激に早まっていくのを感じた。
「そうだ。佐伯からはどこまで話を聞いてる?」
「……研究所で作られたレプリカは、佐伯さんの会社に運ばれて人体実験に使われていたって……っ」
旭日は、目を伏せる。
「……ラボには、由利と呼ばれる女の子がいるんだ。研究員の娘で病気がちだと聞いているが本当のところ素性はわからない。彼女は……日本で初めて〝オリジナル〟と呼ばれるクローン技術の被験者だった」
「由梨……」
「彼女が被験者になったのには、理由があった。特異体質で皮膚や内臓が年齢を増すごとに衰え腐敗していく病気の持ち主だったんだ。この難病を直す方法はただ一つ。全ての臓器の入れ替え、皮膚移植をすること……研究員は当初、彼女の細胞から臓器や皮膚を個体で生成し腐ってきた部位から少しずつ処置を行っていた。だが、彼女の場合進行速度が速く、個体生成では移植がおいつかなくなっていた。このままでは、いずれ彼女は死んでしまうと危惧した研究員は、ついに一人の人間を生み出してしまった……」




