episode45
その日枝真はバルコニーに出て、洗濯物を物干しざおに干していた。
照りつける太陽から眩しそうに瞳を逸らしながら、快晴の空の下、柔軟剤の香りがただよう衣類をせっせと干していく。
ここ数日はずっと床に臥せていたので、布団の中で色々と考えることが多かった。旭日と千颯の言う組織とは、いったい何のことなのか。壮介は何故ドラックを自分に渡してきたのか。あの佐伯という男は何者なのか、未だに理解できていない部分が多すぎて枝真は頭を悩ませていた。
そういえば、壮介と旭日の両方に告白をされていたのを今思い出した。両方とも返事を要求されたわけではないので、あのまま何もなかったかのように普段通り過ごしている。けれど、どちらも枝真に対して確かに「好きだ」と言ってくれた。
壮介は昔からよく知っている間柄で、気兼ねなく何でも話せる相手だし。今でも何かといえば壮介、壮介とべったりだ。旭日に関しても、ぶっきらぼうでちょっと口うるさいところはあるけれど、枝真が困った時は力になってくれようとする。どちらも今の枝真にとって、大切な存在であることに変わりはない。
そんな事を考えながら作業に没頭していた枝真は、後ろから不意に声をかけられ、驚いたように振り返った。
振り向いた先には、旭日が立っていた。
「驚かせて悪かった。枝真、もう体は大丈夫なのか? 洗濯なら俺がやるぞ」
丁度頭に浮かんでいた相手が目の前に現れて、枝真は瞬間、思考が停止したが、すぐに笑顔を作った。
「平気平気! もう、すっかり良くなっちゃったし。来週からまた学校が始まるからリハビリも兼ねて今から動かなくちゃ」
話しながら枝真が自分の胸を叩いて、元気だとアピールすると小さくため息をついて旭日は近づく。
「無理は禁物。あとは俺がやっておくから部屋に戻ってな」
旭日は枝真の頭をワシャワシャとかき回して軽く笑むと。枝真の足元から洗濯カゴを取り上げた。
「えーでも、まだ結構あるし……っ」
言いかけた枝真の言葉はインターフォンの音によって遮られた。
どうやら、来客のようだ。
「出た方がいいんじゃないか?」
「うっ、うん。旭日くんごめんね。あとよろしくね!」
旭日に促されて、枝真はそそくさと部屋の中へ戻っていった。
例の怪我から、三日近く。
枝真は自宅で療養していたのだが、やっと本調子になってきていた。
体がなまってはいけないと、自分なりに普段の炊事洗濯をこなそうと動いていたのだが、今日はことごとぐ旭日に横から仕事をとられてしまっている。
重たい物は持たせてもらえないし、脚立に乗って高いところのものをとろうとすると「危ない! 降りろ!」と抱きかかえられて降ろされてしまうのだ。まるで、妊婦にでもなったかのようだと枝真は思った。
室内に入り、スリッパを足にひっかけるとパタパタと音を立てて玄関までかけていく。
来客者は、せっかちな人なのかしつこくベルを鳴らしている。
「はいはい……」と枝真がうんざりしたように玄関をあけると、そこには意外な人物が立っていた。
人物を認識して血の気が引いた枝真は、無言でドアを閉めようとするが、来客者はドアに足を挟んでそれを阻止すると、無理やり体を押し込んで室内へ入ってきた。
「痛いじゃないか……、そんな思い切りドアを閉めないでくれよ。会いたかったよ、枝真さん」
眼鏡越しにウインクをして、不敵な笑みを浮かべるのは、つい数日前枝真を殺そうとして銃を向けてきた千颯だった。
千颯の侵入を許してしまった枝真は、慌ててバルコニーにいる旭日を呼ぼうと口を開けたが、千颯に塞がれてそれも叶わなかった。
「おっと。大きい声は出さないでほしい。今日は、取引しにきただけだからさ」
耳元で宥めるように囁かれ、枝真は目をパチクリさせた。
大人しくなった枝真を「いい子だね」と言って解き放ってやると、千颯はさっさと靴を脱いでリビングへと足を運んだ。
* *
千颯の来訪に、旭日は一瞬驚いた顔を見せたが、それはすぐに険しい顔つきへと変わった。
千颯はリビングに枝真と旭日。そして、犬の散歩から帰ってきた壮介を集めると、ソファにゆったりと腰を下ろした。
幸い春樹は、友達とプールへ遊びに行っていて不在だった。
「諸君、お集まりかな?」
千颯が、にこやかな表情でその場にいる全員に話しかける。
「ここにお集まり頂いたのは、他でもない。是非とも僕の取引に応じてもらいたくてここまでやって来たんだ」
旭日が「なんの冗談だ」とあからさまに嫌そうな顔をする。その隣で、いつもの涼しい顔を崩さない壮介が黙って聞いている。
「枝真に怪我を負わせて、よくものうのうと俺の前に顔を見せられたもんだ」
旭日が毒づくと、ふうっと千颯が息をついた。
そして、目にも止まらぬ速さで拳銃ホルダーから銃を引き抜くと、枝真にそれを向ける。それとほぼ同時に、旭日も銃を抜き目の前のソファに座る千颯に銃口を向けた。
ただならぬ空気がリビングに立ち込める中、壮介がいつもと変わらぬ口ぶりで、千颯に問いかける。
「まったく……。君たち、枝真の家で物騒なもの出すのはやめなよ。それで、取引っていうのは?」
やれやれと呆れ顔の壮介に、千颯はクツクツと笑いながら銃を収めると「旭日もしまいなよ」と目で示す。
すると、眉間の皺を濃くさせながら、旭日も銃の構えをといた。
「僕は、あの後すぐに本部に戻ったんだ。だけど、佐伯を逃がしたうえに枝真さんまで殺し損ねて……、ついに勘当されてしまった。そこで、枝真さんを譲ってもらえないかと思って……」
千颯が言い終える前に、旭日が殴りかかろうとしたのを壮介が取り押さえた。
それを見た千颯が、ひとつ咳払いし「ここからが、取引」と続けた。
「まあ、旭日は枝真さんを譲る気なんてさらさらないと思っていたし。最初からわかっていたんだけど。代わりに……、と言っちゃなんだけど、佐伯の捕獲に協力願いたい」
千颯は「期限は、日没まで。生死は問わないから僕の目の前に佐伯を連れてきてもらいたい」と言い放った。
枝真の安全が第一優先の旭日と壮介は、とりあえずこの場は条件を飲んだほうが得策かとお互いに判断すると、どちらともなく頷いた。




