episode3
「姉ちゃん、遅いよぉおお!!」
帰宅して早々。玄関先で扉を全開にして弟が暴れていた、もとい泣いていた。
幼馴染の壮介と一緒に道草を食っていたら、随分時間が経ってしまっていた様で……。
「あーもー! 春樹! 明かりつけて玄関開けとかないでよ! 虫がはいってくるでしょ!」
そう言って、弟の春樹を叱りつける少女の名は、枝真。
そんな叱責もお構いなし、春樹は枝真に抱きついて声を大にして叫ぶ。
「姉ちゃんが帰ってくるの遅いからいけないんだろ! お腹すいたー! 死んじゃうー!」
春樹は、姉と同じ亜麻色の髪を短髪にし、珊瑚色をしたどんぐりのような瞳、姉よりひとまわり程大きな背丈。女子と見間違うほど可愛らしい顔つきをした男の子だ。学校から帰宅してそのままなのか、学生服を身に着けていた。
「学校から帰ったら、制服脱ぎなさいっていつもいってるでしょ! 皺になったらどうするの! 早く着替えてきなさい!」
「姉ちゃん声でかいよ、ここ玄関だし! というか今お客さんきてるし!」
「お客さん?」
ギャンギャンと街で出会った散歩中の犬の如く、吠えあっていた姉と弟は一瞬動きを止める。
パッと振り返ると、そこには大荷物を両手に抱えたまま静かに姉弟のバトルを見守っていた幼馴染、壮介の姿が。
「お客さんって、壮介?」
「壮介兄ちゃんじゃないよ、昨日いったじゃん。今日俺の家庭教師がくるって」
春樹は、姉の返答にうな垂れると、二人に室内に入るように促した。
「家庭教師? 俺なにも聞いてないんだけど、枝真そんなの頼んでたの?」
靴を脱ぎながら、先程まで黙って聞いていた壮介が訝しげな表情で話しに割って入る。
「うーん、そんなこと昨日いってたっけ?」
枝真は腕を組んで、昨日の春樹との会話を思い返していたが、まったく記憶に無い。
三人でリビングに入ると、枝真と春樹が溺愛している愛犬、コーギーのゲイリンちゃん(♂)が、家庭教師に手懐けられていた。仰向けに寝そべってお腹を天井に向けて、口元からだらしなく舌を出して「もうどうにでもしてくれ!」なポーズで好きに触らせている。
「せんせー、やっと姉ちゃん帰ってきましたー」
春樹が家庭教師のもとへ歩いていく。
自分を呼ぶ声に気づいたのか、犬に夢中になってフローリングにあぐらをかいていた男は顔を上げる。
枝真と壮介と同い年ぐらいであろうか。漆黒の髪をウルフカットにしていて、コバルトブルーの瞳は少しキツメな印象を受ける。
「ああ、おかえりお姉さん」
家庭教師はそう言って腰を上げる、身長は壮介より少し低いくらいだ。
枝真に手を差し出して握手を求めてきたが、壮介がそれを払いのけて間に入ってくる。
「いきなり、馴れ馴れしいなぁ……君は。枝真、どちら様?」
「あれ? 春樹くんにはお姉さんしかいないって聞いてたんだけど……誰この人?」
幼馴染と家庭教師が二人して枝真に笑顔を向けて問いかけてくるのだが、二人とも口は笑っているのに目が笑っていない。いや、正確に言うと口角を無理やり吊り上げて、笑っているように見せかけているだけなのだ。
傍らで目を皿のようにして様子を窺っていた弟を、枝真は引き寄せて問い詰める。
「……春樹、お姉ちゃんまったく聞いてないんだけど、この人とはどういうご関係?」
「姉ちゃん昨日もいったと思うけど、今日から週三でこの人に家庭教師お願いすることにしたから」
「何勝手にお願いしてるの! 私良いっていってないでしょ! それにこれからいろいろと入用なのに月謝とかどうするの!」
姉がまくし立てるように物言うと、弟はムッとした表情をして家庭教師の後ろに隠れてしまった。春樹は、こうなると強情で枝真にも手におえない。
家庭教師は傍に寄ってきた春樹の肩を抱き寄せて、にっこりとほほ笑む。
「改めまして、今日からお宅の春樹くんの家庭教師を担当させて頂きます。旭日と申します。彼とは、最近スポーツジムで知り合って仲良くなりました、勉強が苦手だと相談されたので何か力になれたらとおもって」
旭日は最近この地域に越してきたばかりで、知り合いもおらず、初めてできた友人が春樹なんだとか。
大学には通っていないようで、親の仕事を継ぐために今はフリーターをしながら修行中……らしい。
「春樹、言ってくれれば俺が家庭教師ぐらいしたのに。水くさいな~」
「壮介兄ちゃん、忙しいじゃん。だめだめ! そかから、姉ちゃんに教えてもらおうとも思ったんだけどさー、姉ちゃん頭そんなよくないからやめといた」
「なんて生意気な弟! 私だって中学生の問題くらいちょっと考えればわかるよ!」
「えー、前に聞いたとき全然だめだ……っ、ねぇひゃん口ひっぱらないでよ、いひゃいよ」
姉は弟の頬を思い切りつねって黙らせた。
それを見た壮介が枝真を春樹から引きはがし、コホンと咳払をすると、その場にいる他三人の視線が壮介に注がれる。
「旭日さん、自己紹介が遅れましたが俺はこの姉弟二人の隣人の壮介といいます。こういうことは今日限りで結構ですよ。どこにお住まいか存じませんが、わざわざここまで通うのも面倒でしょう? あとは俺にまかせてください。そしてとっととお帰り下さい」
「いえ、大事な友人の春樹くんからのお願いなので、ああ、もちろんお金なんていりませんよ。こっちも好きでやってることなので。壮介さんこそ隣人ということはご家族の方ではないのですよね? ご自宅に帰られたほうがよろしいかと……というか、いつまでいるんですか、あんた」
バチバチと音が聞こえてきそうなほど火花を散らしている。両者一歩も譲らずという感じだ。そんな中、枝真は旭日の発した魅力的な単語に興味を示していた。
「むっ…… 無料ってことですか……?」
手をアライグマのようにすり合わせて、旭日におずおずと近づくと彼は黙って頷いた。
枝真は、両手で旭日の手を掴みブンブンと上下に大きく振って歓喜した。
「是非! 是非! うちの弟を宜しくお願いします!」
「は、はあ……」
少女に圧倒されながらも、家庭教師は笑みを浮かべ、春樹に「よかったな」と耳打ちした。
「枝真、何考えているの! 家庭教師なんて俺にいってくれればいくらでもするのに! こんなどこの馬の骨ともわからない人間に軽々しく頼んで!」
「だって、無料だし! 春樹も旭日くんがいいって言ってるんだから」
枝真は、旭日に「よかったらうちで夕飯食べていってね」と声をかけると、壮介の腕を引っ張ってキッチンの方へと消えていく。壮介は、旭日を家庭教師に迎え入れる事にまだ納得がいっていない様子で渋い顔をして枝真について行った。
二人がリビングからいなくなった事を確認して春樹は、旭日の腕を引っ張り「やったあ! 先生これからよろしくね!」とじゃれついている。
旭日はそんな春樹には目もくれず、枝真と壮介の出て行ったドアをただじっと眺めていた。