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ラストエンカウント  作者: 豊つくも
32/68

episode31







 物音に目を覚ますと、枝真は薄暗い部屋にいた。

 どうやら物音は、窓が風で揺れる音だ。


 ズキズキと痛む頭で記憶を辿った。


 後ろから何者かに殴られ、そのまま気を失ってしまった事を思い出す。

室内に拘束具をつけて転がされているところをみると、あの後犯人にここまで連れてこられたものと思われる。


 後ろ手にはめられた拘束具を体をよじって振り払おうとしたが、びくともしない。

 それは、枝真が初めてみる代物だった。

 針金の白いワイヤーからピンク色の陽炎のようなものがメラメラと滲みでてくる。

 さらに、解こうとすればするほど腕に食い込んでくる。枝真は激痛に耐えかねて抵抗をやめた。


 動揺する心を落ち着かせて、室内を見回す。ふと、一点に目が止まった。


 室内が薄暗かったので気づかなかったが、枝真の他にも誰かいる。


 今更だが枝真は息を潜めて少し距離のある、その人物の様子をうかがった。


 血まみれのスーツを身にまとい、壁に背を預けて、足を投げ出し、そのままそこに座り込んだ状態の男の姿が目に映った。


 黒いスーツはところどころ、切れ目が入っており、腹の部分が大きく血で滲んでいる。男は下を向いているので顔はわからず、微動だにしない。


 枝真は、体を震わせた。

 この出で立ちは、この黒い髪は。


「旭日くん!」


 何かがはじけたように、叫んで枝真はスーツの男へ近づいた。必死だったあまり声が少し裏返ってしまう。


 拘束具は、足にはついていなかったので歩くことはできた。

 しかし、腕についている器具は強力で体を動かす振動にもしっかり反応を示す。

 ひりつく痛みをなんとか我慢して、男の目の前で腰を落とした。


 何度か声をかけるも、返事はない。


(死んでる…………?!)


 枝真は「縁起でもない!」と首を横に振ると、体をさらに近づけて、相手の心臓に耳をあてた。

 規則正しい鼓動が聞こえてホッと息をついた。


 どうやら、完全に伸びてしまっているようだ。


 こういうとき、平手で頬を叩けば意識が戻る事をドラマか何かで見たことがあると枝真は考えた。

 ただ枝真は今、拘束具で手を自由に使えない状態だった。


 少々荒っぽいやり方かもしれないが……、これしか方法がないので「許してね」と、枝真は男の正面に向き直ると、勢いをつけて頭突きをかました。


 鈍い音がして、数秒後。

 目の前の人物は、搾り出すような声で小さくうめいた。



「よかった! 気がついた!」


「……ん?」



 枝真の声に朦朧もうろうとした様子で顔を上げる、男。顔も血でべったりと汚れていた。



「大丈夫?! 痛くない? ……わけないよね」



 枝真は混乱気味に、世話しなく言葉をかけ続けた。男は、しばらく枝真の顔を黙って見ていたが突如目を見開いた。



「……由梨?」


「……え」



 男は、くぐもった声で名前を言ったが、枝真は聞きなれない名に、訝しげな表情を浮かべた。



「……どうして、由梨がここにいるんだ……。あ、そうか僕はきっと今夢でもみているんだろうな」



 男は枝真に自嘲気味に笑って、力なく肩を落とした。

 この時枝真は、この男が旭日ではないと頭の隅で察した。笑い方・仕草・声似ているようで旭日のそれとはまったく違うのだ。



「あなたは誰? 旭日くんと良く似てるけれど……」



 言いながら、枝真は男の目を正面からじっと見つめた。



「……旭日? そうか、君は……」



 男は途中で口を噤むと、一呼吸置いて話を再開する。



「旭日が、ここへ来ているのか?」



「ひょっとして、あなたが例の迷子の同僚?」



「迷子とは随分だなぁ、まあ実際そうなんだけど」



 男は、おもむろにスーツの内ポケットをまさぐると、黒縁のメガネを取り出し装着する。メガネのガラスにはひびがはいっている。



「初めまして、僕は千颯。知ってのとおり君のナイトの同僚だよ」



 千颯は、メガネを通して改めて枝真を見ると、目を細めた。眉間には深いしわが刻まれている。



「千颯さん……あの、旭日くんは今あなたを探してこの山のどこかに」



「余計なことを……。僕の事より自分の心配でもしていればいいのに」



 千颯は、悪態をつくとおぼつかない足取りで立ち上がろうとする。だが、すぐに体制をくずしてひっくりかえる。



「千颯さん、その怪我じゃ無理です。私、応急処置しますからこの拘束具外してください!」



 真摯な瞳でそう訴えた枝真に、千颯は素直に応じてくれた。

 ペンションを出るとき旭日の怪我を治療しようとして枝真は、救急箱をナップザックにいれてもってきていた。千颯に腕を自由にしてもらうと、即座に傷の手当てを開始した。





                      *                       *






 ほどなくして手つきはあやういが、なんとか応急処置に成功した。



「これでもう平気だと思います」



「ありがとう、少し楽になったよ」



「いえ、見よう見まねですけど……」



 旭日と壮介二人に、やけどの治療をしてもらった情景を思い浮かべながらどうにかやり遂げた。見た目よりも、傷口は浅く。どちらかというと打撲のほうが酷かったことから、この腹にべったりとついた血は、別の人間のもでは……?と枝真は勘ぐった。



 その血はどうしたのかと問いかけようと口を開いたその時、千颯の表情が険しくなった。



「千颯さん?」


「来る」



 千颯は、腰に巻いていた濃紺色をした革製の拳銃ホルダーに手を伸ばした。

 それとほぼ同時に、二人の後ろで窓ガラスが割れる。

 ガラス片が、コロコロと床に飛び散る音が鮮明に聞こえた。

 枝真は、おそるおそる振り返る。

 窓ガラスは粉々に砕け、枠だけが残っている状態で、風がビュウビュウと入り込んできている。



 しばしの沈黙の後、窓枠にゆっくりと手をついて、のそりと何者かが顔を覗かせた。



 その人物の風貌に、枝真は驚愕した。

 目じりを下げて半笑いし、口端から涎を垂れ流している。目は、左右とも違う方向へむいており焦点が定まっておらず、犬のような息遣いでじっと動かない。



「僕たちをここまで連れてきた、この山小屋のぬしのおでましだ」



 千颯はそう言い手早くホルダーから拳銃を引き抜くと窓目掛けて発砲する。乾いた音が数発、小屋内に響いた。



 弾丸が顔を掠めたのか、山小屋の主は人間とは思えない悲鳴を上げてフェードアウトする。千颯は、舌打ちすると銃に弾を込め始める。



 ガサガサと小屋の周りを何かが走り回る音が聞こえ、不意にその音はピタリと止んだ。



 緊張したまま枝真は、ゆっくりと後ずさりした。このままここにいては危険だ。早く逃げなければと脳内で危険信号が鳴っている。



「千颯さん、なっ…… 何あれ?」



 震え声で千颯に尋ねる。



「僕が追っている 咎人とがびとだよ。打ち損じて二回目だ。どうも銃っていうのは苦手でね」



 薄笑いを浮かべて「脳天を狙えば一発で殺せるんだ」と千颯は銃を構えた。枝真の頬を汗がつうっと伝う。話を聞いていると千颯にべったりとついていた血液は、先程の人間のものなのだと判断する。



「咎人……? 悪いことをした人ってこと? あの人様子が普通じゃなかったけど……」



「長期の逃亡に正気を保てなくなって、複数の薬物に手を出したのだろう。随分やばいところと取引をしていたらしいしね」



 千颯の話していることは、理解の範疇はんちゅうを超えていた。この人は何をいっているのだろう、咎人とか、逃亡とか、薬物とか。



 千颯に尋ねようと口を開こうとした瞬間、背後から何かが枝真の口を力強く塞いだ。息ができず、塞いでいるものを手で退けようとするが、びくともしなかった。



 耳元で、先程の息遣いが聞こえ枝真は青ざめた。いつの間に枝真の後ろに回ったのか、体の震えが増す。

 訴えるような視線を千颯へ向けた。



「ちょこまかと……僕は銃が得意じゃないんだよ。頼むから大人しくしててくれないかな。佐伯さん?」



 千颯は、振り返り枝真とその背後から口を覆っている佐伯と呼ばれる人物に刺すような目を向ける。



「戻ってから、お前らをいたぶって殺してやろうと思ってたのに、こんなに早く目覚めるなんて予想外だった」



 息を整え抑揚なく返す、佐伯。

 その声は、地を這うように低く、機械的なものだった。



「それは残念だ。だけど……、どうやら佐伯さんは、ここでチェックメイトみたいだ」



 黒光りする鉄の塊を手に、千颯は枝真たちに照準を合わせる。



「なんだと……? この女目掛けて打てるものなら打ってみろ!」



 佐伯は、高笑いをすると枝真の口から手を外して首に腕を回しそのまま自分の顔のそばまで枝真の頭を持ち上げる。枝真は悲鳴にならない声をあげ、佐伯が自分を人質にとったのだと今更理解する。



「佐伯さん、申し訳ないけどその方法は僕に、適切じゃない」



 淡々とそれだけ言うと、千颯の弾丸は枝真の左腕を打ち抜いた。



 飛び散った枝真の血に、佐伯はあっけにとられた様子で目を見張った。



「こいつは、お前の仲間ではないのか?!」



「そのまま、動かないで。君たち二人にうまくあてないといけないから」



 佐伯の問いに平然とした様子で、千颯は答えた。



「佐伯さんも、彼女も俺にとっては同じターゲットなんだ。悪いけど、ここで仲良く死んでくれ」



 千颯は、笑顔で銃を構えた。



 銃は、二人の頭部を捕らえている。



 大声を上げ命ごいを始めた佐伯を無視し、千颯は引き金を力強く引いた。



 銃声に、鳥たちがバサバサと羽音を立てて飛び立つ音が聞こえた。



 






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