episode18
「旭日くん、また作ったら食べてくれる?」
枝真が心底嬉しそうな顔で旭日に尋ねてくる。
その笑顔に相槌を打つと、旭日はその場を立ち上がった。
「頼むからもう、今日みたいな怪我だけは勘弁してくれよ」
「うん、心配かけてごめんね」
「寿命が縮まるかと思った」
「大袈裟だよ」
そう言って枝真も、座椅子からゆっくり立ち上がると目の前に立つ旭日を見据える。
「ほんとうに……そう思ったんだ」
大きな手のひらが枝真の亜麻色の髪をくしゃっと撫でる。枝真は、くすぐったそうに笑った。
「枝真は、そうやって笑っている顔が一番可愛い」
旭日の言葉にへらへらと笑っていた枝真は、焦ったように目を伏せると頬を赤く染めて黙り込んだ。その様子に旭日は楽しげな瞳になる。
「……っとに、可愛いやつだな」
愛しげにそう囁くと、旭日は少女の腕をぐっと自分の方へ引き寄せる。枝真が驚いて声を出す間もなく、旭日の腕の中に閉じ込められてしまう。腰をぐっと抱き寄せられて、体の力が抜けていくのがわかった。
「……旭日くん?」
枝真の体温を確かめるかのように、ギュッと抱きしめて離そうとしない旭日の名を呼ぶ。
「ごめん、少しこうしてていいか?」
「え?」
「これ以上のことはしないから。約束する」
「……うっ、うん?」
これ以上のこと?……と、一瞬枝真は悩んだが、身を寄せてくる旭日の心地よい熱や、シャツから香る石鹸のようないい匂いに酔いしれどうでもよくなっていた。
旭日の優しい指が、髪を撫でてくれる。
「枝真」
「なに?」
「もしも、お前を泣かせるやつがいたら俺が許さない。それが誰であってもだ」
「……突然どうしたの?」
「俺は、お前の笑顔を守るためにここにきたんだ」
「どういう意味?」
「今は分からなくていい。ただ、俺はお前にこの先もずっと笑っていてほしいと思ってる」
「うん、私も旭日くんに笑顔でいてほしい」
「そうか……」
かすれたような声で旭日がそう呟く。
抱き合っていた体をどちらともなく少し離した。見つめあう瞳の中にお互いの姿が映る。
枝真は旭日が顔を近づけてくる気配に自然と瞳を閉じた。それは、無意識のキスを受け入れる合図だったのかもしれない。拒もうと思えば拒めたはずなのに、枝真は気づくと受け入れる体制でいた。
しかし、無情にもコンコンと窓を叩く音が響く。
二人は急いで体を離して、音のする方向を見る。
「君たちお楽しみのところ悪いけど、お風呂沸いたよ?」
いつの間にベランダ窓からバルコニーへ降りてきたのか。
そこには壮介が、冷めた瞳で立っていた。
「そっ壮介! いつからそこに!」
枝真は叫ぶと、慌てて旭日の後ろに身を隠した。
旭日も「お邪魔虫め」とでもいうように、非難する瞳を壮介に向ける。
「枝真、お風呂にどーぞ」
壮介が、人差し指で室内の方を差す。
枝真は、こくこくと頷くと慌しくその場を後にした。
「転ばないようにね」
枝真には聞こえていないであろう、壮介が小さく呟くと笑う。
旭日は枝真の恥ずかしそうにかけていく後ろ姿に盛大にため息をつくと、がじがじと自分の頭を掻いた。
「ケダモノくんもいつまでもそんなとこに突っ立ていないで中へ入ったら?」
「誰がケダモノくんだ。誰が」
「君の事をいっているんだけどね。まったく油断も隙もないよね」
ゆっくりと旭日の方へ歩み寄りながら、壮介は肩をすくめた。
「覗き見するような悪趣味なやつにどうのこうのと言われる筋合いは無い」
「枝真をお風呂に誘いに来たら君がいたんだよ」
「風呂に誘いに……?」
旭日が、怪訝そうな顔をする。
「枝真は、指のやけどでお風呂場では色々と不便だろうと思ってね。今日は俺が手伝ってあげようかと思ってさ」
どこから取り出したのか、壮介はヒョイと洗面器を抱える。
洗面器の中には、タオルやアヒルのおもちゃ石鹸など入浴グッズが揃っている。
みるみるうちに旭日の顔から血の気が引いていく。
「……おい、お前ちょっと待て」
「それじゃ、ケダモノくん。俺は今から枝真のあんなところやそんなところを入念に洗ってきてあげるつもりだから。邪魔しないでね」
さわやかな笑顔を一瞬見せると、壮介は踵を返して風呂場を目掛けて走り出した。
――どっちがケダモノくんだよ!!
「てめえ! 待て壮介!」
旭日も壮介を追いかけて、風呂場へ走り出す。
バタバタとリビングを駆けていく壮介と旭日を、ゲームをしながら横目で見ていた春樹が驚いたように声をあげる。
「あれ?! 兄ちゃんたちお風呂は今、姉ちゃんっ……」
春樹の声も虚しく二人は既にリビングを出た後だった。
「あー……。お風呂には今、姉ちゃんと静姉ちゃんが入ってるって言おうと思ったんだけどなぁ……」
ため息をついた春樹は「まあ、いいか」と再度ゲームへ視線を戻したのだった。




