陽だまりのベル's
からんころん。
かわいい音を立てて、扉のベルが音を立てた。
扉の上についた、来店を告げる小さなベル。寄り添うように、二つ、ついている。
パタン。閉じた扉が、まだ冷たい初春の風から私を守り、変わって暖かな店の空気が出迎えてくれる。
「陽だまり」という喫茶店――私の、私達の行きつけの喫茶店。
大通りからは少し外れた、人の通りは少ないけれど、春の暖かな陽の差す道にあるお店。
私的にケーキと紅茶がかなりお勧め。
「いらっしゃい」
背の高い、やさしそうな雰囲気のお兄さんが笑顔で迎えてくれた。年齢は二十歳をちょっとすぎた感じで、黒のエプロンと、白いまっさらなシャツが清潔感を感じさせる。
ケーキや紅茶の味と並んで、私のお気に入りポイントの一つ。
待ち人を探して席を見渡す。温かみのあるクリーム色の壁紙と、木色の店内。カウンターには白いベルフラワーの花が咲いていた。
あまり広くはない店内なので、目当ての人はすぐに見つかる。
今日は珍しく他にお客がいないようで、窓際の奥、人気の席に座っていた。
「すず」
私を呼ぶ声。ぶっきらぼうで、何度も何度もその言葉を繰り返して、淀みのない発音。
「かねと」
彼を呼ぶ私。ほんの少し、甘いものが混じってしまったかもしれない。
かねと…鐘人は私の弟で、鐘人は私の兄でもあって。
私は鐘人の姉で、私は鐘人の妹でもあって。
双子の私達は互いを兄や姉と呼ばないで、互いを名前で呼び合っている。
からんころん。扉のベルが鳴りあうように。
それはそうと、椅子に座るついでに日直の私をおいてさっさと一人でここに来た、 鐘人の足を踏みつける。
痛ェ!!とか普段なら騒ぎ出す鐘人だけれど、今は顔を引きつらせて笑うだけ。
「あら、鈴ちゃん、いらっしゃい。注文は決まってる?」
「あ、はい。日替わりケーキセットを、紅茶で」
かしこまりました、と微笑む綺麗な女店員さん。
さっきの男店員さんと合わせて、「陽だまり」二人きりのスタッフ。
鐘人は既に注文を済ませていたようで、机には半分くらいになったカフェオレが、暖かな春の日差しを受けていた。
机には参考書と書きかけのルーズリーフ。
勉強も、痛みに耐えるのもすべては彼女にイイトコみせたい見栄のため。
その証拠に彼女が背を向けたとたん、鐘人がキッ!!と私を睨み、私も鐘人を睨み返す。
仕方がないなぁ、という感じで、イケメン店員さんに微笑まれてしまい、思わず私は赤面する。
男の店員さん…というか、店長が、 鈴梨 明さん。女の店員さんが、 鈴梨 明菜さん。
そう。「陽だまり」は、世にも珍しい、双子の美人兄妹の営む喫茶店なんだ。
似てるなぁ、似てるなぁとは思っていたけど、双子だって教えてもらった時には本当びっくりした。双子の私がびっくりするのもアレだけど。
「双子って、いや、双子を産む親っていうのは実は新人類なんじゃないか?」
なんて、いつだったか鐘人は言った。確か、そう、二人が双子って聞いた、少し後の事。
新人類?と思わず首をひねった覚えがある。
「ほら、双子って人間だと珍しいけどさ、犬とかなら当たり前だろ?だからさ、そのうち人類も一人で産まれるほうが珍しくなってくる時代がくるとか。高年齢化社会くるんだろ?それ対策とか」
「バカ、犬が例えじゃ退化みたいじゃない」
「あ」
まったくもう、と私は呆れて。
おっかしーな、と鐘人は首をひねった。そんないつか話した思い出話。
第一、そんな程度で新人類なんて――それじゃ成長と大して変わらないように思う。
子供な部分がまだ抜け切らない鐘人だから、自分は特別…みたいに思いたかったのだろう。
まだ子供、という部分は私も似たり寄ったりだけれど。
いそいそと、出し忘れていたらしい参考書を取り出す鐘人。鐘人に倣ったわけじゃないけれど、私も勉強道具を鞄から取り出していく。
まだ春ではあるけれど――それでも、今年の冬になったら受験があって、私も鐘人も進学希望。なんだかんだ逃げていた、苦手な歴史も克服しないといけなくなった。
正確に言うと歴史と地理と英語と数学と国語だけど…細かいことは気にしない。
本当、鐘人は明菜さんの前では見栄っ張り。普段勉強なんかしないのに。
それとも、本当に…県外の大学に進学を考えているのかな。
鐘人の偏差値では難しいはずの、第一志望。
記念受験だ、なんて笑っていたくせに。
「そういえば、君達も受験生になったんだね」
明人さんの柔らかな声。紅茶の香りが帯を引いて。
カチャ、と小さな音を立てて置かれたカップはシンプルだけど、紅茶の赤を日差しがキラキラ彩った。
「ケーキは今すぐ食べる?それともひと段落してからがいいかな?」
私は少し悩んでから、後でお願いします、と頼んだ。
きっとケーキに夢中になってしまうから。
私だって、成長するんだ。前はケーキに夢中になって、勉強が手につかなくなってしまったから。
紅茶を一口。冷たい風で冷えた体を温める、深い味わい。
思わずうっとりとしてしまう。
からんころん。
来店を告げるベル。明菜さんの出迎えの声。
ふとっちょのおじさんとふとっちょのおばさんが、短い足をちょこちょこ動かして席に座る。
「おごってね兄さん」「おごってね姉さん」
いやだ!いやよ!とお互い言って、ふん!と顔を背け会う二人。
思わず、パチパチ。
私は鐘人と、明菜さんは明さんと顔を見合わせて瞬きする。
また双子。ふとっちょの二人も妙な雰囲気に気がついて店内を見回して、
「あら…?」「うん…?」
と首を傾げてから、
「日替わりケーキセットをコーヒーで」
二人同時に肩をすくめて同じものを注文する。
ぷ、と鐘人が噴出したので、もう一度足をふんずけておく。
「――ッ!!」
そしてまたにらみ合う私達。
キリがないのでため息をついて諦めた。同じタイミングで鐘人も諦めたようにため息一つ。
こんなところで、双子なんだなぁ、って実感する。
私達の顔はまだずいぶん似ているけれど、それでも昔ほどは似ていないように思っていたから。
もしかしたら、あのおじさんおばさん達も、そういう部分で双子と実感しているのかも。
もしかしたら、あのおじさんおばさん達も、昔は仲が良かったのかもしれないし。
だとしたら、私達もいずれはあぁなってしまうのか。今だって――仲がいいってほど、いいわけじゃないし。
それは、いやだなぁとそう思った。
気持ちが沈みそうになったので、それはともかく、勉強だ!と気持ちを無理やり切り替える。
横文字の、なんとか何世のなんとかいう活躍を記憶に焼き付けないと。
それなのに。
ケーキの甘いにおい。明さんがケーキを運んでいくのが視界に入って。
おじさんとおばさんに運ばれていくケーキに思わず意識がそちらにいっちゃって、くく、と鐘人に笑われた。くそう。
もう笑われないように、ルーズリーフにシャーペンを走らせる。黒くて、ピンクの線で蝶が描かれているシャープペン。少し使いにくいけれど、お気に入りの。
垂れてきた髪を耳にかけなおす。上目遣いに見上げた明は、私と同じ顔で物憂げに考え込んでいた。
きっと、しょうもないことを考えてるんだろうけれど。
なんて思いながら、視線はなかなか外せない。
ナルシストなのかな、私。
たまにそんなことを思う。
鏡を見つめても何も思わないけれど。
鐘人を見つめてしまうときがあって。
知らずに止めていた息を吐き出して、ルーズリーフに視線を戻す。
つまんないことを考えている間に時間は進んで、受験が迫る。私にとっては、受験も大学も憂鬱に感じるばかりだけれど、だからって浪人したいわけじゃない。
はふぅー、と。幸せそうな吐息が聞こえた。
あの双子のおじさんおばさん達が、やっぱり同時に満足げなため息を漏らした音。
仲がいいのか悪いのか。
鐘人じゃないけど、思わず笑ってしまいそう。
からんころん。
来客を告げるベル。
よく似た美人の母親二人と、よく似た男女の子供二人。母親二人は席に座って、何か深刻そうな話を始めて、子供二人は仲良く手と手を繋いで、ショーケースのケーキに瞳を輝かせている。
…また双子とか?
鐘人の双子新人類説がちらっと脳裏で顔を出す。まさかね、なんて思いながら、子供のほうへ視線を移す。
手と手を取って、ガラスケースに手をつけて。
鐘人と手を握っていたのなんて、いつまでだっけ。
受験に急かされて、最近は会話も減ってきた。子供の頃はいつも一緒が当たり前で、今となっては一緒じゃないのが当たり前。
私は手を繋ぐのが好きだったから、小学校のころはよくつないでいた覚えがあるのだけれど、中学校の頃はケンカばかりしていた気がする。
きっかけは――なんだっけ。
確か、雨の日で。
びしょ濡れになって、家に帰ってきた日で。
あぁ、そうだ。
雨にぬれて、ずぶ濡れになって、そのときだ。
そのときに、透けた服をみて、鐘人は私と違うんだ、と。なんだか唐突にそう理解した。
あのとき確かに私の中で何かが変わってしまって、あのときから、鐘人は私に手を差し出さなくなったんだ。
だから。
あの日以来、私は鐘人と手をつなげなくなってしまった。
紅茶を飲む。冷めてぬるくなった紅茶。砂糖、入れ忘れてた。今入れたら、もう遅くて――溶けずに残ってしまいそう。
もう勉強って気分じゃなくなっちゃった。
シャープペンシルは滑るけど、ルーズリーフに描かれるのは小さな鐘の落書きだけ。
教科書をぺらぺらめくる。目の前で怪訝な顔をする鐘人。ぺらぺらとめくられるページの途中、スウェーデンの文字が目に入る。
シャーペンで丸を描いて、消しゴムで消した痕のある――国の名前。
異母の兄妹なら結婚ができるらしい国。勿論、私達には無理なのだけれど。
それでも、昔。日本では兄妹で結婚ができて。
今ではできなくて。
近親同士で産んだ子供は、先天性の病気や障害が起きやすくなるそうで。
それを発見して、それを禁止することが、きっと普通は正しいことなのだろう。
いろいろ調べて、危険を避けて。
過ち、なんて言葉にして。
それが、人間の――
ふいに、影が差した。
「すず」
鐘人が立ち上がっていた。なんだろう、とちょっと呆然とする私に、手を差し伸べて。
無意識に、その手を取っていた。いつかの、そう、子供の頃みたいに。
ぽろ、と。
涙がこぼれていたのに気がついたのは、今更になってから。
鐘人がてきぱきと荷物をまとめて、私のかばんも持って、会計に行く。私と手を繋いだまま。私は鐘人に引かれるまま。
両手がふさがった鐘人は財布を取り出せず、諦めて鞄を落として会計を済ませる。子供達が、その母親達が、不思議そうに私達を見て、明さんと明菜さんは、心配そうに私を見てくれた。
落ちた鞄を鐘人が拾って、また歩く。
何も言わずに。引かれた手が、少し痛い。
それでも、繋いだ手を離したくなかったから、黙っていた。
ただ、ケーキたべそこねちゃった、と。そんなことを考えていた。
「すず、大丈夫か?」
真剣な目で鐘人が私の瞳を覗き込む。
瞳の中には私だけが写っていて、吸い込まれそうになる。
そういえば…私に何かあると、鐘人はいつもこうしてたっけ。
こうして、私だけを見て。どうしたんだ?とか、大丈夫か?と。
最近は――手を繋がなくなったあの日から、こうしてもらった覚えはないけれど。
ぽろ、とまた、涙が零れて。
あぁ、昔からこうだったなぁ、と思い出す。悲しくて流していた涙が、うれしくなって、また零れて。
そうして私はいつも泣いていたような気がする。
「変わんないね」
思わずつぶやいた一言に、鐘人は不思議そうな顔をした。
「そんな事ないだろ」
「そんな事あるの」
怪訝な顔をする鐘人の胸を押して、離れる。
繋いでいた、手を離して。
不思議そうな顔。
そういえば、いつも私、自分から離れることはなかったっけ。
こんなところが変わったって…意味がないのに。
黙った私を見て、鐘人はわしわしと頭を掻いて。
「例えばさ、」通りがかりの猫をひょい、と鐘人は捕まえる。私と一緒で、頭は悪く運動神経ばっかりいい。「この猫が突然しゃべりだしたりとか」
「ないない」
涙をぬぐいながら首を振る。笑顔を私は、作れたかな。
「そんなトンデモ変化なわけでもなし、誰でも変わってくもんだって」
笑う鐘人。私もたぶん、笑えていた。
にゃぁ!!とやっぱり猫は人の言葉なんてしゃべらずに、鐘人の手を引っ掻いた。
「いって!!」
なんて鐘人が叫ぶ間に、するり、と鐘人の腕から黒猫が逃げ出して、私の足の間をすり抜ける。思わず足を上げたらバランスが崩れ、私は鐘人にしがみつく。
当の黒猫は、あっかんべーでもするかのように。一度だけこちらを振り向いてから逃げてった。
「変わってくもんなんだよ」
それを見送って、鐘人は無理やりそうまとめた。
まとまってるのか、まとまってなんかいないのか。
ドラマみたいな台詞なんて、思いつかない私達の。
鐘人の出した無理やりの答え。
バカ。
私が欲しいのは、変わらないって言葉なのに。
本当に――バカ。
「っていうか、いつまでしがみついてんの」
「…腰、ぬけた」
私はそういって、自分の顔を鐘人の胸におしつける。
落ち着く匂い。双子なのに、私とは違う鐘人の匂い。
「マジか」
嘘だよ、バカ。
もちろん、そんなことは言わないまま、ちょっとだけこうしてて、とそう言った。
しょうがねぇなぁ、と鐘人が言って。しょうがないの、と私が言った。
冷たい春の風が吹いている。鐘人の手は、私の背中に回らずに、私の頭を優しくなでた。
もう少しだけ、歩かずに。
もう少しだけ、この陽だまりの中にいたい。
鐘人のにおいに、鐘人の胸に自分の全てをうずめるように。
私は子供で。
鐘人の手を、ずっと握っていたかった。