NDA06
初戦闘です。
見渡す限りの平原。ユーリが初めてエンカウントしたモンスターは雑魚の代名詞、スライムだった。ドロドロとした半透明の泥のような体のモンスターにユーリは躊躇うことなく、サーベルを振りかざす。研ぎ澄まされた刃は容赦なく、スライムの体を切り裂き、そして、スライムは光の粒となって消えてしまった。たった一撃でスライムはやられてしまった。
「うーん、なんつうか、あっけないな」
初めてモンスターを倒したにも関わらず、ユーリの顔は晴れない。
「まぁ、スライムだし、初心者用のエリアだからね。素手でも倒せるくらい弱く設定してあるから、そう感じるんだよ、」
ノエルの矢が他のスライムを穿ち、同じく、スライムが光となって消えていく。素手でも倒せる、というのは誇張でもなんでもない。STRの高いドワーフや竜人なら、素手でも一撃で倒せてしまうのだ
「それにユーリの武器も優秀みたいだしね」
続けざまにノエルが矢を放つ。真っ直ぐに飛んで行った矢は見事にスライムを貫いた。
「でも、なんていうか……」
表情が冴えないまま、ユーリは剣を振るう。カイによって攻撃力も強化されているサーベルは非力なエルフが扱っても十分な威力を持ってスライムを屠った。一つにまとめられた髪がふわりと風に踊る。
「手ごたえなさすぎ」
返しの剣で最後のスライムを切り裂いて、ユーリのNDAでの初戦闘はあっという間に終わってしまった。
「強い敵と戦いたいならいくらでも連れて行ってあげるけど、今はゲームに慣れる意味でもここでレベリングしないと」
「まぁ、それはそうなんだけどさ……なんか落ち着かなくて」
ノエルと合わせてスライム5体を瞬く間に片付けてしまったユーリは辺りを見渡す。『始まりの平原』という名前の通り、初心者向けのエリアでユーリ達の他にも多くのプレイヤーがレベリングをしている。ほんの数十m先でも何組かのプレイヤーがスライムや兎相手に戦っている。しかし、時々、その視線がちらりちらりとこちらを向いてくるのだ。見られることに慣れていないユーリはその視線が気になって仕方がない。
「まぁ、エルフが剣を振るってたら誰だって驚くわよね」
見られることに慣れているのかノエルは特に気にした様子も見せない。しかし、ユーリは違った。
――――いや、あの視線は違う。驚いてる目じゃない
ユーリの口からため息が漏れる。男性プレイヤーの視線には間違いなく、色めいた感情が混じっていた。ユーリも男であるため、プレイヤーの気持ちは理解できる。美女二人を前にして、そういった気持ちを微塵も抱かないことはまず、無理だ。おそらく、フランが仕立てたであろうノエルの服は体のラインにぴったりと沿うもので、女性の持つ曲線美を際立たせ、開いた胸元は嫌でも男の視線を集める。無論、容姿も相応に整っているのだから人目を惹かないはずがない。ユーリ自身の容姿については言わずもがなである。
――――あぅ……頭ではわかってるのに、割り切れない……
ユーリ自身、ゲーム内での容姿については既に半ば諦めていた。少なくとも、容姿の変更ができるようになるまでは、女に見られることは我慢するつもりでいたし、その覚悟もあった。しかし、男性プレイヤーの好色に晒されて、その覚悟はあっさりと砕け散った。客観的に考えれば、男性プレイヤーの気持ちはユーリもよくわかる。もし、ユーリが逆の立場だったら、そういった感情を一切抱かないという自信はない。
――――だけど、これは無理。生理的に無理……
ユーリはゲイでもなければ、バイでもない。同性からの色欲の滲み出る視線は不快以外の何物でもなかった。もし、この視線に攻撃判定があったならば、ユーリのMPは間違いなく、危険域に達していた。
「……男のチラ見は女にとってはガン見って言葉の意味がなんとなくわかった気がする」
ぼそりと呟いたユーリの言葉はノエルの耳にはもちろん、男性プレイヤー達にも届くことなく、風に流されて、消えてしまった。
・*・
その後も二人は難なく、敵を倒していき、2時間ほど経った頃には兎と狐のドロップアイテムである【毛皮】もかなりの量が溜まっていた。ドロップアイテムは一種類につき、10個までと制限がついていて、二人とも既に所持限界を迎えていた。
「さて、そろそろこれを売りに行きますか」
アイテム欄の毛皮を見ながら、ノエルはにやにやと笑みを浮かべている。
「これってやっぱり、生産職の人に売るのか?」
生産職はモノを作る為の素材がないと何もできない。その為、自分自身で素材を集めに行くか、生産職はNPCやプレイヤーから買わなければならない。
「えぇ、そうね。NPCでもいいけど、私は基本的にフランかテツに売ってるわね。あ、テツっていうのはベータ版テスターで鍛冶職してる子ね。今回は毛皮だし、フランの所に持っていけばたぶん、買い取ってくれるわよ」
「じゃあ、俺もそうさせてもらおうかな」
カイに売ろうかとも考えたが、毛皮はおそらく買い取ってくれないだろうとすぐに諦めた。
「じゃあ、フランに毛皮を売ったら、一旦ログアウトして、少し早いけど夕飯にしましょうか」
・*・
フランに手持ちの毛皮を全て売ってからログアウトした有理は起き上がって軽く肩を回してみる。ぼきぼきと音がした。そして、壁にかかっている時計をみると午後6時を回ったところだった。
「えーと、12時にサービス開始するからってことでログインしたのは11時くらいだから、えーと7時間弱ずっとゲームしてたことになるのか。あんまり、実感ないな」
ゲーム内の時間進行は現実世界とリンクしている。有理はサービス開始の1時間ほど前にログインしたので、およそ7時間をゲームの中で過ごしたはずなのだが、その実感は薄い。軽く手足を動かしてみるがゲームの中の変わりはない。
「VRってすげぇんだな……」
一度体験してみたからこそ、その凄さがわかる。ゲームの世界はまだファンタジー色が強いので、現実と区別することができるが、もし、あれが近代的な街並みであったなら、どちらが現実なのか錯覚してもおかしくないほど精密に再現されていた。。
「有理、開けるよ?」
コンコンとノックする音に続いて姉、有紀の声がする。
「どうぞ」
扉が開いて、有紀がひょこんと顔を出す。肩口で揃えられた髪がふわりと揺れる。ゲームの世界では背中の中ほどまで髪を伸ばしているノエルこと有紀だが、現実の髪型はショートボブだ。
「お母さんいないから、簡単なものでもいいよね?」
「うん、ノエ、じゃなくて姉さんに任せるよ」
「了解。すぐに作るから待ってて」
有理の家族は姉、有紀の他は両親の二人で、合わせて4人家族だ。しかし、父親は単身赴任で、母親も子供たちが大きくなってからはパートで働いているため、姉弟二人きりでの食事というのはそれほど珍しいことではない。有紀は慣れた手付きで冷蔵庫の中を漁ると手際よく食事の準備をしていく。
「そういえば、ゲームの中に【料理】ってスキルがあったんだけど、ゲームの中だと料理はできないの?レストランとかあるって言ってたけど、あれって現実だと食べたつもりになるだけなんだよね?」
「あ、うん、そうだね。料理自体はスキルがなくてもできるよ」
味は材料とプレイヤーの技術次第だけどね、と付け加えながら、有紀はリズムよく野菜を刻んでいく。
「で、スキルで作った料理には制限時間付のステータス上昇とか解毒とかの効果がつくのよ。あと、美味しい。まぁ、あそこの食事は実際には満腹感だけしかないから気を付けないといけないけど」
曰く、ベータ版をテストしているときに、ゲーム内の食事しか取らずに体調を崩したプレイヤーが何人もいたらしい。
「スキルレベルが上がれば作れるレシピも増えるし、付加できる効果もよくなるんだけど、他の生産職の方が需要も高いから、あんまり料理専門のプレイヤーは見かけないけどね」
有紀はそう言いながら、フライパンに野菜を入れて炒めていく。
「まぁ、確かに……」
「有理、もうすぐできあがるからお皿出して」
「あ、うん。ちなみに、この後はどうするつもり?また平原でレベリング?」
食器棚から皿を取り出して、食卓に並べていく。
「そうだね。それでもいいし、酒場に行って情報収集してもいいし、ログインしてから考えようかなって思ってた。ちなみに、夜の平原には狼が出るからね。一応、あそこで出てくるモンスターの中では一番強いかな。【毛皮】の他に【狼の牙】っていうレアドロップもあるんだけど、鍛冶職の人にはいい値段で売れるよ」
「うーん……俺、もう少しレベル上げたいから平原に行く」
「お、いいのかい?遊んでる暇なんてないんじゃなかったのかい、受験生君?」
有紀がにやにやと笑いながら有理を見る。しまった、と思った有理だがもう遅い。
「いいよ、今日や明日、勉強しなかったからってすぐにどうなるわけじゃないし……」
元々、ゲームに興味があったうえに、そのゲームを体験してしまったのだから、もうあと後戻りはできなかった。もっと、ゲームをしたいという欲求はいとも容易く、有理の心を取り込んでしまった。幸いなことにこの土日は何も予定が入っていない。明日までは思う存分、ゲームを楽しむことができる。月曜日以降についてはまたその時になって考えればいいや、と有理は呟いた。
――――もし、この時、欲求に負けずに受験勉強をしていれば……
俺がそれを後悔するのはもう少し経ってからのことだ―――
はい、初戦闘とは言いながらあっさり終わってしまいました。
本格的な戦闘はもう少し後になります。
それでは、次回もお楽しみに。
皆さんからのご意見。ご感想をお待ちしています。
ではでは。