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プロローグ  作者: 梅雨子
6/8

6.序章

.



 一瞬だった。

 瞬く間に衝撃が走り、気がつけば床に倒れたまま起き上がれない傷を負っていた。上半身を支えていた腕は崩れ、否応なく横たわる。

 浅くなる呼吸。そんなレラとは逆に、目を血走らせながら荒い息を繰り返す、目の前の兵。

 兵の手には、血に塗れた長剣が握られている。剣先から一滴、また一滴と床に落ちる血は、レラのものだ。

 身体が痛い。傷は熱いような感覚すらする。内臓がやられたのか、コフ、と咳をすると同時に、血が喉の奥からこみ上げた。

(死ぬんだなぁ……)

 ぼんやり想う。

 首をめぐらせば、チェダーも同じように倒れていた。しかし、急所をつかれたのか、チェダーはわずかなりとも動かない。

 悲しくて痛くて悔しくて、涙が目尻からこめかみを伝った。

 ――回る運命の歯車。何度同じ体験をしても、慣れることはない。

 ――いっそ狂ってしまおうか? そう思うほどに、心は疲れていた。

 ――それでも、レラは何度でもパルメに出逢いたいと思う。そして、運命はいつだって変わらない。

(残酷な神様……貴方の御心のままに)

 皮肉るように口を歪めて笑った。


 魔女の力を見て、衝動で剣を振りおろした兵らは、魔女を捕らえるという命の失敗と、けれど生きながらえることはかなった安堵に嗤い出す。

「この化け物がオレを殺そうとしたからだ! 仕方ない!」

 叫んだ兵に同意して頷く、別の兵。

「もう一人いるんだ、そいつを捕らえればいい」

 レラは霞み始める視界の隅で、狂気に駆られた彼らを見つめ、憐れに想う。

 返り血を浴びた姿。そんな彼らを、近くにいた町人は震えながら佇んでいる。

 兵の目は暗く澱み、どこか揺れていた。まるで、麻薬をやっているような、そんな濁った目だった。

 ――もしかしたら、彼らは既に狂っているのかもしれない。

 ――レラとチェダーを殺す運命にある兵らは、皆死ぬ宿命なのだ。

 ――彼らを見るに、死を覚悟してここまで来たわけではなさそうだ。ともすれば、絶対神の決定には逆らえず、国の命令にも逆らえずここに来たのだろう。

 ――生物の本能である、”生きたい”という欲求。彼らは……。

 コン、とレラは咳を再びする。今度は口内にとどまらず、臓腑から溢れる血液が外へと吐き出された。

 口端から流れる血。

 身体からも流れるそれに、床は赤の面積を広げる。


 そして、突如、チェダーの魔法によってあけられた床穴から人が現れた。

 パルメだ。床板は外れる場所が限られているが、床下はつながっている。ゆえに彼が、そこから躍り出たのだ。

 兵らの注目を集めながら、パルメは一目散にレラへと駆けた。

 レラは瞳に映る兵らが、パルメの登場に絶望の色を顔に宿したのを見やる。ついで視線をパルメへと移した。

「レラっ」

 悲痛な声で名を呼んだパルメは、レラのつくった血溜まりに躊躇うことなく膝をついて抱き起こす。

「レラ」

 眉宇を顰めながら、涙を堪えるように何度も彼は名を口にした。

 レラはパルメの姿に目を細め、ふと、違和感を覚える。

 あれ? と思った。前回、それだけではないこれまでの運命でも、パルメは祖母とレラの血に塗れた姿を目の当たりにした。彼はチェダーの死に衝撃を受けながらも、レラへと駆けつける筈なのだ。

 しかし、今回はどうだろうか。

 パルメは、真っ先にレラのもとへと飛んできた。パルメはレラを離さず、それは身体だけではなく、視線も。

 おかしい、と思いながら、けれどレラは失っていく血ゆえに頭の働きが鈍くなっていくのを感じた。

「レラ、レラ、レラ……」

 どんどん掠れていくパルメの声は、喉の奥で唸るように紡がれる。


 ――パルメの初恋のひとである、レラ。

 ――彼女の死が、物語を動かす。


 涙ぐむパルメは、レラの首筋に顔を埋めながら、ぽつりとなにかを呟く。

 すると、一瞬の内にレラの視界は光に染まった。

 それは、チェダーが兵を一人、塵にした時と同じ光。

 戦の神の、魔法。

 レラにはなんの音も聞こえない。ただ、失明するような青白い光が眩しくて、チェダーの時と同じように目を瞑って耐えた。

 水の中に潜った時に似ている。髪が揺れる感覚、膜が張ったように音が聞き取れない。


 しばらくして光がやんだ頃、レラが目を開ければ、そこに家はなかった。レラとパルメのいる場所を円の中心にして、丸くくりぬかれたかのように床が残されている。

 レラを抱きしめるパルメの力強い腕。

 彼の肩越しからは、チェダーの亡骸が見えた。

 ――毎度の運命と、同じ。

 ――兵らと町人は塵となり、レラとパルメ、チェダーを除いて、辺りは無に帰す。

 レラが起き上がることができたなら、遠くに残された森を見る事ができるかもしれないが、今の彼女にはかなわない。どれだけの範囲が土だけのまっさらな土地と化したのかわからない。

 ただ、やはり運命は変わらないということだけ、レラにはわかった。

 パルメの熱い吐息が首筋にかかり、こそばゆい。今、彼がどんな表情を見たいけれど、レラは知る事ができない。それでも、彼の言葉で想像した。

「レラ、言ったじゃないか。一緒に笑っていたいって。それが、夢だって」

 パルメだってレラの運命を知っているはずだ。だからレラは”将来像”ではなく、”夢”として語ったと、気づいていたはずだ。それでも、パルメは悔しさを滲ませながら、レラをどこか責めて、嘆く。

(置いていく者と、置いていかれる者、どっちが辛いかしら?)

 レラは両親を失っている。そうして今、置いていく立場となった。どちらも辛いが、置いていかれる者は”置いていかないで。死なないで”という願いが叶う事はない。しかし、置いていく者は、”自分がいなくなっても、生きて”という願いが叶う可能性は高い。ともすれば、置いていく方が、夢を見られるかもしれない。

 レラはパルメの頭に頬を寄せ、囁いた。

「……でも、生きて、ね」

 ――繰り返す時間の中、いつだって葛藤はあった。パルメと出逢わなければ、恋に落ちなければ、若くして死ぬ事はないのではないか、と。

 ――だが、そうはできなかった。

 ――結局、レラはどんな未来が待っていても、パルメとまた逢いたいと願ってしまうのだ。

 ――最期に”愛している”と告げたなら、彼を縛ってしまうだろうか。

 レラは口元を綻ばせた。

(だから、”愛している”のかわりに――)

 ――レラは何度だって、この言葉を紡ぐ。

「生きて」

 レラの儚い声は、余韻を残さず空気に溶けた。


 ――定められた運命がある。

 レラが死ぬ事で、パルメは英雄への道を歩むのだ。

 今は、そのきっかけの時。

 パルメが英雄となるために、レラは何度だって死ぬ。


 レラの首筋から顔を上げたパルメは、悲愴な面持ちをしていた。必死に涙を堪え、顔を顰める。 

 レラは目を細め、穏やかに表情を和らげた。


 ――この後の展開を、レラは知っている。

 レラを失い、しかしレラの「生きて」という遺言ゆえに、死ぬように生きるパルメ。これまでの彼が嘘のように。生ける屍のように。

 ――そして、しばらくして国を憂う者に出逢う。

 貴族のために戦を起こし、多くの民の命を犠牲にし、挙句魔女をすべての災厄の根源と称して狩り、戦に利用する国。そんな国を憎む、反逆者となったかつての為政者との出逢い。

 彼に共感し、復讐を胸に、パルメは先導者となる。

 やがて、仲間が増えに増え、革命軍が誕生する。

 民はパルメらの味方をし、武器や食料の支援をする者も現れる。

 ――結末は、決まっている。

 国王は倒れ、彼を討ったパルメは英雄になるのだ。


 ――だから、レラは死ななければならない。


(好きよ。愛してる。自分の死も厭わないくらい)

 この命を失くしたとしても、またパルメに逢えるのなら、レラは死ぬ事を享受する。

 何度も繰るわずかなパルメと過ごす生は、レラにとっての幸せなのだ。後悔するなど、ありはしない。

 パルメはレラの頬にかかる黒髪を耳の後ろへ梳きやる。次いで、彼女の身体を片腕で支えながら、もう片手で頬を包み込んだ。


 ――レラは、最初で最期の口づけの後、命を落とす。


 知りながら、レラは瞼を下ろす。

 ゆっくりと、パルメの唇がレラのそれに触れる。レラの体温より高い熱。柔らかい感触。

 啄ばむような口づけは、パルメのレラに対する愛執を示すようだった。

(……幸せだなぁ)

 本当は、もっとこの幸せを感じていたいけれど。これで、時間切れ。

 レラの血がついたパルメの唇を眺めた。端整な顔立ちをしているパルメだが、赤く色づいた唇は艶冶な魅力を放つ。

 そんなパルメに見惚れながら、レラは絶対神の定めた運命に従う。

(私は、笑むの)

 そうして、心から幸せだと伝わるよう、唇に弧を描く。

(次に、貴方は涙を流すの。顔をくしゃくしゃにさせて)

 ――それが、絶対神の定めた運命。

 ――パルメが英雄になるための、要所。

 ――だが、しかし。

(……え?)

 レラは目を見開いた。

 これまでの運命で、レラとの別れにパルメは身を引き裂かれる想いを表情に浮かべていたのだ。涙を幾筋も、流していたのだ。

 けれど、今の彼は――妖艶に、口角を上げている。

 まるで、絶対的な者に、挑戦を挑むかのごとく。

 彼は、呟いた。

「――こんな世界、壊してしまおう」

 そう言った彼は、神々しいまでの美しい笑みを浮かべる。ついで、くつくつと喉の奥で笑い、そっとレラの身体を両腕で包んだ。

「君がいないのなら、こんな世界、救う価値もない」

 ――それは、絶対神の定めた運命とは異なる展開。

 死が近いレラは、言葉を紡ぐことができず、ただただパルメを見つめ続けた。

 そして、気づく。

(……パルメも、私も……この世界の誰もが、少しずつ、狂ってたんだ)

 繰り返す運命。迫り繰る恐怖と死。これが狂わずにいられるだろうか。誰だって幸せになりたい、そうして死んでいきたいのだ。

 レラは悟り、力なくパルメに身を委ねた。もう、残された時間はほとんどない。身体に力を入れることもできなかった。

 浅い呼吸を繰り返し、耳だけは澄ませる。

 願うことは、来世でのパルメとの再会、そして今世でのパルメの幸せ。

 耳元で、パルメがそっと耳打ちする。

「僕は、いずれ誰よりも、なによりも強くなる。――だから、少しだけ待ってて」

 その声を聞き届け、レラの命は尽きた。




***   ***   ***




 ――レラがパルメの言葉の意味を知るのは、次の生の時。

 ――もう、レラは早世しないし、パルメが英雄になることもない。



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