5.序章の始まり
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噂がある。
薬を求めて来た町人が教えてくれた、噂。
町人は、魔女狩りが始まっているという。
――それは、絶対神が仕掛けた伏線。
今、国の至るところで魔女による不幸が起きているそうだ。
教えてくれた町人は、その噂を信じていないと言った。だから、チェダーやパルメ、レラにその噂を教えた。
だが、信じる者も少なからずいる。魔女を恐れる者がいる。
大切な人を失った者は、その死を魔女のせいにした。
病魔に侵された者は、その病を魔女のせいにした。
続いた日照りも、その後の豪雨も。いまだ続く戦で敗戦続きなことも。
すべてすべて魔女のせい。
そう断言したのは、権力者だった。国民が抱く国への不信感や憎しみを、魔女へとすり替えた。
そして、権力者は魔女狩りによって人々から魔女の情報を得、彼彼女らを捕らえる。
その捕らえられた魔女たちは――戦に駆り出されるのだ。
負け続きの国。もう、騎士や傭兵は疲れきっている。それでも、勝たねばならない。
新たな戦力は、魔女。魔法によって、敵兵を蹴散らすための駒。
それが、魔女狩りの正体だった。
*** *** ***
畑に撒くための水を汲むため、レラは川へ向かう。
川へは、小道から外れて草むらを歩かねばならない。
まだ昼前だが、辺りはいつもより暗く、空を見上げれば、太陽に雲がかかっていた。
不思議と背筋を這うような寒気を感じ、早々に水汲みを終えようと思う。ゆえに、足早に草むらをかき分けて川を目指した。
レラが川まで目前と迫った時、耳が音を拾う。
鳥の慌しい羽音と――。
(馬の蹄?)
音からすれば、速度は遅い。数も少ない。それでも一、二ではない。
レラは息を呑む。察したのだ。
(……今日、なんだ)
冷や汗が背筋を伝った。全身から血の気が引き、身体は小刻みに震える。
(今日が、運命の日なんだ……!)
動揺に息が詰まる。焦燥に頭の中が真っ白に染まった。
――運命の日は、正確に決まってはいない。季節や時期はあるものの、日時が定まらないから、対策を練ることもできない。
あれは、何度目の人生の時だっただろうか。
レラはパルメやチェダーと共に、前もって違う森へと逃げたことがあった。
けれど、そこでも毎度の運命と同じように、魔女狩りにあう。
そうして、いつだって運命は変えられないと身をもって知った。
だから、レラは運命を諦め、無駄なことはせずに、パルメと過ごす時を大切にするようになったのだ。
――決め事。絶対に大切な人に”嫌い”と言わない。
いつか、必ず後悔するから。
――そして今、レラは運命の日を迎える。
――今日は、レラが死ぬ日。
レラは水桶を抛り、身を翻す。
いつもは小道を歩くが、それは遠回りになる。草むらを分け入って家まで向かえば、草による傷をたくさん拵えることになるけれど、家まではすぐだ。
多少の掠り傷など、どうでもいい。レラは必死に草むらを走った。
――レラは、家に戻らなければ死なない未来もあるのではないか、と思った日もあった。
――だが、もっと酷い目にあって終わった。
――兵らに見つかり、犯され、殺される。その姿を、パルメに見られた。
どうせパルメの腕の中で死ぬ未来が決まっているのなら、きれいなままの自分でありたかった。
レラのわがままだとしても、パルメにしか触れられたくない。
その願いだけを胸に、走る。
死ぬためだけに走る自分がどこか滑稽で。でも、迷いはなかった。
変えられない運命なら、よりよい道を選びたい。絶対神の定めた運命は変えられなくても、自由にできる範囲で、最善を望みたい。
しばらく走った後、家に辿り着いたレラは、扉から勢いよく中へと押し入る。
「おかえり、レラ」
チェダーが肩を上下させて息をするレラを、目を丸くしながら出迎えた。
腰が痛いのに、壁を伝って「いってらっしゃい」「おかえり」を言ってくれる家族。大切な大切な存在。
「ただいま、婆様」
泣きそうに笑いながら、レラが答えた。
レラの心に渦巻く泣きたいほどの、未来への切望。もう、皆一緒にいられるのは、残りわずかだと伝えなければならない。それがとても辛かった。
「レラ?」
レラの異変を察したパルメが、彼女の両肩に手を置いて顔を覗き込む。
レラは青年のまっすぐな瞳を直視できず、目を伏せた。次いでパルメの手に自分のものを重ね、言葉を紡ぐ。
「……魔女狩りが、来てる」
声が、震えてしまった。少しだけ失敗した、と思いながら、レラは視線を上げてパルメを見る。
瞠目しているパルメ。そんな彼の手を両手で握り、レラは続けた。
「隠れて」
「――嫌だ!!」
刹那、パルメは怒るようにレラの手を振り払う。
「嫌だ! どうせ隠れたって無駄だ! だったら……もしかしたら、レラと婆様を守れるかもしれないだろ?」
泣きそうに顔を歪めたパルメは、どこか怒気が滲んでいた。
「パルメ……」
向き合い、レラは自分より背の高い彼を見上げる。
レラの瞳がとらえたのは、睨みながらも揺れるパルメの青い瞳。自分だけを映す空の色。しかし――そこに、仄暗さと絶望と、憎悪が秘められている気がした。
今まで見た事のないパルメの様子に、レラは見入るが、首を横に振って強く告げる。
「パルメ、隠れて」
――パルメが隠れても隠れなくても、運命は変わらないと、レラは知っている。
――それでも、レラは少しでも抗ってやろうと思う。
――腰の悪いチェダーを背負って逃げても追いつかれる。どうせ運命は決まっている。
――だけど。
(悔しいじゃない。少しでも絶対神に刃向かってやりたいじゃない。……パルメの心を守れないって知っていても……試してみるくらい、いいじゃない)
チェダーがレラの想いを酌み、ゆっくりと孫へと向かう。
パルメがチェダーに目をやると、老婆はにやっと口尻を上げた。
「パルメ、老いぼれたってわたしも魔女だよ。一人や二人、やっつけられる。大人しく守られてな」
――運命は変わらないとしても、パルメがこれから背負うはずの罪は、減らせるかもしれない。
――この生では、まだ人を殺した事のないパルメ。彼が奪ってしまう命を、少しでも背負うことができたらいい。
――それが、今のレラとチェダーの望み。
言葉を失ったパルメは歯を食いしばりながら俯いた。そして、首を横に振る。何度も何度も彼がそうしている最中に、レラは床板を外した。その音を察したパルメが顔を上げると同時に、チェダーとレラは、床下収納にパルメを突き落とす。
ドン、と重たい落下音が響く。
床下からパルメがなにかを話そうとしたが、直後の玄関扉が叩かれる音で、それは遮られた。
レラは急いで蓋となる床板をチェダーに渡し、扉へと歩む。出迎えて時間を稼ごうと思った。
しかし、入室許可を出していないにもかかわらず、扉が勢いよく開け放たれる。
現れたのは、身体に鎧を纏った四人の兵と、町人。魔女を恐れる町人が、兵に通報したのだ。
立ちふさがるように立つレラは、そっと深呼吸しながら体裁を繕う。横目で、既に床板をはめ込んだ後である事を確認し、安堵の息を飲み込んだ。
床板は床下から力をかけても外すことはできない。ゆえに、パルメは自分の意思で出ることはかなわないはずだ。
そうして、無礼な訪問者を迎える。
「どうなさいましたか?」
「魔女がいるはずだ」
レラはどうせ誤魔化しても意味はないと知りながら、小首を傾げた。
「魔女……ですか?」
「おや、お客様かい?」
チェダーがレラの隣に並び、兵らの行く手を塞ぐ。
チェダーの出現に、素早く兵は身構えた。おそらく、兵はチェダーの青い瞳の色を瞬時に判じたのだろう。
「この老婆か?」
「はい、あともう一人、男がいるはずです」
兵と町人がやり取りをしている中、チェダーはレラに目配せする。チェダーに注目が集まっている今しか時機はなかった。
レラは一つ頷き、静かに後ずさってすぐ隣室である厨房へと走る。そうして、調理用の刃物を手に取り、もといた場所へ戻った。
レラが部屋に戻って目にしたのは、チェダーが兵二人に腕をとられている姿。
そして残りの兵二人は、パルメを捜していた。
厨房から戻ったレラに気づいた兵の一人が、声を荒げて振り返る。
「おい、もう一人をどこへ匿った!?」
レラはゆっくりと顔を上げた。その顔は、無表情だ。動揺も恐怖も心の底に押し隠し、ただ目の前で詰る男を見据えた。
「おいっ! 答えろ!」と怒鳴る声に、レラの心拍数が上がる。奥歯を噛み締め、恐怖など微塵も悟らせないよう振舞った。
ついで、チェダーとレラの狙いがバレないよう祈りながら、後ろ手に隠し持つ刃物の柄をギリ、と握り締める。
――レラとチェダーは、二人で兵を殺そうとしている。
それは、パルメの罪を、少しでも軽くしたいから。
運命は決まっていても、絶対神の定めた未来に影響しないことは、変えることができる。つまり、レラとチェダーが兵を数人殺しても、残りの兵がレラたちを殺す。そして――。
結局なにをしても、レラとチェダーは兵に殺される。
それでも立ち向かう理由は――これから多くのものを背負って生きるパルメの罪を、共に背負おうと思ったからだ。
問いかけに答えないレラに対し、兵は舌打すると、別の場所を捜そうと踵を返した。
レラは一度目を固く瞑り――再び目を開け、決意を宿した瞳で兵の後ろ姿をとらえた。
怖くないといったら嘘になる。死ぬ事も、人を傷つけることも怖い。心が怯みそうになるくらい、足が震えて立ち竦みそうになるくらい、怖い。怖くて怖くてたまらない。それでも、守りたいものがある。
レラは刃を兵へと向けて駆ける。鎧を纏っていない首を狙って、刃を振り上げた。
「な……っ!?」
刃は兵の首をとらえたが、掠っただけだった。血は一筋流れる程度。これでは致命傷には至るはずもない。
それでも、これがレラにとって精一杯の攻撃であった。
体重をかけて襲い掛かったため、レラは体勢を崩して床に倒れる。起き上がろうと腕の力で上体を起こすが――。
「このクソ女っ!!」
レラに斬りかかられた兵は、腰にさしていた剣を抜き、レラへと振り下ろそうとした。
瞬間――兵を光が包み込む。
青白い、光の柱は、傍に在っても熱を感じることはない。ただ、その中にいた人影が姿形を無くしていく。まるで、塵のように。
目の当たりにしたレラは、目が眩むほどの閃光に顔を伏せた。
そうして光がやむのをまって顔を再びそこへ向ければ。
レラを殺そうとした兵の姿はそこになかった。その光の柱が貫いた屋根と床の部分も円型に抜けていた。
「……え?」
レラだけではなく、他の兵や町人も、呆気にとられたかのようにチェダーを見つめる。
魔女の力を目にしたのは、魔女を除く全員が初めてだったのだろう。
圧倒的な力を前に、言葉を失った。
ただ一人、過呼吸に陥ったチェダーがそこにいる。魔女の強大な力は、老体である彼女の体力を相当に奪ったらしい。
「婆様……」
口を開けて呆けていたレラの喉はからからに渇き、声が嗄れてしまった。
そんなレラをチェダーは見つめ返し、にやりと会心の笑みを浮かべる。
「これが、魔女の力、だ……」
しかし、チェダーは力を使い果たしたかのように床へと膝をつく。彼女の腕を掴んでいた兵は、呆然とチェダーを見下ろしていたが、やがて我に返ると「ひぃっ」と喉の奥で悲鳴を上げた。
そして。
チェダーの力に恐れをなした兵は、即座に剣を抜き、彼女の身体を貫く。
血しぶきに兵が鎧を赤く染め上げる。チェダーは音もなく床に倒れ、血の海をつくる。
「婆様っ!」
レラが叫んだ。
その直後――油断していたレラにも、刃は振り下ろされた。
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