4.序章を知り得てなお、抱く希望
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――運命を、知っている。レラだけではなく、世界の誰もが。
――でもその運命は、レラやパルメに深入りしなければ、多くの者は定められることはない。関わらなければ、なんとでもなる。
――絶対神が認めた者のみに、要所ごとの運命が定められる。その認められた者が、レラであり、パルメであり、後の世に、国を支える主要人物たちだった。
――レラには夢がある。叶わないと、知っているけれど。
――パルメとずっと一緒にいたい。彼の隣にいたい。二人で笑って、歳をとりたい。
――けれど、レラの願いは叶わない。彼女はもうすぐ死ぬのだ。
――それを知ったのは、一度目の人生。
――絶対神に抗えるのではないかと、二度目、三度目の人生で試してみた。でも、結局絶対神の定めた要所はかわらない。だから、運命も変わらない。
――レラの死は、この世界に絶対不可欠なのだから。
*** *** ***
レラがチェダー一家の家族になってから、五年という月日が流れた。
齢十八となったレラは、結婚適齢期をすっかり逃してしまった。
その頃には、チェダーは腰を悪くし、森に薬草を摘みに行くことができない身体となっていた。もちろん、薬を町へ売りにも行けず、販売は家にて行うようにした。
そうして家事はレラに、薬草摘みはパルメの仕事を担うようになる。
朝霧がようやっと晴れ、レラは畑の草取りに勤しむ。
日中は暑いくらいだが、朝は比較的過ごしやすい気温だから、今のうちに草取りを終えてしまおう、とレラは予定を組んでいた。
コツコツ草取りはしているが、すぐに成長してしまう雑草。一つ一つ丁寧に根ごと抜かなければ意味がないから、手作業である。
「野菜もこれくらい成長がはやければいいのに」
唇を尖らせ、少しばかり成長しすぎた雑草をつまんで引く。が、土の奥まで根がはっているのか、易々とは抜けなかった。
レラは眉間に皺を寄せ、今度は両手で引っ張る。腰を若干浮かして引けば、それは抜けたがレラは尻餅をつく羽目となった。
「いたた……。あっ!」
朝霧で水気を含んだ土。
あわてて身を起こしたものの、残念ながら服には土が染み付いてしまった。
溜息をつきながら、なんとか草取りを終えて、次いで川から汲んできた水を畑に撒く。
太陽が頂点に近づくにつれて、レラの額には汗が浮かんだ。
ずっと屈んでいたため、痛む腰を伸ばす。
レラの耳にくすくす、という笑声が届いた。
なんとなく気になりそちらへと視線をやれば、家の玄関扉の前に十五、六の娘がいた。
(薬を買いに来たお客さんね)
娘の前には、パルメが人好きのする笑みを浮かべて対応している。
それが、レラにとっては面白くない。
チェダーが腰を悪くしてから、パルメも薬を処方するようになった。ゆえに、客と接する機会も増えた。
客は、町人が多い。中には、美容を気にする年頃の乙女も少なくなく、彼女らは洗練されていた。
魔女の一族は、確かに迫害されている。しかし、魔女の家まで薬を求める者らの中には、魔女を恐れない人もいる。そのため、思春期を迎えた女子は、パルメに見惚れることも多い。
レラと出逢った当初、中性的な美しさを持っていた彼は、いまや精悍で艶冶な魅力を持つ青年に成長した。
玄関口の娘は、ふんわりとした緩やかな巻き毛を揺らして、頭を下げる。再びパルメへと向き直った彼女は、頬を染めて笑んだ。
二人がどんな会話をしているかはわからない。
それでも、レラの心中は穏やかではない。黒い感情がとぐろを巻くような、閉塞的な気持ちが心の底に沈む。
去っていく娘を見つめながら、レラは今の自身の姿を思った。
森の中とはいえ、畑は太陽の日差しが燦々と降り注ぐ。そこで仕事をしているから、髪は少し傷んでいる。水汲み等力仕事をするのに邪魔だからと、髪は朝起きて梳かした後、即効で三つ編みにする。そこにお洒落などという概念はなく、楽だから、ただそれだけ。服は着古してよろけ、土で汚れている。
自分の手を見下ろす。
水仕事で荒れ、爪に入った黒い土。綺麗な手、とはお世辞にも言えない。
そんな自分は、劣等感の塊だった。
美しい世界を知らなければ、そんなものとは無縁だったかもしれないが、レラは客である町人を目にする機会に恵まれているし、元村人だから、町にも行ったことがある。町のお洒落を多少は知っており、そこで見た艶やかな髪や真新しい鮮やかな色の服にだって憧れる。
好きな人の前では、少しでも魅力的な自分でありたかった。でも、現実と理想の差が、レラに重くのしかかる。
嫉妬と劣情に眉を顰めた時、ふと、レラに気づいたパルメと目があう。それが気まずくて、レラは咄嗟に踵を返した。
*** *** ***
昼が過ぎ、太陽が傾いできた頃、数日に一度の頻度でレラとパルメは薬草摘みに出る。
場所は、家から少し離れた、湿度の高い森の奥。そこに、薬草が多く生えているのだ。
森には、鳥の囀りと、虫の鳴き声のみが響く。太陽の光が木の枝や葉に遮られる。
こうして少し薄暗い場所に二人きりでいると、世界には他に誰もいないのではないかという錯覚に陥ってしまう。
しかも、黙々とパルメは作業に没頭しているため、レラとの間に会話はない。ともすれば、レラは一人ぼっちのような気すらした。
薬草を摘みながら、レラはそっと溜息を吐く。空気が重く感じたのだ。
「……レラ」
パルメが呼ぶ。レラが落としていた視線を上げると、パルメはレラの顔を窺い見た。どこか不安げな彼の表情に、レラは首を傾げる。
「なに?」
パルメは口ごもらせた後、小さな声で問うた。
「……怒ってる?」
「怒ってないけど……」
なぜそう思ったのか、レラにはわからない。ゆえに、目を瞬いた。
「なんでそう思ったの?」
「……なんとなく」
「……ふぅん?」
レラは適当に返事する。しかし、まだパルメは言いたいことがあるようだ。
「なに?」
レラが作業をとめてパルメに顔を向ければ、パルメも同様に手をとめる。
「……今日、町娘を見てたから」
「うん」
やはりバレていたか、とレラは苦虫を噛み潰した顔をしたが、パルメはレラの気持ちを語釈した。
「レラは村生まれだし……やっぱり、森の中で僕と婆様の三人暮らしより、人がたくさんいる町に行きたいのかなって思った」
それまで気まずさを覚えていたレラは、呆気にとられた。
町に行きたいかと問われれば、たまには行きたい。だが、パルメはおそらく”住む”という意味で言っているのだろう。もしそう問われても、レラは否定の一択しかなかった。
命の恩人であるチェダーは腰が悪いし、放っておけるはずがない。それに、レラはパルメといたい。迫害を受ける魔女の一族であるチェダーとパルメは、町に住むことは難しいと解りきっている。二人から離れるつもりのないレラには、そんな選択肢はなかった。
そも、町娘を眺めていたのは、パルメと二人で笑いあっていることにやきもちを焼いたからだ。
だが、それは言えない。言えないから、嘘ではない本音を口にする。
「……町に行きたいとかじゃなくて。町娘さん、きれいだなーって思ったの。見惚れてただけ」
そう言って自嘲すれば、パルメは表情を和らげた。
「じゃあ、新しい服、買いに行こうか」
薬を処方できるようになったパルメが得るお金で、ということだろう。
レラは(そんなつもりじゃないのに)と首を横に振る。
「今は気持ちだけで十分。私の誕生日に、よろしくね」
そう笑んで見せたが。レラもパルメも知っている。
――レラの誕生日は冬。
――誕生日を待たずして、レラは運命の日を迎えるのだ。
パルメは切なく睫毛を伏せ、「……うん」と呟いた。
森から家への帰路は、夜行性動物の声がしていた。
月はまだ空に昇っておらず、夕日が木々の間から木漏れ日となって差し込む。そのわずかな光は、森の小道を照らすには足りなかった。
「遅くなっちゃったね」
レラが言葉を紡ぐ。
不意に、隣を歩いていたパルメの足がとまった。
レラはパルメの数歩先で立ち止まり、振り返る。
「パルメ?」
おさげ髪を揺らしたレラを、パルメは真摯な瞳で射貫いた。
そこにどこか緊張と、決意のようなものが見えた気がして、レラは戸惑う。
「……どうしたの?」
困惑したレラの声に気づいたのか、パルメは安心させるようにふっと目を細めて笑んだ。
「――レラの夢はなに?」
あまりに唐突な言葉。
これまで、パルメはレラにそんなことを問うたことはない。その必要がなかったからだ。
絶対神によって運命は決まっている。夢を語ってなにになると言うのだ。
それでも、確かにレラにだって夢はある。叶わないと知っているから、口にしないだけで。
レラは怪訝に思ったが、パルメの真剣な眼差しに、目を伏せて答えた。
「……一緒に、笑っていたいな」
”ずっと”。
その言葉は胸の中に仕舞い込む。
自分の運命を知っている。だから、夢を語ることでパルメの重荷になりたくはなかった。
パルメは悲しそうに笑んだ。痛みを堪えるように。
そうして、彼はレラへと歩み寄り、彼女の肩に頭をのせた。
彼も、運命を知っている。だから、一秒でも多く共にいようとしているのだろう。
「……好きだよ、レラ」
小さな小さな呟き。消え入るような、掠れた声音。
レラは「うん」とだけ答えた。泣きそうになる自分を叱咤して、天を仰ぐ。涙が溢れそうになるのを、目を瞑って誤魔化した。
慰めるように、パルメの頭をなでる。金の髪がさらさらと指の隙間を流れた。
――運命には逆らえない。変えられない。
パルメは、この初恋を忘れない。近い未来、レラのことを心の傷口に刻み込む。
――知っている。それが、レラの役目。
――そして、レラ自身も彼に、忘れられたくないと思う。……でも。
彼の心を抉るように苦しめる未来。こんなにも愛してくれる彼の傷が、その時少しでも浅ければいいとも思う。
――レラには、死ぬ未来が待っているから。
だから、「好き」とも「愛している」とも伝えない。
定められた運命は、レラとパルメが恋人になることを許してはくれない。ならば、両思いとなり、仲を深めることはできないし、すれば離れることが死ぬほどの苦痛になるだろう。
この危惧が、ただの杞憂で終わればいい。レラの一人よがりに他ならないのだ。
ただ、パルメにわかっていてほしい。パルメがいつか誰かに恋をしたとしても、それはレラに対する裏切りではないのだと。
――忘れないでほしい。でも、自分に囚われないでほしい。
――生きて、笑っていてほしい。
レラは願いながら、一粒だけ、涙を流した。
決して淡くはない初恋。
レラにとって、最初で最後の恋だった。
やがて、魔女狩りの噂が、国中に流れ始める。
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