3.序章に向かって流れる時間
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レラを床下から救い出したのは、パルメという少年だった。
パルメは祖母と共に、村の近くの森に薬草を採りに来ていたそうだ。
そこで偶然、村を引き上げ、次の集落へと向かう敵兵を木陰から見たという。
敵兵集団の最後尾が村の外へと出て行くのを見計らって、パルメと祖母 チェダーは生存者を助けるために村へ入った。
寒村は、人口がそもそも少ない。家の数も目算でざっと数えられる程度だったため、一軒一軒チェダーとパルメで手分けして生存者をさがした。
しかし、チェダーとパルメが村に入った時、兵士が家内を荒らし放題に荒らし、生き残った者はほぼいなかった。村人が持つ財などしれているが、兵らはそれをも奪おうと家に押し入り、女子ども問わず刃を向けたのだ。
ほんのわずかに生き残った傷心状態の村人とチェダーは、森に墓をつくりはじめた。
他方、パルメは生存者の捜索を続けた。そうして、彼は床下からレラを見つけたのだ。
兵にも見つからなかった場所だが、パルメは「なにかあったら床下に隠れなさい」とチェダーから言いつけられていたそうだ。
――パルメは魔女だから、と。
絶対神は、人に平等など与えなかった。
身分や人種だけではない。
絶対神は、生命を創造した際、人と神をつくったのだ。
神は、空から生まれたため、光の色をした髪と空色の瞳を持つ。
人は、大地から生まれたため、土色の髪と瞳を持つ。
絶対神は神の血をひく者に魔法を与え、人には与えなかった。ゆえに、その昔、人は神を崇めた。
ところが、神々は戦をはじめた。
魔法を用いた戦いは天界のみならず地上をも荒野にした。
やがて絶対神は、神から神格を奪った。そんな彼らを、人々は大地を荒らされた憎しみを以って”魔女”と呼ぶ。
以来、魔女は迫害され続ける。空色の瞳と光の色をした髪を持つ者。一目瞭然で人々は魔女の存在に気づき、共に生きることを許さない。
いまやチェダーの髪色は白髪になってしまったが、かつては見事な黄金だったという。そのチェダーと、パルメはひっそりと森の奥で暮らしてきたのだ。
*** *** ***
森の中にひっそりと建つ一軒家は小さい。
自給自足程度の畑、近くには川が流れており、森には薬草もたくさん生えているために、不自由はない。
それまで村で暮らしていたレラにとって、新しい生活はなかなか慣れないながらも、不快なものではなかった。
太陽が傾いた時刻、レラは鍋に向かっていた。
鍋の中には、野菜の入ったスープが煮詰められている。そこに、手でちぎった香草を加え、大きな匙でかき回す。
季節は秋。多くの野菜が実り、収穫の時期だ。冬は野菜不足による栄養失調が見込まれるため、今は乾物作りに忙しい。
窓の至るところに、紐で括られ連なった野菜が吊るされる。
レラは農村に住んでいたが、隣町へ行けば食材は手にはいるため、保存食づくりは目にしたことがなかった。
手慣れた風に、切ったばかりの野菜に紐を巻きつけるパルメを、レラは横目で観察していた。
「パルメは上手ね」
スープをかき混ぜながら呟く。
「慣れだよ」と笑うパルメに、しかしレラは眉尻を下げる。彼女はまだ慣れていないため、その作業をするのに時間がかかる、ということもある。だがそれ以上に、今気になるのは――。
「ねぇパルメ、それ、私の仕事よね? 婆様に頼まれたもの」
そう、乾物づくりはレラの仕事だった。
魔女であるチェダー一家は基本、自給自足で暮らしているが、織物まではできないため、衣類は金で購入する。その金を稼ぐため、彼女は森の薬草からつくった薬を時たま町へ行って売っているのだ。
町の人々は、魔女を迫害しながらも、彼女らのつくる薬を買う。魔女がつくる薬の製法を知るのは魔女の一族だけ、という理由もあるが、魔法をかけた薬だと人々は思い込んでいるらしい。
それに関して、チェダーは笑いながら言った。
「魔法は特別なもんだよ。生憎、我が一族は癒しの神の血筋ではなく、戦いの神の血筋だからね。そんな魔法なんてかけられやしないさ」
思い込みが、心を癒したんだろ。
そう続けたチェダーは肩を竦めた。
そのチェダーの跡継ぎが、パルメである。
レラがご飯の準備をする時間は、パルメがチェダーから薬のつくり方を学ぶ時間であるはずだった。だが、今の彼は、レラがスープを煮込んでいる合間に、と渡された乾物づくりをしている。
どこ吹く風のパルメに、レラは困惑するしかない。
(また婆様の雷が落ちるのに……)と、レラが思いながらチラリと顔をパルメへ向ければ、パルメの背後にはチェダーが恐ろしい顔で立っていた。
「あ」
レラの声と共に、パルメはチェダーの怒りの鉄槌をくらうこととなる。
「この馬鹿孫!!」
「いった……っ!」
鈍い音がした後、パルメは涙目で患部の頭を手でおさえながら背後を振り返った。
「婆様、なにすんのさっ」
パルメの抗議に、チェダーは更なる怒りの形相を見せる。
「なにすんのさ、はこっちの台詞だわ! ど阿呆! 今、お前は薬の製法を学ぶ時間だろうに。なにゆえレラの隣で乾物をつくっとるんじゃ!」
うっ、と気まずさに目を逸らし、パルメは口を歪ませた。
「レラ一人じゃ大変だし」
「そう思うのなら、さっさと学んでから手伝えばよかろうて」
溜息をつくチェダー。
ちなみに、この二人のやりとりはいつものことだった。
チェダーはパルメに、生きるための手段を教えようとしているのに、パルメはなにかとレラをかまう。料理も水汲みも収穫も二人一緒。まるで片時も離れることなく、共にある時間を惜しんでいるようにすら感じる。
ふと、レラは思う。
――パルメの執着は、繰り返される運命の度に強くなっていっているのではないだろうか。
それが確信できないのは、決定打となる出来事がなにもないから。結局毎度、要所は定められた運命の通りに展開する。
運命を繰り返してきたレラでも、これまでの一分一秒を記憶しているわけではない。記憶に残る出来事は、印象に残ったことが多くを占めるのだ。
だから、レラは最初の人生と前回の人生はなんとなく代わり映えがしないながらもおぼえているけれど、それらを除いては曖昧にしかわからない。
――気のせい、だろうか。
その答えを、この時のレラはまだ知らない。
*** *** ***
暗闇の中、レラは身動きがとれない。
目を開けているつもりだが、視界は一面真っ黒で、本当に目を開けているのかもわからない。平衡感覚さえままならない。
怖くて怖くてたまらなかった。
耳を澄ませると聴こえる、足音。
頭上は木の床なのか、直にその音は響く。
怒声と悲鳴。知っている声と、知らない声。
(――助けて)
カタカタと、細かな震えが止まらない。
閉ざされた生ぬるい空気に吐き気がする。
喧騒と物音。
今、なにが起きているのか。レラの脳裏をよぎるのは嫌な予想ばかりだった。
そして、それは当たっているのだろう。
ぽたり、と頭上から生ぬるいなにかが降ってきた。それは頬にかかり、手で拭えば、ベトリとしている。
臭いから、血だ、とすぐにわかった。
きっと。間違いなく。両親の。
(助けて、助けて助けて助けてっ)
レラの世界を守ってくれていた大切な二人。失うことは、レラの世界が崩壊する可能性をも孕む二人。
――心が、壊れてしまう。
「あああああ――――――っ!」
悲鳴をあげ、レラが瞼を押し上げれば、今度は暗いながらもちゃんと景色が見えた。
レラの視界に広がるのは、天井。チェダーの古びた家の、天井。
夜の帳に覆われた家は、窓から射し込む月明かりで仄かに形を浮かび上がらせている。
ぜぇぜぇと呼吸も荒く息をつく。寝そべっているため、涙がこめかみを伝う。肌はじっとりと汗がにじんでいた。
(……夢、か)
レラが両親を失ってから、何度も見る夢だった。それが記憶なのか、悪夢なのかわからない。けれど、いつだって同じ夢を見た。
チェダーの家に来た当初、レラの精神は相当に不安定だったのか、悪夢を見る頻度はあまりに多く、日中倒れるのではないかというほどの睡眠不足に陥った。
それから、チェダーとパルメと過ごすうちに、少しずつ心は落ち着きを取り戻し、悪夢の回数も減っていった。
それでも、まだ度々夢を見る。
そんなレラを心配し、チェダーとパルメは夜、三人並んで眠りにつく。レラは真ん中が定位置だった。
レラは落ち着くために、一度だけ深呼吸をする。ドクドクと激しく脈打つ鼓動が、わずかに鎮まった気がした。
その時、隣から声がかけられた。
「大丈夫? レラ」
声の主へと振り向く。視線の先で、パルメが心配そうに眉尻を下げていた。
彼はレラの涙を指で拭い、ついで手を握る。
その手が温かくて。生きているのだと思うと安堵して、レラは微笑んだ。
「うん、ありがとう。パルメ」
パルメはレラが悪夢にうなされる度に、レラを抱き寄せ「傍にいるよ」と囁いてくれる。そうして、レラは安心して眠ることができる。
この時も、パルメはいつものようにレラの耳元で囁き、彼女を抱き寄せた。
すると、レラの空いている片手が違う温もりに包まれる。
チェダーの手だ。パルメの体温より、少しだけ低い。
「……年頃だし、近いうちに、パルメの寝る場所を考えないとねぇ」
チェダーが孫にからかうように言うと、レラを抱きしめるパルメの腕はいっそう彼女を力強く抱いた。
それに苦笑するレラ。
思えば、レラが笑えるようになったのは、二人がいたからだ。
命の恩人。
彼らのためならば、命だってかけられる。
レラは小さく笑いながら、パルメにそっと寄り添った。
少しだけ速い鼓動の音。自分よりも高い体温。ほっとする。そして少しだけ緊張もする。
救ってくれたパルメがいないと不安を感じるほどに、彼に依存していた。
大切な両親。大きな喪失が心に空洞をつくり、そこはパルメによって埋められた。
――まさに、絶対神の望み通りに。悔しくもあり、諦めたことだった。
――運命に抗おうとパルメから離れようとしても、結局レラにはできなかった。それくらいに、パルメは必要不可欠な存在になっていた。
いつしか、レラはパルメに恋をしていた。
守るように、ずっと傍にいてくれる異性。
――この恋も、絶対神の定めた運命。
――でも、レラは、運命などなくとも、きっと彼に恋をしたと確信している。
彼の笑顔を見ると、胸が温かくなる。彼に抱きしめられると、胸が締め付けられるように苦しくなるけれど、それ以上に幸せだと思う。
”家族”になれた喜びと、兄妹のような関係を壊す恐怖。時折感じる不安は、そんな恐怖が根本にあるのかもしれない。
だからレラは、パルメに告白しようとは思わない。家族以上、恋人未満。この関係で十分。
ずっと傍にいられればいいと、願う。
そんな独占欲は、パルメが迫害を受ける――神の血をひく――者でよかったとすら思ってしまうほどに愚かで。
美しい彼のことだ、もし”人”であったなら数多の女が群がり、レラは彼の視界に入ることすらかなわなかった――そう推測することなど容易い。
あまりにも醜く汚い自分。心も体も救ってもらいながら、彼の幸福を祈れない。
こんな穢れた感情も恋というのだろうか。
自嘲しながら、レラは目を瞑った。
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