影の噂
二人はうどん屋に入った。
昼には早いが、朝と呼ぶには日が高い。
半端な時間であった。
店は小ざっぱりとしていて、半端な時間に関わらず、客がぽつぽつと居るようだ。
割と繁盛店らしい。
卓に着くと、男は茶だけ、獣三郎は酒とうどんを注文する。獣三郎にとっては朝餉であった。
「貴方、獣三郎ですね」
注文が終わると、男が突然口にする。
「ほう。俺が獣三郎だと」
獣三郎は曖昧に答えた。
「ええ。人斬りを生業とし、放浪を続ける剣客…人斬り獣三郎です。貴方に話があります」
「……。フン。話とやら、聞かせてもらおう」
獣三郎が、暫く考えを巡らせた後、そう言った。
これで暗に認めた事になる。
そこに店の娘が、うどん、銚子と盃、突出しと茶を運んできた。
運び終わると愛想笑いもせず、とっとと奥に引っ込んでしまう。
獣三郎が睨み付けたからだ。
話を中断させられるのは、気に喰わないモノだ。
「私の名は鏑木悠馬−かぶらぎゆうま−。話と言うのは、辻斬りの事です」
娘が去ったのを確認し、男、鏑木が話を切り出した。
「辻斬り…」
獣三郎は目を細め、探るように鏑木を見る。
「はい。この街に夜な夜な現れる辻斬り…。被害に遭うのは、皆、名の通った剣術家」
「ほう」
興味深気に相槌を打った。
「知りませんか?」
「何が言いたい」
「……」
「……」
沈黙。両者睨み合う。 二人の間の空気は、痛いほど張り詰められた。
「……。ふっ。貴方が辻斬りかと思いましたが、どうやら違ったようだ。」
「鎌を掛けていた訳だ」
「失礼しました」
「良い。其れより、被害に遭うのは名の通った剣術家と抜かしたな。何故お前は狙われぬ」
「私は、只の小唄の師ですから」
鏑木はニヤリと笑う。
つまり、己の気を誰にも曝してないのだろう。
恐ろしい男である。
闇に生きる獣三郎は、本性を隠して生きる難しさを知っている。
「仮に、俺が辻斬りならば、一体どうするつもりだった」
鏑木の心を探る。
「斬ります」
*夜・桜里 昨夜と同じように、獣三郎は珠響と同衾した。
隣では珠響が、獣三郎の太く引き締まった腕に絡み付き、スースーと寝息を立てる。
それを尻目に、獣三郎はぼんやりと天井を見つめ、刻を待っていた。
辻斬りが現れる刻を…。
一日掛かって、鏑木の話の裏付けをとり、辻斬りについての情報を集めた。
その中で、鏑木悠馬の兄、鏑木兵衛も辻斬りの餌食になっていた事が判明する。
鏑木家は、旗本であるが、次男である悠馬は嫡男ではないため、気儘に家を出たらしい。
しかし、それは表の事情。
真実は、嫡子ではない悠馬の方が、よく剣を使うため、兄の顔を立てて姿を消したのだそうだ。
今まで楽人の弟を演じ、剣気を隠して生きてきた男が、己の正体が露呈する危険を冒してまで辻斬りを探す。 理由は辻斬りへの復讐心。
「下らんな」
ぽつりと呟く。
身内への愛情等と、実に下らぬ事だ。
死んだ者への想いは、更に下らぬ。
しかし、鏑木から感じた殺気。
あれは間違い無く本物であった。
死を畏れないのではなく、とうに死を覚悟している男の眼をしていた。
ならば、俺と同じく強者の血を求めていたのだろう。
そう結論付けた。
一人納得した処で、そっと身を起こす。
珠響を起こさぬよう、夜具から這い出た。
差し込む月光は、刻が満ちた事を報せる。 獣三郎はニヤリと笑う。
「狩りの時間だ」
半刻(約一時間)後、珠響が温もりを求めて手を伸ばす。
其処にはもう、男の感触は無かった…。




