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魔王討伐RTA(壁抜けバグ使用)

作者: キュラス
掲載日:2026/04/01

「おお、勇者よ! よくぞ参った! そなたが目覚めるこの日を、我らはずっと待ちわびておったぞ!」


荘厳なラッパの音が鳴り響く王の間。

豪奢な赤い絨毯が敷かれた玉座から、国王が威厳に満ちた声を張り上げる。その傍らでは、この国の王女である金髪の美しい少女、アリスが両手を胸の前で組み、希望に満ちた瞳で下階に立つ青年を見つめていた。


青年の名はカイ。

神のお告げにより、世界を闇に包む魔王を討伐する宿命を背負って召喚された、伝説の勇者である。


「伝説の勇者よ。今こそ聖なる剣を手に取り、世界に平和を――」

「スッ、スッ、スッ、スッ、スッ」

「……ん? 勇者よ? どうしたのだ?」


国王が言葉を止めるのも無理はない。

勇者カイは、国王のありがたい話を一切聞いていなかった。それどころか、玉座の間の入り口付近にある大理石の柱に向かって、奇妙な反復横跳びを繰り返していたのである。


「スッ、スッ、スッ、スッ、ガガッ、スッ」


柱と壁のちょうど接合部分に向かって、斜め四十五度の角度を維持したまま、小刻みに前進と後退を繰り返す。時折、不自然なほど高速でしゃがみと立ち上がりを織り交ぜている。

その瞳は虚空を見つめ、一切の感情が抜け落ちていた。


「お、お父様……勇者様のご様子が……」

「うむ。異世界からの召喚の反動であろうか。ひどく痙攣しておるようだが……おい、誰か治癒士を呼べ!」


国王と王女アリスが慌てふためく中、カイの脳内には全く別の景色が広がっていた。


(よし、ここの壁のポリゴン、やっぱり前世のゲームと同じ造りだ。柱と壁のテクスチャの境界線に当たり判定のガバがある。しゃがみ入力を1フレーム単位で連打して座標をマイナス方向にずらせば……)


カイは、前世においてこの世界と全く同じ構造を持つRPG『ファンタジア・サーガ』の、世界最速クリア記録(RTA)保持者であった。

正規のルートなど通る気は毛頭ない。彼の目的はただ一つ。「いかに現実時間(リアルタイム)をかけずに魔王を倒すか」である。


(角度ヨシ、速度ヨシ。ここからメニュー画面を0.2秒間隔で開閉しつつ、フレーム猶予2フレームのバックステップを入力して……今だ!)


「ガガガガガッ! ……スゥンッ」


異音が鳴り響いた直後。

王と王女、そして周囲を固めていた近衛兵たちの目の前から、勇者カイの姿が文字通り「フッ」と消失した。


「なっ!? 勇者が消えたぞ!?」

「転移魔法の光すらありませんでした! まるで、空間そのものに吸い込まれたように……!」


城中がパニックに陥る中、カイは一人、壁の裏側――すなわち「裏世界(アウト・オブ・バウンズ)」を落下していた。

彼の周囲には、テクスチャが貼られていない灰色のポリゴンの裏側や、空に浮かぶ王城のグラフィックだけがぽつんと存在している。物理法則が完全に崩壊した、開発者だけが知る虚無の空間だ。


(成功だ。壁抜け(クリッピング)バグ。これで王城の強制会話イベントと、城下町のお使いクエスト、さらに大陸横断の旅程をすべてスキップできる。さて、次は魔王城の座標への位置合わせだ)


カイは虚無の空間を落下しながら、空中でメニュー画面を開いた。

現在の装備は、初期装備である「ひのきの棒」と「布の服」。レベルは当然1である。

彼はメニュー画面のアイテム欄から「やくそう」を選択し、それを捨てるコマンドと、ひのきの棒を装備するコマンドを、常人には視認不可能な速度で同時入力した。


(アイテム破棄と装備変更の同時入力による、メモリのオーバーフロー。これで攻撃力のステータス変数がバグって、マイナスから一気にカンスト値へとループするはず……)


ステータス画面の「攻撃力:2」という数字が、激しくバグった文字列を表示した直後、「9999」という異常な数値で固定された。


(準備完了。あとは落下座標の調整だ。魔王城の玉座の座標は、王城から見てX軸方向にマイナス4500、Z軸方向にプラス8000。この虚無空間を斜めに入力したまま30秒落下すれば、ちょうど魔王城の玉座の真上に復帰できる)


カイはストップウォッチを片手に、真っ暗な空間を滑空していく。

風の音すらしない。ただ、己の脳内にあるRTAのチャートだけを正確になぞり続けていた。


◆ ◆ ◆


一方その頃。世界を恐怖に陥れている災厄の元凶、魔王城の最深部。

薄暗い玉座の間で、魔王は深々とため息をついていた。


「ふむ……勇者が召喚されたという報告があったが、我が居城に辿り着くのは早くても三年後といったところか」


魔王はリラックスしきっていた。

漆黒の鎧は脱ぎ捨てられ、肌触りの良いシルクのパジャマ姿である。手には温かいミルクティーの入ったマグカップが握られ、膝の上には読みかけの魔界ロマンス小説が広げられていた。


「人間どもめ、せいぜい絶望の期間を味わうがいい。我は今のうちに、この小説の続きを……」


魔王が優雅にミルクティーを一口飲もうとした、その瞬間である。


ズバァァァァァァンッ!!!!


突然、玉座の真上にある強固な石造りの天井が、爆発したかのように粉々に砕け散った。

土煙と瓦礫が降り注ぐ中、天井の「何もない空間」から、一人の青年が重力に従って落下してきたのである。


「な、なんだ!? 天井から人間が降ってきただと!? 貴様、何者だ!」


パジャマ姿の魔王が慌てて立ち上がり、マグカップを放り投げる。

落下してきた青年――カイは、空中で見事に一回転して着地すると、無表情のまま右手に握った「ひのきの棒」を構えた。


(落下位置、完璧。タイマースタートから現在2分45秒。よし、記録更新ペースだ)


カイは魔王の問いかけなど一切無視し、一切の前兆もタメもなく、ただの「ひのきの棒」を無造作に振り下ろした。

バグによって攻撃力が9999に到達しているその一撃は、もはや物理法則を超越した破壊の概念そのものだった。


「おい、待て! 我が魔王だと分かって――」


ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!!!


魔王の言葉は、その凄まじい衝撃音にかき消された。

ひのきの棒が魔王のパジャマの肩に触れた瞬間、圧倒的なダメージ計算の処理が世界そのものに負荷をかけ、空間がバグったように激しく明滅する。


「ギャアアアアアアアアアッ!?」


レベル99で挑むべきラスボスが、初期装備の勇者の一撃を受け、断末魔の叫びと共に光の粒子となって消滅していく。

魔王のHPゲージが、一瞬にしてゼロへと吹き飛んだのだ。


「ふぅ……」


カイは空中で回転するひのきの棒をキャッチし、手元のストップウォッチを止めた。


「記録、2分58秒。よし、魔王討伐の世界新記録(ワールドレコード)達成だ」


誰もいない玉座の間で、カイは小さくガッツポーズをした。

しかし、彼にはまだ分かっていなかった。

世界の危機を開始3分で救ってしまったものの、本来こなすべき何百ものイベント(フラグ)を無視して強制クリアしてしまったせいで、この現実世界そのものに、とんでもない「バグ」が発生し始めていたことに。


「ん? なんか地面のテクスチャがチカチカしてるな……?」


カイが首を傾げたその時、崩壊した天井の奥から、けたたましいエラー音のような地鳴りが響き始めたのである。


◆ ◆ ◆


魔王が消滅した直後、玉座の間に異変が起きた。

足元の重厚な石畳が、突然チカチカと明滅を始め、ピンクと黒の毒々しい市松模様――すなわち『テクスチャ抜け』のグラフィックへと変貌したのである。


「……エンディングムービーが始まらない。なぜだ?」


カイはストップウォッチを持ったまま、首を傾げた。

前世のゲーム『ファンタジア・サーガ』において、魔王のHPをゼロにすれば、本来なら感動的なオーケストラのBGMと共に、勇者が凱旋するエンディングムービーが再生されるはずだった。

しかし、BGMは鳴らず、玉座は不自然に空中へ浮遊し、さらには玉座の間の奥から歩いてきた魔王軍の近衛兵(ガーゴイル)が、両手を広げた『Tポーズ』のまま、一切のモーションなしで床を滑るように移動し始めている。


世界が、完全にバグり始めていた。


「あ……しまった。フラグ管理の問題か」


カイはポンと手を打った。

ゲームの仕様上、エンディングを正常に呼び出すためには『魔王の討伐』という最終フラグだけでなく、『聖剣の所持』と『王女からの加護(ペンダント)』という二つの必須フラグがインベントリ内に存在していなければならなかったのだ。

それらを一切無視して魔王だけをデリートしてしまった結果、世界の処理システムが矛盾を起こし、フリーズしかけている。


「これ、放っておくとどうなるんだっけ……あ、そうだ。メモリリークを起こして、最悪の場合『セーブデータ(この世界)が破損して消滅』するんだった」


カイは無表情のまま、とんでもない事実を思い出した。

開始3分で世界を救った勇者は、その30秒後に「世界そのものをデータ破損で消滅させる」という未曾有の危機を引き起こしてしまったのだ。


「世界崩壊までの猶予は……システムが完全にクラッシュするまで、およそリアルタイムで一時間か。仕方ない」


カイは再びストップウォッチの計測再開ボタンを押した。


「ここからは『フラグ回収・世界修復RTA』だ。タイマー、再開」


そう呟くや否や、カイはインベントリから初期アイテムの『やくそう』を取り出し、おもむろに自分の足元へ投げ捨てた。

そして、そのやくそうの上に乗り、しゃがみ状態からジャンプボタンを特定のタイミングで連打し始めた。


「ガガガガガッ! ……ヒュンッ!」


それは『アイテム乗り抜け』と呼ばれる悪名高いバグ技だった。

地面に落ちたアイテムの当たり判定を利用して上方向への座標移動を無限に蓄積し、一瞬にして上空一万メートルへとカッ飛ぶ大ジャンプ。

カイの身体は魔王城の天井(すでに崩壊しているが)を突き抜け、世界の空の限界高度すら超えて、ワールドマップの遥か上空へと打ち上げられた。


(現在位置、高度限界突破。ここから座標計算をして、王城の玉座の間へ直接フリーフォールする)


カイは雲海を見下ろしながら、空中を物凄い速度で水平移動していく。

眼下には、彼が本来数ヶ月かけて冒険するはずだった広大な大陸が広がっているが、彼はただの「移動する背景」としか見ていない。


「目標地点、確認。落下開始」


一切の空気抵抗を無視した(ように見えるバグ挙動の)急降下が始まった。


◆ ◆ ◆


その頃、始まりの地である王城の玉座の間では、パニックが続いていた。


「勇者様が消えたぞ! 城内をくまなく探せ!」

「お父様、勇者様はどこへ……っ! まさか、魔王の呪いでしょうか!?」


国王が怒号を飛ばし、王女アリスが青ざめた顔で祈りを捧げている。

勇者カイが彼らの目の前から「壁を抜けて」消失してから、まだ現実時間で4分しか経過していない。彼らにとっては、勇者が召喚された直後に突然蒸発したという、前代未聞の緊急事態の真っ最中であった。


「ああ、神よ! どうか勇者様をお守り――」


アリスが両手を組み、涙ながらに祈りの言葉を紡ごうとした、その瞬間。


ズドォォォォォォンッ!!!!


玉座の間の天井が爆発音と共に粉砕され、何者かが隕石のような速度で真上から降ってきた。

もうもうと舞い上がる土煙。

その中から、無表情でひのきの棒を構えた青年――勇者カイが、何事もなかったかのように立ち上がった。


「ゆ、勇者様!? 空から降ってきた!?」

「おおお、勇者よ! 無事であったか! 一体どこへ消えておったのだ!」


国王とアリスが歓喜の声を上げ、駆け寄ろうとする。

本来なら、ここで「突如現れた魔王の幻影によって勇者が吹き飛ばされる」というイベントが挟まるのだが、魔王はすでにカイが物理的に殴り倒してしまったため、何も起きない。


「勇者様! ご無事で本当によかった……!」


アリスは涙ぐみながら、カイの胸に飛び込もうとした。

彼女はこれから、勇者への愛と期待を込めた長大なセリフ(約2分間)を語り、その証としてキーアイテムである『王女のペンダント』を渡すはずだった。


「私は、あなた様がこの世界に降り立った時から、こうなる運命だと――」


「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」


アリスが感動的なセリフを喋り始めた瞬間、カイは凄まじい速度で首を縦に振り始めた。

無表情のまま、残像が見えるほどの速度で頷き続ける。


「えっ……? あ、あの、勇者様? 首が高速で動いて……」

「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」


これはRTA走者の基本技術『テキストスキップ』の現実世界版であった。

NPCの会話中、決定ボタン(それに準ずる肯定の意思表示)を最速で連打することで、相手のセリフを強制的に次の行へと飛ばすのである。


「だから、このペンダントを、私の代わりだと思って――」

「ハイ」

「えっ、まだ心の準備が――」

「ハイ」

「きゃっ!?」


アリスが言い終わるよりも早く、カイはアリスの首元に手を伸ばし、彼女が身につけていた『王女のペンダント』をひったくるように回収した。


「アイテム取得、フラグ1回収完了」


カイはペンダントをインベントリ(ポケット)にねじ込むと、すぐさまアリスに背を向けた。


「ゆ、勇者様!? 今、私の胸元から無理やり……っ! お、お父様、勇者様が!」

「な、なんと情熱的な勇者なのだ! だが待て、まだ旅立ちの支度が――」


国王とアリスの困惑を完全に無視し、カイは再び玉座の間の柱に向かって駆け出した。

次は、迷いの森の最奥に眠る『聖剣』の回収である。


「スッ、スッ、スッ、ガガッ、スッ」


またしても大理石の柱に向かって、謎の反復横跳びを始めるカイ。

その異様な光景に、玉座の間の全員が再び言葉を失い、静まり返る。


「……勇者様、また柱に向かって痙攣しておられますが……」

「放っておけアリス。あれはきっと、異世界特有の神聖な儀式なのだ……」


国王たちが呆然と見守る中、「スゥンッ」という気の抜けた音と共に、勇者カイの姿は再び壁の向こう側へと消失していったのである。


カイが王城の壁をすり抜け、二度目の虚無空間(アウト・オブ・バウンズ)へ落下した直後、王城全体をけたたましい警報音が包み込んだ。

それは敵襲を知らせるものではない。城の基礎を支える分厚い城壁の一部が、突然ピンクと黒の市松模様に明滅し、バグったようにグラフィックが欠落し始めたのだ。


「ひぃっ!? お、お父様! 壁が……お城の壁が消えていきます!」

「な、なんだこれは!? 魔王の呪いか! 魔導士ども、早く結界を張れ!」


国王とアリスが悲鳴を上げる中、玉座の間に飾られていた初代国王の肖像画が突然高速回転を始め、天井のシャンデリアは重力を無視して横向きに落下していった。

『魔王の討伐』という最終フラグを達成してしまったことで、世界全体の処理落ちとデータ破損が急速に進行していたのである。


◆ ◆ ◆


一方、そんな世界の崩壊などどこ吹く風で、カイは虚無空間を猛スピードで滑空していた。

片手にはストップウォッチ、もう片手には先ほど王女から強奪した『王女のペンダント(イベント進行用アイテム)』が握られている。


(現在時刻、タイマースタートから7分15秒。フラグ回収の第一段階クリア。次は『聖剣の取得』だが……座標的に、このまま北西へ3万フレーム落下し続ければ、迷いの森の最奥にある台座の真下に直接ワープできるはずだ)


カイの脳内には、世界の危機よりも『自己ベストの更新』というRTA走者としての使命感しか存在しなかった。

彼は空中でメニュー画面を開き、インベントリ内のアイテムを激しく入れ替える『アイテムソートバグ』を実行した。

これは、特定の順序でアイテムを並べ替えることで、自身の移動速度(歩行スピード)のメモリ番地を書き換え、本来の数百倍の速度で移動できるようになる裏技である。


「よし、移動速度上限突破。これなら迷いの森の迷路も、壁抜けで一直線だ」


カイは虚無空間から、迷いの森の最奥――聖剣が眠る神聖な泉のほとりへと、またしても天井(葉っぱのポリゴン)を突き破って落下した。


「ズドォォォォンッ!」


「む? 何者だ! ここは神聖なる――」


聖剣を守護していたはずの美しい泉の精霊が、空から降ってきた不審者に驚いて声を上げた。

精霊は、勇者が数々の試練を乗り越え、真の心を示した時にのみ聖剣を授けるという、重要なイベントの進行役であった。

彼女は透き通るような声で、勇者に語りかける準備を整えた。


「よくぞ参った、若き勇者よ。そなたの心に宿る光を、私に見せ――」

「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」


ここでもカイのテキストスキップが炸裂した。

精霊が語り始めた瞬間、カイは無表情のまま、彼女の目の前で凄まじい速度で首を縦に振り続けた。


「えっ? ちょっと、まだ話の途中なんだけど……」

「ハイ」

「そなたが真の勇者であるか、試練を――」

「ハイ」

「ちょっと待って! 私の話を聞いてる!?」

「ハイ、ハイ、ハイ」


精霊が困惑しようがお構いなしである。

ゲーム上では、精霊の話が終わった瞬間に『聖剣の台座のロックが解除される』というフラグが立つ。カイはただ、その処理を最速で終わらせるためだけに肯定コマンドを連打しているのだ。


「もういいわ! 勝手にしなさい! どうせその剣は、真の勇者以外には引き抜け――」

「ハイ」


精霊が言い切る前に、カイは台座に突き刺さっていた聖剣の柄を掴んだ。

そして、引き抜くモーションなど一切行わず、台座ごとインベントリ(ポケット)に「収納」したのである。


「ええええええっ!?」

「アイテム取得、フラグ2回収完了。台座のグラフィックは重かったから、メモリ節約のために消去した」

「台座ごと持っていった!? バカじゃないの!? 聖剣を引き抜く感動のシーンはどうなるのよ!」


精霊が泣き叫ぶ中、カイはすでに泉の反対側にある大木に向かって走り出していた。


「スッ、スッ、スッ、ガガッ、スッ」


またしても始まった、木と地面の隙間を狙った不気味な反復横跳び。


「な、何してるのあの子……木に向かって痙攣してる……? こわっ……」


精霊がドン引きする中、「スゥンッ」という音と共に、カイは三度目の壁抜けを実行し、迷いの森の空間から姿を消した。


◆ ◆ ◆


(現在時刻、タイマースタートから12分30秒。ここまでは完璧だ。フラグの回収は完了した。あとは……世界の処理システムがクラッシュする前に、魔王城の玉座に戻って、正規の『魔王討伐エンディング』のイベントを強制的に呼び出すだけだ)


カイは三度目の虚無空間を滑空しながら、急激に世界が崩壊し始めているのを感じ取っていた。

視界の端で、空のテクスチャが剥がれ落ち、真っ黒な宇宙空間のような虚無が広がり始めている。

ゲーム内で言えば、セーブデータが破損する一歩手前の、画面がフリーズする直前の状態である。


(急がなきゃな。世界がフリーズしたら、俺のRTAの記録もパーになっちまう)


カイの優先順位は、いつだって「世界の平和」よりも「自分のクリアタイム」であった。


彼は再びアイテム乗り抜けバグを実行し、魔王城の玉座の真上へと座標を合わせ、猛スピードで急降下した。


ズドォォォォンッ!!


四度目の天井粉砕。

カイが魔王城の玉座の間に降り立つと、そこはすでに地獄のような有様になっていた。

消滅したはずの魔王のパジャマが宙を舞い、Tポーズのガーゴイルが床を高速でスライドしながら増殖し、玉座そのものが七色に発光しながら回転している。

物理演算が完全に狂い、バグとエラーが入り乱れた、開発者の悪夢のような空間。


「……よし。座標は合っている。あとは、ここで『王女のペンダント』と『聖剣』を装備し、エンディングのトリガーとなる座標(玉座の前)を踏むだけだ」


カイはインベントリから強奪したペンダントと台座ごとの聖剣を取り出し、無理やり装備スロットにねじ込んだ。

そして、七色に発光する玉座の目の前にある、特定の床のタイル(イベント発生判定の透明な箱)に向かって、一歩足を踏み入れた。


ピーン、ポーン、パーン……♪


その瞬間。

狂ったように明滅していた世界が、ピタリと静止した。

増殖していたガーゴイルも、回転する玉座も、すべてが一時停止し、どこからともなく、壮大で感動的なオーケストラのBGMが流れ始めたのである。


「……ふぅ。間に合ったか」


カイは安堵の息を吐き、手元のストップウォッチを止めた。


「タイマーストップ。記録、18分45秒。……壁抜けとフラグスキップを駆使した、世界修復込みの『魔王討伐・トゥルーエンドRTA』、世界新記録(ワールドレコード)だ」


誰もいない、バグだらけの玉座の間で。

カイは一人、満足げにガッツポーズを取った。

その直後、虚空から光の柱が降り注ぎ、カイの身体を包み込んだ。それは、世界を救った勇者を王城へと帰還させる、エンディングムービー用の強制転移魔法であった。


「さて、エンディングムービーの長さが約10分。……王様の話は長いから、ここもテキストスキップで飛ばすか」


カイは光に包まれながら、無表情のまま首を高速で縦に振る準備を始めた。

王城で待つ国王とアリスが、空から台座ごと聖剣を引きずって帰還し、光速で首を縦に振り続ける勇者を見て卒倒するのは、この数秒後の話である。

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