第14話 食後のハーブティーを飲んだ後は、二階の客間へ
食後にハーブティーを淹れると、トレヴァーは不思議そうにカップを見ていた。
部屋の中には、カミルフィのリンゴのような甘い香りが漂っている。ミスティアの爽やかな香りと相まって、とても落ち着く香りだ。
「ハーブって薬以外にも使えるんだな。お茶にするなんて初めてだ」
「そうか。俺は薬嫌いでな。昔、それを見かねた知り合いの魔法薬師が、だったら日頃から身体にいい茶を飲めといって教えてくれたんだ」
「魔法薬師……ルーファスって、もしかして冒険者だったのか?」
カップを受け取りながら、さらりと訊くトレヴァーに、言葉が詰まった。
まさか、元王族で兄を失脚させた上に断罪されたなど、いえる訳もないしな。
「……まあ、そんなとことろだな」
曖昧に頷きながらソファーに腰を下ろすと、ジャスミンが目をキラキラさせながら「冒険者だったの!?」と声を上げた。
いや、違うんだが。カップに口をつけながら曖昧に頷けば、ジャスミンはさらに身を乗り出した。
「悪い魔王やっつけた? 竜と戦った!?」
「……いや、ないな」
「魔王なんているわけないだろ? そりゃ物語の話だ!」
「むー。じゃあ、悪徳商人や悪い王様やっつけたりは!?」
ジャスミンの言葉に、一瞬背中がひやりとした。
「この平和なエルドラノルに、悪い王様なんていないって」
「なによー。トレヴァーがやろうとしてたのは、悪徳商人と、そう変わらないじゃない!」
「うぐっ……それは……」
「王様だって、悪いことをするかもしれないし、騙されて悪者になるかもしれないわ」
「まあ、そりゃな。俺らじゃ王侯貴族のことはわかんねーし、もしかしたら、物語みたいなこともあるかもしれねぇけど。冒険者がやっつけるのは、ないと思うぜ。エルドラノルにだって、最強の魔法騎士団があるだろうが」
二人から次々に出てくる言葉に、過去の記憶が蘇った。
俺の国にも強い騎士団があった。いや、作った。だけど、それは俺を守る物ではなかった。いつの間にか、騎士団の実権を臣下に握られ、大義名分のもと、俺は……
「ルーファス、どうしたの?」
「お前がバカなこと訊くから、呆れてるんだろ?」
「誰がバカよ!」
ジャスミンが小犬のように声を上げる。それにトレヴァーがなにか返したようだったが、会話が頭に入ってこなくなった。
ハーブティーを飲み干し、深く息を吐く。甘く漂うカミルフィの香りが消えると、とたんに背中を汗が伝った。脳裏に蘇るのは民衆の罵声と冷たい枷に、鎖の感覚。
「……悪いが、俺は休むぞ」
立ち上がると、目の前で睨み合っていた二人がビクッと硬直した。
「け、ケンカじゃないからね!」
「そうだ。これは、ちょっとした言葉の行き違いというか!」
「……トレヴァー、部屋を案内する。ジャスミン、悪いがカップはキッチンに置いといてくれ」
「え、ええ、いいけど……ルーファス、大丈夫? 顔色がよくないわよ」
「どっか、具合悪いのか?」
心配そうに俺を見る二人に、少しだけ心が軽くなったようだ。
あれは過去のことだ。ここは俺の国じゃない。大丈夫だ。──心の内で繰り返し呟くも、唐突に起きたフラッシュバックはなかなかに堪えていた。
「いや、疲れが出たんだろう。久々に槍を振ったからな」
「そっか……無理させて、ごめんね」
「そもそも俺が迷惑かけたからだよな……悪かった」
「気にするな。一晩休めば戻る。ジャスミン、お前も魔法をだいぶ使っただろう? 今日は早く休めよ」
二人の頭をがしがしと撫でまわすと、愁傷なことに、二人は素直に頷いた。
ジャスミンを部屋に残し、トレヴァーと奥の扉の先にある廊下を進んだ。その途中、シャワールーム、洗面所やトイレの場所を教え、廊下の突き当りにある階段で二階へと上がった。
「大きいよな、このログハウス」
「一人で住むには、そうだな。元々、遠い親戚の持ち物だったらしいが……」
「ジャスミンもここに住んでるのか?」
「いや、あいつは森に帰る」
「そうなのか……」
「なんだ、寂しいのか?」
「ち、違っ! そんなんじゃねぇから!」
慌てだすトレヴァーに苦笑しながら階段を上がりきった。その先には本棚とソファーが置いてある。
肩にかけていた荷物を下ろしたトレヴァーは本棚に興味を引かれたようで、その前に立った。
「読んでもいいか?」
「好きに読めばいい。前の家主が置いていったやつだ」
「へー。そいつは魔術師だったみたいだな」
「……そうかもな」
小さな広間には扉が三つ。そのうち二つ並んでいる扉の前に立ち、両方を開けた。
「両方とも空いている。好きな方を使ってくれ」
「マジでいいのか?」
「何度もいわせるな。住む代わりに働いてもらうだけだ」
「そっか。そうだったな……じゃあ、そっち使うな」
手に本を持ったまま、俺の部屋に近い方を覗いたトレヴァーは「充分に広いな」と驚いたようにいった。広いといっても、ベッドと小さな机、簡素なコートラックくらいしかないのだが。まあ、寝るだけなら問題はないだろう。
「危険な魔法は使用禁止だぞ。床に魔法陣も書くなよ」
クロヴェル遺跡でのことを揶揄すれば、トレヴァーは顔を引きつらせながら「もう、やんねーって!」と声を大きくして顔を赤くした。
まったくこいつは、自分の仕出かしたことの危険性を、わかっているんだかいないんだか。
自分が十九、二十歳の頃はどうだったか。
あの頃は、まさか兄上が愚王と呼ばれるようになるとは思いもしなかった。兄上を支えていく、そう考えていた。俺たち兄弟は、自分たちの持つ力──王族という地位をちゃんと理解していたのか。覚悟は足りていたのだろうか。
「なぁ、まだ心配してんのか? 床に魔法陣は書かないって」
「ん? いや……俺は魔法に詳しくない。けど、お前の魔法は凄かったと思うぞ。ただ、使い方がよくなかった。あれは争いを生むだけだ」
「それは……」
「いかなる信念があろうとも、持ちうるものを誤信しては身を亡ぼすだけだ。覚えておけ」
説教地味てしまうのは、過去の裏切りのせいなのか。兄上を討ち取ったことを、未だに後悔しているからなのか。
「わかったよ。……なあ、ルーファスって、お人好しだよな」
「……そうか?」
「そうだよ。俺のこと自警団に突き出せばいいのに、こんな面倒見て説教してさ。……師匠みたいだ」
「師匠?」
「──なんでもないっ!」
声を張り上げたトレヴァーは、なにか誤魔化すように笑って「ありがとな」といった。
トレヴァーの肩を軽く叩いて自分の部屋へと向かおうとすると、下の階からジャスミンが「トレヴァー!」と呼ぶ声がした。一人で下にいるのが飽きたといったところか。
「悪いが、ジャスミンの相手をしてやってくれ。どうやらあいつは、天涯孤独のようでな」
「そうなのか?」
「ちゃんと聞いた訳じゃないが、育ての祖母はもう他界したらしい」
おそらく、人懐っこい性格は人恋しいとかそんなところだろう。そう話すと、トレヴァーは少し驚いたように目を丸めた。なにか思うところがあるのか、髪をわしわしとかき乱して「仕方ねぇな」と呟く。
「俺が相手するから、ルーファスは休めよ」
トレヴァーは、いいながら本棚の前に移動し、持っていた本を丁寧に棚へと戻した。かと思えば、床に置きっぱなしだった荷物は、空き部屋に放り込む。まったく、几帳面なんだか雑なんだかわからんヤツだ。
「明日は村の畑に行くんだろ?」
「ああ、そうだな」
「ちゃんと疲れ取ってくれよな!」
再び下の階から「ねえ、トレヴァー!」とジャスミンの声が聞こえ、階段を上る足音が聞こえてきた。
「今降りる、待ってろ!」
騒がしく階段を駆け下りるトレヴァーに後を任せ、俺は自分の部屋へと入った。
扉を閉めてベッドに腰を下ろすと、自然にため息がこぼれた。
ブーツを脱ぎ捨て、そのままの格好で体を横たえた。
日が傾き、部屋にはオレンジ色の夕日が差し込んでいる。それがまた、なんともいえない寂しさを呼んでいるようだった。
もうすぐ夜が来る。
「……疲れたな」
天井をぼんやり眺め、一日のことを思い出す。
村人たちはずいぶんと温厚で明るそうだった。この辺りは、本当に平穏なんだろう。それからクロヴェル遺跡……ハーブの種類が多かったな。あそこまで、また摘みに行くのもいいし、苗を持ち帰ってくるのもいいな。
天上に向けて手をつきあげ、ぐっと拳を握った。
思い浮かべたのは、誤魔化しの槍──兄上を追い詰めた俺の愛槍と瓜二つだった。あの手に馴染む感触、重さ。
手に残る感触は罪の重さだろうか。
「兄上……もしも、王家になど生まれていなかったら」
また別の人生があったのだろうか。そう例えば、一緒に畑を耕して、カフェを開いて──ありもしない未来に、乾いた笑いが零れた。
今日の俺はどうかしている。生き返ったのは俺だけだ。兄上に逢えるはずがない。
込み上げる後悔と涙を堪え、目を閉ざした。
「……疲れているだけだ」
呟き、深い闇へ潜るように、ゆっくりと意識を手放した。
闇の中、聞こえてきたのは俺を罵る民衆の声だった。
「失地王! お前が国を滅ぼした!」
「裏切り者め!」
「国を売った金の亡者め。地獄に落ちろ!」
罵声にはなれている。だが、それに隠れてひそひそと「グラント王がいた頃はよかった」という声が聞こえてきた。それが一番、胸に突き刺さった。
舞踏会に祭り、華やかなことにばかり金をつぎ込んだ兄上。その浪費癖が、国を食らいつくそうとしていたことを、王都で生活する民衆は知りもしなかったのだろう。
俺はどうすればよかったんだ。国が衰退する様を、見て見ぬふりをしていたらよかったのか。
石牢の小さな窓から見た月に、何度も訊ねたことを思い出す。
どうすれば、兄上と共に生きる道を掴めたのか。なぜ、兄上はああも変わってしまったのか。なにが悪かったというのか。
「兄上は、もういない」
零れた俺の声は、絶望に染まっていた。
手に握りしめた槍が重さを増す。その切っ先は血に染まり、滴り落ちた雫が手を汚した。
息が荒くなる。血の臭いが鼻につく。
足元が崩れ、まるで底なし沼のように俺を引きずり込んだ。その先は静かな暗闇。罵声も聞こえてこない、血の匂いもない。あるのはただの闇だった。
このまま身を任せてもいいのかもしれない。そう思った時だった。誰かが俺を呼ぶ声がした。それは少し幼く、だけど、まるで春の陽射しのようで──
「──ス、ルーファス!」
ハッとして目を開ければ、ジャスミンとトレヴァーが俺の顔を心配そうに見ていた。
「朝だよ。ルーファス」
「うなされてたみたいだけど、大丈夫かよ?」
「村に行くの、明日にしようか?」
心配する二人に「おはよう」といって体を起こし、汗で湿った髪をかき上げた。
「大丈夫だ……少し、夢見が悪かっただけだ」
ベッドから降りて「飯にするか」といえば、二人は顔を見合わせた。
次回、本日10時頃の更新を予定しています
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