第3話 僕の夢が壊れる
夢が、途切れた。
それからというもの、保健室には、行っていない。
制服は椅子にかけたまま、携帯の電源は切ったまま。
学校からの通知も、担任からの留守電も、全部ノイズみたいにスルーした。
──あれ以来、一度も、彼女は現れなかった。
夢が消えたというより、
“世界から音が抜けた”感覚だった。
朝も、昼も、夜も。
ぜんぶ濁った水の底に沈んでいくみたいに、遠くて静かだった。
母さんは毎朝、階段の下から声をかけてくる。
「航、保健室だけでも行ってみたら?」
「食べられそうなものある?」
……でも返事は、しなかった。
声を返した瞬間、現実が入り込んできそうで怖かった。
目を閉じても、もう浮かんでこない。
あの光も、あの笑顔も、桜の舞う風景も──
全部、あの夜を境に消えてしまった。
雨の日の午後。
カーテン越しの光も鈍くて、部屋が灰色に沈んでいたころ。
玄関のチャイムが鳴いた。
階段の下から、母の声。
「先生、ありがとうございます。こんなふうに来ていただいて……」
──その声で、胸の奥がざわっと揺れた。
松浦先生が訪ねてきたらしい。
夢のことを、最初に“肯定して”くれた唯一の大人。
そして、最後は否定した人。
──会いたくなかった。
***
どれだけ時間が経ったのか、わからない。
家の中が静かすぎる。
……もう、帰ったのかもしれない。
布団をはぐって、静かに体を起こす。
足音を立てないように、階段を下りる。
途中、ふと足が止まった。
居間の扉が、少しだけ開いていた。
中から、ごく小さな声が聞こえる。
「それで、お願いしました催眠療法……」
「ええ。正確には、心理的なイメージ誘導です。
深呼吸しながら、“安心できる風景”を思い描いてもらって──」
「……でも途中から、変化が出てきたんです。
“夢の中の人物”に、心を預けすぎてしまって……」
「……先生。あの子が見てた夢って、あなたが……?」
母の声が、かすかに震えていた。
「本来は、ほんの短い休息を与えるつもりでした。
けれど航くんの心が “夢の中に残りたい”と、そう願ってしまったんです。
だから、もう中止すべきだと判断しました」
心臓が、ひとつ跳ねた。
頭の奥が、急に、真っ白になる。
──それって。
あの夢は。
ぼくの夢じゃなかったのか?
先生が作った……“イメージ”だったの?
ドアが開いた。
ふたりの視線が、いっせいにこちらに向いた。
「……全部、先生が作ってたんですか」
声は震えていた。けど、はっきり聞こえた。
「ぼくが見てた夢も、彼女のことも。
──あの時間も……全部、うそだったんですか?」
松浦は、何か言っているらしく口をパクパク動かしていた。
でも、何も聞こえなかった。
母が、そっと近づいてくる。
僕は、後ずさりをした。
「信じてたんだよ。ほんとに」
「……あの夢だけが、“本当”だったのに!」
僕は、勢いよく玄関のドアを開け放つと、外に飛び出した。
冷たい雨が顔にあたる。
靴の中までびしょびしょだ。
でも、そんなことどうだっていい。
歩道をひとり、ただ無言で歩いた。
頭の中では、彼女の声が繰り返し響いていた。
──笑ってた。
──髪を結んでた。
──修学旅行のしおりに、赤ペンで印をつけてた。
それが、全部“うそ”だったなんて。
胸の奥で、何かがはじけて壊れたような気がした。
***
後ろから、空気を切り裂いてブレーキ音が響く。
振り返えると、雨に濡れたアスファルトをトラックが滑るように迫ってくる。
視界いっぱいに強い光が差し込む。
衝突音が聞こえたのと同時に、体が跳ね上がった。
真っ白な光が消えると、すぐに目の前が闇に包まれた。




