過去――6
彼女との約束の日。ぼくは一睡もしないで登校することになった。
書いていた歌詞を寝る前に読み返したら、このままでは見せられない、と感じたからだ。
0時を回っていたが、ベッドから出て、机に座り直した。
時間は瞬く間に過ぎていき、新聞配達のバイクの音が聞こえてきた。
その日の学校は睡魔との戦いだった。
ホームルームが終わると、ぼくは一番に教室から飛び出した。
一度自宅に戻ることも考えたが、学校からでも、その公園まではたいした時間はかからない。何より、彼女にまた普段着を見られることに抵抗があった。制服ならいくぶんましだろう、と思った。
公園まで自転車を飛ばした。
公園につくと、小学中学年ぐらいの女の子が数人でベンチに座り話をしていた。
女の子たちは、ぼくの姿を認めると、一瞥して、すぐに話に戻った。
ぼくはその子たちからなるべく離れたベンチに腰を下ろした。
すぐにスマートフォンを取り出し、詩の最終チェックを始める。
読み返すたびに、直したい部分が目につく。
落ち着きなく、足を揺らしているときだった。
「おまたせ!」
頭上から声が降ってきた。
顔を上げると、彼女が首を傾げて、ぼくを見ていた。
「こんにちは……」
「こんにちは」
彼女は笑顔で返してくれた。
「一応、書いてみたよ。自信はないけど……」
「書けたんだね。ありがとう」
「うん・・・・・・」
「この前も言ったけど、判断するのは、私だからね。健は書いたものを見せてくれればいいのよ」
「わかった。約束だけど……」
「私が先に歌を聴かせるって約束のことよね?」
「うん」
「もちろん、約束は守るわよ。まさか、私が約束を守らない女とでも思っていたわけ?」
彼女は含みのある顔をして言った。
「そ、そんなことないけど……」
「まあ、いいわ。ちょうど今は人も少ないし、まだ夜でもないから、少し声を出したぐらいじゃ何も言われないわよね」
彼女はぼくに同意を得るように言った。
「大丈夫だと思う」
「よし! じゃあ、歌うわね」
「お願いします」
ぼくがそう言ったのを皮切りに、彼女の纏っている空気が変わった。
ぼくは思わず、背筋を伸ばす。
彼女が声を出した瞬間。ぼくは前進に電流が走ったような気がした。
それほどに、彼女の声は圧倒的だったのだ。 それに加え、彼女が歌い出したのは、Deep in Blackの楽曲だった。彼らの楽曲の中でも、知名度は低いが、隠れ名曲として知られているバラードだ。
ぼくも何度も聴いたことがある楽曲だ。
彼女は、ここが自分のステージだと言わんばかりに、この空間を支配していた。
彼女のボルテージが上がるのと同時に、ぼくの気持ちも高揚していく。
彼女の声は、強くてしなやかだった。
ふいに、人の気配を感じたので、視線を少しだけ彼女からずらした。そこにいたのは、さきほどの女の子たちだった。みんな、目を輝かせて、彼女のパフォーマンスに魅入っている。
ぼくは再び、彼女の歌声に集中した。
ぼくからすれば、彼女はすでにプロの歌手のように感じられた。
曲が終わりに近づくにつれ、ぼくの心に、終わってほしくない、まだ聴いていたい、という思いが生まれた。
ぼくは久しぶり生まれたこの感情に、少し戸惑いを覚え、目を伏せた。
こんな感情になったのは、亮の曲を聴いて以来だったからだ。
彼女はもうこの域に達しているのか。
ぼくは自分を恥ずかしく思った。
同年代で、これほどの存在がいることに、自分は何をしているのだろう。
彼女の歌声は、最後まで容赦なかった。
歌が終わり、彼女が、ありがとうございました、と言うと、一斉に拍手の雨が降ってきた。
女の子たちは、力一杯、彼女に拍手を贈っている。
ぼくは、その光景に、つられるように拍手をした。
彼女は、女の子たちから、質問攻めにあっている。
おねえちゃんは芸能人なの?
彼女はそう訊かれ、今はまだただの女子高校生よ、と答えていた。
女の子たちが去ってから、彼女と視線が合った。彼女は不思議そうな顔をしている。
「健。聴いてくれてありがとう。でも、どうして泣いているの?」
泣いている? ぼくが?
彼女にそう指摘され、ぼくは目元を手で拭った。手にはたしかに涙の感触が残った。
目をしばたかせていると、彼女が、
「そんなに、私の歌、よかった……?」
とはにかみながら言った。
「うん。よかった。技術的なことはよくわからないけど、とにかくよかった。すごかった!」
ぼくがそう言うと、彼女は驚いたように目を開き、ゆっくりと閉じて、ガッツポーズをした。




