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 六時。目が覚めた。スマホのアラームが鳴る一時間前。

 カーテンの隙間から光が顔を照らす。


 俺はベットから起き上がると、そのままテーブルに向かう。

 目の前にある白紙の紙一枚。

 近くに落ちているボールペンを握ると、無意識のうちに紙に文字を書いていく。 


 なぜ、こんなにも次々と文字が浮かぶのか分からない。

 

 まるで、何かに操られているような。

 俺の物語、俺の言葉。


 ペンを握る力が強く、中指の第一関節が痛くなってきた。


 しかし、俺の手は止まらない。


 小さな部屋に、ただボールペンを走らせる音が響いた。


____


 待ち合わせ場所は、松林の家。


 大学から少し離れた住宅街の奥。スマホのマップを片手に、俺はその家を目指して歩いていた。


 こんな場所に人気作家が住んでいるのか、少し意外だった。

 駅からも遠く、静かで目立たない場所。外から見えるのは白く塗られた壁と、きちんと整えられた植え込み。そして、プレートに書かれた「MATSUBAYASHI」の表札。


 緊張しているのか、俺の手のひらは汗ばんでいた。背負ったリュックの中には、A4用紙十枚。俺がこの一ヶ月で書き上げた“依頼が入っている。


「……ここ、か」


 軽く息を吐いて、インターホンを押す。


 数秒の静寂の後、玄関のドアが開いた。


「やあ、沖山くん。待ってたよ」


 笑顔で現れた松林凛は、あの日と同じく落ち着いた声で俺を迎えた。

 服装はシンプルなカーディガンとジーンズ。だが、その佇まいにはどこか余裕と観察者のような冷静さがある。


 通されたリビングは、意外なほど質素だった。余計な装飾はなく、壁際には本棚。奥の机の上には、ノートPCとコーヒーメーカー。そして、机の横に、俺のためらしい椅子が一つ用意されていた。


「じゃあ、読ませてもらってもいいかな?」


「……はい」


 俺はリュックから紙の束を取り出し、机の上に置く。


「一応、順番に並べてます。タイトルだけは、全部右上に書いてあるんで」


「ありがとう。楽しみだったんだ」


 松林は、静かに一枚目を手に取ると、読み始めた。


 俺は緊張しながら、ソファに腰を下ろした。部屋は静まり返っていて、ページをめくる音と、時折鳴る松林の小さな鼻息だけが響く。


 やがて、彼は九枚目を読み終えた。


「ふむ……いや、驚いた。まさかここまで書いてくれるとは。正直、最初はもっと上っ面の話ばかりになるかと思ってたんだけど……沖山くん、君は本当に“視てる”ね」


「視てる、って……?」


「いや、ただの感想さ。君が書いたそれぞれの話、面白かったよ。けれど、どれも、君自身が深く関わっているように感じた。たとえば、君の友人が聞いたというチャイムの話も、祖母のLINEも。どこか、他人事ではないような匂いがする」


「え……」


 思わず、声が漏れた。


「もちろん、君が書いた話は、あくまで“人から聞いた話”や“偶然見聞きした話”として成立している。けれど、不思議だと思わない? どうしてこんなにも君の周囲には不可解な話が集まるんだろう。君は、“聞き役”というより、“引き寄せる側”なのかもしれない」


 冗談めかした口調。でも、目は笑っていない。

 この男は一体何を言ってるのか。


「それで……これが最後の一枚」


「……はい」


 俺は躊躇いながら、最後の一枚を差し出した。


 今日の朝に俺が書いたばかりのネタを松林に渡した瞬間、部屋の空気が変わった。


 松林の目が、紙に落とされる。


 数秒。


 その静寂の後に、彼はふっと笑った。


「これは……なかなか、すごいね」


 俺は少し肩をすくめた。


「朝、思いついたんです。ぶっつけ本番みたいなもんで、うまくまとめられてるか不安なんですけど……」


「いや、よくできてるよ。まるで小説みたいだ。『人気作家の家に招かれ、その作家を殺す』……っていう話。実にスリリングだ」


 松林の視線が、ふいに鋭くなる。


「でもさ。君、九枚目までのネタ、全部『他人から聞いた話』って言ってたよね」


「はい。バイト先とか、知人の話を……」


「でも、どれも共通点がある。まるで同じ目線で描かれている。加害者側の立場っていうか……不思議だよね。偶然にしてはできすぎている」


 俺の喉が、自然と鳴った。乾いている。


 ……なんだ、この感覚。


「ねえ、君さ。『沖山』って名乗ってるけど、本当の苗字、なんだったっけ?」


 俺は、動けなかった。


 胸の中に、何か冷たい針のようなものが突き刺さる。


「……え?」


 松林は穏やかに笑いながら、しかしその目には獲物を逃さぬ獣のような鋭さが宿っていた。


「実はさ、君の小学校時代の宿題の紙、偶然見つけたことがあるんだ。俺の知人に、君の通っていた小学校の教師がいてね。前作の取材で学校を訪れたときに、彼が見せてくれた“ちょっと変な作文”の話を聞いた。そこには、オキヤマって記名された紙があるんだけど、名簿には“菊池”と書かれていて一致しなかった、と。名簿も確認したよ。その年、そのクラスに“沖山”なんて子はいなかった。いたのは菊池翔、ただひとり。なのに、提出されたプリントにはオキヤマの文字。先生たちも不思議がってたらしいよ。『こんな子、いたっけ?』って」


 頭が熱いのか冷たいのか、わからない。掌がじっとりと濡れている。


 俺は……誰だ?


「君、もしかして……気づいていない? それとも、気づかないふりをしてるだけ?」


 松林の声が、まるで劇のセリフのように滑らかに響く。


 演じている? は? どういうことだよ。


「君は自分が誰なのか、忘れたふりをしてきた。でも、本当は覚えているはずだ。昔から異常なまでに人の視線や感情に敏感で、人の“隙”を感じると入り込んで支配しようとするクセがあった。……あるいは、無意識だったのかもしれないけどね」


 松林は、順に一話から九話までの紙を並べ直す。


「このチャイムの話。音が鳴っていたのは、君がその友人にストレスを与えるために無意識に仕組んだ“行動”。その後のノートも全て君が用意したんだろ?


 この、家の中のものが使われていたり、人の気配がするっていう話も、全部君がやったことだよね? 防犯カメラをハッキングして、合鍵を作り家に侵入した。全部その子への好意からきた衝動。


 無言電話。君自身がかけていた記録が、君の通話履歴に残っていたの、気づかなかったかい?


 祖母のLINE。君が友人の祖母のスマホに勝手にアクセスしたんだよね?


 近所のおばさんの話、バイト先の店長の話。全部、“君が何かを起こした結果”、相手が語る“怪異”になっただけなんだ。……君は加害者だった。けれど、自覚していなかった。あるいは、都合よく“もう一人の自分”がやったことにしていた。


 七話の、公園にいる赤いリボンの女の子の話。きっと幼少期の君が、この女の子と公園で遊んでから倉庫の中に閉じ込めたんだろうね。半年後にその子の遺体が倉庫から見つかったんだ。警察は、事故として片づけたけどね。


 八話で君が書いた、母親から聞いたっていう話。あれも本当は、“君が作った遊び”だった。本当は、母親に連絡してないんだよね? これは君の物語だ。

宿題をやらなかったって子が学校を休むっていう、ちょっとしたホラーごっこのつもりだったのかもしれない。けど、あまりにリアルすぎた。いや、本当に誰かを傷つけたのかもしれない。だって、君は昔から、そういう“遊び”を自然にやってのける人間だった。


 九話目、“ろうそくの夢”。……あれも偶然じゃない。山川くんも、宮下さんも、店長も。夢に出てきたのは君だった。君が見せたんだ。もしかしたら、君が言ったのかもしれないね「夢って共有できたらヤバくない? 俺さ、体育館でろうそく持つ夢見たんだよ」って。君は無意識のうちに言ってるから覚えてないかもしれないけど、その言葉がここに出てくる人達の中で潜在意識に刷り込まれ、夜中に夢として再現されたのかもね。


 沖山という名前は、君が小学生の頃から使っていた“架空の自分”の名前。完璧で、知的で、人気者の理想像。


 現実の“菊池”は、陰湿で、ひとりで、自分を持て余していた。それを隠すために、君は“沖山”を名乗るようになったんだ」


 指先が、震え始める。

 膝がガクガクと揺れる。


「君が今までにしてきたこと、法的に結構アウトだよね。小学生時代の行為は、まぁ刑事責任能力がないから処罰対象外になるかもしれないけどさ、住居不法侵入罪、軽犯罪法違反、迷惑防止条例違反、他にも結構な罪を犯しているよね。でも、全て無意識で行われたことだから、精神鑑定の結果次第では無罪になるかもね」


 松林が立ち上がる。俺と距離を詰める。


「君は本当に面白い人間だね。ずっと、僕は会いたかったんだよ。オキヤマと名乗る君が、僕の母校の大学に通い、恩師のゼミに所属していることを知ったとき、脳汁が溢れそうなくらい興奮したんだ。ずっと探していたんだ、君みたいな人を」


「……黙れ」


 俺の中で、何かが爆ぜた。


「小説のネタ集めを、わざわざ僕が一般人に頼むと思う? 僕はね、君を知りたかったんだ。菊池くん」


「俺は、沖山だ……俺は、オキヤマ……だって……!」


「あぁ、そういえば十話の解説を忘れていたね。確か、人気作家の家に招かれ、その作家を殺す内容だよね。人気作家って、もしかして僕のことかな? ハハハッ、やはり君は僕の最……」



 ペーパーナイフが、手の中にあった。なぜ、こんなものが手の中にあるのか分からない。


 気づいたときには、松林の胸元に、それを突き立てていた。


 松林は血を流してゆっくり倒れる。胸から流れる血が、絨毯に大きなシミを作り、俺の靴下までたどり着いた。



 この部屋には、もう俺の呼吸音しか残っていない。


 何歩か、慎重に足を運び、松林の机の前に立つ。


 電源が入ったままのパソコン。ログインパスワードは、さっき机のメモ帳で見つけた。

 何かの人物名だった。「okiyama」それを見たとき、思わず笑ってしまった。


 俺の名前だ。正確には、本当の名前じゃない。けど、今はもうそれでいい。

 ここにいるのは、「沖山翔」だ。


 俺は椅子に腰を下ろし、指をそっとキーボードに添えた。


 なめらかすぎるキーの感触。指が紙と鉛筆を忘れていく。


『これは、俺が経験した話である』


 そう書いて、エンターキーを押した。


 画面のカーソルが、一段下にすっと移動する。

 

 あんたは、俺の“狂気”を見抜いた。


 もっと言えば、引きずり出して、育てた。

 最初から、俺を“主人公”にしたがってたんだ。


 十枚の宿題も、十個の不思議な話も、すべてはこの瞬間に辿り着くための“プロット”だった。


 書いてやるよ。


 世界で一番リアルで、一番怖くて、一番血生臭い物語を。


『これは、俺が経験した話である』


 嘘じゃない。俺の手で起きたことなんだ。俺が見て、俺が触れて、俺が犯した。


 

 カタ。カタカタ。カタカタカタ。


 俺の指が、もう止まらない。


『水曜の四限、眠気をこらえながら、俺──沖山翔は……』


 松林凛はもういない。だけど、作品は残る。

 俺が残す。沖山翔が、この手で。


 沖山翔は、俺が選んだ人生だ。

 誰かに呼ばせて、信じ込ませて、何年もかけて育ててきた人格だ。


 そして今、ようやく本当の沖山翔になれた気がする。


 書き手として。

 観察者として。

 狂気の供述者として。


 カーソルが、一文字ずつ、白紙に小さな傷を刻んでいく。


『この紙に、“身近で起きた不思議な出来事”を書いてきてほしい。全部で十個。一枚に一つずつ。次の小説は、不思議な出来事を元に事件を解決していく探偵物語にしたくてね』


 この物語は、俺の懺悔だ。

 この物語は、俺の作品だ。


 そして、この物語は、今この瞬間に始まったものだ。


 椅子の背もたれに背を預け、松林が最後まで書きたがっていた作品のタイトルを、俺はゆっくり打ち込む。


『とある小説家からの依頼』


 物語は、始まったばかり。

 

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