5
ぎ……が……
軋む。
捻れる。
砕け、壊れ、散り、無理やり押し潰され、一つに見せかけられる。
が……
もしそれが人間であればこう叫んだのかもしれない。
『死なせてくれ』────と。
『それ』は壊れていた。
壊されていた。
壊されながら、壊れられない。
1つの存在の中に正しい概念と狂った概念があろうことか共存し、そのために『世界』は『それ』を排斥しながら容認する。
人で例えるならば適応しない臓器を移植し、拒絶反応が出ながらも機能しているという状態か。
ぎぎぃぎぎぃいいいい
それが精神と肉体からなる者、つまり生物であれば精神が壊れて終りだったかもしれない。
だが、精神が肉体である者にとって、存在している限り壊れない。
壊れられない。
那由多の時間が過ぎたか、それとも刹那の間か。
『世界』が『それ』のあり方に折り合いを付けた時、『それ』はある意味産声を挙げた。
『それ』はやがて『ファグムント』ないしは『フェグムント』と呼ばれる虚構。
『何か』から発生するはずの精霊でありながら、あらゆる概念に帰属しない幻想。
狂気に属しながら正常な思考を有し、神とも比肩しうる力を持ってしまった混沌。
『それ』は、自らのルーツを『世界』から切り離されたために、この『世界』の誰も定義できぬ概念」。
『それ』は唯一使われた世界を破壊し、生み出す魔術『原理魔法』の落とし子────
『それ』はやがて己を『世界』に求めて裏切られ、神に挑み敗北を喫する。
『それ』が求め、逃げ込んだのは虚無の森。
魔女の森と呼ばれる場所。
余りにも静かだった。
虫も鳥もまるで見守るようにその息を潜め、静寂なる者へ舞台を預けている。
どすっ
巨大な鉄の塊が少女の傍らを掠めるように落ち、地面に突き刺さる。
あと数センチずれれば死に到るというのに表情を作る事はない。
「強酸毒……だったか」
男の呟きにはっとしたのは見守るばかりの女一人。
己の包帯に巻かれた腕を見て折れた剣を振り返る。
錐で穴を開けたように無数の虫食い穴。
それを繋ぐような亀裂が大剣を叩き折るに到った原因。
それだけでは折れなかっただろう。
しかし大地を陥没させるほどの攻撃と連撃。
その両方が耐久度を著しく消費し、最後の一撃が止めを穿った。
「負けだ、小僧」
浅くない傷だが致命傷でもない。
深く息を吐き男は尻を着いて腹を押さえる。
「この首、獲るか?」
「…… いらねぇよ。
だからもう来んな」
男は鼻で笑い血にぬれた腹を見る。
「甘いな」
嘲る様な言いざまにシリングは憮然としつつも、
「甘いよ」
と応じる。
「けど無駄に命を獲るなんて御免だね。
それに、それを言うならあんただって俺を二回も見逃した」
「次は獲るぜ?」
不遜な物言いに一瞬言葉を喉に詰まらせるが、目に力を込めて、
「返り討ちにしてやる」
と言い放つ。
「それよりも、くるる、帰───」
言いながら振り返ってその場に少女は居ない。
「く、くるる? おーい」
「ん?」
声は真下から聞こえた。
手には軟膏と包帯。
男の治療をしようということだろうが
「なんばしよっと?」
ちょっと声をかけ辛くも聞くと無表情でオッドアイが見上げてくる。
「殺ス?」
でなければ治療する。
そういう事らしい。
「ま、いいけどよぅ」
さすがに釈然としないらしく、ぶつくさ言いながらも剣を納める。
彼女特製の軟膏。
その効き目はシリングが一番良く知っている。
血止めのそれを塗れば、よほどの出血でもものの数分で止まってしまうのである。
この男ならば出血さえ止まれば森を出る事くらい容易いだろう。
「小僧」
「なんだよ」
「騎士になりたいのか」
殺気はすでにない。治療を為すがままに受けて視線だけを不満顔のシリングに向ける。
「ああ、俺は騎士になる」
「青か?」
「青だ」
男は深く息を吐き、他人事のように自分の傷を見る。
「で、その女はどうする?」
「あ?」
「青は最前線の軍だ。同時に矢のような部隊だ。
放たれれば戻ってこれるかわかった物でない」
何をわかったようなと睨み付け、それ以上に強い眼光に一瞬怯む。
「青が無敵無敗だったのは事実だ。
だが、誰も死ななかったわけではない。
むしろ他の部隊の死を代替わりするような部隊だ」
青の鬼手。
相手の予測を超えた進軍速度と相手の理解を超えた一手。
そして純粋に強兵を集め、さらに鍛えぬいたという錬度。
それでも刃は刃こぼれを起こさざるを得ない。
「その一撃は相手の急所を貫く。
それ故に相手の力は激減し、壊走の始まりとなる。
で、小僧。
その使い手たる大将閣下が不在となった今、その刃になりたいと抜かすお前に聞いているんだ。
その女をどうするつもりか、と」
いかなる名刀も、使い手が三流であればあっさりとへし折れる。
「軍人ならどんなに絶望的な戦いでも命令に反することなんざできない。
それくらいは知っているだろう」
「っ……死ななけりゃいい……」
その言葉は、この男の前で余りにも無残だ。
気持ち一つでシリングは死んでいた。
容赦なく。
「一兵卒に口はいらない。
死ねと命じられれば死ななくてはならない。
死ねるか、小僧?」
「死ねるわけないだろっ。
だいたい死ねなんて命令、聞いた事ないぜ!」
「俺は、ある」
そう言って、何かをシリングに投げつける。
思わず受け止めた彼はそれが傷つけられた徽章であることに気付いた。
「って、おっさん!?」
それは緑の軍であることを示すもの。
しかも階級は少佐である。
ずたずたに刃が入れられても見間違うことのないものだ。
「そして俺は死ねなかった。
軍規違反は死罪。
仲間斬り殺して逃げた賞金首だ」
「ジェフ!」
それまで口を閉ざしているばかりの女が悲鳴じみた声を挙げて言葉をさえぎる。
「軍人だろうと人間だ。
頭の良し悪しもあれば、人間関係だってある。
その時、俺の上官になった男は副官を差し出せと言ったんだ」
「……は?」
ぽかんとするシリングに鼻で笑い話を続ける。
その後ろで女が奥歯を噛み締めて俯いていた。
「爵位を持った貴族サマでな、階級は大佐。
俺が断ったら俺の部隊だけで斥候に行けと命令された。
ただっぴろい何の遮蔽物もない草原でだ」
知ってるか?
と自嘲気味に男は笑う。
「四カ国同盟の際、圧倒的勝利を納めた対セムリナとの戦い。
その唯一の汚点さ」
語り終わるとクルルが何時の間にか居なかった。
その腹には見事に包帯が捲かれている。
「一応礼を言おう、魔女」
「ん」
やはり無感情に応じて沈黙を守る少女。
「どう取り繕うと俺は犯罪者。
だが、お前は俺に近いから言ったんだ。
お前は俺と同じ道を歩む」
否定の言葉が喉の奥でうずくまる。
副官を差し出せ。
恐らく副官は女だったのだろう。
そんなことを言われたら間違いなく殴り飛ばしている。
上官への暴行。
しかも相手が爵位持ちであれば釈明の余地すら与えられるか怪しい。
「花木蘭は輝かしい。
故に闇は濃く、陰湿になる。
そしてどんな光があろうとも、遮蔽物一つあれば絶望的な闇が生まれるんだ」
男は立ち上がると赤い唾を吐く。
「もう一回聞く。
俺と来ないか?
楽しいぜ?」
折れた剣を投げ捨てにぃと笑う男にシリングは迷わずに首を横に振る。
「お前の話が本当でも、俺はお前とは行かない」
「騎士になると?」
「……木蘭様は男ばっかりの世界に新しい世界を築いたんだ」
シリングは気力を振り絞るように男を睨みつけ、言い放つ。
「なら、俺だってそうしてみせる!」
「カッ」
堪えきれず吹き出した男が腹を撫でる。
「なら、何も言わねぇ。
まぁ、せいぜいがんばりな。
シリング」
姿だけ見ればのっしのっしという感じだが、その実ブーツからは一切の音が漏れない。
「行くぞ?」
そんな男が女にさも当然のように声をかける。
「……」
女は数秒ためらい、顔を上げてクルルを見る。
それから苦笑を漏らし、男の後を追った。
「おい、おっさん!」
呼びかけに男は足を止めない。
構わずシリングは続ける。
「俺はアイリン軍を信じるべきだったと思う!」
迷いが声を僅かに震わせる。
それを吹っ切るようにシリングは声の限り叫ぶ。
「木蘭様はすげーんだぜ!
他の国の悪だって解決しちまうんだ!
自分の国の問題をほっとくわけがねえ!
おっさんは言うべきだったんだ!
こんな悪いやつが居るって!」
男は歩みを止めない。
そんな事はどうでもいいとばかりにシリングは胸から喉に昇る言葉を留めずに放った。
「そうすりゃ木蘭様がなんとかしてくれた!
おっさんには不本意かもしれねーけどよ!
仲間を殺したってそんな顔するよりよっぽど良かったと思う!」
先に足を止めたのは女の方だった。
木陰に消えようとする男の背を見て、一度シリングを振り返る。
「…… 俺は、そう思う!」
女は泣き笑いのような苦笑をし、男を追いかけて見えなくなった。
「……」
どさり、と。
シリングはその場で尻餅を着くとのんびり空を見上げる。
「疲れたぁ……」
心の底からしみじみと呟く。
「あノ人」
音もなく、隣に腰を下ろしていたクルルがぽつりと呟く。
「剣が折れルのを知っテいタ」
「……なんか、そんな気がするな」
シリングは苦笑して、ある事を思い出し跳ねるように立ち上がる。
「って、くるる!?
さっきの何だよ?!」
「……」
少女はフードを脱ぎ、不思議な色の髪をゆっくりと掻き揚げる。
ニィと笑う口元。
その目は一色に染まっていた。
「1と3、どっちが強い?」
不意に、猫娘が問う。
「あぁ?」
不満を250%ほど詰めた声で返しながらも頭はその問いの意味を模索する。
事実上足止めされた今、悔しいができる事は何もない。
それにこの女が妙な事を言い始める時には少なくないヒントをばら撒く時だと知っている。
「じゃあ剣が三本と盾が七つ、面白いのはどっち?」
どちらも明確なのは『意味がない』問いであること。
1と3という数字そのものに強弱はない。
大小は強弱とは別の概念だからだ。
また剣と盾に面白さという概念は基本的に付属しない。
「にふ」
独特の笑みを浮かべ、アルルムは足をぶらぶらとさせる。
「君は魔女っ子の事を余り知らないんにゃよね」
それは事実だ。
守るべき対象としてのクュリクルルという女のことは知っている。
だが、その中身については理解の外である。
特にフェグムントなる精霊については皆目見当もついていない。
「あちしに付き合ってくれたごほーびに教えてあげる☆
あれはそーいう存在にゃよ」
意味不明。
いや、今の話を前提にするならば
「そもそも勝敗……優劣が成立しない存在?」
「おー、凄い凄い」
ぱちぱちとやる気が失せる拍手。
「1と3は条件次第でどちらが強いとも言えるにゃ。
あれはこの世界から自分が依座とするものを失ったためにありとあらゆる条件を狂わせてしまう存在にゃよ」
「……インチキじゃねぇか」
さいころを振った後で今回は大きい方が勝ち、小さい方が勝ちと言うようなものだ。
「でも、一回負けたんにゃよね。
挑んだ相手が悪かったにゃ」
確か、あの魔精霊が挑んだ神は知識神ルーン。
「全知神であるが故に、失せたはずの概念を知っていたにゃよ。
故に無理やりこちら側の舞台に引きずり出され敗北を喫したにゃ」
「……神と戦ったってのがそもそもパチ臭いんだが、なら別の神には勝てるって話か?」
「勝利条件を自分の好きなように変えるんだから当然にゃよね」
神を圧倒する精霊。
絵空事にしても笑えない。
「それも奈落に飲まれれば踏み止まるのが精一杯ってところにゃけどね。
発生した以上、消滅はあらゆる概念を超越した絶対法則にゃからね」
ま、それをぶっちしてるインチキもいるけどー、との呟きはひとまず流しておく。
「でも、ひとつ手掛かりをげっとしちゃったにゃねぇ」
「あぁ?」
楽しそうに笑うのが気に食わない。
「ああ、そだそだ。
もう終わったにゃよ?」
一瞬何の事かと呆然とし、魔女の件と気付いて目を向く。
「にひひ。
そちらの勝ちにゃよ。
いやー、シリングちんの早い事早い事、馬鹿の一念岩をも通す?」
「……つまり、『森』には入らなかった……?」
「ま、そーいうことにゃね。
ついでに最初の段階をクリアしちゃったからウハウハにゃねー。
あるるむちんだいぴーんち☆」
手掛かり、最初の段階。
「……同化」
「にふ」
また独特の笑い。
「やーっぱ物語は盛り上がらないとねー」
ぽん、とコミカルな音と共に小さな爆発と白煙。
後には猫娘を模した人形はわらわらと寄り集まって人間の形を模している。
「わー」
「にっげろー」
「たいきゃーく」
「おれのしかばねをこえれー」
即座にわらわらと森の奥に消えていく人形。
「……胸糞わりぃ」
呟くので精一杯だった。
─────とびっきりの悪夢を連続して見せられた気分だ。
「く、くるるさん?」
「トボけんな、小僧」
おずおずとした呼びかけへの返答は悪辣な雑言。
「げ!?
って、てめぇ!
さっきはくるるだったじゃねえか!」
不条理とばかりに怒鳴り散らす少年を呆れたように睨み、
「さっきは?
はっ、おめでたいなぁ相変わらず」
嘲りを欠片も隠さずに笑う未知の『狂った精霊』フェグムント。
クュリクルルの中に封印されているらしい存在。
自身を精霊と称するが、何の精霊かは誰もわからない。
クルル本人ですらその存在を自覚したのは一年ほど前のことだ。
「まぁ、そうつんけんするな、ガキ。
今日は礼を言いに出てやったんだからよ」
親の敵とばかりに睨みつけるシリングにへらっとした笑いを投げつけて、
「礼……だと?」
「ああ、お前のおかげでこの体のからくりがわかった」
意味はわからないが、それが良くない事だとはなんとなく感じた。
「てめ……」
「まぁ、聞けや。
お前は俺をこの体から追い出したい、そう思ってたな」
「ああ、そうだ!
さっさと出て行けよ!」
「まず、そりゃ間違いだ」
きっぱりと言い放たれて鼻白む。
拒否でも可否でもなく、間違いと精霊は言った。
「俺がこの体から出る方法はどっかにあるのかもしんねぇ。
まぁ、入れる方法があるんなら、ありえるんだろうな。
だが、その瞬間、この娘は死ぬ」
その話は誰かが言っていたのを聞いた覚えがある。
確か……アルルムだっただろうか。
「理由は簡単だ。
この体には魔力……生命力の一端を生み出す機能が欠落している」
「魔力なんてなくったって!」
「ばーか。
じゃあなんで魔力の使いすぎで『衰弱』すると思ってるんだ?
魔力ってのは生命に付随する力だ。
ないこと自体ありえねぇ」
魔法そのものの知識が魔術師か一部の学者に限定されるため、余り知られていないが、魔力のない人間は皆無である。
それを如実にあらわすのが起動型のマジックアイテム。
コマンドワードを唱えれば稼動するそれも、厳密に言えば『言葉』という魔術に微弱な魔力を載せているからこそ動くのだ。
仮に魔力を一切持たない者が居れば、その存在はマジックアイテムを起動させることはできない。
異界の言葉で言えば『違う言語での命令をプログラムは受け付けない』。
「俺様の魔力は自分で言うのも何だが、神と比肩する。
まぁ、厳密な意味では違うがそういうもんだ。
神霊ってヤツだな」
魔精霊は自慢げに胸を張り、笑う。
「んだからよ、普通俺様が人間ごときに宿れば人間は一瞬で溢れちまう」
魔術概念で『魔力許容』と言われるそれは、人間という器に対して多くとも一日に十の魔術しか許さないと言われている。
「まぁ、バケツと思えや。
普通は水が流れ込んで休めばバケツに水は溜まる。
このバケツが枯渇すれば生命は維持できない。
しっかし、この体には水を流し込む機能がない。
先に言えばその代替わりをしてるのが俺様だな」
「……」
文句は後回しに必死に頭の中でバケツを思い浮かべる。
「だが、俺様は滝の下にバケツを置くようなもんだ。
ふつーならバケツは一瞬で溢れ、砕けちまう」
「じゃあ、なんでクルルは無事なんだよ?」
「底がないからだ」
底がない。それではバケツではなく筒である。
「魔法使いはバケツの水をすくって投げつけてるようなもんだな。
つまるところ生きるための水はバケツを濡らしておくくらいで十分なんだ。
だーが、この体は俺様という滝のような水を浴び続けることで生きている超欠陥品なのさ」
いや、と自分の言葉を否定し、にやりとひと笑い。
「こいつは元々俺様専用の檻だからな。
そういう意味では神の魔力すら食い尽くす最悪の牢獄さ」
「くるるはそんなんじゃない!」
他に出す言葉も思い浮かばず、衝動的に怒鳴った言葉。
「ああ、そうだ」
それをあっさり許容されて前のめりに倒れそうになる。
「俺様も勘違いをさせられていた。
これは俺様を閉じ込めておくためのモノじゃねぇ。
くくく……楽しいじゃねぇか」
「何が言いたいんだよ!」
掴み掛からん勢いだが、体は間違いなくクルルの物だ。
瞳に渾身の力を込めるに留まらざるをえない。
「まぁ、遠からずわかる。
お前が安易な方法で俺様を排除しないように、優しい忠告だよ」
ふらりと揺れた体を支え、突然気を失った少女の顔を見る。
「畜生、なんだったんだよ、結局!」
心の底からの叫びだが、木々も動物も答えることはない。
その答えは現のどこにもないのだから。
「我が主、その様子ではひとまず破綻は免れたか」
梟が鷹揚に問いかけると魔女は真摯な顔を崩さずに頷きを返す。
「ですが、成功する可能性は皆無に等しくなりました」
深い吐息を零して険しい表情を浮かべる。
「世界はセリム・ラスフォーサを強力にして必ず排除すべき物と判断したようです」
「ほーぅぅ」
梟のひと鳴きが静かに空気に沁みた。
「我が主、疑問が一つ。
『世界』に意志はあるのでしょうか?」
「あります」
使い魔の問いに主は即答する。
「世界は常に存続のためにバランスを取り続けています。
人に常ならぬ力の持ち主が生まれるのはその最たる証拠です」
聖騎士をはじめとして人間でありながら人間のカテゴリーを逸脱する者は歴史を紐解いて少なくない。
「故に『世界』は人と似たような性質の『意志』を持っていると、セリム・ラスフォーサは結論付けました」
「ほーぅ?」
声に疑問を乗せると魔女は天井を静かに見上げる。
「人は正しく岩の夢を見ることができません。
獣は正しく花の夢を見ることができません。
まったく異なる存在はそれを正しく理解できない……ならば『人間』が主導で動く世界は『人間』と共通する意志でしか表現できないということです。
それ故に神も魔も『世界』に干渉するだけの存在は『人間』の形を模すると」
「では我が主、私はそのカテゴリーにないと」
梟の従者はばさばさと翼をはためかせる。
「貴方はそのカテゴリーに近づき人の言葉を得ました。
故に人の思考が貴方にはある」
「ほーぅ」
「セリム・ラスフォーサはそれを逆手に取った。
土草の意志を正しく理解できない故に、『世界』に挑めるのです」
魔女は静かにまぶたを閉じる。
「力など不要。
かの存在は我らの正しき敵。
知識と真実を語ることのできる『伝承者』。
望めばこの物語は砂の城の如く波に浚われるでしょう」
だが、望まれていない。
バケツに大量の水を用意しながらその腹に小さな穴を開けて待っている。
水がすべて抜けてしまえばその城を崩せないとしながら、のんびり経過を楽しんでいる。
「調整者の意図はわかりません。
ですが、まだ終わらないのなら繋がる望みに縋るのみです」
それ以上の会話はなく、時は我関せずとばかりに流れ行く。
静寂の中。
使い魔は人間の意志を模して思う。
「されど我が主。
積年の望みより、我が子を思う心こそ尊うべきとは考えぬのか」
人でもない者が人と同じく抱く素直な感情。
本能とも評すべき意志。
それは誰の耳にも、心にも届かない。