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Dear. Your Darkness  作者: 神衣舞
3/5

3

 世界よ。

 全知の神として我を迎えよ。

 我らが永遠に未来を恐怖することなきように。




「西から二百。

 率いる将はメリアルド。

 兵種は主に騎馬。

 また北から百五十。

 率いる将はウィンケチャ。

 兵種は主に歩兵」


 静謐にして荘厳な神殿。

 その最奥に座する王を前に、女性は淡々と言葉を紡ぐ。

 女の顔は美の女神像に血肉を与えたように美しく、王は威厳に人の形を与えたようであった。

 名画のワンシーンさながらの光景に水を差すのは周囲に居並ぶ神官。

 彼らは一様に女を悪魔でも見るかのような目つきで睨み、座する王に戸惑いの視線を送っていた。


「両軍は十日後に陣を敷き、翌日にこの地へ進軍します。

 その際のルートは直進。

 ただしメリアルド将軍は騎馬三十騎を南で見物を決め込んでいるオスゥロース軍へ走らせます」


 語られるは未来。

 そしてこれは予想ではない。


「オスゥロースは動くのか」


 王が低く響く声で問う。


「動きます」


 返す声はどこまでも涼やか。


「ファルスアレンの魔道防衛が完成するまであと十と七日。

 かの騎馬が来なければ元々その前日に軍を進めていました」


 王の言葉に返す答えは淀みない。


「どうにせよ此度には間に合いません」


 まるで全てを見てきたかのような物言い。

 周囲の感情が『不信』で濁り固まる中、王は微動たりともせず女を睨む。


「問おう」


 王は低く、ただその一言だけを突きつける。

 女は暫し沈黙し、そしておもむろに天を見上げた。


「成功します。

 ただ『彼』には多少の怪我を強いることになりますが」


 言葉にならぬ問いが女の中で実を結び、明確な回答は王に説かれた。


「もう一つ、問おう。

 これは言葉にするべきだな」


 そう、前措いて王は女を眼中に収めて威厳に満ちた一声を紡ぐ。


「何が見える?」


 女は考える僅かな隙もなく、王の言葉が終わった直後にゆるり一礼をする。


「目まぐるしく変わる未来が」


 未来視。

 魔眼の中でも最高位と言われるそれを持つ『先見の魔女』はこうべを垂れたまますでに識る王の言葉を待った。


「お前の願い適えてやる。大義であった」


 女の名はセリム。


「ありがとうございます」


 恭しく礼を述べ、仰ぎ見るは王より奥。

 荘厳に立つオーディアル神像を透視。

 その視線にこそ魔力があるのか。

 周囲には理解できない奇妙な一拍の間が大気を鎮める。

 まさにその場所に立ち、頬に苦みを含んだ笑みを浮かべた少女は天を仰ぐ。

 その少女は王の娘である。

 名はスティアロウ・メリル・ファルスアレン────────

 無限の魔力を有する神秘なる国ファルスアレン。

 その第三皇女にして『星の律法』の名を持つ少女。

 後にこの国を滅ぼし、消し去る『醜き魔女』であった。




「兄貴、なんであの小僧、ブチ殺さなかったんですかぃ?」

 細身の男が酌をしながら問う。


 周囲はすっかり暗くなり、そろそろ日が変わろうとする時分。

 『兄貴』と呼ばれた男は面倒そうに少し上を見た。


「『魔女』が死んだら困るからだ」

「へぇ?」


 全く理解していない声に男は苦笑一つ漏らすと「だからてめぇは駄目なんだよ」と言い捨てる。


「もし俺があの小僧を殺してたら、あの女、死んでたぜ」


 まさか、という顔をするが、男は冗談で言っていない。

 そしてそれは正しい。

 ただ、自殺というわけではない。男に襲い掛かり、そして男が返り討ちにして、だ。

 その『魔女』は腰紐に縄を付けられて座っていた。

 故意でない気配遮断は豪胆にして異様とも言うべき戦闘力を持つこの男にしても脅威だった。

 何よりも一度逃げられれば追う自信はこの男を以ってしても皆無だ。

 そこを言えばあの小僧が大騒ぎしていたのは幸運と言える。

 もし『魔女』一人で歩いていれば気付かなかった可能性が高い。


「おい、女」


 くぃと軽く紐を引っ張られクルルが顔を上げる。


「なニ?」

「お前、名前は?」

「……クュリクルル」


 さらりと応じる言葉は難解な発音を求める物。


「そういえば小僧はクルルって呼んでましたね」


 小男の合いの手に苦笑のようなものが漏れる。


「じゃあ、それでいい。

 クルル、お前は森に入れる。

 間違いないな」


 男の問いにクルルは表情一つ変えずに


「わカらなイ」


 と応じる。

 小男が余計な反論をする前にクルルは言葉を続けた。


「セリム・ラスフォーサは森ヲ出なイ。

 ボクは異例。

 魔女にナれなカったかラ」

「話が違うじゃないかい」


 今までだんまりを決め込んでいた女が、僅かに嬉しそうにするとクルルの顎をくぃと持ち上げ、ニヤニヤと覗き込んだ。


「あんな女のたわごとに付き合うのが間違ってんだよ。

 こいつもさっさと売り捨てるなりしてもっとマシな儲け話に行こうじゃないかい」

「黙れ」


 腹の底を痺れさせるような声に女が引きつる。


「決めるのは俺だ」

「……チッ、わかったよ」


 少し乱暴に手を離し、近くの木に背を預ける。


「知ってる事を話せ」

「……何ヲ?」

「森の事だ」


 ぱちりと枝が爆ぜる。

 その音を待っていたかのように少女の唇が開いた。


「あノ地は聖域。

 神を作るたメの聖域。

 全テは望まれルがまマに、アの場所があル」


 一連のやり取りを意に介さない、落ち着いた透き通る美声。

 それを以って語る言葉はまるで歌のように。

 不思議なイントネーションが耳につくが、男は無言で杯を傾ける。


「森に入ル者は森に食わレる。

 森は神域。

 魔女の創ル一つの世界。

 世界を侵ス者、世界の安寧ガためニ塵と消エる」

「つまり、侵入者は皆殺しか。

 で、何がお出迎えしてくれるんだ?」

「森の守リ手。

 動植物全てガ、魔女の望まヌ者を拒ム」


 静かな森に響くそれは怪談の態を抱いて沁みる。


「そいつらに殺されたのの財宝が俺は欲しい」

「……知らナい。

 魔女はそレに興味を持たナい」

「ほったらかしかよ」

 回答は沈黙。

 無知ゆえの物と量り、男は杯を空にする。

「まぁ、いいや。

 で、出る方法は?」

「道開く時は決まっテいる。

 それを知るノはセリム・ラスフォーサのミ」

「森に居るのか?」

「ん」


 ゆっくりとした首肯を見て男は杯を小男に突き出す。

 それに酒が注ぎ込まれるのを見もせず笑みを浮かべる。


「なら入れればいい、方法に当てはあるんだろ?」

「あル。

 試したこトはなイ」

「それなら、良い」


 注がれた酒を一息で飲み干して男は杯を握り潰す。


「明後日には到着する。

 期待してるぜぃ?」


 泣く子も竦み上がりそうな笑み。

 だが、魔女モドキの少女は無表情のまま何も応じなかった。




「くそー!

 解きやがれ!」


 同じ頃。

 少し離れた森でやかましい声が響き渡る。


「ちくしょー!!」


 まぁ、もちろん声の主はシリングなのだが。

 彼の状態は木に背中をぴったりと合わせたまま座らせられ、手は右と左の手首が木を迂回して結ばれている。

 その前で爆ぜる焚き火を挟んでのんびり皮袋に入ったワインを飲んでいるのは花の名を持つ商人。


「てめぇ!

 俺をどうするつもりだ!」

「どうもこうも、するつもりはありませんわ」


 完璧な営業スマイルで少女は丁寧に答える。


「シリング様には明後日までそうして戴きたいだけですので」

「ふざけるな!!」

「ふざけてなどおりません。

 あ、ご心配なく。

 もよおした時には替えがちゃんとありますので」

「って、コラ、それ外さないってことか!?」


 別の危機感を感じるが、美しい少女は笑顔を崩さずに言及をしない。

 これはこれでなかなかに怖い。


「では、懇切丁寧に拭いて差し上げましょうか?」


 その手の趣味の人ならとても悶えて喜びそうな提案だが、彼にその趣味はないらしい。


「いらねえ!

 いいから離せよっ!」

「心配なさらずとも、クュリクルル様は戻ってらっしゃいます」

「何を根拠に!」

「貴方がここに居るからです」


 微塵の迷いもない物言いに暴れるのを一時中断した少年は怪訝そうに睨んだ。


「クュリクルル様は森に入れません。

 そして戻って来ることになります」

「お前が何でそんなこと知ってるんだよ!」


 当然の問いに、リリーはスマイルに苦味を混じらせる。


「個人的に、どうでもいいんですけどね。

 これがお役目ですので」

「役目、だと?」

「下らない裏話です。

 お客様に話す内容ではありませんわ」


 すまし顔で話を打ち切り、焼けたパンを手に取る。


「それに、貴方様もアルルム様の甘言に乗ってここまで来たのでしょう?」

「俺はくるるを追ってきただけだ!」


 どうやら情報の出所すら既に忘我の果てらしい。

 商人は肩を竦めて立ち上がるとシリングの前にしゃがみ込む。


「な、何だよ」


 クルル一筋と言っているものの、若くて健康な少年であるところのシリングは目と鼻の先で微笑む少女に息を呑む。

 僅かにコロンの香りが鼻腔をくすぐり、視線が理性と煩悩の右往左往を如実に表す。


「お腹、空きませんか?」

「は?

 もごっ!?」


 思わず開けた口にパンが突っ込まれる。

 目を白黒させるが、なんとか噛み千切って飲み込む。


「けほ、お、お前がぼ!?」


 今度はワインの入った皮袋が突っ込まれ、灼熱が胃まで駆け下りる。

 どうやらただのワインでなく、何か別の酒を混ぜているらしい。

 余り上品と言えない味だ。


「あら、間接キスですね。

 うれしいですか?」

「て、てめぇ!

 が!!」


 またパンが突っ込まれる。

 楽しそうに微笑む少女を睨み付け、とりあえず咀嚼する。



「口移しの方が良かったですか?」

「いや、確かに嬉しいってか違う!

 何が目的だ!」


 さらりと本音が漏れつつ睨むシリングにリリーは細めた視線を喜悦に染める。


「からかうのが楽しくて」

「なっ!」

「もちろん冗談ですが」


 すくりと立ち上がって先ほどの位置まで戻った少女は酒を喉に流し込むと笑みに影を挿してシリングを見る。


「シリング様とクルル様が森に戻るのはまだ早いのです」

「何言ってんのかさっぱりわかんねぇよ!」

「一つ昔話をしましょう」


 少女はかがり火に枝を投げ込んで一拍。


「昔、あるところに一人の落ちぶれた若者が居ました」




 男は大した才能もないまま故郷を飛び出し、何一つ成し遂げられぬまま、大望だけを抱きながら潰え果てかけていた。

 その時一人の美しい女性が彼の前に現れ、彼に『赤』『緑』『黒』の三冊の本を差し出した。

 彼女はその本を手に、男に契約を持ちかけた。


『赤の本を読み解けば、あなたは大金を得るでしょう。

 得た金で家を建て、二冊は厳重に保管しなさい。

 ただし、この本に頼るならばこの本のページが果てるまで必ずこの本に順じなさい』


 後のない男は半ば半信半疑でそれを受け取ると、最初のページの文章だけは女に教わり、行動した。

 すると男はたちどころに少なくない金を手に入れることに成功したのだ。

 男はこの本が確かな物だと信じると、まずは自らでこの本を読めるように苦心した。

 なんとかそれを読み解けるようになると、男は書かれている内容の通りに行動を行った。

 見る間に財産は一回り、二回りと大きくなり、気付けば有数の金持ちに変貌していた。

 本に記されていたのはそれだけではない。

 それを妬んだ悪意から、偶然の事故から、その本は男を守り導いていった。

 たまに理解不能な行動もあったが、力を得た男にとっては造作もなく、それを果たしていった。

 男が不思議な女と出会って三十年程が過ぎた時、男は死期を迎えていた。

 男の手にはなお赤の本があり、そして残る二冊は厳重に保管されていた。

 男は本の最後に記されていた通りに、二人の子供を順に呼び、それぞれ一冊を手渡した。

 兄には緑の本を渡し、家を継ぐように命じた。

 緑の本は家を繁栄させ続ける法が記されていた。

 弟には黒の本を渡し、新たに商売を起こすように命じた。

 黒の本は家の障害となる物を排除するための対処法が記されていた。

 男は二人にその本を裏切ってはならないと告げ、世を去った。

 兄は光に、弟は闇に。

 金と権力、光さす力を兄は手に入れ、力と権謀、表にはできない物を弟は手にしていった。


 二つの家は本を伝え、内容に順じ共に発展をしていった。

 ある日ある時、黒の本を伝える家の頭首が本に疑問を抱いた。

 緑の本を継いだ本家は日の当たる商売を行っているのに、黒の本を継いだ自分達は後ろ指さされることを強いられているのではないかと。

 すでに十分すぎるほどの力を得ていた『黒』の家は、『緑』の家に乗り込み、本の交換を迫ろうとした。

 その前日。突如敵対していた組織が乗り込み、頭首の命を奪い、共に居た二人の子のうち兄の方は重症という事件が起きた。

 事態の対処のため本を開いた弟は絶句することになる。

 頭首の血で汚れ、潰されたページ。その残っている部分はそのまま読み繋げられる文章となっていたのだ。

 それは警告だった。この死が契約を破った代償であった事、そして間もなく重篤の子も死ぬ事が浮かび上がっていた。

 書に記された通り、兄も息を引き取り、『黒』を受け継いだ弟は『緑』の家に事の経緯を告げ、本に記された通りの生活に戻った。

 しかし本には果てがある。

 終わりのページを迎えた時、二つの家は共にその呪縛から解き放たれることが約束されていた。

 二つの家は契約違反への恐れから、記された通りの日々を消化するようになっていった。

 そしてある時、最後のページに辿り着いた二つの家はそこに記されていた場所へと向かった。

 そこにあったのは白の本。

 四百年を経てなお逃れられぬという絶望に囚われつつ、その本を手にするしかない二人はその内容に希望を覚えた。

 それはなお更なる先まで呪縛するものではなかった。この時代、最後の仕事を命じるものだった。

 そして、二つの家に更なる繁栄を約束するものでもあった。

 白の本に記されていた通り、生まれた子に教育を施し、白の本を与え、最後の仕事へ向かわせる。

 その結果は未だ闇の中。




「起きてます?」


 少しうとうとしかけていたシリングは跳ね起きるように顔を上げて


「お、起きてるさっ!」


 と叫ぶ。

 叫びながら立ち上がろうとしてとても痛そうにしているのが何というか。


「……で、それがどうしたんだよ?」

「察しが悪いですね。

 ……まぁ、いいでしょう」


 薪を新たに放り込んで、少女は柔らかい笑みを浮かべる。


「白の本に囚われることとなった者は、このクソ下らない呪縛からさっさと抜け出したいんですよ。

 本当はがんじがらめにして孕むまでヤらせたいんですけど、どうもそれではだめらしくて」


 口調は先ほどまでと同じ穏やかで丁寧なものだが、それ故に突然混ざった下品な言葉が異様な響きを醸す。


「だから極力おとなしくしやがってください。シリング様」

「そこでなんで俺がっ!?」


 トス。

 音は後に。

 痛みは刹那に。

 僅かに視線を動かせば、ナイフが頬の真横で怪しく光る。


「な……なんばしよっとですか……?」


 かすれ声の問いかけに返事はない。

 完璧なスマイルが焚き火越しに、そしてぞっとするほどの殺気を込めて送られる。

 ここまで鋭い殺気など一朝一夕に出せるものではない。

 生まれながらにそういう性質を得た者だけが作れる余りにも鋭い気の刃。


「馬鹿なら馬鹿なりにおとなしくしていただきたいと、そういうことですわ」

「ば、馬鹿って言うな!

 それに俺が何しようと俺の勝手だろ!」


 トス。

 二本目のナイフが右頬を浅く削る。


「気楽なものですね。シリング様。

 その言葉が紡げる自由が妬ましく思います」

「わけがわかんねーよ!

 一体何なんだよ!」


 刹那、立ち上がった少女の手にはナイフがあった。

 完全な殺気。

 殺意。

 喉が凍り付き、「殺される」と冷え切った頭が事実だけを知る。


 ぱちっ


「くっ!?」


 木が爆ぜた。

 それが少女の手を打ち、ナイフが地に落ちる。

 余りの偶然に今頃冷や汗が湧き出てきて、シリングはへなへなと息を吐く。


「見ての通りだ」


 落ちたナイフを蹴り、どかりと座ってふてぶてしく睨む。


「俺はてめぇを殺せねぇ」


 赤く、火傷を負った手に酒をかけて舐める。


「どういう……ことだよ」


 もう柔らかな笑みなどどこにもない。

 裏町に住む者特有の気配を滲ませ、この世の全ての恨みを混めたような目を向ける。

 虫の声がいつの間にか止み、焚き火の音だけが夜の森に響く。


「けっ」


 もはや、応じる声はない。

 理解不能な言葉の羅列がシリングの脳裏でぐるぐると回っていた。




「ここが帰らずの森?」


 女が肩透かしを食らったような顔で呟く。

 昼になる前の気温の上がりきらない空気が清々しい。

 それほど鬱屈としておらず、歩いて抜けるのもそれほど苦と思えない


「場所、間違えてないかい?」

「こコ」


 にべもない、感情を廃した回答に女は僅かに苛立ちを浮かべる。


「案内しやがれ」


 促されてクルルはゆっくりと歩き始める。

 小鳥のさえずり、遠くを見ればこちらの様子を伺う小動物の姿もある。


「これじゃピクニックですねぇ」


 小男が似合わない事を言って木に印を付け、方位磁石を眺める。


「っと、お嬢ちゃん、そりゃ方向が逆じゃねえか?」


 見ればいつの間にか歩く方向が百八十度反転している。


「これデいイ」

「てめぇ、俺たちを─────」


 息を呑む。

 白く、細く、しなやかな指が方位磁石を掴んでいた。


「んあ!?」


 驚いて手を離し、退いた小男に目もくれず、皆に見えるように少し下げて数歩歩く。

 するとどうだろう。

 方位磁石が突如ぐるりと九十度回ったではないか。


「なるほど、帰らずの森、ね」


 女がどちらかというと小男の反応に呆れたように言葉を漏らす。


「狂わセの仕掛けガそコらかしコにある。

 こんなノ役に立たナい」


 ぽいと小男に投げ返し、改めて道を進む。


「そレに、ここハ壁のなイ迷宮。

 真っ直ぐ進んデも意味がナい」

「は、なんともまぁ」


 大男────ジェフは楽しげに目を細める。


「悪趣味だな。この清々しさが」


 夜闇に属する故か、それとも別の何かを感じ取ったか。

 男は吐き捨てるように呟き、先を見る。


「それと、そのやり方が」


 鉄の塊にも見える剣がぞろりと抜かれ、クルルの頭の上を薙ぐ。


『ギィヒャアァアアアア!!!』


 断末魔の金切り声を響かせ、『何か』が木に己の体を使った版画を押す。


「……サイレント・ワイプ」


 血がその正体を浮き彫りにしていく。

 体長30cm程度の猿型の獣らしい。

 体毛はなく、つるりとした体はその先の光景を映し出している。


「森の番兵ってやつか」

「……サイレント・ワイプは通常十かラ二十で行動すル」


 クルルの小さく淡々とした言葉の最中にさらに一振り。

 今度は纏めて二匹がおぞましい音と共にひき潰される。


「鋭い爪デ体を傷付ケ、血を啜ル」

「早く立ちな!」


 女が小男の前に立ち、空間を薙ぐ。

 一匹のサイレント・ワイプが引っかかり、吹き飛ばされた。


「見えないなんて反則だろ!」


 怒鳴りながらも立ち上がった小男はやたらめったらに剣を振り回す。

 二人の腕前に対し、小男はかなり格下らしい。

 そうしている間にもジェフは次々に見えない猿を蹴散らしていく。


「サイレント・ワイプが居ル所に必ズ、トライハウンド・ジャガーが居ル」

「こいつか!」


 振り向きざまの一撃を巨体がかわす。

 三つ首の虎が禍々しい赤の瞳を向け唸りをあげる。

 猛獣と言うにも生易しい、まさに暴力の塊は、次の跳躍のためにすでに体を縮めている。

 体長2m以上。

 黒い体に赤い縞を持ち、金色に輝く六つの瞳がぎらぎらと光を放つ。


「こいつの特徴は何だ!」

「……雷撃を発生さセる」


 言うが早いか、縞が輝き開かれた口腔に輝きが灯る。


「こなくそっ!」


 ずんっ、と地面を鳴らし巨体が前に跳ねた。

 膨らむ光を眼前に、鉄の塊が三つ頭の一つを捕らえ、引きずり込むように地面に叩きつける。

 一刀破断。

 まさに地を割るが如くの一撃が強大な魔獣の命を無理やり奪い去る。

 その瞬間、周囲の気配が遠のくのを感じた。


「随分な歓迎だな」


 不適に笑うのはジェフ一人。

 小男は未だに周囲をきょろきょろと見回して、剣を構えている。


「あんたねぇっ!」


 怒声を挙げて女がクルルの胸倉を掴みあげる。


「アレが来るって知ってたんじゃないのかい!?」

「知らナい」

「じゃあ、何でそんなに落ち着いていられるんだい!」

「いつもノことダから」


 取り付く島もない言い様に思いっきり突き飛ばす。

 尻餅をついたクルルだが、意にも介さず立ち上がるとマイペースに言葉を続ける。


「こコはまダ魔女の森デすらナい。

 あれハ『はぐレ』。

 森に入レばもっト危険なのガ居ル」

「あれで危険じゃないって言うのかよ!」


 半泣きで叫ぶ小男をうるさいと蹴飛ばし、女は地に唾を吐き捨てる。


「ジェフ、本気で行くつもりかい?」

「ああ?

 何を今更」

「何をじゃないよ!

 今のだってこっちと死にかけたんだ。

 正気の沙汰じゃないよ!」

「じゃあ、帰れ」


 何の躊躇いもない、余りにもあっさりとした一言に女は呆然とする。


「ちょっ!

 ジェフ!」

「死に掛けたのはお前らだけだ。

 勝手にまとめるな。

 行くぞ」


 振り返りもせず応え、クルルに先を促す。


「……畜生!

 行けばいいんだろ!!」


 やけくそで声上げ、地面に八つ当たりをするように前へ進む。


「あ。

 姐さん!

 お、俺っ!」


 腰の抜けきった小男が情けない声を挙げる。


「別にあいつは怒りゃしないさ!

 お前はそこに居なっ!」


 小男は反論する力もなく、うな垂れる。

 そうして、森の奥深くにその背が見えなくなった頃、小男はぞくりとした寒気を覚える。


「え」


 痛み。

 右の首筋を走ったそれに触れようとして、何かに押し返された。

 失っていく。

 余りにも絶望的な、喪失感。


『ギ』


 がしりと何かが肩に、頭に手を掛ける。

 大きくないそれは噴出したものを浴びて形を浮かべる。


「さ、……」


 急速に視界が狭まり、ブラックアウト。

 消えかけた思考が、己の過ちを指摘しかけ、適わない。

 後に残るのは、強敵の居なくなった平和な食卓で、美味そうに鮮血を啜る異形の怪物のみ。




 朝日を浴びて、森が輝きを見せる頃。


 がすっ


「っ!?」


 問答無用の一撃が脳天を襲い眠りがそのまま永久のものになりかける。

 悲鳴すら声にならないまま立ち上がり、しかし自分を束縛する縄に引き戻されて無様につんのめった所で自分の境遇を再認識。


「な ──────」


 声を挙げようとした刹那。

 目の前にぬぅっと突き出された顔にまた言葉を失う。

 馬。

 ついでに顔を舐められた。


「くさ────」


 今度は顔に蹄スタンプを押され沈黙。

 それを確認して、馬は器用に拘束しているロープを引きちぎると、白目なシリングの首根っこを咥え、ぽいと背に乗っける。

 最初は静かに、やがて疾走し始めて、


「なにしよっとですかっ!?」


 はじけ起きたシリングは、見事にバランスを崩して落馬する。


 数分。

 お待ちください。


「いや、ギャグ体質にも限界がありますからっ!」


 そろそろ体の頑丈さが売りになりつつあるシリングは、がばりと起き上がると周囲を見渡す。


「逃がしてくれたのか?」


 そ知らぬ顔の馬。


「……つか、なんかお前の行動おかしいですよ?」


 草なんぞ食んで見る。


「てか、お前本当に木蘭様の馬か?」


 頷く。


「ってか頷くなっ!

 お前、何だよ!?

 何なんだよ!!」


 馬の首根っこを掴むのもどうかと思うが、掴もうとして────


 ずるり


 皮が剥げた。


「……ひぃぃぃいい!?」


 馬の生皮と目を白黒させながら見つめ、それから暫し沈黙。

 すっと視線を上げると、


「ばれたー」

「にげろー」

 だーっと四方八方に走り出す体長20cm程度の物体 × 十数体。

 そのスタート地点となった場所には木で作られた骨組みがでんと取り残されていた。


 あれだけ滑らかに走っていたにしてはローテクすぎるものの、アルルムテイストと言えばそれまでか。


「んな!?

 なんでお前らが居んだよ!?」

「ひみつー」

「ひーみつひみつー」

「ふははははー、また遭おうあけちくんー」


 ちょこまか走ってる割にはとんでもない速さでそこらの木の上やら茂みの影やらに消えてしまう。


「……どういうことだよっ!」


 突っ込みどころ満載過ぎてさしものシリングも茫然自失に空を見上げる。

 そもそも何がなんだか全く以ってわからない。


「よし、ちょっと整理しよう」


 まず、くるるがいきなりどっかに行った。

 追いかけた。

 見つけた。

 変な男が来て連れて行った。

 起きたら変な女に捕まってた。

 馬が助けてくれた。

 馬と思ったらアルルムだった。

 まる。


「……わ、わけがわらんですよ?」


 頭を抑えること数十秒。


「そうだ、くるる!」


 どうやら脳内は単純な目的に帰結したらしい。

 周囲をきょろきょろと見る。

 幸い街道で、今は朝。行く方向に迷いはない。


「何にせよくるるが先だ!」


 ずどどどどと走り始める少年一人。

 その後ろ姿をいくつものつぶらな瞳がにやにやと禍々しく見送っていた。

 いや、単にその一言を入れたいがためのアルルム人形たちの無意味な行為です。

 はい。




「チ……マジックロープがあっさりと切られてやがる」


 目覚めれば事態は急転していた。

 目の前には魔術で強化された鋼よりも強度のあるロープが無残に引きちぎられている。

 不覚を取った?

 そんなはずはない。

 いくらなんでも鎧やら剣やらを持ったあのガキが動いて気付かないはずがない。


「あの、猫ヤロウか」

「ぴんぽーん」


 確認もせずナイフを投擲。

 寸分の狂いもないそれは二本の指にがっちり掴まれた。


「にゃにゃ。

 結構なお手前で」


 木の上からのんびり見下ろすのはアルルムの本体。

 なんだかんだやってる割にはアイリンから離れることがほとんどない彼女が、悠然と朝の涼しい風を楽しんでいる。


「にふふ。

 朝から怒ってたらかーいい顔がへちゃむくれーになるにゃよ?」

「っせぇ!

 てめぇ、何でここに居やがる!」

「決まってるじゃん。

 シリングちんを邪魔するためにゃよ」


 さらりと言い、リリーは一層視線に呪いを込めて睨む。


「ま、厳密にはかーいぃかーいぃ『やさぐれ商人たん』に遭いに来たんにゃけどー♪」


 アルルムはシリングを救出したにも関わらず「邪魔しに」と言い、リリーはそれを普通に受け入れる。


「やっぱり、てめぇは『調律者』ってわけか」

「にふふ。

 まぁ計らずともって感じにゃけどね」


 不適に笑い、二本の尻尾をゆらゆらと動かす。


「けっ、てめぇわかってんのか?」

「にふ?

 なにがー?」


 あくまでおどけた態度を貫く猫娘に眼光鋭く睨みつけたまま、リリーはナイフに手を掛ける。


「てめぇが調律者なら、この件が終わればてめぇは強制退去だぜ!」

「にふ。

 ま、抜け道は山ほどあるにゃよ。

 そもそも、セリムさんとやらがやってるのがそもそも抜け道にゃしね」


 暁の女神亭に集う常連についてはかなりの精度で調べ上げたという自負がある。

 曲者という言葉が生易しい連中の情報を得られたのは偏に彼女が黒の協力者故だ。

 いや、むしろそのためにしたくもないミスをして、黒にとっ捕まり、思い出したくもない目に遭ったのだから。

 ともかく、その中でも『UNKNOWN』としか言いようのないのがこの猫娘だ。

 ガン・コイッテツの工房に住み着いた自称マジックカーペンター。

 どうやら異世界の住人で、高位の魔法使いのようでもある。

 ついでに格闘術まで使えるとか。

 パーフェクト。

 ただし『代償』を差出し、彼女に『願う』事がない限り、彼女は力を使おうとしない。

 自分では『使えない』と言っている。

 余りにも強大な力故に、世界に制限されているのだと。

 全てブラフという可能性は無論捨てられない。

 快楽主義者、楽しいならそれで良いを信条にしているが故の奇行であるとは否定できない。

 何にせよ、刹那的な強さは『花木蘭を真正面から捕縛して見せた』という噂もある程。

 一歩間違えれば自分はあっさり消されることは間違いない。

 それに、最も問題なのはこの相手に自分の持つ『白』は意味を成さない。

 最大の切り札が無効な今、真正面から戦うことは絶対にしてはならない相手だ。

 だからと言って、ここで二人を『森』に入らせてしまえばそれでゲームオーバー。


「で、私に何の用ですか?」


 どんなに考えても手はない。

 このタイプは何も考えていないように見せて裏では綿密すぎるほどの対策を用意している。

 相手を油断させて罠に落とし込むのが死ぬほど好きなタイプ。

 だから落ち着く。無理やりにでも商人の仮面を被る。


「にふ、ほんとにかーいいにゃね。りりーちんは」


 細められる瞳の奥に、狡猾な光が宿るのを見る。


「お持ち帰りしたいほどかーいくて、その奥に眠るのはドログロな感情。

 にふふ。

 そういうのを支配したいって思わない?」


 ドSの発言に頬が引き攣るのを長年培った意志の強さでカバー。


「お褒めに預かり光栄です。

 質問には答えてくださらないのですか?」

「ただの顔見せにゃよ。

 別に結果はどーでもいいし」


 さらりと聞き捨てならない事を言い捨てる。


「にふ。

 まぁ、考えてみるにゃよ。

 君は一回のミスでアウト。

 あちしはまだ年単位の余裕があるにゃ。

 ファーストアタックで決めるほどせっかちじゃないにゃよ」

「……それでは、シリング様は?」

「まぁ、走って間に合う距離でもないし、二人揃わなきゃ今の時間、魔女っ子が『森』に戻ることはないにゃ。

 でも、ほら、シリングって一途だからさー」


 にたりと可愛らしく笑えるのは在る意味才能かもしれない。


「なんとかの一念で間に合っちゃうかも?」


 ざっと時間を計算する。

 ジェフとか言う大男はすでに森に到着してもおかしくはない。

 そして彼だけが『森』に誘われ戻らぬだろう。

 『森』に入れないならクルルは戻ってくる。

 それまでにシリングが追いつかなければ。


「ま、ファーストゲームはフリップコイン。

 投げられたコインがどっちの面を向くか、楽しく見守ろうじゃにゃいの」


 こうなれば最早為す術はない。


 せいぜいシリングが間に合わないことを祈る他ない。

 不意に、いつもは考えることもない重みを肩に感じる。

 愛用している大きめのショルダーバック。

 そこに仕込まれた『本』。

 無論そちらに視線を送るなどすべきではない。

 微笑を崩さず睨みつけながら、爽やか過ぎる朝の空気に毒づく。

 天に運を任せ待つなど、もしかすると初めてかもしれないと考えながら。




 だが、なんとかの一念はその願いも空しくリリーの期待を裏切ることになる。

 同時に、楽しげに笑う猫娘の予想すらも超えた結果を叩き出してしまうのだが。

 因果の網に逃れた事象を、彼女が知る術はない。

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