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Dear. Your Darkness  作者: 神衣舞
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 全ての現象は全てに等しく降り注ぐ。

 それは世界創造より定められた黄金律。

 歪めざるべき神秘。

 されど『心』がこれに介入したとき、進化と発展を目指して不満を抱く。

 不満は革新。

 されど不安定な積み木でもある。

 ひとつ間違えれば──────────

 全てを飲み込み崩れ去る危うさが、そこにはある。




「にふふ。

 まいどー」


 お気楽極楽猫耳娘ことアルルム・カドケウは商品を確認し終わると、何かをたくらむように微笑む。

 喋らなければ愛らしい活発系美少女。

 喋ると鬱陶しく、動けばひたすらに迷惑という特異な存在は、並べられた品物を亜空間に繋がる指輪に収納するとぽんとひとつ手を打った。


「で、報酬にゃよね?」

「ん」


 対するのは声を発してさえ存在感が希薄な少女。

 その顔立ちは幼さを残しながらも整っており、ボディラインについては世の男性を虜にし、女性から嫉妬と羨望を一身に受けること請け合いである。

 まるで対照的な二人は机を挟んで向かい合う。


「これにゃね」


 差し出されたのは地図と花の絵。


「『時食らいの薔薇』」


 嘲りにも感じられる猫娘の声。

 写真と見紛うほどの絵は薔薇の毒々しいまでの真紅を見事に表現していた。


「この世にあらざる存在。

 異世界から漂流した種より芽吹いた魔草。

 これは人に根を張り、人の時を食い続ける」

「…… 死なないノ?」


 楽しむような、試すような。

 気の短い者は即座に怒り出しかねない物言いに少女はわずかの表情を動かすこともない。


「逆に取り除こうとすると死ぬっぽいにゃね。

 でなければこの花は時を食らい、肉体の若さを保つにゃ」


 アルルムは楽しそうに説明を続ける。


「かなり御都合な能力を持った花にゃから、不老不死研究で開発されたものかもね」


 補足説明を聞いているのか聞いていないのか。

 少女の瞳はただ花の絵を虚ろに、されど真摯に見つめている。


「バッドな特性としては成長の停止は新陳代謝の停止でもあるから、傷の治りが極端に悪くなること。

 栄養は必要だから排泄とか呼吸は普通にやんなきゃいけないらしいけど。

 そこんとこよくわかんない仕様にゃねぇ」


 植物の特性が残ったって感じかなぁ、とかひとりごちて。


「ま、ぶっちゃけ魔法で直さないと掠り傷で死にかねないってことにゃ。

 血液の回復も遅いみたいだし」


 と締めくくる。


「む……」

「そ。

 ぶっちゃけおバカシリングには果てしなく向いてないアイテムであるのことは間違いないにゃ。

 何もしなくても怪我してるよーな子だしねぇ」


 虫眼鏡でも使わなければ判別できないような柳眉の動きを見極めて猫娘は口の端を笑みに歪める。


「でも、同時にこの世界で一番安易に不老を手に入れられる手段でもあるにゃ」


 思うより不死や不老の方法はある。

 だがそのほとんどは生物の枠から外れることに対するデメリットが大きい。

 代表的なのはアンデッド化であろう。


「お望みならばばっとレイスにしちゃうとかいう手段もあるにゃよ。

 肉体ひとつが代償ならまー請け負ってもいいし」


 あっけらととんでもない事を言ってのけるが、何を信念に命を永らえさせるか次第では決して悪いことではない。

 精神と知識の維持を重んじた魔術師は好んでこの方法を用い、研究にいそしんでいる。

 思案したのか、しばしの静寂ののち、首を否定と動かす。


「にふふ。

 ま、動かせる体がないとあっさり発狂しそうにゃけどね」


 歌うように言って地図を指差す。


「その場所にあるのはまず間違いないにゃ。

 んで、この手袋をつけてれば体にもぐりこまれることはないにゃね。

 必要なのは茨の付いた茎を10センチほど。

 一番いいのは本人をそこに連れて行くことにゃけど、あそこって異常地帯にゃからねぇ」


 鮮やかな翠の瞳が無遠慮に、一歩間違えれば下着とも言える衣服に包まれた肢体を見上げる。


「ま、魔女っ子チンの場合はその花が根を張れるだけの魔力がないからねぇ。

 安全安心にゃよ。

 とりあえず」

「とりあえずってのは俺様のことか」


 不意に、オッドアイが色を変え、同じ色に染まる。

 荒々しい感情をむき出しにした粗野な声は忌々しさに満ちていた。


「にふふ。

 ぴんぽーん。

 あんたの核に気付かれたら厄介にゃよぉ」

「けっ」

「まぁまぁ、アンタが今消えたら魔女っ子ちんも生きてられないんだから」


 長きを経た精霊は稀に大精霊、そして神霊へとそのあり方を昇華させることがある。

 だがこれは歪み、壊れた精霊が同じプロセスを辿ってしまった特例中の特例である。


「それにそのための手袋だもん。

 情報に対する十分な対価は貰ったから嘘偽りなしにゃよ」


 不満げな表情が引っ込む。

 納得したわけじゃないだろうがこれ以上言う言葉はないというとことか。


「……帰ル」

「まいどー」


 小悪魔そのままの笑みで猫娘は『魔女』を見送る。




 森を出てすでに一年以上が経過していた。

 誰も入れない、出られないはずの魔域に入り込んできたシリング。

 彼と出会い、森を出て彼女はそのあり方を大きく変えつつあった。

 魔女の娘であるが故に魔女にならんとし、しかしその身には生命すら維持できぬほどの魔力欠損という障害をかかえている。

 絶望的な矛盾。

 ウィッカを修められない者がウィッチになることはない。

 だが、外の世界は無限に思えるほど可能性が満ち溢れていた。

 魔女でなくてもいい、という選択肢。

 最初はそれが納得できない故に理解できず自分は魔女だと名乗り続けた。

 できる限り医薬精製を行い続けていた。

 触れ合うことがないはずの世界、人間。

 触れ合うことで立ち止まり、戸惑い、いつの間にか自分の流れの中に加わっていく。

 ただ『必然』を支配する『知られざる世界の管理者:セリム・ラスフォーサ』。

 世界が消滅するその日までの全ての事象が織り込まれた時の織物『因果立法図』。

 『セリム・ラスフォーサ』以外の何者の目に触れることが許されず、語られないそれに今なら疑問を覚える。

 自分は外に触れる事で変わりつつある。

 では、何者の目にも触れず存在するその秘宝に何の意味があるのだろうか。

 その考えこそ、魔女たる自分が居なくなるという、不安そのものであった。




「こレ」

「うわぁああ!?」


 突然の声に驚き、真正面に立つ少女に驚く男。


「っな、なんだクルルちゃんか」


 これが彼女に対するお決まりの対応だ。

 男の視線を放って置かない肢体を水着+αの衣装で申し訳程度に包んだだけの魅力的な姿なのに、大通りを歩く者は彼女を見ようとしない。

 無理に目線をそらしているのではなく、壁や木と同じレベルで「あって当然」のように感じているのだ。

 出店をしげしげと見ていた者が不意に気付き目を白黒させている。

 彼女の最大の特性、それは暗殺者顔負けの気配隠匿である。

 隠匿というには語弊がある。

 彼女は隠そうと思って隠しているわけではない。

 生まれながらに「そう」で、生まれてから「そう」でなければ生きていけなかっただけである。


「今日は卸じゃないのかい?」


 何度か取引のある商人は彼女の手にしている物を見て、自分の店に並べてあった物と知る。

 彼女が万引きするつもりなら果たして捕まえられる人間などいるのだろうか。


「ああ、ええと。

 おや?」


 そのラインナップを見て親父は少し考えると、


「どこか出かけるのかい?」


と問いかける。

クルルの持っているのは保存食等の旅の必需品である。


「ん」

「そうかい、気をつけてな」

「御代」


 幾らか?と問うていると気付くと親父は少し考えて破顔する。


「いいよ、そのくらいならクルルちゃんに儲けさせてもらってるから」

「ん」


 彼女はそのまま大きなバックに物を詰めるとひょこひょこと歩き去ってしまう。

 少し目を離すとその姿を再び探すことは彼にできなかった。


「不思議な子だねぇ……」


 アイリンは世界一の大都市で治安も良いと言われているが、それでも彼女みたいな人間はすぐに路地裏に引きずり込まれること請け合いなのだが。


「ほんと、不思議な子だねぇ」


 世界は広いとしみじみ思うのであった。




「アルルムちゃんのなぜなにこーなー♪」


 あー、いきなり何なのでしょうか。


「いや、ほら、ここらで『時食らいの薔薇』について説明をとか?」


 というか、ナレーションに回答しないでいただきたい。


「にふふ。

 それがアルルムていすとー」


 気にしても無駄のようです。

 さっさと終わらせてください。


「つれないにゃねぇ。

 まぁ、いいけど。

 はい、『時食らいの薔薇』ってのは寄生型のクリーチャーにゃね。

 分類は魔法生物系植物。

 属性は時空。

 名前の通り時間に干渉する植物にゃね」


 ちなみに説明しておくと、すそを踏んだ白衣にフレームだけのメガネ。

 どこから持ってきたのかひし形の学者帽に指示棒と教科書みたいなものをつけた完全装備です。

 あと、目の前には机が並んでアルルム人形が律儀に聞いたり、落書きしたり、居眠りしたり、窓の外を見てたそがれたり、番長席でふんぞり返ったりしています。


「てきとーにゃね」


 はい、進めて進めて。


「む。

 まぁ、正確な理論はこの世界の言葉では表現できないから割愛するけど、要は『寄生対象の時間を奪い取る』にゃよ」


 さっぱりわかりません。


「むむぅ。

 特殊相対性理論とかこの世界にないぢゃん」


 逆切れされても困ります。

 てか、あなたが勝手に始めたんだからちゃんと説明してください。


「んー。

 寄生された者は事実上時間がほぼ停止した状態になるにゃ。

 この『ほぼ』っていうのがミソで、連続した時間の流れを寸断し、一瞬一瞬を取得することによる擬似的な時間への帰属を偽装してるにゃよ」


 やっぱりさっぱりです。


「むうむうむう。

 一番近いのはパラパラ漫画にゃね。

 一枚一枚は静止した時間にゃけど、静止した一瞬を重ねれば動きとなるにゃ。

 情報の圧縮による時間の節約。

 これが擬似的な不老の正体にゃよ。

 人間の知覚を遥かに超えた時間認識能力があれば、寄生されてる人がコマ飛びっぽくかくかく動いてるのがわかるにゃよ」


 そもそもコマ飛びなんて単語、ないですけどね。

 アニメがあるわけでもないし。


「みう。

 ちなみにそれでも同様に知覚できる理由としては『夢』が適当な例にゃ。

 五分とかしか寝てないのにすっごい大量の夢を見たとかあるっしょ。

 あれを現実で起こしてるって感じかにゃ」


 わかるよーなわからないよーな。


「ちなみに時食らいの薔薇には一つ問題点があるんにゃけど。

 それはまたの機会ににゃよ。

 くふふ」


 とりあえず終わったみたいなので次行きます。


「扱い悪いにゃーーーー!」




 まもなく日も水平線に近くなった頃、クルルは一人ルーンへ続く街道を歩いていた。

 いつもの露出の高い格好は延々日差しにさらされる旅路には向かない。

 昔と同じすっぽりと全身をくまなく隠すフード付きローブを纏いぽてぽてと道を行く。

 まぁ、足音は全くなく、なんら気を使っているわけでもないのに砂埃ひとつ立つことはない。

 すれ違った者は、まるで昼間に幽霊を見てしまったような錯覚を覚えるだろう。

 それはともあれ、アイリンの都からルーンまで、徒歩で約一ヶ月と言われている。

 しかし馬も何も使わない一人旅なら1.5倍以上の工程を考えるべきだろう。

 事実人並み以上に体力のない彼女は他と比べてかなりゆっくりと歩いていた。

 かつて『森』からアイリンまで、約一年を掛けてやってきたのだから、同じくらいは掛かると思うべきか。

 二週間がすでに経過している。

 だが、大国アイリーンを抜けるのは遥か先だろう。

 日の傾きで時間を見て、野営地を探すことにシフトする。

 文明から隔離された森の中で生きていた彼女にとって、野営のスキルは当たり前のものである。

 食べられる山菜を適当に集め、ついでに薬草等を摘む。

 申し訳程度の火を起こし、嫌忌剤を入れると保存食を口にして採ってきた薬草に適切な処理をする。

 獣と違い虫は気配ではなく熱や呼気、その他動物が主に知覚しない物を頼りに寄ってくる。

 余程の密林でなければ無理に使う必要もないだろうが、彼女の育った環境では命に関わる。

 習慣のようなものだった。

 手に入れた薬草を処理し終わると火を消してさっさと寝てしまう。

 普通であれば獣を寄せないために火を維持するのだが、今焚いたばかりの嫌忌剤とローブに仕込んである消臭剤のため、動物が気まぐれに近づくことはまずない。

 森は静寂とは無縁だ。

 耳を澄まさずとも鼓動のようなざわめきが絶えず響いている。

 虫の輪唱、獣の足音。

 葉のざわめき、風の音。

 その一つ一つの音がうねりとなり、彼女はそれを阻害せぬ者としてただある。

 だが、静寂に慣れきった体が大気のような存在感を維持しているにも関わらず、心の中は澱みを湛えていた。

 それを何と言い表せば良いか、彼女は適当な言葉を充てられない。

 自分は外の世界に適合するように『変化』している。

 相手の気配を知り、相手の行動パターンを知り、その上でその全てから外れて悟られない。

 全てを知る故に何人の干渉を受けることのないセリム・ラスフォーサの隠匿術。

 異世界に等しい森は全てセリム・ラスフォーサを隠すための城であり、血肉を好む動植物は屈強な番兵である。

 王を慕わぬ番兵からも知られる事なく、セリム・ラスフォーサは世界の未来全てを秘めて世界から隠れ潜む。




 セリム・ラスフォーサたる魔女はセリム・ラスフォーサであるためだけにウィッカの術を極める。

 セリム・ラスフォーサは『因果律法図』なる全知の奇跡を見守るためだけに存在する。

 因果律法図はセリム・ラスフォーサに観測されるためだけに存在する、完全なる世界の予定書である。

 セリム・ラスフォーサはセリム・ラスフォーサとしてのみ存在し、それ以外の何者とも干渉しない。


 ─────では


 セリム・ラスフォーサと因果律法図は、何のために存在するのか。


 『干渉』を、『縁』を知ってしまった魔女の心に澱みが踊る。

 セリム・ラスフォーサ以外に知りえぬ答え。

 魔女になれない魔女に届かぬ答え。

 そして、今なら己の謎に気付くことができる。


 セリム・ラスフォーサが全ての未来を識る者であるならば、何故セリム・ラスフォーサになれぬ跡継ぎが生まれてしまったのか。

 未来を識るならば、未来を望みのままに変えることができる。

 シミュレーションの考え方だ。

 疑問が逆転する。

 何故、魔女になれない者が生まれると知って、それを産み落としたか。

 体の奥底で狂える者が、どす黒い笑みを零す。


『決まっているじゃねぇか』


 忌々しさを隠さずに、己の闇まで堕ちろと響く。


『お前ははじめから魔女じゃあねえんだ』


 今頃気付いたのかと嘲笑う。

 嘲笑いながら闇色の毒を吐く。


『お前は牢獄。

 この俺様を閉じ込めるためだけに生まれた道具』


 ずきりと心臓が蠢き、森の呼吸を完全にシンクロした呼気が乱れると、一瞬周囲の虫が鳴き声を殺す。


『俺様が消えれば生きる事すらできない『空っぽのイレモノ』。

 魔女の名前を刻まれた勘違いの人形。

 俺様にとっての鋼鉄の処女、残虐にして愚鈍なる拷問人形』


 痛みを喜ぶようにソレは渦巻き、呪念を高める。


『キサマは最初から魔女ではない。

 生まれる前からただのモノなのだ』


 虚ろで


『空っぽで』


 魔力はなく


『そのように造られ』


 ボクは


『最初から』


 道具だった


『全ては、因果律法図に刻まれたように』


 だから




「くるるーー!」


 まだまだ夏というべき気候。

 日が燦々と照りつけ、街道と空を分かつ境界が陽炎に揺らぐ。


「くるるーーーー!!」


 街道を疾走する馬が一頭。

 見るからに逞しく、長距離を走れるように訓練された動きは武を嗜む者には垂涎だろう。

 見紛う事なく名馬とされる馬である。

 これの本来の持ち主は暑さを気にせず怒鳴る少年ではない。

 アイリーンにこの人ありと言われた花木蘭の物である。

 恐れ多いことだが、暁の女神亭に出入りする冒険者には其のあたりの感覚が非常に薄く、彼にも『丁度いいので借りていきます』程度の感覚しかない。

 乗り回す少年の名はシリング。

 自称『炎の戦士』で通称『放火魔』の彼はよく言えばまじめで、悪く言えば馬鹿である。

 1つの事がインプットされると他のことを一切気にしない悪い癖がある。

 そんな彼は我武者羅に先行くはずのクルルを追いかけようとし、馬を疾風の如く走らせているのだが、幸いな事に馬が賢いので、限界を感じると勝手に休憩をするため未だ潰れずに済んでいる。

 どちらかと言うと馬よりもろくな準備もせずに出てきた彼の方がつぶれかけているのだが、体の悲鳴を一切無視して叫び続けているという具合である。

 馬の足のお陰で村に辿りついては食いだめして走るような無茶なことを繰り返していた。

 普通なら通る村で彼女とどれくらい離れているか聞き出すところだが、最初の村で彼女の姿を見た者を発見できず、諦めた。

 最近なんとなく居ることを察知できるようになってきたものの、こんな風に全力疾走していると不意に見逃しかねない。


「くそー。

 どこに行っちまったんだよ!」


 そもそも急に居なくなった理由がわからない。


「これはあの……実家に帰らせてもらいますとか言うやつか!?」


 確かに『実家』の方向ではあるが、余程身分が高いか裕福でない限り他国どころか隣の村にすら行かず一生を終える者がほとんどのこの世界でそれはないだろう。

 木蘭のよくわからないネタに程よく感染している彼は見当違いもいいところな高まりを覚える不安を胸に疾走。


「うわーん。

 俺が悪かったよー!

 何が悪いかわからないけど!!」


 のちに、その姿を見た者が『真夏の白昼夢』として面白おかしく語り継いでしまう奇行を晒しつつ、ひたすらにルーンへの道をひた走る。




 吟遊詩人がその場所を歌うであれば、なんとするか。

 言葉に長けた彼らでさえ、迷い悩んだ末に『闇すら喰らう混沌の檻』とでも表現するか。

 ルーンが誇る知識の砦、世界塔に眠る万の書物にすら記載されることない動植物が蠢く魔境。

 弱肉強食は動物だけの理でなく、罠のように巡る木の根が蔓が容赦なく生命を貪り食い、それすらも寝床にする虫たちがおこぼれに預かって肉を貪る。

 この魔域では完全なる強者など居ない。

 さいころを無造作に放り投げるように、一瞬が強弱を決定し運命に恭順させる。

 完全なる混沌の中に混じった異物は、その中心に位置する。

 そこには家があった。

 何百年前からあったのかと思わせるほど草木が生い茂っているが、近づいて見ればまるで新築のように材質に劣化がない。

 間取りは4部屋ほどか。

 かなりの大きさだが、絵で見れば周囲の景色に埋没し、近寄りがたい雰囲気を放っている。

 そはこの地の始まりの場所。

 狂気が狂気に陥って描き上げた悪夢の絵画、その筆先。

 かつて、この地は周囲となんら変わらぬただの森であった。

 もはや歴史書のどこにも残らぬ当時の王が、初代のセリム・ラスフォーサーにこの森を与えた時から、この地はゆっくりと変貌を始める。

 その国が滅び、蛇のうねりのごとくに国境線が蠢く中、この森に起因した様々な怪異が伝えられ忘れ去られていった。

 やがておおよその国境が定まる頃、この地は『魔女の森』と呼ばれるようになっていた。


 踏み込まざれ魔女の森。

 そは奈落への一本道。

 踏み込みし者に背後なく、誰ぞ知らず消え行くのみ。

 

 その家の住人は一人と一羽である。

 黒のローブに身を包んだ二十代と見られる女性と、ふくろう。

 傾国の美女と讃えられるに違いない、計算されつくした美貌がそこにある。

 日に当たったことのない透き通るような白い肌。

 流れるような銀の長髪は微風にさらさらと小さく踊る。

 伏せられた大きな瞳は憂いを醸しながら見る者の心を奪い、紅を引かずとも桜色の唇が細い呼気に合わせて静かに動く。

 混沌の中の真なる混沌。

 当代のセリム・ラスフォーサは意識の半分を名もなき世界に漂わせながら、残り半分で糸を紡ぎ直す。


「ほーぅ」


 ふくろうが小さく啼く。

 それを合図にセリム・ラスフォーサは瞳に焦点を取り戻させ、大きく息をついた。


「ありがとう」


「礼には及びません我が主」


 涼やかで、凛とした声に鷹揚に応える太い声。


「それで、如何でしたか」

「予想以上に悪いわ。

 まさか、セリム・ラスフォーサが『予想』なんて言葉を使うことになろうとは思わなかったほどに」


 会話の相手は無論ふくろうだ。

 ばさりと一度ゆっくりと羽ばたいた彼はきょろきょろとつぶらな瞳を躍らせる。


「かの来訪者。

 それほどまでに」

「多重のギアスでぎりぎりまで自分を縛り付けることで、世界から否定されないようにしているけれど、それは許容値限界……。

 つまり世界最大の異分子であるということだわ」

「……ほーぅ」


 溜息か感嘆か。


「未だ戻るべきでないあの子がこの地に踏み込む可能性は非常に高くなっています」

「『不明確な未来』ですか」

「元より、あの子は最後に疑問を手にこの地に戻ってくることになっていました。

 同行者の少年と共に。

 ここで子を成し、私はその子を次のセリム・ラスフォーサにしなければなりません」

「次代にして最後のセリム・ラスフォーサですな」

「ええ。

 混沌の奇蹟を内包した最後の魔女。

 そのためにはあの子と狂いし精霊王が混ざり合わなければならない」


 美しい相貌に浮かぶのは焦燥。


「四百の年を重ね堅牢に組み上げられた因果の織を、この土壇場で歪めるなどありえるのでしょうか」

「……あります。

 その予感は常にセリム・ラスフォーサの中にありました」


 魔女は瞳を閉じて思考する。


「かのような強力な異分子をこの世界は認めません。

 この孤独なる世界は他世界をひどく警戒しています。

 世界が壊れることを恐れて。

 堅牢なる世界は、その身の内で育った『病巣』を駆逐すべく、薬を投与したのでしょう」

「病巣。

 ほーぅ。

 我が主は病巣か?」


 意外そうに、しかし真摯な問いかけにセリム・ラスフォーサはうなずきを返す。


「初代が望んだ奇蹟は世界の全てを否定し、支配するものとも言えます。

 混沌なる闇の底で静かに育った病巣。

 しかし最後の一幕でどうしてもそこから飛び出す必要がある」

「『精霊の忌み子』に世界が反応したと」

「推測に過ぎませんが……。

 しかし、揺らいだ未来は確定から可能性に広がってしまった」


 長きに渡り継いで来た故の沈痛なる響きがある。


「我が主、如何なるや」

「……動けません」


 セリム・ラスフォーサ故に。

 今、自分が禁を破り世俗に身を晒せば、世界はここぞとばかりに因果を覆すことは予想に難くない。

 ほーぅ、と使い魔が細く長く鳴く。


「我が主、ご無礼を」


 前措いて、賢者の鳥たるふくろうが主に問う。


「主はクュリクルル様に奇蹟の苗床となることを望んでおりますか?」

「望んでいます」


 淀みない応えにふくろうは沈黙。


「その行いが世界から否定される事であろうとも、セリム・ラスフォーサはそれを望みます」

「それ故に、セリム・ラスフォーサであると」


 念押しのような言葉に強い視線が返る。

 だがとぼけたようにくるくると瞳を回したふくろうは肩を竦めるかのように羽を揺らすとほーぅと惚けた声をあげる。


「最近反抗的だと思います」

「ご存知でなられませんでしたか。

 これはいよいよ緊急事態ということですな」


 母親のようにも年端のない子供のようにも見える美女は、初めて人間らしい不服そうな面持ちを浮かべ、自分の使い魔を見た。




「魔女の森……ねぇ」


 無作法にもテーブルに足を投げ出した男が興味なさそうにつぶやく。


「なんでも奥には財宝がざっくざくだとか」


 同じテーブルに着くやせぎすの男が媚を売る笑みで囁く。


「でもよぅ、なんで誰も取りにいかねーんだ?」


 もう一人、テーブルを囲う女がぶっきらぼうに問うと、男はそちらにも愛想笑いを向けて僅かに記憶を探る。


「一度入ったら出られない魔の森だからって話ですぜ」

「馬鹿野郎。

 その話が本当ならお宝見つけてもしかたねーし、デマならくたびれ損じゃねーか」


 女が空のジョッキを投げつけ、やせぎすの男は間一髪でそれを受け止める。


「さ、最後まで聞きましょうぜ、姐さん。

 その森を行き来できる方法があるんでさ」

「はい、その通りでございます」


 男の後ろから現れたのは美人というより可憐な少女。

 花のような微笑を称え、一同に優雅な会釈をした。

 惜しむならば背中の大きなリュックと旅衣装が実用性故の無骨さを放っていることだが、逆にかわいらしい衣装を着せてみたいと男女隔たらず思わせる魅力がある。


「はじめまして。

 わたくし旅商人のリリー・フローレンスと申します。

 此度、宜しければ『情報』という名の商品をお買い上げ戴きたく参じた次第です」


 鈴の転がるような耳心地の良い声が口上を読み上げる。


「商品は『帰らずの森』『魔女の森』と名高い場所へ至り、帰る方法。

 御代は金100というところでいかがでしょうか」

「高い。

 たかだか情報の値段じゃないね」


 女がにべもなく言い放つ。


「だいたいそれが本当かどうか、証明なんてできないだろ」

「おっしゃるとおりですね」


 少女はドスの効いた声や眼光に一ミリたりとも怯む事なく肯定。


「ですが、価値においては数えるのも馬鹿らしくなるほどであるとは述べさせていただきます。

 かの英雄フラム・ドゥレーガが手にしていた魔剣『クリムゾン』や、行方がようとして知れない宝玉『天空の涙滴』はその森にあることは間違いありませんし」


 一振りすれば万の敵を焼き尽くす、伝説の精霊獣フェニックスを封じたとされる剣。

 また握りこぶしよりも巨大だったと言われる、盗まれた宝玉。

 そのどちらも価値を付けよと言われて、答えられる者が居ない程の一品である。


「間違いないってのは、自信がありすぎるんじゃないかい?」

「英雄と、その盗人の足跡は共にその森で失せています。

 幾人もの追跡者と共に」


 女同士の会話に一分の油断もない。


「いいじゃねぇか。

 買おう」

「ジェフ?」


 だんまりを決め込んでいた男が足を下ろして体を起こす。


「だが50だ。

 残りは帰ってくれてやる」

「それで結構です」


 男があごをしゃくると、やせぎすの男はふところから袋を取り出す。


「お買い上げ、ありがとうございます」


 未だ疑いの瞳を向ける眼差しの女は無視してリリーは優雅に一礼をする。


「夜も付き合えばあと100、即金でくれてやるぜ?」


 袋に手を付けた少女に掛けられる言葉。

 動きは一瞬の停滞もせず、顔には微笑み。


「あら、大変うれしいですが、お客様のでは私が壊れてしまいそうですわ」


 男は無骨な笑みを頬に張り付かせぬるくなったジョッキを一気にあおった。

 それを見届けて少女は荷物を背負いなおす。


「それでは皆様に幸運を」


 身の置き所に困ったか、やせぎすの男はきょろきょろと男と少女の間に視線を走らせる。


「……気に入らないね」

 女の声は聞こえたか。

 リリーは宿を後にする。

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