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中編1

 誰が何の目的でアカシャの種子なるレプリケーターナノマシンを製造したのか。

 そして、それが世界中を食らいつくすような事態になったのはなぜなのか。

 それは、地上に残存する僅かな可住地「娑界」に住まう貧しい衆人たちはもちろん、支配階級である軌道都市アルファ・クシェートラの天人たちにも、ほとんど知られていない。

 真実に触れる権利を持つのは、アルファ・クシェートラの最高意思決定機関である七聖賢と、彼らの主人である月面都市エーリュシオンの神人たち、そしてシンプリカル・コンプレックスの異端者たちだけだろう。

「その秘密をあの小娘も知ってしまったと?」

「全貌を掴んだ訳じゃないだろう。真実のごく一端、しかし老人たちにとっては看過できない程度の情報、というところだろうな」

 輸送艇の狭苦しい機内、無機質な兵員用の座席に詰め込まれた四人の身体改造者たち。彼らはアスラ諸王連合の工作部隊「ナーガ戦士団」の構成員であり、自分たちに課された任務の、不可解な矮小さについて語り合っていた。

「サーガラ校尉殿はご存じで?」

 ナーガ戦士団団長サーガラは、部下の問いに肩をすくめてみせた。

「知っていても話すわけにはいかんが、まあ正直な話、俺も詳しくは知らん」

 単純にヴリトラ王も、いよいよケツに火が付いて、なりふり構っていられなくなったという事だけなのだろう、とサーガラは当たりを付けていた。カシュヤパ国やアスラ諸王連合の卑小な野心など、彼の興味の外にあった。

 それよりもサーガラには、この作戦に興味を惹かれる理由があった。

 サーガラは電脳内で、ヤフキノ邑から共有された動画ファイルを再生する。ヤフキノ邑を囲う城壁の搬入口からエレベーターへ潜り込む二体の倍力甲冑の姿。市場で穀獣の干し肉を調達する男女。監視カメラで捉えた映像で画質は荒いが、間違いなく女の方は標的であるトリシャ・アートレーヤであることが確認できる。クスミの里の里長が提供してきた情報通りだ。

 しかし、サーガラの興味は、寧ろアートレーヤの相方である原人の男の方に向けられていた。その男の後ろ姿。身のこなしは素人同然だが、しかしそれでも何人もの潜道士たちを葬ってきたという。

 この原人の男がアートレーヤの女と行動を共にしている理由は明らかではないが、しかしもし男の正体が、サーガラの想像通りなら……。

「……何にしても、俺たちの仕事は天人どもより先に、あの感染者の小娘の身柄を抑える。それが無理なら、よその勢力の手に渡る前に始末する」

 輸送艇はヤフキノ邑の辺境へ向けて汚染された夜空を翔ける。

 目指すは城塞の貨物用エレベーター、そしてその先にあるナラカの底である。


 阿那たちは、倍力甲冑を除装した、丸腰のスキンウェアのまま、常世道の祖師である李と対峙する。

 高炉は常世の隠れ里の最奥にあるという。位置としては、ヤフキノ邑の中央、行政機構が集約されたメガストラクチャー「ヤフキノ大楼」の直下にあたる。

 李はこの高炉を再稼働させれば、阿那とトリシャに大量のアムリタ薬を提供する話す。断る理由は無かった。

 アムリタ薬の製造元である九曜機関が失墜し、事実上の活動停止状態となっている現状、アムリタ薬の価格は高騰の一途をたどり、一般人が入手することは非常に困難となっている。阿那が原人の力を振るうだけで、トリシャが視肉化するタイムリミットを伸ばすことができるならば、悪い話ではない。

「まあ、今日はもう遅いからね。皆も準備が必要だろうし」

 李は阿那たちを晩餐に招いた。

 白亜の神殿の大広間に据えられた巨大な円卓へ十数人の幹部級の信徒たちが集い、阿那とトリシャも席に着く。その対面に李。牙獣サラマーは広間の入り口で伏せて待機していた。

 静かな晩餐だった。

 常世道は穀獣を加工して食料を販売することで生計を立てているというのは、それはそれで真実ではあるので、阿那には穀獣の新鮮な肉を用いたスープが振る舞われた。

 トリシャと信徒たちにはアムリタ薬のアンプルが一本づつ皿に乗って出されていた。

「祖師様、お恵みを拝領いたします……」

 ウチツクニの兵士たちを排除して阿那たちを捕らえた巨躯の導師ニコライが、アンプルの前に恭しく首を垂れる。他の信徒たちもそれに続く。みな融合疫に感染した歪み人である。

「あの、私にもお肉とかもらえると」

 トリシャが恐る恐る手を挙げる。

 ニコライが横目でトリシャを睨む。李が従者を呼び、トリシャにもスープを出すよう指示をする。

「気が利かなくてすまないね」

 そう言う李の更には、錠剤が数粒置かれていた。

「あなた達の食事は、その、質素なんだな」

 何となく突っ込みづらく、阿那は言葉を選んで口を開いた。

「私も皆も、我が家は小食なんだよ」

 李は微笑み、錠剤をつまんで飲み込んだ。この錠剤はタンパク質や糖類などといったウェットウェアを維持するため成分が凝縮された、シンセティックサイボーグ用の糧食であった。

 一方信徒たちは、アンプルの首を折り、灰褐色のアムリタ薬を煽る。

 融合疫によって変異した肉体は死ぬことがない。ナノマシンが生体の恒常性を細胞レベルで維持するため、例え脳をバラバラに切り刻んでも、破片単位で生き続けることになる。そのため、歪み人は通常の食事が必要ない。

 しかし融合疫のナノマシンは、肉体の構造を効率的にエネルギーを補給できるよう改造する。そして最終的には均一な肉塊である視肉へと変異させてしまう。その変異の進行を抑制するために必要となるのが、人体構造の補修を行うアムリタ薬である。

 アムリタ薬は融合疫の原因ではあるが、同時に唯一の対症療法薬なのだ。だから、歪み人に必要となるのは、食料ではなくアムリタ薬のみとなる。

 一方、歪み人でもシンセティックでもない阿那は、ほとんど味のしない穀獣のスープを一人啜った。

「おいしい?」

「うん」

 トリシャの無邪気な問いかけに、肯くしなかい阿那。

 程なくしてトリシャの前にもスープが従者によって運ばれてくる。

 トリシャがスープを口にした。

「確かに、おいしいね」

 トリシャは屈託なく笑う。

 そしてそれ以降会話は無く、晩餐は終わった。


 あてがわれた寝室で阿那は手帳を広げていた。

 今は阿那の記憶の中にのみ残された、アルファ・ユガ時代の詩を綴る。古い児童文学作家の作品。眩い日差しや、凍える山の空気、雪の白さ。全て、この時代には失われた風景を謳ったものだ。

 鉄さびが浮かぶ薄暗い部屋に、ペンの走る音が響く。

 数百年前に作られた古いオフィス用のデスクと椅子。卓上の照明。あとはパイプ製の簡素な寝台。必要最低限の家具しかない殺風景な内装だが、それでも隠れ里の中では上等な客室なのだろう。

 阿那の倍力甲冑である3型は部屋の隅に駐機させており、野営時と同じくターボリニアエンジンのタンクで飲料水を生成していた。常世の隠れ里の薄汚れた井戸水よりは、飲みなれた濾過水のほうが阿那としてはマシであった。

 安普請の薄い鉄扉より、ノックの音が響く。

 阿那は拳銃を手にし、返答するか迷う。

 扉が開いた。

「阿那、私」

 トリシャだった。

 白金色の髪を後ろにまとめており、昆虫めいた複眼と化している醜い左目も露わとなっている。

 トリシャは阿那の背中から、机の上の手帳をのぞき込む。

「そろそろ出来そう?」

「いや、まだ半分くらいだよ。学生時代に読んだきりの本だから記憶があやふやで、なかなか思い出せない」

 それでも、初めて読んだ時の鮮烈なイメージは阿那の心に刻まれている。その感動をトリシャにも分け与えたい。誰かのためを想って文章を書くという事は、とても新鮮な体験だった。

「学生時代……阿那はやっぱり学徒だったんだね。凄いなあ」

 トリシャは寝台に腰を掛け、ごろりと横になった。あくびをし、伸びをする。 

「さっきのご馳走凄かったな。上の街で買った干し肉より良かったかも」

 ヤフキノ邑で露店の小僧に言いくるめられて買った牙獣の干し肉は、ひどいえぐみと硬さでまともに消化できるかも怪しい代物であり、確かにそれに比べれば穀獣の肉はずっと上等な食材ではあった。

 阿那は手を止め、トリシャを見る。

「その、言いづらいなら言わなくてもいいんだが、君はなぜ――」

「融合疫になったのか、ってこと?」

 飢えや病に苦しむ社会的弱者が八方ふさがりになってアムリタ薬を摂取する、というのが一般的な融合疫の発症経路である。

 アムリタ薬はアカシャの種子から生成された秘薬であり、スティグマ因子を持つ遺伝子に作用し、あらゆる飢えや病、怪我を完治させることができる。一方でランダムなタイミングにて融合疫を発症させるという副作用も持つ。そのため困窮した衆人たちにとっては最後の手段ともいえる存在だった。今日を生き延びるため、死よりも苦しい末期を選ぶ。そういう病を特権階級であるはずの天人が患う理由が、阿那には分からなかった。

「別に大した理由じゃないよ。他人からうつされちゃったんだ。天界ではよくあることだから」

 そのトリシャの言葉に、阿那は自分が天界に対して根本的に思い違いをしているのかもしれないことに思い至った。

 トリシャたち天人が住まう天界は貧困とは無縁の存在であると阿那は考えていた。しかし、その認識は誤りであるのかもしれない。融合疫に感染することがよくあるような環境であるならば、それは豊かな社会であろうはずもない。

 初めてトリシャが阿那と出会ったとき、彼女は自分に近づかない方がいいと言った。それは、彼女が原人は融合疫に感染しないことを知らなかったためである。トリシャの教養の高さは確かであったが、一方でその知識には偏りが大きいように見えた。トリシャの言葉から察せられる彼女のバックボーンには、チグハグな不自然さがあった。

 結局、トリシャの生い立ちついても、天界についても、具体的なことは何も聞くことが出来ないまま、その日の夜は更けていった。


 扉の外からはピアノの音色が聞こえる。李が弾いているのだ。それは古い時代の子守歌だった。

 もともと、常世の里は視肉箱の捨て場であった。だから、ここに死者はいない。眠りを求める者だけがいる。

 そして阿那は今日も悪夢を見た。もう慣れてしまったが。

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