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『ヒト』それぞれにPSYはある  作者: ガラマサ
1『Everyday+LIFE』
6/39

隔世

新エピソード群『Everyday+LIFE』は全五話予定。

明日は次回を五時に、残り三話は、筆者が来年度のリア活の関係から十二時に投稿予定になります。


ここからちょっと遠大な話になってまいりますが、作風はさほど変わりませんので、是非引き続きお楽しみ下さい。

 ――おとなはみんな、口ばっかり。

 大人げなんてモンがあればナメられて、どう下手に出ようと性根は悪ガキと大差がなく、自分さえよければというのが丸わかりで。


 そこでならば、自分は普通の人以下で良いと。そう思って生きてきた。




「危なかったら、なるべく早く助けを呼べよ」


「――へーきだよ。今の血量なら、死ななきゃ掠り傷だ」


 早朝、停められた車内。

 病床で起きて早々、連れ込まれた仕事場を前に、そう言われ、そう返す。


 白すぎる、細すぎる少女だ。

 その両脚が支えとして機能できるのは、間違いなく体自体の軽さによるもの。

 そう確信させる程に発展途上の腕と上体、それに反する縦長の下半身。

 普段背格好を誤魔化せる程の長髪は結われ、銀の合羽の頭巾に隠されて尚更、歪さを増している。


 血気十分。と自称するものの、乳白の肌はむしろ青白く――その現実を反映するのは、煌々と光る相貌の赤のみ。


「な。ヤバいだろアレ」


「えぇ。また後輩殺す気かと思って来たけど」


「もっと言えば、予期せぬご指名付きの休日出勤が嫌な余り、それを押しつけようとしているのかとも思ったけれど――ありゃぁ順当ね」


「……ご理解頂き感謝するよ」


 その、少女が立ち去った後。

 ようやく、白衣に栗茶の三つ編みが乗った肩が落ちる。


 それは目的地にて停められた車内、つい先程までカルテ片手に主張を譲らなかった女医のものだ。


 ――なにせ、ソイツは。

 いつも素っ頓狂で、奇行ばかりで。

 かといって極希に正気過ぎる事をする――昔馴染みでも理解不能な仏頂面の、同期唯一の平社員という問題児で――しかし。


「大人しい子とは思ってたのよ。受け答えはいいし、薬にも抵抗はなかった――昏睡から覚めて、ポリスの環境を知っても揺らがなかった」


「……そして、自分から聞きに来た試しもなかった。ってトコだろ」


 隣席に袴で腰掛け、シャツの上に着物と企業のジャケットという、妙な格好の彼。

 社員証がなければ落ち武者と見まごう、猫背で両手の指同士を重ねさせた据わった目の、見当は。


「和多志はあれを連れ込んだ事を、レッテルだとは、思いたくねぇな」


「……カフ君って、意外と周り気にするもんね」


「……そぉかね」


 今回ばかりは少なくとも、悪い方には行かないだろう。

 そう察して漸く、振り回された腐れ縁は悪戯げに笑い、降参を示した。




 ソイツは、動くモノに対し反応する。

 脊髄など焼き切れた身でありながら、まるで、それだけの脳機能を残したかのように。


「……ぅ、……ゥ」


 即座。視野の外、死角からであろうと例外なく。

 射程範囲に踏み入ったものへと腕は回る。

 方角は背後のやや右め、無論右肩を軸に動き。

 ――刹那。その関節は、軒並み逆を向き、頭部をもが一蹴を喰らっていた。


「――うん。いけるね、わたし」


 そうして、鉄山の主人は頂点から蹴落とされる。

 その真っ赤に熱された上に降り立つ、白い少女。


「にしても、すげぇな。景色ぜんぶ真っ赤だ、真っ赤」


 水平にカッ飛んで飛来しながら中空で、先客を蹴飛ばした、イロハ。

 それは防火衣に身を包み、思わず殺意で先鋭化した眼を丸めていた。


 一方。その全部の、猛烈な勢いを叩き込まれた巨体は峨峨たる斜面を転がり落ち――重なった建物の瓦礫を、あそばせた四肢で、触れた端から赤くして砕いて回る。


 この、元スラムの幽霊街は、墓標(ビルディング)は、そうしてくたばったのだろう。

 焦土を見るのは初めてだ。なにせ壁外は大半が干魃地帯。

 そこに火を焚く阿呆など大人でも居なかった。


 どんな富豪でも、ある種そうそうお目にかかれないだろう。


「なんか、こー。つまんない景色が派手になってんの、ちょっとツーカイかもな」


 などと。仏頂面のまま無感動に、贅沢なムダを堪能し、


 ――瞬間。(ひらめ)いた爪は、思考が白むほど色濃く殺意に燃えていた。


「……」


 両眼を剥いて、少女は仰ぎ見ていた。

 五本揃った指先、赫灼の、焼石めいた刃が伸びている。


 煙る煮崩れた巨漢の腕に、唯一硬度を保つ廃熱弁として。

 それから、上体を反らしての回避。脊髄反射、遅れて自覚――おかしい。知覚できなかった。

 さっきまで対応できていた、速度と膂力に。


 次の刹那、瞳孔に映る掌は額に大きく迫った。


「……ぇ。――ッ!」


 即座、迷いを全力で噛み潰す。

 手足を着いて潜るように射程圏外へ。


 肩を視点として揺らされた剣先は空振り弧の光線を五つ描いた。

 そこへ加減知らずに。

 胸から上が溶岩みたく盛り上がった、活火山のような巨漢は首の折れたまま、両腕だったもので猛威を形成――死の光線が、襲い掛かる。


 飛び退く。胸へと伸びた右手の手首を蹴り上げ、真下から腰元へ奔る爪先を、残った一方の足で地を蹴飛ばし更に後退し避ける。

 同時に左手による横殴りな大振りを、逃れかけたところで急加速で頭巾ごと頬を貫かれた。


「――がッ、ぶ」


 衝撃に呑まれ、意識が飛びかける猛烈な威力。

 ものを食わず弱った下顎が吹っ飛ぶのを錯覚した。そして錯視も疑う。

 弧を描く腕。それが中空で痙攣でも起こしたように、一瞬カクッと止まって直線で急加速。半壊状態故の有り得ない挙動。


 だが、あれの性能は何ら上下していないコトは、実際に受けて間違いないと感じている。

 なのに現に、足場とした瓦礫の山で足首を挫きかけ、体制がズレてなければ今ので――


「……な〜、オイ」


 宙を回り、吹っ飛ぶ少女に周りを見る余裕はない。

 すんなり、追い縋った大きい足裏の破壊力で、つま先から胸骨ごと胸を抉られ踵で腹までも穿たれる――その先を、拒まない自分は居なかった。


「食えなくってもいーのは、アンタだろうが!」


 一蹴。相手より先にそれが到達したのは、熟練度が高かったのはイロハの方だった。

 それも脇腹、肋骨と骨盤の間に脊髄を避けた、肉と臓腑への直接攻撃。

 そしてそれは実際に表層と肉を一撃で破り、絶対未踏の深みへと感触は踏み行って――、


 ――その爪以上の熱量に、今触れたら死ぬと理解させられた。


「――がゥっ!?」


 痛み分け。というには不平等な圧迫が胸を打つ。

 あれの爪が、蒸気の尾を引きながら吹っ飛ぶ様を見届けて、途端。

 遠く空彼方へと吸われ出す景色は、そのまま壮絶な衝撃と共に引っぺがされ――かろうじての着地を最後に、瓦解した脚は、へたれ込む。


「……ッ、……ぅ」


 視野の、明滅がひどい。

 頭巾から長髪が垂れ、霞んだ頭がふらつく。

 胸と肩の上下の度、『あれをもう一度受けるな』という屋台骨が訴えた。

 だが、それよりもっとひどい事について。こと流石のイロハでも認識に至る。


 ――ここはわたしにとって海の底だ、三分と動けない。


 急に相手が強くなったんじゃない。こちらが弱まったのだ。

 肌の一部が青黒い。医療においてはチアノーゼと呼ばれる現象。

 極度の酸素不足によって生じる。

 運動時に血中酸素を喰う以上、呼吸するか動くか、ここに来た時点で、ハナからイロハにはその二択しかなかった。


「……はっ、はぁっ、へっ……」


 焼けただれそうな肺と喉。構わず、みっともなく肩で息をする。


 認識が遅れた理由も、まさにここだ。このような環境での実戦経験がなく、発想もなかった。

 普段であれば即座に傷口を作り、そこからの出血を奪えたが、それも無理だ。


 あれは恐らく血がない。内臓、生態器官が、まるっと畏能による熱源(コア)にすげ変わっている。

 ――ただ、この外的要因だけなら、今の血量のイロハの戦闘に支障はなかった――内的問題もある。


 単純な話だ――酸素が足りない以前から、そもそもイロハは、この血量を扱い切れていない。


「……ぅぐ、ッん――うん。だい、じょうぶ。血だけはある。十秒とまるだけでも、立て直しやすい」


 漸く落下を始めた獲物から目を離すことなく、震える上体を起こす。

 血液型も生物種も区別なく混在した血が入った体の、得体が知れない冷や汗を乱雑に袖で拭った。


 今。イロハは普段通り、血管を通す血量は一人分に収めている。

 ただ、肌の上の携帯食。

 左胸と背筋から首筋と左肩に伸びた、赤く固まった血の紋様はその実。凝縮度と凝固性を『最大限』にまで上げて、結晶状にひっついた血液だ。

 ――一人分の完全制御に十年を捧げた身で、ただ固めてまとめるだけとはいえ、成人男性の少なくとも百人弱分の最大制御。


 食えるときにしか食えないとはいえ、節操がなさすぎた。

 とてもじゃないが、抱えた情報量のスケールが違いすぎる。


 常に意識の半分は処理に追われ続けている。

 あれから丸二日は寝たきりだったそうだが、まるで睡眠不足は治っちゃいない。

 掌握を見誤る以前に、把握すら間に合っていないのだ。


 セルフバイタルチェックの失敗。十年で一度となかったイレギュラー。

 そこに環境のイレギュラーが重なって、漸くイロハのスペックは、不利状態に持ち込まれている。


「……っ、ふぅ。……ど~しよ。あれ」


 とはいえ。結局は、行動に時間制限があるというだけの話。瞬間火力に絞れば動けはする。

 思考力低下は否めないが、対応できないわけじゃない。

 半端に苦し紛れで蹴ってアレはあんな高く吹っ飛んで、あちらは全力なのにこちらの防御は勝った。

 普段より数段も質が落ちるが、血液消費にモノを言わせた火力のゴリ推しで――。


 ――――待て。そうだ、一番イージーな手段があった。


「あれ。そういや、そっか。そォじゃん!」


「――二人居る。血ぃ持ってるヤツがちょーど、もうふたり!!」


 低酸素の脳がはじき出した回答、その画期的な明晰ぶりにイロハは心底、ただただ無邪気にそう発した。


 ――今まで。わたしは、人は食べてない。食べれば血抜き処分だった。

 だが今は違うのだと。

 その十年間の制約は消えていると今更気付いて、さながらクリスマスプレゼントに気付いた寝起きの子供のように、片手で抱えていた頭を叩いて身は奮い立った。


 正直、月一未満でくる怪人討伐より、そこらの人を喰った方がいいとはつくづく思っていた。

 何度やれるものならやりたかったか。

 それによってどれだけ強くなるのか、ついこの前にリターンは体感したばかり。

 やらない理由がない。


 たしかに反動はあったが、そんなものここを切り抜けた後に、時間さえかければ解決する。

 つうかそもそも、怪人討伐というのに血が得られないなんて事のがどうかしているのだ!

 これは、得られて当然だ。そうなのだ。そう、短絡的かつ衝動的に。

 すなわち素の性格そのまま、血走った目のイロハは実践せんとして。


 ――もうひとつ、道は示されちゃいたかという事にも、すんでで気付く。


「――。……自分の命かかわってンだし。自分でやった方が、いい気するんだけど……」


 時間にして、僅か十七秒間。

 あれが着地するまでの。交換した殺意の再会に際する、逡巡は。

 刹那であったが。少女にはひどく、長く体感されるものだった。




「――できないならいいから。血だけくれりゃあね」


 ――使えなければどちみち死ぬだけだ。

 ならば、喰うのはダメ元で試した後でも損はない。


 水没し息を止めた人体の最後と決意は似ていた。

 この瞬間に呼吸できないとどうやっても死ぬから、本能的に口を開ける。

 大抵、その後に水が肺を犯すコトが目に見えていようと。


 皮肉にもそれは、呼び出された男と全く同じ結論であり。

 男を一瞥もせずに佇む姿は、あの日のままで――ただ、今度は。


「やい、クソガキ。いつ和多志ができないとまで言ったよ」


「火の中で立てるって……どうなの人として」


「お前サマだけぁ常識を説くんじゃねェ」


 八雲カフクは、その背に望まれて歩み寄る。


 口ぶりと状況に反し、彼はどこか、安堵している様な声音でいた。

 その意図は問わない。イロハは終始、獲物の方角から目を離さない。

 もし今、男が背後から襲っても、なんら問題とは思わないだろう。


 ――コイツは、他人に助けを求める発想がない。それが有効手段である世界を知らない。

 そのくせ致命的事態には人一倍敏感な急場しのぎ特化――十年、それで上手くいってしまった。

 そして。それだけに、


「――なにそれ。出来るもんなの?」


 顔は上がる、丸く赤々と濡れた相貌はこちらを向いていた。

 ほらよ、と両脚の長靴に手をかざし――その役割、断熱性を引き上げた。

 そして、同じ効果を施した酸素ボンベを手渡した結果の反応だ。


 絵に描いたような、効果覿面。

 思わず、怒るべきタイミングを逃していた。

 彼だけが理解出来る視野と実物とが、違いすぎて、つい肩が落ちたのだ。


 ――――コイツは。白すぎる。

 潔白すぎる。気持ち悪い程に白々しい。


 なにひとつ生きる以外の選択などなかった。

 だから一切の責任も罪も実りも知らない。善以外、それは知らない。


 故に血と汚泥を、殺しを汚いとは知らない故に。完全に無罪の、人が天使と呼ぶ獣だ。


 なによりも不幸で不自由、故に完全な善良の実在を証明し、実証するモノ。

 それほどの善人がどれだけの奇跡であるか、おぞましい背景を――彼だけは大凡、見透かしている。


普通(デフォルト)ではないな。人為的でも無い限り、畏能のアウトプットは起こらない。接触以外で体外に影響するのは本来、暴走時の漏出に限る――独りで怪人を狩り続けた、お前サマが知らないのは当然だ」


 ――とはいえ。結局、ただのガキらしい。

 知らない物事が多く、バカ正直で、本当ならこういう顔するヤツ。

 だから、この火の中で立っている猫背男を有効手段と知らなかった。

 同時に彼は、わざわざ自分から言わずに言わされるのを待った。


 そして今。目論見通り、イロハは獣の顔を剥がされた。


「手伝いだったな。こいつと逆の効果を、最大でアレにやる。その後を二十秒で突け」


「それをこえると?」


「……更に効果が逆転。体内器官と置き換わった畏能の全盛期到来。マクスウェルの悪魔爆誕だ。物理的にな」


 ぽつぽつ、淡々と据わった目で。丸々とした目の前にぼーんと手をパーにしつつ、目線の先は前へ。

 落下から、僅か六秒。

 怪物役の順番は既に、今。怪人の視認と完全に同タイミングであった。


「ちなみに。共闘経験はあるか」


「……わかってて聞く?」


「――いやぁ。本当、割に合わんと思って」


 投げやりに縋った賽。仮にも、気軽に賭けられた人命。

 眼前、迫る元人間の獣――感情を受け付ける器官を、溢した頭蓋が機能に傾きだす。


 ――畏能のアウトプット。怪人にそれは行えない。

 人間が畏能を、自分の体に使うリスクが高すぎる。

 故に、異物に対し異物以上の理解をしないまま、外に押し出すのだ。

 何かしらの条件反射(ルーティン)を設定し、訓練で身に付ける技能。最大値を決定する事で、畏能を道具たらしめる原盤。


 たとえば、ステレオタイプに。指鉄砲と合言葉から、その基本動作は立ち上がる。


亜種双極(あしゅそうきょく)。『矯源乖域(きょうげんかいき)』」


「――賞罰覿面(しょうばつてきめん)


 堰を切り、奔る電撃、彼を原点とし扇状に波状し空を切った変化なにか。即座、一秒足らず。


 ――路面が割れた。彼から半径二十メートル内、知覚範囲のすべて、人工物は邪魔だとばかりに砕け散る。輪郭線はない、しかし断層となった。

 ――種は芽吹いた。乾き切った土壌に籠もったミイラは凄まじく成長し、酸素を撒き散らして生い茂り、根は地下の死体達を囲って堅牢に奉る。

 ――大気は軋んだ。原子活動が低迷し、行き場を失った電子が瞬いて、焦土には冬は到来する――空間外部、水蒸気爆発を撒き散らして。


「……。爆ぜ、た?」


 怪人は、機能不全となって切れかけの電球みたいに点滅していた。

 爪が融け、輪郭を失われた肉塊はぐずぐずで、もう生きているだけでも精一杯で。

 ロスの熱量などなくなった。

 そのマグマめいた身体に接触し、焼け死ぬ草花は、その灰すら肥やしとして生い茂る――そして、機能は果たしたと。


 彼は判別した全ての正着を、機械めいた目で見据えていて。

 ――その後。一拍遅れて、鉄山諸共砕く一蹴は盛大に奔った。




「――んじゃあたし。連絡してくるから。畏取の分もついででやっとくね」


「すまないな。フラン」


「そう思ってんなら、患者増やさないで欲しいんですケド~?」


 軽口交じりに釘を打ち、扉が閉まる。

 そう。患者は増えた。『矯源乖域』発動時、畏能は完全に体外放出され、当人の肉体を離れる。

 つまるところ、畏能で身体保護をしていた場合、解除されるわけで。


「……で。早く寝かしてくれねぇか。畏能使い過ぎたあとの反動は、重々知っているだろう」


 振り返ったら火だるまになっていた男。

 八雲カフクは、依然無表情のまま今現在、ミイラめいた包帯まみれの状態となっていた。


 若干あまりがあったり、ほつれていたり、なんなら緩みきっているのは、イロハが教わりながら施したものだからだ。

 火傷とはいえ、直後の処置ですぐ済むような軽傷で包帯の必要は然程なかったのと、イロハ自身が譲りたがらなかった結果の、大袈裟な産物である。


「……なんでさ」


「うん?」


「割に合わないって、さっき言った。それに今日、お休みだったって」


「……聞いてたのかよ」


 隣席に座らず、真正面からイロハは足の隙間に手をつき、彼を覗き込む。


 ――大人は口ばかりで、行動は伴わない。

 それは仕方ないと思っていたことだ。

 だって今まで、自分はそもそも寝床も三食も与えられなかった。

 そこで、有言実行だけ約束されるわけがない――ポリスの人は、確かに違うのかも知れないが。


「何してんのさ。こんなとこで。いいじゃん休んでりゃ。貴重な自分の時間でしょ」


「そんな大した事じゃないだろ。当たり前の事を言って、できることをできるままやったに過ぎない」


 だとするならば、尚更にわからない。


「ならもっとそうじゃん。そんな事でわざわざ自分が前に出て、挙げ句死にかけて。なにしてんだって思わないわけ? わたしなんかより良い場所で暮らしておいて、こんなところまで……」


「……正直。あんたが、こわいよ」


 否。気味が悪い。

 それは己の生活圏にいた誰とも違った。打算がなさ過ぎる。利他的すぎる。

 これまでとは、真逆の意味でひどい。


 そして何より。イロハは先日、ひどく裏切られた経験があった故。

 いざ期待していいかも知れないと意識した今。

 余計、わかりかね、血眼になって見定めんとして――返答は。


「――俺が、すこぶる嫌いだからだ」

「裏切られた、望んでなかっただの後になって、自分に知性も主体性もなかったのだと自ら言えちまう甘ッたれがな」


 ……。

 赤い瞳が、点になる。

 閉目した彼の目の色をうかがう事はできないが。返答は、一切のオブラートを捨てていた。


 それは、ただの感情であり、つまりは自我であり。

 悪意を知らない、というより、善悪の区別を知らないだけのイロハにとって、受け入れ慣れた罵倒でもあり。

 そして、イロハには無かった、言われてやっと理解できた発想だった。


 ――あぁ。そうか。

 これ、あのときのわたしだ。


 相手を認めないから嫌いなんじゃない。

 人と認めず、檻に繋ごうが売ろうが、平気でやったり静観するヤツじゃない。

 相手を知って、嫌いだと言った。

 自分にも、思うところのあった人間の反応。


 わたしと一緒でもあり、それ以上の視点に立つ、違くもある何か。

 この人は今の自分より、ずっと上の立場に立っているのだ。と理解した。


 ――ごく当たり前の、世間一般的に、大人とされる存在を認知した。


「……。だがな。嫌う事だって嫌いなんだ。疲れるだけだからな。だから和多志は偏らない。肩入れをしない。誰であれ、よほど目に余る時にしか出過ぎた口は利かん」


 その、大人の本音はすぐに、熱のない声音にすげ変わる。

 まるでレコーダーが、人の形をして音声を読み上げるような。

 

「――いいか。お前サマは金輪際、自分で自分以外への挑戦を重ねるんだ。失敗しても和多志は気にしない。お前サマのような変わり者しか居ない職場だ、その程度に、気にされることではない」


「だからもっと望め。予防線じゃなく上振れを。挑戦を重ねろ。人を頼れ――そうすりゃ、多少はマトモに報われる。かも、知れない」


 包帯越し、ごつごつとした掌が肩を掴んで、膝の上で前のめりでいた体を真っ直ぐにさせ、自分は猫背のまま。同じ目線でカフクの死んだ目は見据える。

 ――姿も相まって。どこか成功者というより、敗者の後悔のようだとイロハは感じた。


「そう、かもなの?」


「そうだ。そういう周りとの積み重ねが日々を作る。善くも悪くも予定調和に近づく。そこで一人の我が儘が通るかどうか、報われるか否かは、善くも悪くもお前サマ一人の責任だ」


「……なんだよ。結局ダメにもなるんじゃん」


「それがタダの、人の日常というものだからな」


 再生され続ける、常識ぶった正論らしき言葉に。

 小首を傾げ、丸まっていた目をそらして、イロハの顔に少しの、憂いが帯びる。


 ――正直。そういわれても、困る。

 実際に職場を目にしなければ信じられない、というのもあるが。

 好転のイメージより、ダメになるイメージの方が、この頭にはハッキリ浮かぶからだ。


 そういう日々の記憶ばかり、重なっているから。


「自分も、なると思うか?」


「――死んでもねェよ」


 ない。

 それだけは百パーない。そう、殺意さえ込めて即答できた。


 もう。良くも悪くも行動できるのだ。

 人を喰うのだって怒られない。

 他力本願を命がけでする気はないが、人を頼るのだって、価値があった。


 きっと今後、わたしの時間は長い。それは間違いない――なのに、試行回数(どりょく)なしに手詰まりと早合点して死にかけるなんて、流石に金輪際まっぴらだ。


 ――ふと。頭の上、掌は乗る。


「……お前様が、間違ってたわけじゃ無いからな」


 ……。

 髪を引っ張られる。と思っていたが、どうもそれだけらしい。

 どっかの誰かが下手に巻いた包帯がガサついて、前髪の揺れに片目が閉じる。

 皮膚の伸びにつられて、表情の強張りが崩された。


「……たのんでないよ」


「……」


 ――ほんとうに、彼はへんな事をする。

 無表情すぎて、何を思ってした事かもわからない。のに、どこか物知り顔にも思える。

 やはり、これが変わり者だという見立て自体は、間違いだったわけではないのだろう。


 にしても、中立。

 一方通行でなく、橋渡し役とは。

 本当つくづく。その発想はなかった。


「勝手にやめないで」


「……お前サマなぁ」


 ――あぁ。しかし。

 悪意にも善意にも疎く、どちらかもわからない――特に、後者がロクに覚えのない頭で。

 悪くないと、久々に思えた気がした。

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