破《白命、赤黒く》
――初心者でも、大歓迎ッ!!
民間防衛企業KENDNは、アットホームで活気のある職場です。
年齢、学歴に関係なく実力主義の会社で、簡単なお仕事で御座います。
地域の『怪人』駆除要請に即応対処、それに際して討伐装備レンタル契約も可能。三食寝床付きの社内寮兼本社の施設にて、みんな仲良しの従業員が優しく教えてくれます。
ノルマは一切なし、頑張った分だけ報われます。安定性のある当社で働きませんか!?
……などと、調子付いたビラのはためく施設の中。
蛍光灯の瞬きに照らされた薄板のテーブル、その上の盆には涙を誘う様な、晩餐があった。
厳密には。安かろう悪かろうなシチューとのたまう薄白い水に謎の屑が浮いている何かと、パン対カビでギリ前者の比が勝ってる食パンという、およそ一人前と言い難い代物で。
パイプ椅子を軋ませ、『一番隊』たる大人達は、「おい、俺のメシクソ不味いぞ!」「こっちは少ねぇじゃねぇか!」等と『二番隊』なる少年達へ怒鳴りつける。
だが実は、一番隊は怒鳴られた後である。
「寝床も堅ぇぞ! ……ったく、二番隊のバカガキどもが、こんな配慮も出来ねぇのか」
というのも。まず取引先の職員に幹部が愚痴を吐き、その幹部が現場監督者に、続いて一番隊へと更なる愚痴が蔓延。どいつもコイツも「立場の割に働かない」と責め立て、自分より立場の低い相手の格下げは連鎖。
見るも鮮やかな、負の連鎖が跳梁跋扈する、その渦中でも。
すべからく、子供とは大人を見て育つもので。
「オイ、てめーもなんか働けや! ずっと座ってるだけだろうが○○雪女!」
子供改め、当たり散らす相手の居ないヒエラルキー最下層。ただ虐げられるのみの少年が、錆びた全鋼の鎌を手に吠える。
相手はそう、雪女だ。ペットケージ内に鎖で繋がれた処女雪の身を丸め、流れる白髪は滝の様に、小さな背から腰回りへ流れ落ちている。
片隅で膝を抱く其処にまで少年が届けた怒号を前に、少女は大粒の相貌を丸くしていた。
「……みんなホント、連想ゲーム上手だな」、と。
驚嘆であった。少女は至極真面目に、純真に、黒ずんだ深紅の眼を輝かせて驚いていた。
というのも、彼女の覚えている限り、それは凡そマトモに成功した試しのないレクリエーションである筈で。
惜しかったなぁと悔しがったり、或いは真面目にやった筈が変貌し切った結果のズレを楽しむものでもあった、と記憶していたのだが。
ひょっとして此処に来る前の、五歳頃に覚えた思い違いだったのだろうか……などと、眼前完全無視を天然で決め込んでいたからか。
「聞けや!!」
「――、?」
冷水を被った。
まぁ、それだけならよくある。
しかし今回は相当にぶっかけられたらしい。
ボロ服には乳白の肌が透けて見え、首や額にべっとり引っ付いた髪で遅まきにそう気付いた。
見れば、いつも通りに空のバケツが転がっている。
彼女も使う共用脱衣所の掃除道具だ。
常人の裸足では、およそ踏み入り難い水虫空間へ目を離したうちに水を汲んで、わざわざ持ち込んで来たのだろう。全く毎度、ご苦労な事である。
(……なんでみんな、フマンばっかなんだろ)
しかし、そうまで主張する事かは未だに解せず。
多分言われてきたであろう存在否定を口走る形相など捨て置いて、濡れ衣少女は、ただぼんやりと不思議気に見つめる。
(少ないだの足りないだの、あるだけいーじゃん……愚痴っても変わんないし、変える気もないだろうに)
食えて、寝て、生き繋げる。
出来てるだけ十分ではないか。
少なくとも少女はそれで満足しているし、故に『会社の奴隷』同然の今を受け入れるのに苦労はない。
しかも彼等、自分と比べて不定期でなく一日三食ときた。
奴隷と人間様を比べては失礼かも知れないが、彼女からすれば贅沢な悩みである。
『メシ』抜きは御免だという点で、なんだかんだ反抗しない事なら理解出来るのだが……。
――いや、確かに。当初の自分もこんなんだったかも知れない。
生き延びて元気になった側からはしゃいだり駄々を捏ね、弱ってはよく死にかけた時期があった。
動機は忘れた。今では、何故そうしたかもすっかり分からない――いつの間に、自分だけこうなったのだろう。
「――誰の出す飯が、なんだって?」
少女の無反応に無抵抗が重なり、細腕を繋ぐ鎖に伸びたちょっかいの手は途端、止まる。
やがて、背後の声に肩を震わせた少年が逃げ出した後。
皆一様で嫌がっていた飯に押し黙り、ぽつぽつと咀嚼音のみが反響を始めた。
あの決まり文句が、音を無くしただけで蔓延っているのは目に見える。
だが『彼』からすれば、どうやら満足な光景であるらしく。
「久しぶり、社長さん」
明らかに質の段違った大鉈片手の、巨漢が睥睨を周囲から檻へと向ける。
目を合わせての会話は久しく、貴重だ。
故に少女は、痛いほど刺す視線を光のない眼で迎えた。
「……イロハ。飯、受け取ってねぇだろうな。何も持ち込んで来ていないな?」
「大丈夫。アレで満足してるよ――もう、味とか分かんないし」
少女――イロハが濡れている事にお互い触れず、双方の間でのみ成立する確認が為される。
男は無視故の態度であるが、イロハは、まるで何も感じていないというべきか。
「よし、早えぇが次の仕事だ」
小さな檻に差し入られるタオルが頭に被さり、長い白髪が乱雑に滴を散らしても、首を傾け覗かせた紅眼は瞬かない。しかし、僅かに。ほんの微かにたたえた安堵もあった。
「そっか……結構、間隔短いよね。最近」
ここ暫く、時計は見せて貰えないので肌感覚であるが、週当たりの仕事頻度が増加傾向にある。
会社が担当する地域で討伐すべき、『怪人』――つまりは、少女の捕食対象が増えているのだ。
暴走する異能で被害者が増える点ではあまり喜べないし、それこそ一日に三度も出るなんぞ世紀末でしかない。だが現状、食い繋ぐには十分事足りる。
お陰で最近は食い扶持を探す苦労が軽減してきた。全く、非常に有り難……
「いや。今度は、楽な仕事だ」
「……、?」
……さて。整理しよう。
イロハは奴隷で、主人が社長である。
収入は討伐対象という名のメシのみ。
一切所持品を取ってきてもいけないし、無論財布なんぞ持っていないので実状は、収入未払いで。
タダ働き出来る社員ならば、と使い倒そうにも、彼女は『異能』で相手を倒すたびに回復・強化される。
強くなり過ぎると気分ひとつで、反逆しかねない。
それどころか畏能を暴走させ、立派に怪人化するケースも予見され……。
「――お前、これから五日、そうして寝ずに居ろ」
差し当たって、調子に乗るなと。
イロハは、血抜き処分を言い渡された。
――『畏能』とは、科学で片付けられない神秘の所業。人類の思考を投げた摩訶不思議。
かつて、雷という現象と機能が説明出来なかった人類が、それを神の怒りと称したように、観測こそ出来るが未解明のバグを言う。
常識の埒外。例外そのもの。しかし共通して、それは人体に第六感のように備わる機能でもある。
イロハの有する、畏能。
それは肉や植物に加え、外から取り込んだ血を直接栄養源にする生存能力。
というか、どっかの血でもらった白血病のせいで唯一の捕食手段、命綱だ。
人体の三倍以上、血中の栄養を活かすことが出来、僅かな血だけでも結構な肉体修復や、免疫力・運動能力向上などの身体強化、すなわち健康な状態を維持出来る。
逆に、栄養補給が一定量を超えないと、存命こそ出来るが常人以上の身体機能にはならず、単なる死に損ないと化す。
さらに長期間栄養が断たれようものなら衰弱した後、死に至る。まぁ『食えなきゃ死ぬ』のはいくら特殊でも人体、至極真っ当である。
……さて、何故今になって、そんな事をお伝えしたかと言えば。
「…………」
小さな胸を微かに上下させ肋を浮かし、白を通り過ぎて青白い血相の少女。
それが細長い四肢を投げ出し、鉄格子の中で顎を固定されているのだ。
首から口元までを固定具に覆われ、支えられる頭にライトが照らされ続け、枕も布団もクソもない。
代わりに監視役のおまけ付き。昏んで俯く瞳孔が閉じていて、唯一それが生きている証明で。
「……五日目だ、外すぞ。人噛んだら、言わなくても分かるな」
周りの集団から個人へ、監視役は入れ替わる。
そいつの、不意に近づいた声と足音がそう告げた。
首肯したくても出来ないが痛い程、分かっているつもりだ。
流石に職業柄、人を怪人同様に殺してはイメージダウンもいいところ。
項垂れた白髪を抜け、首筋の上で拘束を解いた手。
それに噛み付き血を啜ろうものなら、或いはどこかで人を喰ったと判明したならば、三倍の十二日後まで、延長される。
そうなっても、力は出ずとも丈夫な身体だ。
視力低下などの心配は要らないが流石に、思考が保たない。
確か、十日が限界であった……親元に帰りたいだの、お遊びしたいだのと、幼稚な事を言ってた時期によく教わった。
だが如何せん、今となっては、何も感じない。
「――ッ、ゲホ、ゴボぇっ……ごめん、なさぃ。古い血、思ったより出ちゃって……」
拘束が外されるや否や、即座に檻の外へ顔を出し無感動に吐血する。
収束しきった瞳孔が激変し揺らぐ。
ひどい目眩の中、バカみたいにどす黒い血反吐が見えた。
味覚がなくなって久しく、ただ粘っこくしか感じないそれを雑に手で拭って、より軽くなった背中を堅牢な檻籠に預ける――洗えず小汚くなった身体を痒く感じない少女は、丸くなったと言うには、手荒に削がれ過ぎている。
「……クソ出てねぇって事は、メシ受け取ったりしてねぇな。よし、ンじゃ行くぞ」
「ふわぁい……んじゃ、しゅっぱあつ……ふぁ」
そんなことなど無関心に、少女自身気にする神経もなく、社長は鉄檻を運搬台に乗せて運んでいく。
それは何事もないかの様な、いつも通りの、怪人討伐の出立だった。
施設に檻を開けたまま放置し、目的地を知らされて一時的に放たれ、事が済んで腹を満たしたら戻ってくる。普段通り、ルーティンである。
先程の『しつけ』が多かった時期は、もっと色々とガチガチな体制を取っていたが、今となっては形だけの枷を手足に繋げるまでに緩まった――彼女の心の枷は、もう十分縛るに足りている。
……てか、今は動かなすぎてウズウズするし、さっさとメシを喰ってから寝たいのが本音だ。
頭がふわふわと浮き足立ち、じっとしていては理性を手放しかねない。
瀕死なのに戦えるか、なんて自問は愚だ。
戦えなきゃ死ぬ、死ぬ気で殺す。
これだけ、『待て』に準じたのだ。たらふく血を啜り、二度寝三度寝でもさせて頂けねば不釣り合いというもの――というか、寄越せ。人として。
「でも、久しぶりだったなぁ〜、これ……いつぶりだっけ」
「……どれぐらい、経ったと思っている」
「うーん、ムズいかも。最近は怪人多くなったし……三年くらい前、じゃないのかな……」
「……そうか」
他愛なく、ショッピングモールの子供用カートで運ばれてたのを想起しながら、正解を求める気のない会話で不健康に揺れる頭を保たせる。
今更、少女と主人の間に意義など問う余地はない。
なにせ、彼女の壊れた体内時計では知る由もないが、既に十年間命綱を握られた仲だ。
「社長。わたし……なんかダメなこと、してた?」
強いて、気がかりはその一点のみだった。
なにせ彼女にとって三年ぶりの、実際は八年越しの躾けで、寝ず食わずの最悪な拷問だったワケだが……。
「イロハ、お前はサイコーだ、感謝してる」
「……うん」
……イロハも。今となっては、社長にはそれなりに感謝している。
「安く確実に働いて、相手は必ず殺し、文句ひとつも漏らしはしねぇ……いや、覚えもしねぇんだろな。外に出しても恥ずかしくない、というヤツだろーよ」
あの日、死にかけた日に何とか命を繋ぎ、しかし状況を打破し得る程の力はなかった。
両親の死んだ車から這い出て見えたビル街は、燃えていた。
工業建築物が悉く半壊・焼失し、花壇の草花も道路の車もひっくり返され、暴徒の声が遠くに過ぎ去った後だった。
五歳の自分はきっと、知らぬうちに嵐の進路に居たのだろう。
腹の傷の完治は、当時の自分では不可能だった。
多量失血こそ解決し一命を取り留めたあと、表面的にこそ治ったが、内部はそうもいかず。
それを、手術で埋めてやるという条件で、彼はルールさえ守ればより安定して過ごせる場所へと連れ込んだ。
……今にして思えば、あのままでは長期的な展望などなかった。
一人で居た以上には命が繋げてると思う。
血を分けた頼れる身寄りなど居ない以上、彼の貢献なしに、これまではない。
素直に、そう思っていたから。
「……お陰で俺ぁ、すんなりと決めれた」
「……。え?」
思ってもみなかった。
まさか自分が、正しく商品台に出される手前だったなど。