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異説西遊記  作者: 圓堂
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第八話

 


  暗がりのなか、階の前に四人の人物が跪いている。

 段上の人物は闇になかから言った。

「お前たちならば見事役目を果たせるだろう」

 うつむいた四人は更に頭を低くする。

「必ずや」灯されたろうそくが大きく揺れる。

「玄奘法師の息の根を止めろ」

  



 町と山の境目辺りが、いつも青青が店を開く場所だった。そして店を開いて間もなく、やはりいつものようにその人物はやってきた。

 その人物はいつものように数個の果物を選び、青青の「毎度」という言葉に返事もせず黙って銭を払って去ってゆく。煙草をふかしながら青青は独り言ちた。

「いったいどこの誰なのかねえ…」



 

 激しい砂埃に顔を覆ていた玄奘法師ははっとした。

 目の前にいた相手が消えている。

「くっ」

 とっさに身をかわしたところに背後から鉄の棒が振り下ろされた。

「へえ」悟空が地面にめり込んだ如意棒を引き抜きながら

「避けるのだけは一人前みてえだな」

 肩で息をしながらも法師は精一杯不敵に笑って見せる。

「これでも…長年兄弟子の虐めに耐えてきたんです」



「これは虐めではなああい!!」

 長安の洪福寺では、その兄弟子である法順禅師の声がいつものように響いていた。

「アサウンドマインドオンアサウンドバデー!!健全な精神は健全な肉体に宿る!!即ち、肉体の鍛錬こそ悟りへの第一歩なのだ!!」

 その教育方針のもと、弟子たちは指一本で逆立ち腕立て伏せを行いながら大蔵経(約五〇四八巻)の読経に励んでいる。そして法順禅師はその弟子の腹を警策でつついて回り 

「倒れた者は一から読み直せ」

 これが、肉体派寺院洪福寺における修行であった。



「ひいっ」

 また身をかわした法師が尻もちをついた。

「虐めだか何だか知らねえが所詮その程度だろ」悟空がにじり寄り

「簡単なことだ…あんたがいなくなりゃお供なんざしなくてすむし、忌々しいこの頭の金環に苦しめられずにすむ。悪いが…」

 尻で後退る法師に悟空が如意棒を振り上げる。

「ここで消えてもらうぜ」

 如意棒が法師の頭上に落ちようとしたその瞬間、悟空の顎に小鈴の蹴りが入った。


「まったく、油断も隙もないわね」

 法師の横を守るようにふよふよと浮かびながら小鈴がぷりぷり怒って言う。

 一行は再び西の街道を進んでいた。

「二人っきりにした私がバカだったわ。今度はあんたに水汲みに行ってもらいますからね」

 ぶすっとそっぽを向き「小姑」と呟いた悟空の頭を小鈴が殴る。

「だいったいなあ…俺はひとっこともこの坊さんの弟子になるなんて言ってねえんだよ!」

「ほんっと馬鹿ね!玄奘さまが無事に天竺に着くまでその頭の緊箍児は外せないのよ」

「しゃ、小鈴」白竜の背で法師が

「たしかに、いきなり私なんかの弟子になれと言われて不満に思うのは当然ですし…」

 言いながら法師の声は沈んでゆく。

「そもそも私だってちゃんと天竺まで辿り着ける自信なんかないですし…仮に辿り着けたとして本当に唐を救うお経があるかどうかも…」

 はたと法師が顔を上げ

「あれ…悟空?」

「あそこでのたうち回ってますよ」



「安いよ安いよー」

 一行は市の立っている街までやって来た。

「賑やかな街ですね」

 大通りには異人や駱駝の姿もある。そんな旅人に道端の商人たちが声をかける。

「ここ武威で長安に入れない異国の商人は商売をするんです。だからこんなに人が多いんですよ」

「なるほど」

「安いヨ安いヨー」

 聞き覚えのある声に一行は足を止めた。道端の商人に紛れて黄金が店を出していた。

「安いヨ安いヨー」

「よお黄金」悟空が黄金の辮髪をつかみ上げ

「新しい商売かあ?いいよなお前は自由で。俺なんかヘタレ坊主に囚われの身だぜ」

「ちょっちょっやめろヨ髪が抜けるヨ」

 短い手足でもがく黄金に小鈴が訊ねた。

「ちょうどよかったわおじさん、悟空に着せるような服とかない?腰布一枚じゃみっともなくて」

「ないこともないヨ」黄金は頭を撫でつつ

「私これから街道ゆく商人ヨ。旅人は皆お客様。安くしとくヨ~」

「なあにが」悟空がまた髪をつかみ

「安くしとくヨ~だ。お前俺のお陰でさんざんもうけたんだろ。当然タダにするよなタダに」

「ご、悟空」玄奘法師が止める。

「仮にも師としてそんな脅しまがいのことは許しません!仮にも師として弟子の衣服ぐらい私が買い与えます」

「玄奘さま…何て頼もしい」

 悟空と黄金がまじまじと見て

「あんた金持ってんのか?」「ヨ」

「すす少しなら…」うつむきつつ法師が言った。


 トンテケトン、と太鼓を叩く音がする。

「あ、見てください玄奘さま!」

 大通りの隅に小さな人垣ができ、その視線の先では太鼓の音に合わせて子猿が芸をしている。

「悟空がいますよ」

「っておい」 身なりを整えた悟空も寄ってきた。

 子猿は棒を持ってヨチヨチと踊るように歩きながら、時折ひょいと棒の上に立ったり逆立ちしたりする。その度に観客から歓声が上がる。法師は感心して

「よく訓練されてますね」

「どっかの猿とは大違いですね」

「肖員!」鋭い声と鞭の音が同時に響いた。

「何度言ったら分かるんだ!ふざけてないで真面目にやれ!」

 太鼓を叩く猿回しの少年が子猿に怒鳴っている。

「あのやろっ動物虐待だぞコラ!」

「ご、悟空」玄奘法師がまた止める。

「きっとああやって厳しく叱ることで、いろんな芸を教え込んでいくんですよ」

「…ああいう躾もありなのかしら」

「何企んでんだお前」

 やがて子猿の芸が終わり、見物人たちが散ってゆく。一行もその場を離れようとすると「おい坊さん」と猿回しの少年が呼び止めた。少年は片手を差し出し

「肖員の芸を見てたんだろ。ちゃんと銭を置いてけよ」それから舌打ちし

「そんなことも知らねえのか。田舎者だな」

「ふ…」

 法師が止める間もなく小鈴が怒鳴った。

「ざけんじゃないわよ!!洪福寺の玄奘と言ったら長安のおばさまたちのちょっとしたアイドルだったのよ無礼者!!土下座して平伏して謝りなさいこのド田舎者!!」

「小鈴…」なだめつつ法師は少年の前に置かれたザルに何枚かの小銭を入れた。その様子を子猿が少年の背後から大きな目で見つめている。

「賢い子猿ですね」

「…いくぞ、肖員」

 少年はザルをつかみ立ち上がり、子猿はその肩に素早く駆け上がる。二人はそのまま大通りの雑踏に紛れていった。


「ヤな奴」

 町外れの山道をゆきながら小鈴はまだ腹を立てていた。「しっかし」と悟空が

「田舎ものじゃないにしても世間知らずなのは確かだろ」

「はっ倒すわよ」

「…どうか許してくだされ」

 突然現れた声に一行が振り返ると、背中に薪を背負った小柄な老人が立っていた。

「苑孝は…あの少年の名じゃが、あの子の家は代々猿回しが生業でのう。太員という賢い猿を使って長いこと芸を見せとった」

 老人は一人で語り出す。

「なかでも苑孝の親父さんが仕込んだ人の真似をする芸が評判でなあ。あの町の名物になったほどだったんじゃ」

「おいじーさん、妙に勿体つけた話し方してんな」

 悟空の言葉に老人はしばし口をつぐみ

「数カ月前…急に親父さんが病で亡くなってな…あまりに急で苑孝は芸を受け継げんかった。おまけに頼みの太員には逃げられ、あの子はいま、一人で生きようと必死なんじゃよ」

 強がった少年の姿を思い出し、玄奘法師の胸は詰まった。

「だからって動物虐待していいことにはならねーだろじーさん」

 悟空が老人に詰め寄る。小鈴も一緒になって

「そーよっ玄奘さまを侮辱していいことにはならないわ」

 老人は咳払いをするとわざとらしく辺りを見回し

「ところで、あんたら知っとるかね」

「何を」

「近頃この山…出るそうじゃ」

 老人の声色がおどろおどろしくなる。

「何でも山道を行く人間を恐ろしい姿で脅かしては、その懐から二十文だけ盗っていくそうな…」

「じゃ、行きましょうか玄奘さま」

 怯えだした法師を小鈴が促す。

「いやあ怖いのう」老人が悟空の腰紐にしがみつく。

「恐ろしいのう。心細いのう…」

「…要するに一緒に行きたいのかじいさん」

「なあんだ、なら最初からそう言えばいいのに」

 とたんに老人は怒りだした。

「だいたいなあ、年寄りが一人で山道歩いとったらそっちから声をかけるもんじゃろ!」

「逆ギレ!?」

 そんな賑やかな一行を木立の影から見張る目に、誰も気づく者はいなかった。



「だから違うって言ってるだろ!」

 振り下ろした鞭が肖員の足に当たり、苑孝ははっと体を強張らせた。小さな体を震わせながら肖員が怯えた目でこちらを見ている。苑孝が近寄ろうとした瞬間、肖員が跳ねるように駆け出した。紐をひずりながら走ってゆくその姿を、苑孝はただ立ち竦んだまま見つめる。その後ろ姿が太員のものと重なった。

(やっぱり…俺には…)

 苑孝が膝をつく。

―苑孝

 いつでも聞けると思っていた声がよみがえる。

―お前もそろそろ芸のさせ方を覚えてみるか

―いいよ俺、猿回しになんかならないし

―…そうか…

 あのときの父のひどく寂しげな顔が、苑孝を地面つっぷしらせ、その肩を震わせた。



「ところで変なおじいさん」

 一行は緩い山道を登ってゆく。

「この山に出るっていうその物の怪っていったいどういう姿をしてるの」

 小鈴の問いに秦老人は簡潔に答えた。

「ものすごく怖い姿」

「…だからもっと具体的によ」

「恐ろしくて口にできん」

 そのとき頭上の木の葉が不気味に揺れたかと思うと、黒い影が一行の前に飛び降りた。

 とっさに身構えた一行の間に、やがて何とも言えない微妙な空気が流れた。黒い影と見えた人物はゆっくりと立ち上がり、一行をまっすぐに見据える。

「ん?」老人と白竜が一緒に首を傾げる。

「こ、これは…」法師は事態の不可解さにたじろぎ、小鈴は「何てこと…」と事態の不愉快さに顔をしかめた。

「悟空が…二人いる…」

 一行の目の前には、服装こそ違え、また本物より幾分凛々しいとはいえ、悟空そっくりの少年がそこに立っていた。

「何だお前」とうの悟空は全く動じない。

「何か用か」鼻をほじりながら呑気に訊ねている。小鈴は訝りながら法師に訊ねる。

「玄奘さま…これはいったい…」

 法師は戸惑った表情で向かい合う二人を見ていたが、やがてはっとした。

「そうか…悟空は長い間洞穴に閉じ込められていた…つまりずっと鏡を見ていない。だから自分の顔を忘れてしまったんだ!」

「…同情すればいいのか笑えばいいのか…」

「おいお前、何か感じ悪いぞ」

 悟空そっくりの少年は悟空と同じように鼻をほじっている。

「ったく行儀の悪い奴だな」

 そう言って悟空が尻をかくと相手も尻をかく。悟空のこめかみに青筋が立つ。

「…そうか!」再び玄奘法師がはっとする。

「悟空!その人はきっとお前の生き別れになった双子のお兄さんだ!」

「何と、感動の再会か!まさに奇跡じゃ」

「寡黙でいくぶん凛々しいほうがお兄さんなんですね、さすが玄奘さま!」

 白竜が首を傾げる。

「に…兄さん…?」

 狼狽える悟空に相手はニカッと笑い、その頭にポカリと棒を振り下ろした。

「んなわけ…あるか馬鹿野郎!!」

 林に逃げ込んだ無口な悟空を追って、悟空も木立のなかに消える。

「ほっほっあんなにはしゃいで、よっぽど嬉しいんじゃのう」

 三人が微笑み合い、白竜だけが首を傾げた。

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