第四十六話
——いいかい、私がいなくなったら…この器のなかを覗くといい。
——そうしたら、いつでも私に会えるからね。
——だからもう、決して悪さはするんじゃないよ。
「はああああ」
伯欽がまた息をつく。恩享が顔をしかめ
「さっきから変な声出さないでくださいよ気色悪い」
「だって、もうすぐ亀茲国に着くと思うと興奮して…」
「この前までホータンに行けないことグチグチ言ってたくせに」
「それにしても、こんな岩山しかなような道の先にそんな大きな国があるなんて信じられませんね」
恭大の言葉に、恪洵もこくこくと頷く。
見渡す限り、天山山脈の荒々しい岩肌と乾いた砂地だけが広がっている。
「そうだな、まさに西域の神秘!至宝!観光スポット!」
「観光言うな」
と、追捕使一行の前を荷車を引いて進む一団があった。
その一団が掲げる旗を見て、伯欽が眉をひそめる。
「あれは…」
「ぎゃあああかわいいいっっ」
突然、小鈴が叫んだ。
玄奘法師一行は相変わらず、天山南路を亀茲に向かいノロノロと進んでいる。
「何だありゃ」悟空も岩山のくぼみから顔を出している小動物を見つけ
「へえ、あんな所にネズミが棲んでんのか」
「ネズミじゃないわよ!ウサギよウサギ!」
全力で否定する小鈴に悟浄が
「え?あれウサギ?十万ボルト攻撃できるタイプのネズミじゃないの?」
「だからウサギだって言ってるでしょ。この辺りに棲むナキウサギよ」
灰色と赤茶色の混じった毛と大きな耳を持ったナキウサギが、つぶらな瞳で一行を眺めている。
「ごめん…おいら、さすがにあれは料理できない」
「食べる前提で見てることが間違いだからね八戒!?」
白竜の背の玄奘法師も微笑みながら
「本当にとても可愛らしいですね。この荒涼とした景色のなかで癒されます」
「そんな玄奘さま、小さくて可愛くて癒されるだなんて」
「お前じゃねえし」
「ヴェへッ」
ひとしきり騒いだ一行は、また青空に鋭く連なる山脈を沿うように進んでゆく。
やがて、胡楊の林のなかに小さな村が現れた。
「あれは…」
「お坊さまだ!」
「天の助けだ!」
一行が足を踏み入れるまでもなく、村人たちがわらわらと駆け寄ってきた。
「お坊さまが来てくださった」
「ありがたやありがたや」
玄奘法師を取り囲み、村人たちはしきりに手を合わせる。それを眺める弟子たちは
「やけに坊さんをありがたがる村だな」
「よっぽど信心深い村なのかねえ」
「でも…仏教徒って感じじゃないよね」
村人たちに包囲されている法師のもとに、村長らしい中年の男が進み出た。
「お坊さま…何もない村ですが、どうか心ゆくまでご滞在ください」
「あ…ありがとうございます」
にこやかに言う村長に、玄奘法師も思わず頷く。その様子に弟子三人は顔を見合わせた。
「このような辺鄙な土地で、お坊さまがいらしてくださることも滅多にないもので」
村長の家、ではなく何故か野辺に用意された宴の席で、村長がすまなそうに言った。
取り囲んでいた村人たちは家に引っ込み、村長一人だけが一行をもてなしている。
「いえ、こちらこそ私のような一介の僧を歓迎していただいて恐縮です」
お茶を注がれながら玄奘法師が頭を下げる。
胡楊の木陰に敷かれた絨毯に一行を座らせもてなす村長は、しきりに周囲を窺っているようだった。
「そうですか…唐からはるばる…唐の豊かさはこのような田舎にも聞こえてきます」
「はあ」
「実は」村長は干し葡萄や干し杏を勧めながら
「数年前にも、旅のお坊さまが村を訪れたことがございました。その方は、西方の天竺のほうからいらしたんですが」
「ほほ本当ですか!?」
玄奘法師が思わず身を乗り出す。
「ええ。大変立派なお坊さまで、唐へと向かわれていたようですが」
村長がくぼんだ目を伏せた。
「どうやら病を患われていたようで…残念ながらこの村でお亡くなりに…」
「そう…ですか」
肩を落とす法師の横で悟空が言った。
「話はそれで終わりじゃないみてえだぜお師匠さま」
一行全員に注視され、村長はうつむいたまま
「その…この村の近くには厄介な獣が棲みついておりまして…時折現れては村を襲っていくもので…私共も難儀しておりまして」
「それは、お困りでしょう」
同情顔の玄奘法師に村長も顔を上げ
「お強そうなお弟子さんをお連れのお坊さまなら、その獣を退治してくださるかもしれないと」
「そ、それは…」法師が弟子たちを見る。
「やっぱり下心があったなおっさん」
「えーっ獣退治っすかあ?俺の月牙鎩には役不足かなあ」
「おいら、動物愛護団体に入ってるから」
悟空、悟浄、八戒の頭が順番に小鈴に殴られる。
「困ってる人を玄奘さまが放っておけるわけないでしょ!それでもって師匠の意思を汲むのが弟子の務めでしょ!」
「鉄拳制裁…」
くるりと小鈴がこちらを見たので、村長がびくりと肩を震わす。
「ご安心ください。この弟子たちが何とかいたしますので」
「はあ」
「ところで、その村を襲う獣というのは…」
と、側の水路で水を飲んでいた白竜が突然高く嘶いた。弟子たちがさっと身構える。
「は、白竜…?」
「玄奘さまあれ!」
「で、出たっ!」
怯える村長の視線の先に目をやると、強い陽射しのなか白く輝く生き物がいた。
「あ、あれです!あれがしつこく村を襲ってくる獣です!」
法師の背後に隠れた村長が言う。ユキヒョウは薄青い目で玄奘法師を見据えながら、ジリジリとにじり寄ってくる。その前に弟子三人が立ちはだかった。
「でけえがだいぶ年食った猫だな」
悟空が腕組みしたまま
「三人がかりで仕留めるまでもねえだろ。いけ悟浄」
「はああ!?何で俺!?」
「お前がやるのが一番手っ取り早いだろ」
「いくら悪さしてるからってあんな大きな猫に月牙鎩使ったら絵面がエグいから!俺の好感度だだ下がりだから!」
「誰の何の好感度だよ。じゃあ八戒頼む」
「おいら、動物愛護団体入ってるから」
「だからいつから入ってたんだよお前」
「そー言う兄貴がいったらどーですかあ?如意棒で一発殴れば済むだろ!」
「え…お前鬼か?」
「やっぱり自分もやりたくないんじゃーん!」
「ちょっとあんたたち!」
言い争う弟子たちの前でユキヒョウがばっと伸び上がった。
「玄奘さま!」
弟子たちを跳び越えたユキヒョウは玄奘法師の首元に食らいつき、自分の背中へと放り投げた。
「うわあああっ!」
すさまじい速さで駆け出したユキヒョウの背に捕まった玄奘法師は、あっという間に岩山の向こうへと消えてゆく。
「あんたたち後で覚えてなさいよー!!」
法師の肩につかまった小鈴の声だけが、かろうじて響いてきた。
「それじゃあ悪役の捨て台詞だぜ小鈴ちゃん」
「妖魔だけじゃなく獣にまでさらわれるとはな。マタタビでも持ってんのかお師匠さま」
「おいらもマタタビ欲しい」
「ヴッヒッ」
「えっあのっさらわれちゃいましたけど!?」
くるりと悟空が向き直り、また村長はびくりと肩を震わせた。
「これで思惑どおりだろ」
「な、何を…」
「どーゆーことだよ兄貴」
金目が村長を見据え
「わざわざこんな外でもてなして、おまけに相手をするのは自分一人で他の村人たちは家のなかに身を潜めてる…まるであの白猫が襲いに来るのが分かってたみてえじゃねえか」
「そんな…」狼狽えながら村長は後退る。
「あの猫からは殺気を感じられなかったぜ」
悟空はジリジリと相手を追い詰めながら
「最初から俺たちを…いや、お師匠さまをあの白猫にさらわせるのが目的だったんじゃねえのか?おっさん」
「ひっ」
「さらわせる?たしかにあの感じだと食べるつもりで連れてったわけじゃなさそうだけど」
「うん。食べちゃう気ならまず息の根を止めてから持っていくもんね」
「差し当たって」悟空がしゃがみ、尻をついたままの村長を覗き込む。
「仏教徒でもないあんたらが、お師匠さまを歓迎したことと、さっき話してた天竺から来た坊さんと関係してんじゃねえのか?村長さんよ」
三人と一頭に覗き込まれ、村長はためらいながらも「実は…」と話し始めた。
「小鈴…」
玄奘法師が押し殺した声で呼びかける。
「これは…どうすればいいのでしょうか」
「うーん…」
岩山の中腹に開いた洞穴で、一人は硬直し、一人は腕組みしてそれを見下ろしていた。
「これは…玄奘さまに懐いているということでいいんでしょうか」
玄奘法師をさらったユキヒョウは、その法師を包み込むように体を丸くして眠っている。
「なな懐く!?わわ私は食べられるのでは…!」
体を強張らせ震える玄奘法師に小鈴は
「いいえ、このユキヒョウはきっと玄奘さまのことを気に入って、わざわざこの洞穴までさらってきたんです。さすがは玄奘さま!妖魔から動物から種族を問わず惹きつけてしまう、正に人間磁石!」
「しーっしーっ小鈴、起きてしまいますっ」
目のまえですやすやと眠っているユキヒョウの顔を窺っていた法師は、ふと洞穴の隅に目を止めた。
そこには埃を被った、薄い板を束ね紐で括った物が何冊も積まれている。
とたんに玄奘法師がそわそわし始めた。
「しゃ、小鈴…そこにあるのは…」
ふよふよと飛んでゆき、それを覗き込んだ小鈴が「こ、これは…」と呟いた。
「こ、これは村のためだったんです」
弟子たちに囲まれ村長は小さくなって喚く。
「ただでさえ貧しいこの村がしょっちゅう獣に襲われていては堪りません!ですから以前のように旅のお坊さまに大人しくさせてもらおうと」
「俺たちに退治させるんじゃなかったのかよ」
「とりあえずあの獣があなた方のお師匠さまを気に入ってくれたらそれはそれでいいかと…」
「そうだね。同じ姿と匂いをさせたお坊さんなら、懐く可能性も高いからね」
「それで…もし獣があのお坊さまに興味を示さなかったら、お弟子のあなた方に退治してもらおうと…」
「うわせっこお、村長さんせっこお!どっちに転んでも自分たちにメリットしかないじゃん」
「…村のためなんです」
消え入りそうな声で更に小さくなる村長に、悟空がため息をつき
「悟浄、八戒、お前らは白竜とここで待っててくれ」
「へ?」
「ヴェ?」
「悟空、どうするの?」
「俺は」呼び寄せた觔斗雲に悟空は飛び乗り
「とっととあの猫から取り戻してくる」
「そ、それではまた村が襲われて…」
悟空に睨まれ村長は口をつぐむ。
「てめえらの村のことだろ。てめえらで何とかしろ。折れたちゃ先に進まなきゃなんねえんだ」
そう言い捨て、岩山へと瞬く間に小さくなってゆく悟空を眺め、悟浄と八戒が呟く。
「そうは言っても、お師匠さまが納得するかねえ」
「うん…あと悟空、どうやってお師匠さまの居場所見つけるんだろう」
「ヴッヒンッ」
「観無量寿経…!」
思わず声を上げた玄奘法師は口を塞いだ。
側で眠るユキヒョウの耳がピクリと動く。
「ええ…梵語ではなく、月氏国語のようですが」
小鈴が板の束を慎重に開きながら
「間違いなく観無量寿経です。このユキヒョウが懐いていたお坊さまは、どうやら大月氏国の人だったみたいですね」
「わわ私は…月氏国語は不勉強ではありますが…」
玄奘法師はそわそわしながら
「ひひひと目でも…その中身を…」
「鼻息の荒い玄奘さまも素敵です!」
「小鈴っご教授願えますか!」
「手取足取りお教えします!基本は梵語と同じなんですが…」
興奮した二人の声に目を覚ましたユキヒョウが、むくりと頭をもたげた。
「ひっ」
小鈴が法師の頭巾に飛び込み、法師はまた硬直する。
青みがかった黄色い目でユキヒョウはじっと玄奘法師を見つめていたが、やがてその体に鼻先をこすりつけ始めた。
「もしかして…玄奘さまに甘えてるのかも」
頭巾のなかで小鈴が呟く。
「どどどうすれば…」
「猫と同じだと思えばいいんじゃないですかね?」
玄奘法師は恐る恐る手を伸ばし、その頭をそっと撫でた。すると目を細めたユキヒョウがぐるぐると喉を鳴らす。
「…よっぽど、その亡くなったお坊さまのことが好きだったんですね」
「…そうですね」
気持ち良さげな表情でまた眠りに落ちてゆくユキヒョウを、玄奘法師と小鈴は黙って見つめる。
「けど…どうしてまた村を襲うようになったんだしょう」
「…そうですね」
白く柔らかい毛を撫で続けながら、玄奘法師はまた隅に置かれた泣き僧侶の荷物に目を向けた。
「…暇だなあ」
「…暇だね」
「ヴィヒィ…」
悟浄、八戒、白竜は胡楊の木にもたれぼんやりと空を眺めていた。
「悟空の奴…どうやってお師匠さまを連れてくる気だ?」
「たぶん…前に言ってた、縄で縛って觔斗雲からぶら下げるやり方じゃないかな」
「ヴェッ」
「それは小鈴が許さないだろー」
そこへ、村長を先頭にした村人たちがまたわらわらと家から出て来た。村長たちはこちらにではなく、東の方へと向かっている。
見ると、唐の旗を掲げた部隊がこちらへと進んできていた。すぐさまその部隊に駆け寄った村長と村人たちは、ちらちらとこちらを気にしながら村のなかへと導いてゆく。
悟浄、八戒、白竜はそれを眺めながら
「とりあえず誰でも歓迎する村なのかね」
「旅人も滅多に通らないって言ってたから、よっぽど嬉しいんだろうね」
「ヴェッヒン」
と、悟浄と八戒に緊張がはしった。
「あ、あれ?ごれっで久し振りの…」
「ヒッヒッおいら久し振りすぎて着けてるの忘れてたっ」
緊拑蕩と緊鎖餔にそれぞれ首と腹を締め上げれ、のたうち回る悟浄と八戒の姿に気をとめる村人は、幸い一人もいなかった。ただ傍らの白竜だけが同情顔で二人を見下ろしている。
「ぐっぐるじっ…おじじょーざまげんぎじゃんっ!」
「ヒッヒッこれ元気な証拠なのかなフーッ!」
「ヴェェ…」
「きっと…その方は貴重な経典をもたらすために東へと向かわれていたんですね…」
眠るユキヒョウを撫でながら玄奘法師が言う。
「たった一人で…病を抱えながら…道半ばでこの地で…」
「そうですね…さぞ心残りだったでしょう」
「それなのに」玄奘法師の声に力がこもる。
「私といえば…御経を頂きに行くだけなのに…弟子だって三人もいながら…老子さまのご加護まであるのに未だ目的を果たせずに…」
うつむく玄奘法師を小鈴が励ます。
「そんなことないですよ!そりゃあちょっと邪魔が多かったり寄り道したりもしてますけど、玄奘さまの頑張りは、あの三人はともかく太上老君さまだって分かってくれてますよ!」
「でも…怒らせてしまって以来お姿も見せてくださいませんし…やはり私は見捨てられてしまったんじゃ」
「大丈夫ですよ!玄奘さまの性格も方向オンチも全部織り込み済みですから!今更玄奘さまが気弱になったり旅の日程が遅過ぎだからって責める人なんていませんよ!」
「言わねえから文句がねえってわけじゃねえからな!?」
怒声とともに洞穴の入口に何かが降ってきた。
「悟空!」
觔斗雲から飛び降りた悟空が頭を押さえながら
「文句言ったところで事態を悪化させるだけだから何も言わねえだけで、俺たちはこんな拷問器具で弟子やらされてことに納得してるわけじゃねえよ!」
「すすすみませんっ私のせいで…というか私なんかが師で…」
「あだだ…だからそれをやめろっつってんだよ!」
「うるさいわねようやく助けに来たと思ったら」
ふよふよと小鈴が頭を抱えている悟空の側へと飛んでゆき
「道具のお陰で玄奘さまの居場所が分かったんでしょ」
「これが感謝できる状況に見えるか!?」
「悟空…小鈴…」
話し声にさすがに目を覚ましたユキヒョウが、むくりと体を起こした。
ユキョウは洞穴の入口に立つ悟空を見据え、パタパタと長い尾を打ちつける。悟空が面倒臭げに
「そんなに懐かれてんなら、このままその白猫に飼われたらどうだお師匠さま」
「その場合あんたも自動的に飼われることになるわよ」
「…じゃあこいつも一緒に天竺まで連れていくとか」
「いえ…」玄奘法師が低く唸るユキヒョウをなだめながら
「このユキヒョウが慕っているのはあくまで亡くなられた西域のお坊さまです。その方が眠るこの地を離れることはきっとないでしょう。それに…」
立ち上がった玄奘法師をユキヒョウが見上げる。法師はその目に静かに微笑んだ。
「私は先に進まなければなりません。あなたと一緒にはいられない」
「玄奘さま…」
洞穴の外へ踏み出そうとした法師の前に、ユキヒョウが立ち塞がった。
「お願いです…行かせてください」
ユキヒョウは悲しげな声を上げる。
「私は…あなたが慕っていたお坊さまではないんです!」
「そーそー、紛い物で満足しようたっていずれ飽きるのがオチだぜ」
「玄奘さまを紛い物呼ばわりするな!」
振り返ったユキヒョウの目が悟空の目とぶつかり合う。
「へえ、やる気かお前」
悟空が如意棒を取り出すとひと振りした。
「いかがでしょう…天竺僧の持ち物だった、貴重な器でして」
もみ手をしながら言う村長の向かいで、輸送部隊の隊長は青く彩色された小さな器をためつすがめつしている。
「ふむ…たしかに天竺の器なら唐でもそこそこの値で売れるだろう」
「でしたら…!」村長と、その周りに立つ村人たちが色めき立つ。
「しかし」と隊長が器を卓上に置き
「いくら天竺の物といっても貴公らの言う金額は出せん。高過ぎる」
「こっこの器はですね」村長が必死に説明する。
「ただの天竺の器ではないのです!実は、このなかに水を注ぐと…」
すかさず村人の一人が水を注ぐ。
「何と、亡き人の面影が映るのです!」
隊長と部下たちが額を突き合わせ器を覗き込んだ。
「…何も見えないが」
「…見えませんよねえ」
村長は都合が悪そうに目を泳がせながら
「天竺のお坊さまが水を注いだときは、確かに故人の姿が映ったんですが」
「その坊主にからかわれたんっだろう」
隊長がうんざりした顔で言い、背後の部下たちも失笑する。
「いえっ本当に絵のように水面に姿が映り続けるのです!だからこそ、この器に姿が残るかぎり、自分が亡くなってもユキヒョウが村を襲いに来ることはないだろうとそのお坊さまが…」
「心が綺麗じゃないと見えないんじゃあ」
「何?」
よけいなことを言った村人が他の村人に殴られる。隊長はささやかな髭を撫でつつ器を眺め
「ことの真偽はともかく…いまユキヒョウと言ったか?」
「え、ええ。それは大きな」
「なら、その毛皮のほうがこんな器よりよほど金になるだろう」
村長と村人たちが顔を見合わせる。
「ですが、申しましたように巨大なユキヒョウでして…そう容易には」
「我らとて子供の使いではない」
隊長は横柄にふんぞり返ると、家の外で守られている荷馬車を見やる。
「あれを使えば、たかが獣の一匹や二匹、恐るるに足らん」
「…聞いたか八戒」
「…聞いちゃったよね白竜」
「ヴェッ」
村長宅の窓の下で身を屈め、話を盗み聞きしていた悟浄、八戒、白竜はそろそろとその場から離れた。
「あの村長、気弱そうに見せかけてやっぱりとんでもない業突く張りだぞ」
「よく分かんないけど、このままじゃあの白猫さんが危ないってことだよね」
「ヴェェ…」
三人は揃って悟空の飛んで行った方角を見つめる。
「…大丈夫かね。お師匠さま」
「悟空っ傷つけてはいけませんよ!」
跳びかかってくるユキヒョウを、如意棒片手にかわす悟空に玄奘法師が言う。
「玄奘さま」その肩につかまる小鈴が小声で
「悟空はユキヒョウをおびき寄せてるみたいです」
小鈴の言葉どおり、ヒョイヒョイとかわす悟空の動きにつられたユキヒョウはどんどん洞穴を出てゆく。
ちらりとこちらを見た悟空の視線に気づき、玄奘法師もそっと洞穴の外へと歩き出した。
「へへっここまで来いよ!」
岩肌づたいにぴょんぴょんと跳ねてゆく悟空を、ユキヒョウはその巨体に似合わない俊敏さで追い駆ける。
やがて、洞穴から充分に引き離したと判断した悟空は呼び寄せた觔斗雲に飛び乗った。
「悪いな!遊んでやるのはここまでだ!」
見上げるユキヒョウを残しすぐさま洞穴に取って返すと、持っていた如意棒を伸ばしそこにいた玄奘法師を吊り上げ、高速で村の首を絞められ向かい出す。
「ぎゃあああ落ちるうう!!ちょっとふざけんじゃないわよこんな雑な運び方!!」
玄奘法師の肩で小鈴が怒鳴る。如意棒の先で揺れる玄奘法師は、頭巾に首を締められ白目をむいてい
「いやあああっ玄奘さまが死んじゃうう!!」
「うるせえなあ。助けてやったらやったでぎゃあぎゃあと」
「生死を問わないのは助けることにならないでしょこのバカ猿!!」
悟空が渋々如意棒を縮め、觔斗雲の上に玄奘法師を下ろした。
「現状さま!大丈夫ですか!?」
「得意の鳩尾に一発入れてやりゃいいじゃねえか」
「あんたは黙ってろ」
小鈴に頬を叩かれ、ようやく気がついた玄奘法師は、今度は高高度を高速移動していることに気づき「ひっ」と悟空にしがみつく。
「困りますねお客さーん、お触り禁止なんすよー」
「キャバクラか!あ、玄奘さまあれ!」
下を見ると、ユキヒョウが岩山づたいに追ってきていた。懸命に駆けるその姿に、玄奘法師の胸は締めつけられる。
「…やっぱ一緒にいてやったほうがいいんじゃねえか。村の連中にとってもそのほうが好都合みてえだし」
前を向いたまま言う悟空に、「いえ」と玄奘法師が首を振る。
「私には…私の為すべきことがあります。一緒にいてあげることはできません」
「玄奘さま…」
「…じゃあこのまま戻って、あの村とおさらばしてもいいってことだな」
悟空が言うなり觔斗雲が更に速度を上げた。
「ぎゃああ落ちるうう!!」
「ひいいっ小鈴!!しっかりつかまって!!」
「おい、こらお師匠さま、手が鳩尾にっ…くっ苦しいんですけど!?」




