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異説西遊記  作者: 圓堂
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第四十三話



  (この術を使うのは竜を斬って以来か)

 閉ざされた屋敷の一室で、魏徴は思い馳せる。

 そしてこの術を思い返すのは、あのとき、宮城の片隅でまだ少年だったあの方に話して聞かせて以来だ。

(まさかあれだけの説明でこの術を会得したというのか)

 考えを巡らしながら、黙呪したのち剣に噀水し太上太玄陰生の符を貼る。

 もし、己の考えが正しいのだとしたら…

(真に恐ろしい方だ)

 手訣をつくり、内丹を練る魏徴は眉間のシワを深くした。



 祁連山脈から玉門関を越え、青い湖の先に赤く切り立った天山山脈が見えてくる。

 遥か彼方のより高い頂を覆う万年雪は、その白さを増しているようだ。

(あれは…)

 魏徴が眼下に目を止める。

 天山北路へと続く険しい山道をゆく、四人組の姿があった。


「本当にこっちでいいのか」

 疑わしげな琉の言葉に、先頭をゆく珪が

「僧侶の一行なら北路を行ったと宿の主人が言っていただろ。主人を信じろ」

「宿の主人はともかく、珪の方向感覚が心配なんだよ」

 珪の後ろを歩く瑰が言う。その後ろをゆく珊も手に玉を持ち

「どう…なんだろ。玉の反応も微妙」

「微妙ということは完全に間違ってはいないということだ!」

「…おまえいつからそんな前向きになったんだ?」

 最後尾で琉が肩を竦める。と、珪の背中が止まった。後の三人も山道を登りきると、尾根の向こうには広大な草原が広がっていた。

 地平線まで続くなだらかな緑のなかには、空の青さを映した湖がいくつも点在している。

 草原を渡る風に吹かれながら、四人はしばし立ち尽くす。

 そんな四人の様子を、岩場の陰から見つめていた魏徴は、そっとその場を離れた。



「たしかに北路のほうが草原が多くて綺麗で行きやすいかもしれないわ」

 一方、天山山脈の南側に伸びる天山南路を白馬に乗った僧侶の一行がノロノロと進んでゆく。

「じゃあ何でそっちの道にしなかったんだよ」

 小鈴の言葉に、先頭をゆく悟空が乾いた砂礫を踏みながら言った。「す、すみません」と白竜の背の玄奘法師が頭を下げる。

「私がまた、我がままを…」

「お師匠さまの我がままというと」

 月牙鎩を担ぐ悟浄が眉をひそめる。その隣で八戒が玖棘棍を肩に

「我がままは食べ物だけにしてねお師匠さま」

「ちょっと!玄奘さまの斎食を我がまま呼ばわりしないでよ!大切な修行なのよ修行!」

 喚く小鈴にまた悟空が

「食いもんはともかく、()()は我がままなんだろ。本人がそう言ってんだから」

「またお師匠さまのことだから、千仏洞がどうのとか寺がどうのとか」

「そおなんです!」

 身を乗り出した玄奘法師に弟子たちがびくりと身を引く。

「この天山南路にはかの偉大な大学匠にして『梵網経』『阿弥陀経』『法華経』などの偉大な翻訳者である鳩摩羅什尊師の生国である亀茲国があるんです!」

「うわっ訊いてもいないのに語り出した」

「しかも亀茲国は尊師の生国なだけに数多くの寺院と大勢の僧侶がいる信仰の篤い仏教国だそうで勿論、石窟寺院や千仏洞もたくさんあってあの有名なキジル千仏洞近くに」

「お…お師匠さまがペラペラしゃべってる…!」

「えっこれって聖地巡礼?正真正銘の聖地巡礼?」

「正真正銘の我がままじゃねえか」

「何言ってんのよ!弟子なら師匠の推しは推しと心得なさい!そして我がままな玄奘さまも素敵です!」

「我がままなんじゃねえか」

「ヴッヒン!」


(…あれが玄奘法師)

 やはり岩陰から一行を見つめていた魏徴ははっと身を隠した。離れた岩山の上から、同じように一行を見下ろしている人影があった。

 遠目にも分かる青白い顔をしたその少年は、獲物を狙う獣のようにじっと玄奘法師を見据えている。

(あれは…やはり)

 陰に身を潜め少年を窺う魏徴もまた、表情を険しくする。

(しかし…あの姿は…)

 ちらりと少年の目がこちらを向いた気がして、魏徴はとっさにその場から離れた。

 風のように岩山の間を移動しながら、魏徴は苦々しい思いに駆られていた。

 これはあのとき、自分が迂闊に話し過ぎたばかりに引き起こしたことだ。

(ともかく…一刻も早く止めさせなければ)



「何言ってんですか」

 恩享の言葉に伯欽は振り返り

「ここからタクラマカン砂漠を縦断し、西域南道を行く。何度も言わせるな」

「いや耳を疑うような内容なので何度でも訊きますよ。砂漠を縦断?何故?何のために?」

 向き直った伯欽はやれやれと首を振り

「恩享、お前は上司である私の発言を忘れたのか?」

「公私混同パワハラ上司の不適切発言なら逐一メモして長安に帰ったら然るべきところに報告するつもりですが」

「怖っ」

「でも伯欽さま」それまで黙っていた恭大がおずおずと

「せっかくあの禁軍の四人を北路のほうに誘導したのに、玄奘法師一行の後を追わなくていいんですか」

 恭大の隣で恪洵も激しく頷く。

「そうですよ。別な道を行ったりしたら職務放棄ですよ」

「大丈夫だ。どの道も最後は喀什に続いている」

「続いてるなら大人しくこのまま玄奘法師の後を追えばいいでしょうが!何でわざわざ危険な砂漠の道を行かなきゃ駄目なんだって訊いてんだよ!」

「柄が悪くなってるぞ恩享」ため息をつき、伯欽は遠くに広がる砂漠を眺める。

「お前たちは本当に忘れてしまったんだな。私がかつて言った言葉を」

 恩享、恭大、恪洵の三人は互いに顔を見合わせる。

「最初に私は言ったはずだ」

 伯欽は砂の混じる乾いた風に目を細め

「『お土産はホータンの玉にしよう』と」

「…そういえばそんなこと言ってましたねってまだ諦めてなかったんですか!」

「諦めがよくて追捕使がつとまるか!」

「開き直るな!お土産目的で世界第二位のでかさの砂漠を縦断なんて冗談じゃないですよ!」

「冗談で縦断?」

「黙れって。地元の人に『死の砂漠』だの『一度入ったら出られない』とか言われてるんですよ!?今度こそ命懸けじゃないですか!」

「大丈夫だ。砂漠を越えさえすればホータンはすぐそこだ」

「その砂漠を越えるのが危険だって言ってるんですよ!」

「恭大だって奥さんにホータンの玉をお土産に持って帰りたいだろう?」

「え?ええ」

「丸め込まれるなよ恭大」

「恪洵だって『旅の記念にホータンの玉が欲しいなあ』と言ってただろう?」

「言ってませんよね。絶っ対言ってませんよね」

「ともかく」

 伯欽は天山南路の道を外れ、南へ延びる砂漠公路へ進もうとする。

「北路を行ったあの四人と、南路を行く玄奘法師の一行が喀什まで出会うことは間違ってもない。私たちもそれまで後をついていく必要もないだろ」

「ほんとどこまでも公私混同職務怠慢ですね」

「これは役得だ」

 伯欽は一人先に進む。

「伯欽」

「ついに上司を呼び捨てか。私が寛大じゃなければ問題だぞ恩享」

「伯欽」

「こら恩享」振り返った伯欽が目を見開く。

「ぎ…魏徴さま」

 長安にいるはずの上司の姿に、伯欽はとっさに拱手し頭を垂れた。

「何故…どのようにしてここまで…」

 魏徴はどこか急く様子で

「いまは細かい説明はしない。ただ、この姿は実体ではないとだけ言っておく」

 伯欽がまじまじとその朧げな輪郭を眺め

「まさか…儚くおなりになっていたとは」

「死んでない」

「まさか…これが砂漠名物」

「蜃気楼でもない」


「…さすが伯欽さまの上司…冷静につっこんでる」

 恩享たち三人は離れた所から息をのみ二人の様子を見つめている。


「実は…ついさっきこの目で確かめてきたことなのだが」

 そこから魏徴は声を落とす。聞く伯欽の顔に驚愕の表情が浮かぶ。

「そのようなことが…。俄かには信じ難いですが」

「いまお前の目の前に私がいるのが何よりの証拠だ」

 表情は冷静でありつつも魏徴は口早に

「長安のほうは私が何とかする。お前は引き続き玄奘法師の側を見張ってくれ」

「御意」

 伯欽が再び頭を垂れ、顔を上げたときには既に魏徴の姿はかき消えていた。

「な、何だったんですかあのお姿は…幽鬼か何かですか」

 恐る恐る近寄ってくる部下たちには答えず、伯欽はくるりと西を向く。

「玄奘法師の後を追うぞ」

「え」

 夕陽に向かって歩いてゆく伯欽の背に、また三人は顔を見合わせる。

「…よっぽどきつく叱られたのかな」

 



 大明宮の最も奥まった一室で、長い時間端座していた李世民は外の物音に意識を引き戻された。

「困ります!誰も近づけるなと…」

 宦官たちの声がしたかと思うと、部屋の扉が勢いよく開かれた。

 入り口に立つ魏徴は暗い室内を一瞥する。

「…どういうつもりだ魏徴」

 主の問いには答えず、魏徴はツカツカと歩み寄ると壇の上に置かれた剣をつかんだ、

「…術を使っていましたね。いつから…」

 険しい顔の相手をちらりと見上げ、徐に立ち上がった世民に目配せされた宦官たちがさっと姿を消す。

 符の貼られた剣を魏徴は握りしめ

「この術は…私が以前お話しした術は剣解を崩した、いわば邪道です。まして内丹を練る修行をしていない人間が使えばどうなるか」

「まさか」世民が明かりを灯しながら

「許しもなく部屋へ立ち入っておきながら説教をするつもりか」

「陛下…!道術は危険なものです。軽々しく行っていいものでは…」

「魏徴」

 皇帝の鋭い目が臣下を見据える。

「お前…あの場にいたな」

 暗がりに浮かぶ青白い顔を魏徴も見返し

「居りました」

「…ならば話は早い」

 するりと魏徴の手から剣が奪われた。

「この術でどこへでも行けるのはいいが、物に触れることができないんだ。ネズミは握れたんだが…」

 世民はそこに貼られた符をはがしながら

「それに、何故子供の姿なんだ?符の書き方が間違っているのか…お前が竜を斬ったのならば剣を持つことも可能なはずだが」

「陛下!」魏徴が歩み寄る。

「先程も申し上げた通り、これ以上この術を行うことはお身体にとって危険です!現にここ暫く朝議にもお出ましにならていないではありませんか!」

「問題無い」世民のため息に灯が揺らぐ。

「少し政務に倦んでいるだけだ。これは…その気晴らしのようなものだ」

「…御身を削ってもですか」

 壁に剣を戻す皇帝の背中に、魏徴が硬い声で訊ねる。

「それほどまでに玄奘法師の…弟君の動向が気になりますか」

 全てを言い終わらないうちに風が顔をかすめた。

 さっきまで自分が持っていた剣の切っ先が、喉元に突き付けられている。

「…どこで聞いた」

 ただでさえ鋭い目が凶悪な光を帯びて睨み据えてくる。

「言え…誰から聞いた」

「…申し上げられません」

 半ば喘ぎながら魏徴が答える。

「全て分かっていて…お前の追捕使に禁軍の四人を邪魔させていたわけか」

「それは…!」

 剣の背で思いきり叩かれ、肩を押さえ膝をついた魏徴を見下ろす世民には明らかな殺意が宿っている。

「…やはり貴様は佞臣か」

「陛下!私は…」

「誰か!」世民が部屋の外に向かい怒鳴ると、すぐさま宦官たちが顔を覗かせた。

「この男を連れていけ。目障りだ」

「陛下!どうか話を」

 両腕をつかまれ、引きずられる魏徴に皇帝はもはや目もくれず

「ここで斬られなかっただけありがたく思え」

 低い声に魏徴は口をつぐむ。

「明日から登殿には及ばない。私が許すまで蟄居していろ」

 部屋の外では騒ぎを聞きつけた房玄齢と杜如晦も何事かと二人を見つめている。

「陛下」

 腕をつかむ宦官の手を払い、魏徴が静かに言った。

「どうか約束してください。もうあの術は使わないと」

 鋭い音とともに置かれていた花台が叩き切られた。

「…約束だと?佞臣の分際で」

 剣を握る世民が半顔だけ振り返る。

「ならば私も言っておく。蟄居中に術を使ってかってなことをしてみろ。今度こそ命はないと思え」

 片目だけでも臣下たちを怯ませるには充分だった。

 その怒りに燃える目をしばし見つめていた魏徴は、やがて拱手すると静かに部屋を出てゆき、慌てて宦官たちが後を追う。

「…お前たちも退がれ」

 残った側近二人に世民が短く言った。

「しかし…」

 真っ二つに割れた花台と、剣を握ったまま立ち尽くす主君に玄齢はとまどいながら

「陛下、一体何が…」

「退がれと言っている」

 威嚇するような声音に立ち竦む玄齢の袖を、如晦がそっと引く。

 二人は黙って拱手すると、部屋の扉を閉めた。

 一人になった世民は、今度は明かりの灯る青銅の燭台を力任せに切りつけた。

 落ちた皿からこぼれ出た油が、小さな炎となって暗闇に燃え上がる。

 赤く揺らめくそれを、世民は燃え尽きるまでただじっと見つめていた。


 


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