第四十一話
「…炊事」八戒が呟く。
「炊事だけど」馴翔が頷く。
「つまり…お師匠さまが負けたら、おいらがここで料理することになるの?」
「三食おやつ付きだけど」大斧を担いだ順翔は部屋の竈や鍋を眺め
「いまは俺が毎日料理してるけど…あんまり料理好きじゃないんだけど」
八戒の大きな耳がヒクヒク動く。
「だから、代わりにブタさんが料理してくれたら、俺とても嬉しいんだけど」
「おいらブタじゃないもん」
「けど」と馴翔がため息をつき
「ブタさんもあまり料理上手くないみたいだけど」
八戒の鼻穴が大きく広がった。
「無理無理無理」
「黙れ軟弱」
千切れんばかりに首を振る悟浄に翠波が眉尖刀をどんと鳴らし
「嫌でもやるんだ!事実、僕は嫌でもやっている!」
「無ー理ー!!赤の他人の洗濯…しかも野郎の洗濯なんて!」
「僕だってこの白魚のような手で我慢しながらやってるんだ!貴様に拒否権はない!」
「…いくら郎党がいなくなっちゃったからって見ず知らずの相手に洗濯させようとするなんて」
月牙歳にもたれた悟浄がじとりと翠波を見る。
「変態?」
「きっ貴様あっ!!言わせておけばあっ!!!」
「で、お前は掃除なわけか」
「…仕方ねえだろうがよ。兄貴と碁の勝負をして負けたら最後、絶対に言うことを聞かなきゃ駄目な仕組みなんだからよ」
「つまり」悟空はまた如意棒を回しながら
「お師匠さまが負けた場合、もれなく俺たちもここで一生炊事洗濯掃除をやらされるって筋書きか」
鉤棒片手に翺がじっと悟空を見る。
「お前…掃除は…」
「できるように見えるか?」
「…見えねえよ。いや、だとしても俺がしっかり仕込んでやるよ!俺たちが家事から解放されるためによ!」
如意棒を回す手が止まる。
「そいつはお師匠さまが負けたときの話だろ」
「無理です無理無理無理」
椅子の上で身動ぎしながら玄奘法師が言う。
「私だけでなく悟空たちまでここに囚われるなんて、そんな勝負できません!第一、私は碁なんてろくに打ったことのない素人なんですよ!?」
「そうよ!こんなの横暴すぎるわよ!」
「困りましたね」暢翬は白石を弄びながら
「どんな事情があろうと、その席に着いた以上勝負していただかないことには離れられませんよ」
「そんな…私には無理ですよ…」
「…ブタさんどうしたの。急にウエストが細くなったんだけど」
腹を締め上げられ呼吸を荒くしている八戒を眺め、順翔が訊ねる。
「うわっ何だ気持ち悪いな」
首を締め上げられのたうち回る悟浄を翠波が気色悪げに
「そんな拷問器具身に着けてるなんて…貴様のほうがよっぽど変態だろ!」
「ち…ちが…!」
「…新手のダンスか?」
突然頭を押さえ床を転げまわり出した悟空に翺が言う。
「あまり床で転がらないでほしいんだけどよ。埃立つからよ」
「うるせえっ!俺だって好きで苦しんでんじゃねえよ!」
悟空が涙目で喚く。
「こんな自分勝手な勝負、受けることないですよ!公平さの欠片もないんですもの!」
二人の間に入り小鈴が言う。暢翬が小鈴を見据え
「聞き捨てなりませんね。あくまで勝負自体は公平なものです。よろしいんですか?勝負をしないということは不戦敗ということになりますが」
「その」と羽扇で椅子を示し
「席に着いた時点で勝負は始まっているのですよ法師どの」
「どこまでかってなのこの有閑自己中男!」
喚いていた小鈴が不意に羽扇であおがれ卓の上に倒れ込んだ。
「小鈴!?」
「少々眠ってもらいました。勝負の邪魔をしてもらっては困るので」
扇の影で笑う暢翬を睨み、玄奘法師が黒石をつかむ。
「分かりました…始めましょう」
暢翬が目を細める。
「そうこなくては」
「あれ…ブタさんお腹治ったの?ちょっと怖かったんだけど」
訊ねる馴翔に玖棘棍を突き八戒が立ち上がる。
「おいらブタじゃないもん」
「そうか…小汚い貴様らには我が頌家の高貴な空気が耐えられなかったということか」
翠波が一人で納得していると、苦しみもがいていた悟浄がゆらりと立ち上がった。
「俺を変態プレイが好きな変質者呼ばわりしたこと…後悔させてやるぜ」
「誰もそこまで言ってないが!?」
「お、治まったかよ」
のたうち回っていた悟空を眺めていた翺が言った。悟空は如意棒を突きながら
「これで分かっただろ…」
「…何が?」
「俺たちはあのヘタレ坊主を何が何でも天竺まで引きずっていかねえと…この苦しみから逃れられねえんだ」
「俺たちも」翺が鉤棒を構える。
「家事から解放されるためにはあの坊さんに負けてもらうしかねえんだよ」
緊箍児を押さえ悟空がニヤリと笑う。
「どうやら向こうも腹括ったみてえだからな。俺たちが先に負けるわけにはいかねえんだよ」
(くっ…何て足の早い)
息もつかせぬ白石の速さに、玄奘法師は序盤から気圧されていた。
「このような辺鄙な場所ですから、碁の相手といっても弟たちぐらいしかいないもので。日々弟たちを鍛えてやるのが日課でして」
手を休めず暢翬が話す。
『玄奘、碁とはまず形を覚えるものだよ』
法明老師と打ったことを思い出し必死に打つ玄奘法師は相槌を打つ余裕もない。
「ですからこうして高名な客人と打てるのは望外の喜びです」
口調とは裏腹に碁盤を見つめる暢翬の目は獲物を窺う鷲そのものだ。
(この人は…)
懸命に打ちながら、法師は嫌な汗が噴き出るのを感じる。対峙する暢翬の放つ無言の威圧感。相手を委縮させ従わせる、隠しても隠し切れない傲岸不遜さ…
(誰かに似ている)
「世尊善男善女人發阿耨多羅三藐三菩提心」
唐の長安、洪福寺では、原点回帰週間として金剛般若経の読経の声が響いていた。
「云何應住!」
「云何降伏其心!」
反対に肉体的修行のほうはより実戦的になり、経のなかの問答の合わせ僧侶たちが互いに棍棒を打ち込んでいる。
「佛言善哉善哉須菩提!」
「如汝所説!」
「しかしアレですね」
激しく打ち合う弟子たちを、監督のように眺めている法順禅師の横で円心が
「棍棒で打ち合ってるとあそこのお寺みたいですね。少室山にありそうな」
「お前たち!」禅師が声をかける。
「足元の石が削れ、磨り減るぐらいやって初めて修業と呼べるんだぞ!」
「押忍!!」
「完全にあのお寺じゃないですか。将来世界遺産に登録されそうな」
「本当は鉄棒を使わせてやりたいが…死人が出たらさすがに不味いからな」
「怪我人より先に死人が出るんですか!?まず僧侶が武器振り回してることに疑問を持たなくていいんですか!?」
法順禅師が横目で円心を見る。
「かの寺は始祖である達磨大師ゆかりの寺…そして二祖普覚大師はそこに入門するため自らの腕を切り落とした」
「そうですね!もともと過激だったな禅宗!」
「お前たち!」再び法順禅師が弟子たちに呼びかける。
「己の体を律してこそ初めて一僧侶と言えるのだ!實無衆生得滅度者!」
「押忍!!若菩薩有!!我相人相!!衆生相壽者相!!」
どんどん武闘派になってゆく兄弟子たちを眺め、円心は首を傾げる。
「ある意味…これが正しい方向性なのかな」
「そもそも俺、正しい料理の仕方とか知らないんだけど」
そう言う馴翔の顔は無表情のままだが、その口調には不満の響きがある。
「それなのに兄ちゃんたちはおいしくないって食べてくれないし…俺だって本当は作りたくないんだけど」
文句と一緒に振り下ろされる大斧を八戒は避けつつ
「だからって、食材を粗末にしていいってことにはならないよ」
「別に粗末にしてないんだけど」
馴翔は俎板に包丁を叩きつけるように大斧を振り下ろしてくる。
「おいしくならない食材と食べてくれない兄ちゃんたちが悪いと思うんだけど」
意外なほど身軽にそれをかわしながら、ちらりと置かれている食材や調理器具に視線をやった八戒の喉元を刃がかすめた。
「…回鍋肉なら食べてくれるかな」
馴翔が大斧を両手に持ちかえる。
「…棒々鶏のほうがいいかもよ」
「殺しはしないさ!貴様には洗濯係になってもらうんだからね!」
舞うように眉尖刀を振り向ける翠波に
「それって兄弟で話し合って決めたんでしょ!?他人に押し付けるのはどうかと思うなあ」
月牙鎩で受けながら悟浄が間合いを取る。
「高貴なる我が頌家に仕えられることを光栄に思うんだな!」
「光栄ならどうして郎党が一人もいなくなったんだよ!」
跳び退った悟浄が月牙鎩から水の刃を放った。回転した眉尖刀が無数のその刃を叩き潰す。
「格式高い我が頌家の武器にそんな水芸が通用すると思うか」
「水芸ねえ」悟浄が口元をゆがめる。
「分かったぜえ…プライド高すぎてお世話してくれる人皆いなくなっちゃったんだろ。悪役令息だ悪役令息」
「俺たちのせいじゃねえよ」翺が言う。
「そもそも兄貴が…って聞けよ!」
構わず如意棒を突きつけてくる相手に向かい怒鳴った。例によって他人の家庭の事情に関心のない悟空は
「無駄話で時間稼ぎするつもりか?こっちはお師匠さまとお前の兄貴の勝負が終わるのを大人しく待ってやる義理はねえんだ」
「そりゃそうだけどよ!」
翺がはっと辺りを見回し
「場所を変えねえか」
「何?」
翺の背中にばっと羽が広がったかと思うとそのまま外へと飛び出した。
「なかだと埃が立って後で掃除が大変だからよ」
「…お前相当…」
(相当目がいい…)
一点の隙も見逃さない暢翬の碁に、玄奘法師はひたすら急場を凌ぐのに精一杯だった。
「どうしました。後押しばかりで逃げていては勝てませんよ。唐の高僧の実力はこんなものではないでしょう」
暢翬はどこまでも余裕の表情で羽扇をあおぐ。
確かにどんなに逃げようと悉くシチョウで追い詰められ、上辺を取られて残る大場は中央だけになっている。
法師はちらりと卓の隅に横たわる小鈴を見た。
(思い出せ…思い出すんだ)
昔、法明老師と碁を打っていたとき…あのときは雪が降っていた。
(いまのように上辺も下辺も取られていて…法師さまが投了するか気遣ってくれて…)
そこへ庭にいた法順が雪玉を投げつけてきたところで記憶が途切れる。
(駄目だ…!)
法師が頭を抱える。暢翬がため息をつき
「中押しなんてつまらないことにはなりませんよね」
法師が唇を噛んだそのとき、ざあっと外で影が走った。見ると欄干の向こうで翼を生やした翺と觔斗雲に乗った悟空が戦っている。
「悟空…!」
「おやおや、お弟子の方々も頑張っているよううですね」
鉤棒と如意棒で激しく打ち合う二人の向こうで、天山山脈の頂の雪がわずかに染まり始めている。
「日没までにはまだ間がありますが…いかがしますか」
その問いに玄奘法師が視線を戻す。
「いえ…まだこれからです」
黒石が左辺の模様深くに打たれる。暢翬が微笑み
「そうですね…もっと楽しませてもらわなくては」
鍛錬場を掃き清めていた円心がぶるっと身震いした。
「それにしても今日はひどく冷えますね。山の上では雪が降っているんじゃないですか」
隅で新たなトレーニングメニューを書きつけていた法順禅師は顔を上げ、塀越しに広がる西の空へと目を向けた。
「…そうだな」
「炒飯だって何回やってもパラパラにならないんだけど!」
馴翔が体ごと回転させながら大斧を振り下ろす。八戒はそれを玖棘棍で受け流しつつ懐に入り込もうとするが、馴翔がそれを柄で弾き飛ばした。
「裏技の卵とご飯を先に混ぜる方法でやってもベタベタになるんだけど」
「…火力が弱いんじゃないかな」
回転する刃に追い詰められながら八戒が言う。
「強火にしたら焦げちゃうんだけど!」
ひょいと屈んだ八戒の頭上の壁に大斧が食い込む。
「…油が足りないんじゃないかな」
「兄ちゃんたちは愛情が足りないって言うんだけど!」
抜き様に真一文字に振り下ろされた刃を玖棘棍の柄が防ぐ。
「ごちゃごちゃ言ってるけどおいらが思うに」
いつになく厳しい目で八戒が言う。
「愛情以前に調味料が足りないんじゃないかな」
「え…馬鹿にしないでほしいんだけど。塩胡椒ぐらい使ってるんだけど」
がっと大斧が跳ね返され、馴翔が体勢を崩したところに玖棘棍が続け様に打ち込まれる。
「さっき回鍋肉って言ってたよね?まさかそれも塩胡椒だけで作る気?まさか甜麺醤もないの?豆板醤は?芝麻醤がなきゃ棒々鶏も作れないよ?」
「え、ブタさん怖いんだけど。ていうかどれも違いが分からないんだけど」
玖棘棍の威力と八戒の気迫に押され、馴翔が後退る。だんっと八戒の足が踏み鳴らされ、玖棘棍を一文字に構え馴翔を見据えた。
「お前…料理を舐めてるな」
「だいたい高貴な僕が洗濯なんて似合わないだろう?」
優雅に眉尖刀を操り飛んでくる水の刃を悉く叩き潰しながら翠波が言う。
悟浄はというとゼエゼエ息を切らし
「嫌なことを人に押し付けることには疑問を感じないわけ?」
翠波は細い眉をピクリと動かす。
「洗濯が下手だからって、その仕事を馬鹿にするとかかっこ悪すぎい」
「黙れ下郎!」
眉尖刀の刃を月牙歳の刃が受け止める。
「できるわ洗濯くらい!」
「だったら…自分でやれよ!」
悟浄の蹴りが翠波の腹に入る。
「己っ!汚い足で!」
跳び退り腹を押さえた翠波に水の刃が飛んでくる。とっさに防ぐも、片腕と片足がわずかに切られた。
「言い忘れてたけど」
月牙歳に刃を翠波の喉元に突きつけ悟浄が言う。
「俺、洗濯なんて任されたらたぶん全部ぼろきれにしちゃうと思うんだよね。ほら、俺の水芸キレッキレじゃん?」
「…なるほどね」
翠波がうつむいたかと思うと帯衣鏢が飛んできて避けた悟浄の頬をかすめた。その隙に眉尖刀が悟浄の腹を薙ぎ払う。
「くっ」よろけた悟浄がはっと避けるとすぐ横に置かれていた壺が真っ二つに割れた。
「あーあ…由緒ある壺なのに」
眉尖刀を構えた翠波がこれまでと違う表情で凄んでくる。
「あまり腕力は使いたくないんだよね。美しくないから」
「やだ」月牙歳にしがみつき悟浄が呟く。
「ひょっとして…サイコパス?」
「正直…兄貴にはサイコパスの気があると思うよ」
鉤棒で如意棒と打ち合いながら翺が言う。
「平気で人をこき使うし平気で自分の思いつきに人を巻き込むしそれを長男だから当然だと思ってるし…あだっ」
五階から飛んできた白石が翺の頭を直撃した。
「やべっ聞こえてたよ」
「お前らも苦労してんだな」觔斗雲の上で悟空が言う。
「とか言って全く共感も同情も感じてなさそうなお前もサイコパスだな?」
「よく分かんねえが」
二人は息をするように打ち合いながら
「兄弟って面倒くせえもんだってことは何となくわかる」
「ああ…面倒くせえよっ!」
鉤棒の鉤が如意棒をからめとった勢いで悟空が觔斗雲から振り落とされた。
「ヴヒヒーッ!?」
落ちてくる悟空に下にいた白竜が右往左往する。と、地面すれすれのところで如意棒をつきたてた悟空は、そのまま如意棒の伸びる勢いで上空に戻ると迎えに来た觔斗雲に再び乗っかった。
下では白竜が寿命が縮んだと身振りで抗議している。
「空中戦には慣れてねえのかよ」
翼を羽ばたかせながら翺が訊く。
「気にすんな」如意棒を縮め悟空が言う。
「すぐ慣れる」
「そうかよ。じゃあ」翺がすぐさま切り裂くように鉤棒を打ち込んでくる。
「手加減する必要もねえってことだよな!」
それを受けながら相手の打ち筋を見ていた悟空の如意棒がさっと伸び翺の腹を貫いた。
「おせえよ」
かわした翺の鉤棒が逆に悟空の肩を貫く。
「くっ」また觔斗雲から落ちかけるのをかろうじて堪えた悟空の襟元を鉤棒の鉤が釣り上げた。
「降参するかよ?すりゃあこれ以上痛い思いしなくてすむだろうよ」
「…お前も大概サイコパスだよなあ」
吊るされながら悟空はちらりと五階のなかの様子に目をやった。




