第三十九話
「暇だ」
寝そべりながら暢翬が呟く。
「暇だ暇だ暇だ」
「おいっ埃たてんなよ人が掃いてるそばから!」
ゴロゴロ転がりながら羽扇でバタバタあおぐ長兄に翺が怒鳴る。
「暇なら自分の部屋ぐらい自分で掃除しろよ!人にやらせといてよ!」
「何故こんなにも暇なのだろう」
「自分じゃ何一つ家事をしやがらないせいだろうがよ」
「それもこれも私に敵う相手がいないせい」
「郎党が一人もいないせいで俺らは充分忙しいんだけどよ」
「ああ…どこかに強い相手はいないものか」
「だから転がんなよ!」
「そういや」翺が箒を持つ手を止め
「こないだ捕まえたネズミが近くに唐僧が来てるとか言ってたな」
暢翬が横目で弟を見る。
「お前まさか…ネズミを…」
「食ってねえよ!いくら馴翔の飯がうまくないからってよ!じゃなくて、その唐僧ってのが食べれば不老不死になるとかで妖魔連中や四天王にまで狙われてるだとか」
「唐僧…唐僧ねえ」
転がるのをやめた暢翬が肘枕で扇をあおぐ。
「しかもその唐僧…玄奘法師とか言ったっけ。そいつが三人も妖怪の弟子を連れてるって。まあネズミの噂話だし胡散臭いけどよ」
掃き掃除をしながら話す翺が、ふと振り返り「げっ」と身を引いた。暢翬が含み笑いを浮かべながらこちらを見ている。
「いいことを思いついたぞ…翺、翠波と馴翔を呼べ」
一方、玄奘法師一行は天山山脈を眼前に仰ぎながらいつものように野天で昼食をとっていた。
「今日のお昼は胸肉のお手軽水晶鶏と鶏雑炊だよ」
大皿を差し出しながら八戒が言う。
「お師匠さまには豆苗炒めと肉抜き雑炊だよ」
「ありがとうございます八戒」
「相変わらず鶏みてえな飯だな」
雑炊をかき込みながら言う悟空に小鈴が
「当たり前でしょ。敬虔で信心深い玄奘さまをそこら辺の生臭坊主と一緒にするんじゃないわよ」
「けど」と水晶鶏をつまむ悟浄が
「実際、お坊さんやめたいなーとか思ったことないんすか?」
「え…ええそれはあ…」
「確実にあるな」
「デザートはお師匠さまの好きな杏仁豆腐(硬め)だよ」
「あ、ありがとうございます」
玄奘法師は受け取ったお碗の杏仁豆腐を見つめ
「私は…幼いときに法明老師さまに拾われた身ですから…成り行きとはいえ僧侶にしていただけただけでも感謝しなければいけないんです」
「ほほう。だけど僧侶なんてやめたくてやめたくて仕方なかったと」
「そうっすよねえ、一生禁欲的に生きるなんて辛いっすよねえ、たまたまお寺に引き取られたからって」
「たちの悪い酔っ払いかあんたたちは!玄奘さまから離れなさい!シッシッ」
法師に絡んでくる悟空と悟浄を小鈴が足で追い払う。
「お師匠さま…本当はお坊さんになりたくなかったの?」
白竜に干し葡萄をあげながら八戒が訊ねる。
「いえ、たしかに寺での修業は厳しいものでしたが…」
遥か上空で円を描いている鳥の影を玄奘法師は見上げる。
「法明老師さまはいつでも優しく導いてくださいましたし…兄弟弟子たちも…」
ふと法師の顔が強張る。
「ほほう。やっぱり坊さんなんて辛いんじゃねえか?やめたいんじゃねえか?いまからでも遅くないぜ?」
片方の耳から悟空がささやく。
「いえ決して…ただ、とても怖い…いえ、とても厳格な兄弟子が…」
「何もあえて苦労することないっすよお師匠さまー人生楽しまなきゃーとりあえず合コンとかしてみます?」
悟浄ももう一方の耳からささやきかける。
「いえ…厳しいと言っても勿論それは愛情からくるもの…だと思うんですが…」
「前言撤回だわ。酔っ払いよりたち悪いわよあんたたち。玄奘さま、こいつらの言うことに耳を貸す必要ありませんよ」
回し蹴りで悟空と悟浄を追っ払い小鈴が言う。
「悟空、悟浄、御飯中だよ。ちゃんと座って」
八戒に叱られ二人は大人しく座り直す。玄奘法師はというとまだお碗を握ったまま
「愛情の裏返し…?にしては厳しすぎるような…やはりあれは虐め…」
「まだ言ってんのか!?」
「大丈夫ですよ玄奘さま、法順さまのあれは伝わりにくいかもしれませんがちゃんと愛情表現です」
「そ、そうでしょうか?」
そのとき一行の頭上を影が覆い、巨大な大鷲が急降下してきたかと思うとその鋭い鉤爪で玄奘法師をつかみ上げた。
あっという間に彼方へと飛び去ってゆくその姿を、弟子たちは雑炊をすすりながら眺めている。
「…何か、こういうお伽話なかったか?でかい鳥にさらわれる」
「あー、何だっけ。きれいなお姫様にところに連れてかれるんだっけ?」
「お菓子のお城に連れてってくれるんじゃなかったかな」
大鷲にさらわれた法師の姿は既に見えなくなった。
「まあ…悪いとこにさらわれたわけじゃねえってことだな」
「めでたしめでたしかあ」
「お師匠さま…幸せになるんだね」
「ヴッヒンッ」
とたんに三人が倒れ込む。それぞれに頭、首、腹を押さえながら
「んなわけなかったあっ!」
「ぐっぐるっ…あれっ?鳥の餌になる話だっけ!?」
「おっおいら…消化不良になるっ!」
苦しみもがく三人を白竜が同情顔で見下ろす。
「お、おい…何かいつもより締めつけが…ぜってえ小鈴の仕業だろ!」
「その調子です玄奘さま!」
両肩を大鷲につかまれ、両手にまだ杏仁豆腐のお碗を握った状態で玄奘法師は空中に向かい叫ぶ。
「ええと…食事の途中なのに八戒に怒られる!」
「そうそう!」頭巾のなかの小鈴が合いの手を入れる。
「杏仁豆腐があってもレンゲがないから食べられない!」
「いい感じです!」
「またさらわれたよって悟空たちに呆れられる!」
「あのう」
大声で思いつく限りの愚痴を叫んでいた法師に大鷲が話しかけた。
「ちょっとうるさいんだけど。気が散るんだけど」
「あ、すすみません」
「人をさらっといて偉そうに文句言ってんじゃないわよ!だったらいますぐ玄奘さまを解放しなさい!」
「しゃ、小鈴いま解放されるのはちょっと…」
法師の足元には高度五十メートルの景色が広がっている。
「大きなものを運びながら飛ぶのって結構神経使うんだけど。じゃんけんで負けなきゃこんなことやりたくないんだけど」
「だったら放しなさいって言ってんのよ!さもないと凶悪で品の無い弟子たちに丸焼きにされるわよ!」
「しゃ、小鈴いま離されるのはちょっと…」
そうこうしているうちに、前方に巨大な建物が現れた。切り立った崖にもたれるようにして建つ、大きな五重塔だ。
大鷲は滑空しながら五重塔の最上階へと突っ込んでゆく。
「うわああああっ!?でべっ」
法師は床の上に放り出される。
「大丈夫ですか玄奘さま!おのれ玄奘さまをずた袋のように…あの鳥ぜったい許さない」
怒り心頭に発した小鈴が欄干にとまる大鷲を睨みつける。
「だ…大丈夫です小鈴…杏仁豆腐は無事です」
「玄奘さま!」
とまっていた大鷲が長い羽を広げ、大きく身動ぎしたかと思うと見る間に人の姿へと形を変えた。
大柄で、眠たそうな顔をした青年が部屋の奥へと呼びかける。
「連れてきたよ。兄ちゃん」
光の射し込まない暗がりから「ああ」と声が返る。
「ご苦労だったな馴翔」
影から分かれるようにして一人の人物がゆっくりとこちらに近づいてきた。
身構える玄奘法師と小鈴に、相手は羽扇をあおぎながら鷹揚に微笑んで見せる。しかし、その鷲のように鋭い黄色い目は笑っていない。
「ようこそ玄奘法師。我が頌家へ」




