第三十八話
長安の大通り、朱雀門の正面に伸びる朱雀大街に銅鑼の音が響き渡る。
鳴らしているのは宮城の兵で、その兵たち守られ役人らしい男が立っている。
いつもの見慣れた光景に、街の人々は暗い目を向ける。
「やれやれ…また新しい朔(法)か…」
「お前は他の四天王を潰したいのだろう」
例によって影のように現れたあの少年に、唐突に言われ冴侶は眉をひそめる。
(こいつは空っぽだ)
月下に佇む相手を見据え、冴侶はその胸の内を探ろうとするが、そこにはつかみ所のない黒い闇が覗いているだけだ。
「潰す?俺が?何の為に?」
会話で慎重に間合いを取る冴侶に少年は笑い
「そう怯えなくてもいい。別に他の四天王に密告したりはしない」
自分が普段そちら側の立場なだけに、全て分かったような物言いは一番神経を逆撫でされる。
「うっとうしい奴だな…何故いちいち俺たちに絡んでくる」
少年は小首を傾げ
「お前たちがちゃんと玄奘法師を亡き者にできるか、見届けるためだが」
冴侶は舌打ちし
「それほど玄奘法師にこだわるなら、己の手で亡き者にしたらどうだ」
相手はふいと顔をそらし
「…それではつまらんだろう」
(やはりな…)
玄奘法師の名が出たときだけ、この少年のなかの闇が大きく揺らぐ。とは言っても、ほんの一瞬に過ぎないが。
「それに」と少年がまた冴侶を見る。
「お前たちは見ていて面白いからな」
冴侶のなかに真正の殺意が芽生えた。
「お前は獣王を守りたいのだろう」
それを知ってか知らずか、相手は勝手にしゃべり続ける。
「己が他の四天王のように力を持たないぶん、虎の威が必要だからな。獣王はお前にとって仕えやすいらしい。だから他の誰かが…四天王の誰かが獣王にかわって王になっては都合が悪いのだろう?」
「是非もない」少年は息をつく。
「そもそも主従の関係など、仕える価値があるか…使う価値があるかに過ぎない」
冴侶の片腕が疼いた。
「御託はそれだけか小僧」冴侶は岩の上を睨み上げ
「お前が言う、力を持たない俺でも…貴様ぐらい簡単に消せるぞ」
月を背負う少年は冴侶を見下ろし
「勘違いするな。私は別に喧嘩を売っているわけじゃない。私たちは利害を共にする者同士だと言いたいだけだ」
少年の黒い着物が闇に溶けるように揺れる。
「四天王の誰かの手にかかって玄奘法師が死ねばそれも良し。玄奘法師をめぐって四天王同士が争い共倒れになるならそれも良し」
青白い顔がか細い月光に輝く。
「王は一人で充分だ…そうだろう?叉王」
「また彪月…獣王は来ないのか」
まるで苦い薬でも飲むように杯を傾けながら勇羆が唸る。
「今日はまた…」
「いや、いい!」
冴侶の言葉を吾岌が遮る。
「どうせまた千蓉婦人がらみだろ。聞くまでもないっ」
乾いた音とともに杯が叩き割られた。
「毎度毎度…どうせドタキャンするなら何故セッティングする!?『今月も四天王の皆でお月見しようね☆』などとぬかしておいてあの唯我独尊猫めが!!」
「おいおいお前もまたかよ」
酔って暴れ出した翊甫を勇羆と吾岌が押さえつける。
満月の夜、また四天王たちは言い出しっぺである獣王抜きでいつもの岩山の頂で酒宴を営んでいた。
「しかし」
間近に浮かぶ冴え冴えとした月を吾岌が眺め
「こうして満月の光を浴びていると、尻尾も早く引っ込みそうだ」
孫悟空に敗れた当初は妖気を抑える鼻輪までつけられ、毒気まで抜かれたかと冴侶は訝ったが、その胸の内を覗くとまだ野心の火は消えていないようだ。ただ、かってに玄奘法師を食らおうとしたことで勇羆にひどく怒られたらしいので、また唆してもこの先誰かを出し抜くことはしないだろう。
(迢王は…)
既に寝落ちしている翊甫に関しては、要はただのブラコンだが、そこから生じる王座への欲求は決して半端なものではない。
(やはり本命は…)
冴侶は阿王勇羆に目を据える。実力から言っても、自らが王になるという執着の強さからから言っても、このなかでは勇羆が最たるものだろう。
「またあれやりたいよなあ」
吾岌がため息混じりに言う。
「あれ?」杯をあおりながら訊き返す勇羆に
「あれだよあれ」
冴侶が眉をしかめる。
「ああ、あれか。しばらくやってないな」
「あれやれば俺の妖力ももっと早く回復すると思うんだよなあ絶対」
「あれは」たまらず冴侶が口を挿む。
「近所の盤羊から苦情が入ったから…」
「近所」
「分かってるって。でもさあ、やっぱあれやんないと力が湧かないっていうかあ」
「まあ…一理あるかもな」
「だろ?だろ?」
「しかし、近所から苦情が」
「でもあれも言い出しっぺ彪月じゃなかったか?」
ぐっと冴侶が詰まる。
「なあなあ、近所迷惑にならなきゃいいんだろ?」
「やりたきゃ一人でやれ」
「そんなあ。皆でやるのがいいんだろ!彪月だって賛成するって」
「あの無責任招き猫めが!」翊甫が飛び起きてまた寝た。
彪月が諸手を挙げて賛成するのは確実なので、冴侶は全力で阻止しなければならなくなった。
「だから、苦情が…次やったら出るとこ出るとまで脅されて…」
「だから迷惑にならなきゃいいんだろ?何かで囲うとか」
「しかし…」
「具体策を提示したうえでご近所も交えて協議したらどうだ?」
「さすが勇ちゃん!それいい!」
何故こういうときだけまともな意見をのたまうのか、と冴侶は歯噛みする。
「じゃあ頑張って復活させようぜ!」
大張り切りで吾岌が立ち上がり、満月を振り仰ぐ。
「四天王+獣王の全裸で月光浴!『満月だよ!全員集合!』」
夜風のなか冴侶はため息をついた。
「そろそろそっちも名乗ったらどうだ」
少年はまた首を傾げる。
「コソコソとこちらのことばかり探って自分は名前すら名乗らない気か」
冴侶の目と少年の目がぶつかり合う。
「俺たちは利害が一致した者同士なんだろう」
少年の考え込む素振りに冴侶は内心歯軋りする。はなから本名を名乗るつもりはないらしい。
少年が顔を上げる。
「お前たちは月の光を貴ぶんだったな」
「…それがどうした」
「ならば」細い月を見返り少年が言った。
「朔だ」
冴侶は口をゆがめる。やはり喧嘩を売っているのではないか。
「私の名は朔だ」
ひどく楽しげに、少年は微笑んだ。




