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異説西遊記  作者: 圓堂
38/52

第三十七話


 

  湖の上を涼やかな風が渡ってくる。

 それを頬に受けながら、玄奘法師は輝く水面をいつまでも見つめていた。


「出てるなありゃ」

「ああ。出まくってるな。一人にしてくれオーラが」

 その姿を四半里ほど離れた木陰から弟子たちが眺める。

 乾燥したこの辺りでは奇跡のような、青い水を湛えた巨大な湖の側にある町に一行はいた。

「お師匠さま…食欲もあまりないみたい」

 仲間から離れ一人佇む法師を、干し杏を食べながら八戒が心配そうに見つめる。

「まあ…そういうもんなんだろ悟浄」

「そうだな…失恋の傷ってのは…て何で俺!?」

「そりゃあだって、プロだろ?」

「巨匠だよね」

「プロ!?巨匠!?失恋の!?」

「悟浄と書いて失恋と読むって」

「失恋で俺の右に出る者はいないって」

「やめて!?ひとが酔っ払って言ったこといつまでも覚えてないで!?」

 三人の背後から拳が飛んできた。

「だあれえがあ?だあれが失恋したって?」

 鬼の形相で宙から見下ろす小鈴に三人は頭を押さえながら

「実際あの女王さまに会ってからずっと辛気くせえだろうが!」

「あれはたしかにー失恋の症状とひどく似通っているようにみえますがー」

「専門家の意見だね」

 三人はまた殴られる。拳を震わせる小鈴を白竜がなだめる。

「玄奘さまが…そんな簡単に恋に落ちるわけないでしょ…第一いまは西へ向かう大きな目的が…」

「玄奘さま!?玄奘さまはどちらに!?」

「ぎゃああああっ!?」

 突然現れた相手に全員が声を上げた。見ると側に千蓉が立っている。

「何だ…毒々しい姉妹か」

「だから誰が毒々しいよ!いちいちつっこませるんじゃないわよ!」

「…何しに来たのおばさん。お呼びじゃないわよ。年中お呼びじゃないわよ」

「黙りなさい小娘!私がいつどこへ玄奘さまに会いに来ようと私のかってでしょう!」

 ひとしきり噛みついたあと、千蓉は小鈴と弟子たちを見回し

「…何よ。やけに暗いじゃない。それより玄奘さまは…」

 三人が揃って湖のほうを指さす。

「ああ…哀愁を帯びたお背中も素敵…てどうしたのよ。玄奘さままで元気がないじゃない」

「お師匠さま…このまま初めての失恋から立ち直れないかも」

「はっ!?」

「そりゃ簡単には立ち直れるもんじゃないんだぜ八戒」

「ちょっと!」

「お前が言っても説得力ないけどな」

「何なのよ失恋って!?説明しなさいよ!」

「どうしたの姉さん」

 遅れて劼挐と妥媛がやってきた。

「いま玄奘さまが…」

「八戒さま!」妥媛が持ってきた包みを差し出す。

「私が頑張って作った蓮の実入りおこわと蓮の実入り茶碗蒸しと糖蓮子ですー!」

「姉さん、蟠桃を忘れてるわよ」

「茶碗蒸しに()がはいってる」

「ええっ!?」

「桃!?桃っつったか!?」

「目の色が変わったぜ兄貴ー」

「ちょっとそれは玄奘さまに…」

「液を器に入れるときちゃんとこさなかったね」

「ごめんなさい八戒さまー!」

「桃!桃!」

「姉さん、よこせの圧がすごいんだけど」

「お行儀が悪いぜ兄貴ー」

サンドバッグを殴るような鈍い音が三度響き、弟子たちが崩れ落ちる。三人の鳩尾に頭突きを食らわせた小鈴が髪を払いながら振り返る。

「私がまず話すから…それぞれ言いたいことはその後。いい?」

「…はい」三毒姉妹はそろって頷いた。


「ふーん。そんなことが…」

 一緒に木陰に座り込みながら、千蓉も玄奘法師の背中を見つめる。傍らでは弟子たちと妹たちが料理と桃を囲みギャアギャア言っている。ふよふよと浮かびながら小鈴も玄奘法師を見つめ

「玄奘さまは優しいから…少しショックだったのかも」

「…あんた、本気でそう思ってるの」

 小鈴が振り向くと、千蓉が頬杖をつきながらこちらを見つめている。

「そもそも玄奘さまと私たちじゃ生きる長さが違うのよ?迷ったり疑問に思ったりするのが当たり前でしょ」

 小鈴は千蓉に向き直る。

「どういう意味」

 千蓉は肩を竦め

「この旅は玄奘さま自身が思い立ったものじゃないんでしょう?だったらやめるのくらい玄奘さまの自由にしてあげるべきよ。人の命は短いのよ」

「…おばさんまで玄奘さまの旅の邪魔をするの」

「邪魔なんてしないわ」千蓉は立ち上がり

「私は玄奘さまに本心で選びとってほしいだけ。自分の行きたい道をね」

 言いながら湖に目を細める。

「そうでなきゃ…他人の願いを優先してしまうでしょう。…玄奘さまは優しいから」


 輝く水面とは裏腹に重い胸に、玄奘法師は何度目かのため息をついた。

「どうかされましたかお坊さま」

 傍らを見上げると、町の人らしい若者が立っている。「いえ」とその明るい顔から目を逸らす玄奘法師に

「あ、もしかしてこの湖の水飲めるかなーとか考えてました?駄目ですよ?きれいに見えても生じゃ飲めませんから」

「いえ…そういうわけでは…」

 とまどう法師に構わず若者は隣に座り

「お坊さま、ひょっとして唐から来ました?私も実は昔、唐にいたんですよ。と言っても、法律が厳しくなる前のことですけど」

 唐という言葉に法師は体を硬くする。そんな法師に若者は屈託なく

「もう何年も帰ってないんですが、唐はいまどんな感じですか」

「…お坊さま?」覗き込んでくる相手に玄奘法師はうつむきながら

「私は…国禁を破って、唐から天竺へ経を頂きに行く途中なんです」

「ほう、それはそれは」

「けれど」法師が顔を上げる。

「ここまで来て…また迷っているんです」

「迷う?」

 法師はまたうつむき

「私はいままで…優れた経さえ持ち帰れば、それで唐は救われると思っていました。けれど…本当にそうなんでしょうか。現に、どんなに優れた教えを持ったすばらしい国でも滅びる…それが天災であろうと人災であろうと。なら、私が経をもたらすことにどれ程の意味があるのか…」

 一気に吐露してしまってから、玄奘法師は羞恥心に襲われる。弟子たちや小鈴にも言えなかったことを、通りかかっただけの見ず知らずの相手につい吐き出してしまった。

「それでも…あなたはいま生きている人を救いたいと思ったのでしょう?」

 玄奘法師は顔を上げた。


「えっ何っこいつら急に苦しみだしたんだけど」

「八戒さまー!しっかりー!」

「ええっ!?何これ食べ物が原因じゃないわよね」

 突然苦しみだした弟子三人に狼狽える三毒姉妹に、小鈴が湖のほうを見つめたまま

「大丈夫…玄奘さまがようやく本心を吐き出せただけだから」


「過去の人々を救うことも、未来の人々を救うことも、結局はいま生きている人々を救うことにつながっていると私は思います」

 そう話す若者を玄奘法師は見つめる。

「もしあなたが迷ったとしても…願いさえ失わなければ、いつかきっと辿り着けますよ。あなたが本当に行くべき場所に」

 そう言って微笑む若者の横顔に、法師はまた既視感を覚えた。あの晩、塔の側にいた少年を見たときと同じ感覚だった。

「あの…あなたは…」

 若者がこちらを向く。笑顔が逆光にかすむ。

「あの…」

 遠くから悲鳴が上がった。見ると砂煙を上げて巨大な蜘蛛、蠍、蛇が町のほうから向かってくる。

「あれは…!」

 立ち上がった玄奘法師に背後でささやき声がした。

「大丈夫だよ…玄…」

 振り返ると若者の姿はなく、静かな湖のさざ波だけが響いていた。


「寿々!賢々!娟々!」

 こちらに駆けてくる大蜘蛛たちに三毒姉妹が叫ぶ。悟空が頭を押さえながら

「そういやあいつらどこにいたんだ?」

「町外れの…なるべく人目につかない所で待ってるように言ったのに」

 小鈴が目を凝らす。

「ひょっとして…あれが原因じゃない?」

 見ると三匹の正面を飛ぶ、ぐるぐるに縛られた黄金が全速力でこちらに向かってくる。

「孫悟空ー!ようやく会えたヨー!」

「げっ何で黄金が!?」

「あの肉饅頭、性懲りもなくまたうちの池の水を盗もうとしたから罰として下働きさせてたのよ」

「ちょっと目を離すと逃げようとするし」

「だから今日も一緒に連れて来たのにーやっぱり逃げ出しちゃったみたーい」

「うわあああっこっちこないでおっさん!」

「蜘蛛さんたちもお腹すいてるのかな」

 こちらを目がけ飛んでくる黄金と地響きをたててそれを追ってくる三匹に、悟空、悟浄、八戒も逃げるべく走り出す。

「孫悟空!拘束されて強制労働させられてる元相棒を助けろヨ!」

「知るかよ!てめえで何とかしろ!」

 駆けながら悟空が怒鳴る。

「元相棒に何て言い草ヨ!」

 同じく駆けながら悟浄と八戒が

「おい悟空!お前どっか行け!おっさんとどっか行け!」

「はあ!?」

「食後に走るの…おいらキツい…」

「この際、沙悟浄でも猪八戒でもいいヨ!私を自由にしてくれた勇者が新しい相棒ヨ!」

「遠慮します!!」

「ちょっと、あんたたちが止まらないと寿々たちも止まらないじゃない」

 寿々の上から千蓉が言う。

「ああ!?お前らちゃっかり!」

「でも止まったら肉饅頭と一緒に食べられるわよ姉さん」

「八戒さま頑張ってー!」

 賢々、娟々の上から劼挐、妥媛も言う。

「助けろヨ孫悟空!沙悟浄!猪八戒!」

「偉そうに言ってんじゃねえよ!」

「いやあああ!おっさんと節足動物と爬虫類に追っかけられるなんていやあああっ!」

「おいら…走り過ぎて吐きそう」


 遥か彼方に遠ざかってゆく砂煙を、玄奘法師と小鈴と白竜が揃って眺めている。

「玄奘さま…」

 気遣わしげな目を向ける小鈴に、玄奘法師は白竜の首を撫でながら

「いつも心配をかけてすみません小鈴」

「え…」

「これからも私は…たぶんことあるごとに迷うと思います。でも」

 玄奘法師が西の方角を見つめる。

「進むことを止めたりはしないと…決めました」

「今更ですけどね」と笑う法師の肩に小鈴がしがみつく。

「私も…どこまでもお供します!」

「ヴヒンッ」と白竜も答える。

「ありがとうございます…小鈴、白竜」

「けど」小鈴が埃のように小さくなった砂煙に

「だいぶ遠くまで行っちゃいましたね、あの三人」

 その先には切り立った天山山脈の裾野が広がっている。

「私たちも後を追いましょう」

 三人を見失わないよう、玄奘法師を背に乗せた白竜が走り出した。


 更にその姿を遠目に眺める三つの影があった。

「ありがとうございます。老子さま」

 若い声が言った。

「どうだ…話してみた感想は」

 懐手をした太上老君が訊ねる。

「そうですね…」若い影は小さくなってゆく玄奘法師の後ろ姿を見つめ

「見た目通り心根の優しい奴です」

 ほっほっと小柄な老人らしい影が笑う。太上老君も口を歪め

「その心根が、旅の最後まで失われなければいいがな」

「ええ…」

 はやくも西陽に染まり始めた天山山脈の赤い山肌を若者は仰ぐ。

「大丈夫ですよ…あいつなら」

 玄奘法師の姿は、天山山脈に飲まれるように消えていった。





 

 

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