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異説西遊記  作者: 圓堂
36/52

第三十五話



  見渡す限りほとんど砂漠のような荒野に、忽然と緑の畑が広がっている。

 厳しい陽射しによって蒸発しないよう、地下を通って引かれた天山山脈の雪解け水が、遠く離れたこの町全体を潤している。

 畑だけでなく、家の庭先にも設けられた葡萄棚の下で、すぐそばを流れる清水の音を聞きながら、男は恍惚とした表情を浮かべていた。

「ああ…灼熱の地にいることを忘れそうです」

 こちらの話まで忘れてほしくない馬姚子は続ける。

「それで…もし唐から来た玄奘法師という人を差し出さなければ、地下水路を塞ぐとその妖魔は言ってきたんです」

 相手は聞いているのかいないのか、出され葡萄酒を傾けながら頭上に宝石のように実る果実をうっとりと眺めている。そのお供らしい三人も、同じく出された葡萄を無心に頬張っている。

 馬姚子はため息をついた。

「命である地下水路を塞がれては葡萄は全滅です…当然私たちも暮らしていけません」

 父の後を継いで町長になったとたん、とんだ災難だ。ただでさえまだ若い女の町長というだけで町の人々の目は厳しいというのに。

(それに…)

 馬姚子は客人を窺う。突然の妖魔からの要求に困っていたところ、ちょうどよく唐から来たという四人組がやってきた。

 こちらとしては玄奘法師を寄こせと言われてもそんな人物は知りもしないので、この同様に唐から来た旅人に相談がてら話してみたのだが…

(あんまり意味がなかったみたい)

 客人の反応の薄さに失望しかけた馬姚子を男が振り返った。

「それはいけませんね」

「え」馬姚子が顔を上げる。

「実は」男の静かな目と馬姚子の大きな瞳がぶつかる。

「私がその、玄奘法師です」



 ぐはあっと恩享が食べていた葡萄を詰まらせ激しくむせた。

「は…伯欽さまあ!?何をっ…」

 ゼエゼエと荒い息をしながら恩享は伯欽にしがみつく。

「私が、玄奘法師です!」

「二回言った」

「でも…」馬姚子がとまどい

「あなた方は…お坊さまなんですか?」

「ほらっどう見たって無理がありますよ」

「僧侶です!趣味は読経です!」

「お坊さんのイメージ浅いな?」

「唐の長安では『森羅万象をたらしこむ顔面強強僧侶』として有名でした!」

「えらい風評被害」

「でも…お髭が…」

「唐で流行りの僧スタイルです!」

「僧…なんですか」

「シャレ!?納得しちゃいました!?」

「町長さん」伯欽が周囲に青々と広がる葡萄畑に目をやる。

「ここ荼流藩の葡萄は長安でも有名です。その名産品を…ひいては観光地を汚すなどということは私は絶対に許せません!」

「玄奘法師さま…」

 馬姚子が感動の面持ちで伯欽を見る。

「ちなみにここの干し葡萄は西域に行ったら絶対買いたいお土産ベスト3に入っているんです!万が一それが失われたら…旅の楽しみが…!」

「だんだん本音が出てきましたね」

「観光地を…ひいては現地の人々を困らせるなど言語道断!」

 刀をつかみ、伯欽が立ち上がる

「この玄奘法師が、その不埒な妖魔を成敗してさしあげましょう!」



「どっちが不埒なんですか。あんな大嘘ついて」

 伯欽、恩享、恪洵、恭大の追捕使一行は町を出てその妖魔が棲むという洞穴へと向かう。

 先頭をゆく伯欽がキョロキョロする。

「…何ですか」

「たしかこの辺りに石窟と千仏洞が…」

「やっぱりそっちが目的じゃないですか!」

「観光のついでに人助けをだな」

「人助けがついでになってるうえにどっちも本来の目的じゃないでしょうが。どうやら玄奘法師一行を追い越しちゃったみたいですよ私たち」

 厳しく照りつける太陽のもと、赤っぽい岩山と砂地がどこまでも続いている。

「ならばなおのこと」伯欽が微笑む。

「ここで時間調整をしなければなあ」

「嬉しそうに言ってんのが腹立つわあ」

 ギャアギャア言い合う二人の後を恪洵と恭大が無言でついてゆく。

「あの二人…この暑いのに何であんなに元気なんだろ」 

 早くもフラフラになりかけている恭大に、恪洵も黙って頷く。

 恩享が陽射しに顔をしかめ

「だいたい観光気分の伯欽さまに追い抜かれるなんて、玄奘法師はどこで何やってんですかね」



「すすすみません」

 白竜の背で辺りを見回しながら玄奘法師が謝る。

「たぶんこの辺りだと思ったんですが」

 周囲には同じような岩山と砂地がどこまでも続いている。

「ほんとにこんなとこに石窟だの千仏洞だのがあんのかよ」

 暑さにうんざりしながら悟空が言う。すがるような目を向けてくる法師に小鈴も

「すみません玄奘さま…私もマイナーな名所はちょっと…」

「…たしかにこの辺りに…」

「完っ全に迷ったっすねこれ」

「おいらお腹すいた…」

 この周辺に僧の間で有名な石窟と千仏洞があるはずだと玄奘法師がはりきって道を逸れた結果、一行は人家もなければ木も生えていない荒野をさまよっていた。

「だーからやめた方がいいっつったんだよ俺は!こうなるのは分かりきってただろうが!」

「貴重な玄奘さまの我がままなのよ!?聞いてあげたくなるのが人情でしょ!」

「その我がままで前回も牛野郎に捕まっただろうが!」

「すすみません私のせいで」

「お師匠さまは悪くないよ!だから何も言わなくていいよ!」

「あははー旅行先で迷子になって気まずくなった家族連れみたいー」

「兄ちゃんおいらお腹すいた」

「だれが兄ちゃんだ」

「ここは兄貴のGPSの出番だぜ!」

「GPS?」

グローバル()ポジショニング()サル()

「岩山のてっぺんに張りつけて干物にしてやろうか!?」

「すすすみません私のせいで」

「玄奘さまは悪くありませんよ。分かりにくい所に石窟だの千仏洞だの造った連中が悪いんです」

「だから黙ってってねお師匠さま。ひと言も言わなくていいからね」

「ヴヒヒッ」

 こちらはこちらでギャアギャア言いながら荒野をさまよっていた。


 

「さてさて」

 追捕使一行が妖魔の棲まう岩山のなかにたどり着いたころには、陽はとっくに沈み辺りには冷気が漂っていた。

「わ、私たちに魔物退治なんてできるんでしょうか」

 恪洵と抱き合いながら恭大が怯えて周囲を見回す。

「今更だぞ恭大」

「そうだぞ恭大。伯欽さまができるかできないかなんてまともな判断基準持ちあわせてるわけないだろ」

「むっ」月明かりに照らされた岩壁に獣の気配が生まれた。その影は切り立った壁を器用に飛び移りながら下りてくる。

「出た…!」

 恭大と恪洵が互いにしがみつく。恩享が持っていた弓矢を構える。伯欽は影の動きに目を凝らす。

 と、岩壁の中ほどで影が動きを止めた。

「玄奘法師を連れてきたか」

 まだ若い声が岩山に反響する。一歩進み出た伯欽が言った。

「私が玄奘法師だ!」

 一瞬の間のあと、「ふざけるな!」と怒鳴り返された。

「俺を田舎者だと思って馬鹿にしてんだろ!お前のどこが坊さんなんだ!」

「唐で流行りの僧スタイルだ!」

「あくまで言い張るんですね」

 またしばしの間のあと、影がひとっ飛びに四人の目の前に下り立った。とっさに弓矢を向ける恩享を伯欽が制する。

「私が玄奘法師だ。君は…」

 立ち上がった青年の白髪と黄色の目が月明かりに光る。

「苓…」言いながら苓は恩享、恭大、恪洵を見て

「あんた絶対違うよな。玄奘法師は妖怪の弟子を連れてるって…こいつらどう見ても人間だろ」

「失敬な!私の弟子はどこからどう見て妖怪だろう!」

「弟子でも妖怪でもありませんけど」

「ふざけやがって!」

 苓がまた怒鳴りながら跳び退ると、差していた鉄鐗を引き抜いた。

「ほう」伯欽も腰の刀を抜き

「西域で鐗を使う者に出会えるとは尚更得難い経験だ」

「何ですか勿体つけて」

 弓を構え直し恩享が訊く。「これだ」と伯欽が片手で懐から愛読書の『西域図記』を出す。

「これに書いてある。西域とはその広大さとそこを流れる時間の悠久さゆえに棲まう動物たちでさえ人に形を変えると」

「オタク語り始まっちゃった」

「動物たちは月の光を浴び、夜露を飲むことによって長い年月をかけ人へと近づくいう…まさに西域という神秘と歴史と謎に満ちた大地だからこそ起こせる命の奇跡!数々の美しい名所旧跡に劣らない西域の至宝!」

「え…何だ…怖い」

「妖魔に怯えられてますよ」

「つまり即ちさしあたって」伯欽が苓に向き直る。

「君はもとは羚羊といったところだろう」

 苓は黙って伯欽を見つめる。

「羚羊って…あの鹿のような山羊のようなあれですか!?」

「鹿でも山羊でもねえよ」

 苓は鉄鐗を肩にかけ、恩享も半弓を下ろす。

「四天王の牾王が玄奘法師を食らおうとして返り討ちにあったって噂で聞いてな。何でもその法師を食らえば不老不死になるって話じゃん」

「ほほう」伯欽が髭を撫でる。

「伯欽さま…玄奘法師さらに危険なことになってるみたいですよ」

「それで」伯欽は苓を見据え 

「君も玄奘法師を…もとい私を食らおうというのかね」

 苓は鐗で肩を叩きながら首を傾げる。

「うーんよく分かんね。そうすれば俺も四天王になれるかも、とか思ったけど。何より、不老不死になれば食い物の心配しなくていいだろ?」

「でも、もと羚羊なら草食なんじゃ」

 恩享の言葉に苓がきょとんとする。

「坊さんは肉食わないんだろ?その坊さんを食っても肉食ったことにはなんないだろ」

 しばし言葉を失ったあと、追捕使一行はスクラムを組んだ。

「どうすんですかこれ。大人しく玄奘法師として食べられるんですか」

「ここまで来て人違いで食べられてたまるか。第一食べられましたじゃ労災が下りるかどうかも怪しい」

「不老不死うんぬんも、どう考えても信憑性ないですよね」

 恪洵が激しく頷く。

「おーい、一晩中話し合ってる気か」

 四人が体を起こし、苓を見返る。

「食われる気になったか?玄奘法師」

 苓が再び鉄鐗を構える。伯欽も刀を構え

「すまないが玄奘法師を…もとい私を食べさせるわけにはいかない。どうか諦めてくれないか」

「へえ」苓がニヤリと笑う。

「それはつまり、勝負の結果次第ってことか?」

 言うなり跳びあがると、岩壁を蹴りつけた勢いで上空から大上段に打ち下ろしてきた。

「伯欽さま!」

 かろうじて刀で受け払いつつ、伯欽が後退る。

「お前たちは下がってろ」

 また張りつくように岩壁に立つ苓を見上げ伯欽が言う。

「…大丈夫ですか?」

「これでも鐗の最強の使い手である秦叔宝将軍の訓練を」

「受けたことがあるんですか!?」

「見学したことがある」

 再び上空から打ち込んできたのをかわした伯欽が刀をなぎ払ったが、苓に立ち上がりざまに払い返される。

「無理だったら無理って言ってくださいよ。逃げる用意しますから」

 間合いをとる伯欽に岩陰から恩享が言う。

「この際あんたが玄奘法師かどうかなんてどうでもいいや」

 左右の岩壁を跳び移りながら苓が笑う。

「どっかの肉食の連中にあんたらを差し出して、かわりに何か食い物をもらうことにするわ!」

 今度は隠れている恩享たち目がけ跳びかかってきたのを、正面から受け止めた伯欽がこらえきれずに岩に叩きつけられた。

「伯欽さま!」

「まずは一人目」

 伯欽の頭上に鉄鐗が振り下ろされたその瞬間、苓の手首を一本の矢が貫いた。

「…何?」

 見ると間近から弓を射った恩享が立っている。

「…秦将軍の訓練を見て分かったことがある」

 体を起こしながら伯欽が言う。

「刃についていない鐗は…剣や刀以上に手首の柔らかさが重要だとな」

 苓は矢の刺さった自分の手首を物でも見るように眺めている。

「恪洵、恭大、手当てを」

「おいおい」苓が片手に持った鐗を示し

「手はもう一本あるんだぜ」

「…まだやる気かね」

 伯欽に見つめられ苓は肩を竦める。

「これ以上やっても無駄に腹が減るだけみたいだし」

 そう言って鐗をおさめる苓に恪洵と恭大が駆け寄る。恩享がため息をつき

「で、どうするんですか。町長さんに大見栄切ったこと忘れてませんよね」

「それなんだが」自分も刀をおさめ伯欽が髭を撫でる。

「ひとつ、考えがある」



「水路の…監視…ですか?」

 馬姚子はとまどいながら目の前の青年を見つめる。

「ええ。いまは怪我をしていますが、腕は確かです」

 そうは言われても、水路を塞ぐと脅してきた張本人を監視人にしろと言うのか。

「おい、何だよ監視人って。そんなつまんねえことやらないぞ」

 文句を言う苓に伯欽が

「この町で働けばもう水の心配も食べ物の心配もしなくてすむぞ」

「むっ」

「不老不死なんかを目指すより、よほど快適な暮らしができる。嬉しくないのか?」

 苓がばっと馬姚子を見返った。

「三食昼寝付きか!?」

「え…まあ、ちゃんと働いてくれれば」

「交渉成立だ!」苓がつかんだ馬姚子の手をブンブン振る。

「よかった…単純でよかった…」

 ほっと胸を撫で下ろす恩享たちの横で、伯欽が胸を張る。

「これにて一件落着!」



「もうこんなことこりごりですよ」

 再び西へ向かう追捕使一行は朝陽のなかを進んでゆく。

「でも、はからずしも人助けができてよかったですね」

 お土産にもらった干し葡萄を恪洵とつまみながら恭大が言う。

「そうだろう。本分のついでに人助けまでする有能な追捕使など唐広しと言えども私たちぐらいだぞ」

「どちらかというと本分のほうが大分おろそかになってますけどね」

 はっと伯欽が立ち止まる。

「そうだ…本来の目的」

「…まさか」

「石窟と千仏洞を見てない!」

「それは本分じゃありません」

「私としたことが…人助けにかまけて本来の目的を…!恩享、恪洵、恭大、引き返すぞ!」

「引き返しません」

 恩享が暴れる伯欽の襟首をつかみ引きずってゆく。その後を恪洵と恭大が微笑みながらついてゆく。

「放せ恩享!あの石窟と千仏洞は西域に行ったら絶対に見たい絶景スポット・ベスト5に入ってるんだ!」

「はいはいどうせマニア同士の口コミでしょ。いつか見られるといいですね。そのときはプライベートでお願いします」

「放せ!石窟が…千仏洞がー!!」

 伯欽の叫びが荒野のなかを響いてゆく。

 

 その後、荼流藩の名物が葡萄の他に新たに水路を守る妖怪が加わるのは、この数年後のことだった。






 

 





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