表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異説西遊記  作者: 圓堂
32/52

第三十二話



  「遅い!遅いぞ飢坊の奴!」

 金閣と銀閣が足音を響かせながら洞穴の牢獄へとやってくる。

「おいお前」二人がハモりながら玄奘法師に言う。

「お前は孫悟空をおびき寄せる餌だ。一緒に来てもらうぞ」

「玄奘さま!」

 牢から引きずり出そうとされる法師の肩に小鈴がしがみつく。

「乱暴をするな!」

 新たな声に誰もが振り返った。そこには凛々しい青年が立っている。

「…誰だお前」

「兄さん…!?」

「えっ」今度は全員が王子を振り返った。

「いかにも」青年が不敵に笑う。

「私こそが弟よりもはるかに優秀な功密国第一王子だ!」

「ほ本当にお兄さまなんですか!?」

 玄奘法師に訊ねられ、王子はとまどいながらも

「何年も会ってないし何か雰囲気変わってますが、たしかに兄です」

「玄奘さま…」

 小鈴と法師は小さく頷き合う。兄王子は金閣銀閣に向かい

「見ての通り私のほうがその弟よりもヘタレ坊主よりもイケてて賢い。捕らえるなら私にしろ!」

 金閣銀閣が揃ってため息をついた。

「勘違いするな。我らは別にイケメンを集めていたわけじゃない」

「イケメンで超絶賢い八角兄さまを捜しているだけだ。明らかに別人なお前らなんぞお呼びじゃない」

 兄王子が拍子抜けして

「へ?じゃあいままでさらわれた連中は…」

「知るか。とっくに解放したわ」

「あいつらいい機会だからアイドルグループ作ろうとか話してたぞ金閣」

「マジか銀閣」

 洞穴のなかに沈黙が流れる。

「じゃあ」と兄王子が気を取り直し

「人違いってことでこいつら返してもらえるんだな。ほれ、帰るぞ弟、ヘタレ坊主」

「兄さんはそれでいいんですか!」

 牢獄のなかから王子が怒鳴る。

「父上も母上も兄さんを無視して優秀な私ばかり可愛がって…兄さんはそれで平気なんですか!?」

 金閣と銀閣が腕組みする。

「たしかに家出したくなる気持ち、分からなくもない。保護者がアレだとな」

「まさに青春の光と影だな。いろいろ盗んで走り出したくなるアレだな」

「それただの窃盗だから」

 露骨に面倒臭げな顔をしていた兄王子から出て来た言葉はやはり「面倒くせえ」だった。

「お前の親父とお袋が猫可愛がりしようが犬可愛がりしようがどうでもいいんだよ」

「おっお兄さん!穏やかに…」

「てめえがここでウジウジ拗ねてたからって何が解決するんだよこの軟弱甘ったれのナルシスト野郎が」

「まったく同意見だけど!もう少しお上品に…」

「私は、兄さんのために…」

 けっと兄王子は弟を見据え

「兄のためだあ?俺には親に心配かけて喜んでるただのガキにしか見えねえけどな」

 王子が格子にしがみつく。

「兄さんに何が分かる!私の苦しみが…!」

「分かってほしけりゃはっきり言やあいいだろ!」

 王子がはっとする。

「お互いに言いたいことも言わねえからこんな面倒くせえことになってんだろうが」

 兄王子が「ごちゃごちゃ言ってねえで帰るぞ」と格子扉に手をかけるのと、金閣銀閣がその両肩をつかむのが同時だった。

「俺たち存在を忘れないでもらいたいよな銀閣」

「全くだな金閣。自分ちで好き勝手に騒がれた気分だ」

「悟空…!」法師と小鈴が同時に叫ぶ。

「悟空…やはりお前が孫悟空か」

「どうりで…その金環に見覚えがあったぞ」

「なあ孫悟空」二人は兄王子の肩を押さえつけたまま

「お前はたしか太上老君に恨みがあるはずだ。五百年間閉じ込められていた恨みがな」

「そして俺たちもあのジジイには恨みがある。あいつのせいで八角兄さまはいなくなってしまった」

「…それで?」兄王子が訊ねる。

「俺たちと組んで奴に復讐しないか?」

 金閣が耳元でささやく。銀閣も顔を寄せ

「そうだ…こうやって手当たり次第に兄さまを捜すより奴を直接締め上げたほうが早い…お前も恨みが晴らせて一石二鳥だろう?」

「あんま耳元でささやかないでやってくれるかな。兄貴耳が弱いから」

「悟浄、それでにんにくみたいに潰されてたもんね」

「悟浄!八戒!」

 いつのまにか悟浄と八戒が金閣銀閣の背後で月牙鎩と玖棘棍を突きつけている。

「金閣さま!銀閣さま!」飢坊が白竜の背から飛び降りる。

「…遅かったな飢坊」

「余計なものまで連れて来たな飢坊」

「すっすみません」

「いい加減その手を」悟空が耳に指を突っ込む。

「放しやがれ!」

 如意棒になぎ払われ金閣と銀閣が退く。二人は弟子三人を眺め

「どうやら交渉決裂だな銀閣」

「ああ。さして当てにもしてなかったがな金閣」

「じゃあ俺たちにもう用はないよな」

「ああ…用はない」

「どこへなりと失せるがいい」

 金閣と銀閣がニヤリと笑う。

「何て言うと思ったか!!」

 二人は袂から幾つもの瓢箪を取り出したかと思うと素早くその栓を抜いた。

「悟空!悟浄!八戒!」

 弟子三人は声を上げる間もなくその瓢箪のなかへと吸い込まれていった。

「なな何をしたんですか!」

 格子に取りつく玄奘法師に金閣と銀閣が瓢箪を振って見せる。

「これは天才、八角兄さまが作った特別な瓢箪でな。吸い込んだものを何でも液体に変えることができる」

「そんな…!」

「ちなみにこれは黄酒に変える瓢箪だ」

 銀閣が悟浄を吸い込んだ瓢箪を掲げる。

「これは甜麺醤とラー油」

 金閣が八戒と悟空を吸い込んだ瓢箪を示す。

「…何てひどいことを」

「全部調味料なのが気になるところですね」

「玄奘法師」二人が法師を見据える。

「何でも太上老君はお前を何かと手助けしているらしいな」

「つまり、お前の邪魔をすることは太上老君を邪魔することだ」

「一生そこで大人しくしていろ」二人は笑いながら去ってゆく。法師はその後ろ姿を見つめ

「悟空たちまで捕らえられてしまったうえに…調味料に」

「よっぽど太上老君さまに恨みがあるんですね。こちらはいいとばっちりですが」

「あのっ」それまでずっと黙っていた王子が二人に言った。

「小さいあなたなら…ここから抜け出せますよね」

 小鈴と法師が顔を見合わせる。白竜がポクポクと牢獄の側までやってくる。さっきまでとは打って変わった力のこもった表情で王子が言う。

「私も…一刻も早くここを出て確かめたいんです」



 牢獄の洞穴とつながるもう一方の洞穴では、金閣と銀閣が酒ではなく甜茶を酌み交わしていた。

 岩肌にぶら下げた瓢箪を眺め、二人はしみじみと

「あれで作った花生油で兄さまはよく大麻花をあげてくれたなあ」

「あれで作った紹興酒漬け豚肉の豆苗炒め…おいしかったなあ」

 それを聞いた弟子三人が瓢箪のなかで言った。

「大麻花?何だそりゃ」

「兄貴知らないのか?けど豆苗炒めもうまそうだな。今度作ってくれよ八戒」

「大麻花を揚げるのに花生油を使うなんて…できるねその人」

「あんたたち呑気なこと言ってんじゃないわよっ。いまに醤で味付けした豚肉を蒸してラー油をかけたのを肴に黄酒で一杯やられるかもしれないのよっ」

「何それうまそう」

「おいらブタじゃないもん」

「小鈴か…何か策はありそうか」

 小鈴はぶら下げられた瓢箪の影から金閣銀閣を窺い

「あのへっぽこ王子に言われてとりあえず牢の鍵を奪いに来たんだけど…あの二人お茶ばかり飲んでてなかなか寝そうにないのよね」

「じゃあこの黄酒も飲むんじゃなくて料理用か」

 瓢箪のなかで半分酒に浸かりながら悟浄が言う。

「言っとくけど、玄奘さまは私にこんな危険なことさせるの反対したのよっ。私だってあんなナルシスト王子の言うことなんて聞きたくなかったけど玄奘さまを助けるためだと思って嫌々…」

「調味料にされそうな俺たちはどうでもいいのかよ」ラー油のなかで頬杖をつきながら悟空が言う。

「え…ひょっとしてもう大分溶けちゃってる?やだっ玄奘さまがゾンビ連れて旅するなんていやあっ」

「お前は藤椒油の瓢箪にでも吸い込まれろ」

「たぶん、栓を取って逆さに三回振れば出られるんじゃないかな」

 三人は耳をそばだてた。

「おい…ほんとか八戒」

「おいら、この甜麺醤食べてたらそんな気がした」

「食べてたの!?」

「八戒…それじゃ飛んでタレに入る北京ダックだぞ」

「おいらアヒルじゃないもん」

「しっ」悟空が仲間たちを制した。

「何か聞こえないか銀閣」

「俺もそう思ったぞ金閣」

 ゆらりと立ち上がった金閣と銀閣が吊るされている瓢箪のほうへとやってきた。

「まだ溶け切らないのかな」

 二人は弟子たちの入った瓢箪を振り回す。

「…やはり下界のものは溶けにくいのかな」

「そんなことより金閣、兄さまの捜索方法を改めて考え直すべきだと思うぞ」

「何だと…」金閣の声色が変わる。

「俺のやり方が間違っているというのか銀閣」

「そうじゃないが、こんなやり方だと兄さまを見つけられるのはいつになるか」

「最初に飢坊にさらわせればいいと言ったのはお前だろ銀閣!」

「それはそうだが手当たり次第にさらえばいいとは言ってない!こんなやり方は頭悪いぞ!」

「あ、頭悪い!?お前兄を侮辱する気か!」

「双子に兄も弟もないだろ!そういうところが馬鹿っぽいのだ!」

「貴様あっ!」

「金閣さま!銀閣さま!どうか落ち着いて…」

「おっ何だ?兄弟喧嘩か?」瓢箪のなかの弟子たちが騒めき出す。

「小鈴…いるんだろ。いまのうちに出してくれ」

「わ、分かったわ」岩陰に隠れていた小鈴が近づこうとした瞬間、火の輪が飛んできて壁に突き刺さった衝撃でぶら下がっていたいくつもの瓢箪が下に落ちた。

「うわって何だ!?何が起こった!?」

「…分かんなくなった」

「は!?」

「どれが三人の入った瓢箪か分からなくなっちゃった!」

「何!?」

「だいたい弟のくせに生意気だぞ銀閣!」

「何だと!?何もかも一緒のくせに兄貴面するな金閣!」

「お、お二人ともやめてくださいいっ!」

 金閣と銀閣は置いてあった巨大な釜から次々に道具を取り出しては投げ合っている。

「ぎゃあ何か変な球が飛んできたあっ!ええとこれは大豆油…これはただの香油…」

そんななかを小鈴は必死に瓢箪の栓を抜いてゆく。

「頑張って小鈴ちゃん!俺はここよ!」

「うるさい!これはオイスターソース?これは鶏油に葱油?」

「香味油だけでもこの品揃え…やっぱりその人…できるね」

「こっちはいい迷惑よ!ぎゃああ今度は剣が飛んできたあっ!」

 はっと飢坊が振り返り

「金閣さま!銀閣さま!瓢箪が…」

 金閣と銀閣が手を止める。

「陳皮?桂皮?香辛料まであるの!?液体じゃないじゃない!」

「急げ小鈴!」

「八角兄さまの大事な瓢箪を…」金閣と銀閣が近づいてくる。

「あった!ラー油と黄酒と甜麺醤!」

 小鈴が三つの瓢箪を勢いよく逆さに降る。

「飢坊!!」

「はっはいいっ!」

 飢坊の手が小鈴を捕まえようとしたとき、悟空の手がそれを払いのけた。

「あ…すまん。手が滑った」

 ラー油まみれの悟空が言う。

「な…殴ったね!?親父にも…」

「てか手だけじゃなくて全身滑りまくりなんだが」

「俺は全身酒臭い…酒癖の悪い親戚思い出して辛い…」

「おいらは何だかお肌がしっとり」

「皆いい感じに漬かったみたいね」

「何故だ」金閣と銀閣が目を見張る。

「何故全く溶けていない!兄さまの瓢箪で溶けないはずが…」

「待て銀閣…ひょっとしてあの道具…」

 二人は三人のつけている緊箍児、緊鎖餔、緊拑蕩を見据え

「そうか…その太上老君の道具が…」

「そうでなければ兄さまの道具が通用しないわけがない」

 八戒が耳を立てた。

「悟空…銀色の人の右の腰」

 すかさず悟空がスライディングすると銀閣の腰に下がっていた鍵を引きちぎり「小鈴!」と投げた。

 受け取った小鈴はすぐさま玄奘法師のもとへ飛んでゆく。

「おのれ小癪な!」

「これでもくらえ!」

 金閣が釜のなかから綱を取り出し悟空に投げつけた。

「それは…!」

 綱は鈍く光りながら悟空に巻き付く。が、ラー油まみれのためうまく巻き付けない。悟空がウネウネと動くそれをつかみ上げしげしげと眺めた。

「これはたしか…縛妖索」

「悟空、それ生き物?」

「昔、天界でこれに縛られたことがある」

「天界で緊縛プレイでもしてたの?」

「あ、手が滑った」

「いやああっきっつううっ!」

「おい遊ぶな!」

「こいつら…どこまでもふざけおって」

「煮豚の縛り方ならおいらうまいよ」

「それは共食いだろ!!」金閣と銀閣の声がハモる。

「おいらブタじゃないもん」八戒が玖棘棍を構える。金閣と銀閣が釜から取り出した斬妖剣と砍妖刀を向ける。

「へえ、それも天界で見たやつだな」悟空が耳に指を突っ込む。

「…わりい八戒」

「どうしたの?」

「滑って如意棒が取れない」

「それよりこれはずしてえっ!」

「全員まとめて釜で煮てやるわ!!」

 八戒が金閣銀閣の正面に立つ。

「純真そうなブタとて容赦せんぞ!!」

 二人の剣と刀を玖棘棍で受けた八戒は、ひねりざまにそれを跳ね返す。勢いで金閣と銀閣が岩壁に打ちつけられた。

「金閣さま!銀閣さま!」

 飢坊が釜から道具を投げつけながら加勢する。

「綉毬に火輪…やっぱり天界の連中の道具だぜ」

 しつこく追ってくる光る球と火の輪を滑るようによけながら悟空が言う。縛られたまま同じようによけながら「つ、つまり?」と悟浄が訊ねる。

「つまり、全部太上老君のジジイがつくった道具ってことだよ」

「おのれおのれ!!ブタとて許さん!!」

「おいらブタじゃないもん!」

 同時に打ち込まれる剣と刀を八戒が今度は玖棘棍を回転させ跳ね返す。

「これは一体…」

 そこへようやく牢から出られた玄奘法師が小鈴、白竜、王子とともに現れた。

「お師匠さま!こっち来んな」

「えっ?」

「高度なダンステクが求められるんで!素人は引っ込んでてください」

「ええっ!?」

「よく分かりませんが外に出てましょう玄奘さま」

 小鈴に促され法師たちが洞穴の外へ向かおうとしたとき、飢坊が釜から大きな袋をふらふらと持ち上げた。

「これでも…」

「よせ飢坊!!」金閣と銀閣が叫ぶ。

「それは兄さまを見つけたとき大麻花を作ってもらうための小麦粉…!!」

「くらええっ!」

 重さで投げ切れなかった袋が空中で破れ、白い粉が辺りに広がる。八戒が叫んだ。

「皆伏せて!」

 火輪の火が粉に燃え移った瞬間、爆風となって洞穴を駆け巡った。全員がその熱と衝撃に体を屈める。

 幸い、爆発から離れた岩陰にいた玄奘法師たちははっと顔を上げ

「大丈夫ですか…悟空!悟浄!」

 漂う煙の向こうへと呼びかけると、二人の声が返ってきた。

「お陰で縛妖索も吹っ飛んでよかったじゃねえか」

「言っとくけどな、俺がとっさに水出してなきゃ皆丸焦げだったんだからな」

 月牙鎩で出した水を浴びている悟空と悟浄を見てほっとした法師は「八戒?」と首をめぐらす。

 奥のほうでうずくまっている八戒の背中が見えた。

「八戒!」

 駆け寄る仲間たちに「大丈夫…」と八戒の背中が答える。

「よかった…」

「てかあの髭面二人はどこ行った」

「え…まさか跡形もなく…」

「大丈夫…ここにいるよ」

 仲間たちが覗き込むと、八戒にしがみつくようにして七つか八つくらいの双子の子供が気を失っている。

「どうやら…薬が切れたようです」

「うわっいたのか爆破犯」

 ボロボロになった飢坊がヨロヨロと

「誘拐犯に爆破犯…救われる気がしない…」

「薬が切れたってどういうこと?」構わず小鈴が訊く。飢坊は双子に目を向け

「このお二人はそもそも太上老君さまのお弟子さまなんです。けど二十年前に慕っていた兄弟子の八角さまが老子さまに放逐されてしまって…思い余ってこうして下界に捜しに来られたんです」

「でも…何故あのような姿で?」

 法師に飢坊が懐から袋に入れた丸薬を見せる。

「これは大十全柴胡丸と言って、一定時間ですが見た目は大人、頭脳は子供のままになる薬です」

「それ…くれ」

「兄貴…目がマジだ」

「つまり、子どもの姿だと舐められるからあんな髭面中年の姿をしてたってこと?」

「それだけ…」飢坊は双子を見つめたまま

「八角さまを見つけたい一心だったんです」

 八戒は黙って腕のなかの双子を見つめていた。



 洞穴を出る頃にはとっくに朝陽が昇っていた。

「あー朝風呂最高ー」

 無傷で残っていた釜に、これも一つだけ残っていた火輪で湯を沸かし、悟空と悟浄が浸かっている。

「あー沁みる―いろいろ沁みるー」

「やっぱ浸かるならラー油より風呂だよな」

 ふと悟空が離れたところで焚き火を囲んでいる八戒たちを見る。

「ラー油と言えば」

「ラー油と言えば?」

「あの瓢箪のなかのラー油の味…前に飲まされた八戒のラー油と似てる気がした」

「…ふーん」

 二人はそろって八戒を眺める。


「八角兄さまは俺たちの命の恩人だ」

 子供の姿に戻った金閣と銀閣がぽつりぽつりと話す。

「村で飢饉があって…生まれてすぐ捨てられた俺たちを兄さまが見つけて、天界に連れ帰ってくれた」

「じゃあ、あんたたちももとは人間だったのね」

 一緒に並んで座っている白竜の頭で小鈴が言う。膝を抱えた金閣がうつむきながら

「それは八角兄さまも同じだ。兄さまももとは人間で…飢饉で捨てられていたのを太上老君のジジイに拾われたんだ」

「だから」同じように膝を抱えた銀閣が

「兄さまは俺たちを見捨てられなかったんだ。でも、いつも下界のことばかり気にしてる兄さまを太上老君のジジイは気に入らなくて…兄さまを下界に落としやがった」

 表情を険しくする二人に玄奘法師が

「きっと、老子さまにも何かお考えがあってのことですよ…決してその八角さんやあなた方を悲しませたり苦しめたりするためでは…」

「現に俺たちは悲しんでいる」二人が法師を睨む。

「理由があるなら何故俺たちに何も言わない」

「そうだ。兄さまは何故何も言わないでいなくなってしまったんだ」

「私の兄もそうでした…」それまでずっと黙っていた王子が呟いた。

「ある日突然…部屋に籠もるようになって…それまでは普通の兄弟らしくしていたのに…」

「あの…もしかして…」王子が八戒を見る。

「私に兄は…亡くなったんじゃないですか」

 玄奘法師たちが驚いて八戒を見る。金閣銀閣も八戒を見つめる。

「…王さまたちから聞いたよ」

 八戒は焚き火にかけた鍋を見つめたまま

「お兄さんは流行り病にかかって…でも、もし亡くなっても王子さまには絶対に言うなって。王子さまは気弱だから…もし自分が亡くなったって分かったら、きっと次期国王の重圧に耐えられないだろうって。だから…」

 八戒が王子を見る。

「王子さまがもっと強くなるまで…自分の死は伏せておいてほしいって」

「そんな…」王子が目を逸らす。

「そんなの…甘やかしすぎですよ…」

 うつむいた王子の肩が震える。

「私は…もっと…兄さんと…」

 それを見ていた金閣と銀閣も泣き出した。

「八角兄さまも…死んじゃってるかも…どうしよう銀閣」

「そんなこと言うなよ金閣…そしたら…二度と兄さまに…」

 大声を上げて泣く双子と声を殺して泣く王子に、玄奘法師と小鈴と白竜ももらい泣きをする。

 と、八戒が泣いている三人に揚げたての大麻花を差し出した。

「お腹が減ってるとますます悲しくなっちゃうよ」

 三人は湯気の立つそれを受け取る。

「…肉桂が入ってる」

「…兄さまのと同じ味がする」

「…兄もこれが好きでした」

 八戒が三人に微笑む。

「よかった」

「よかったですね…金閣さま銀閣さま」

 飛び出た目を潤ませていた飢坊がやおら立ち上がった。

「お二人とも…残念ですがどうやら時間切れのようです」

「はあ!?はんあよきぼお!」

「はひがひはんひれはって!?」

 飢坊は玄奘法師一行と王子に頭を下げ

「皆さん、この度は大変お世話になりました。私たちはこれで失礼させていただきます」

「ふはへんなこのあろー!」

「もっほふははんほははふんあー!」

 大麻花を頬張っている金閣銀閣を連れ、黒い旋風となった飢坊が朝陽の彼方へと消えてゆく。それを玄奘法師たちは呆気に取られながら見つめる。

「行っちゃった…」

「…老子さまにもご挨拶したかったんですが…」

「大丈夫だよ」

 まだせっせと大麻花を作りながら八戒が言う。

「大麻花…たくさん持たせてあげたから」


 十数里も行った所でようやく黒い旋風が岩山の上に下りた。

 金閣と銀閣がはっと顔を上げると、目の前に太上老君の長い影が立っている。

「馬鹿者どもが…。これで気が済んだか」

 金閣と銀閣は素早く太上老君の後ろにいた二人の陰に隠れ怒鳴った。

「気が済むわけないだろ!まだ兄さまを見つけられたないのに!」

「連れ戻そうったってそうはいかないぞジジイ!俺たちは兄さまを見つけるまで帰らないからな!」

「この…」

 青筋を立てた太上老君を背の高い若いほうがなだめる。

「老子さま、どうか怒らないでください」

 背の低い老人のほうも

「そうですよ。兄を思う二人の心、健気ではありませんか」

 二人に押し止められ、太上老君は何とか怒りを抑えると

「分かった…ならばお前たちのかわりに飢坊を罰することにする」

「えっ」飢坊が飛び上がる。

「何でだよジジイ!」

「飢坊は俺たちに付き合っただけだ!」

「ならば共犯者以外の何者でもない。己の行為が他者にどのような影響を及ぼすか…お前たちも知るいい機会だろう」

 ガタガタ震える飢坊を金閣と銀閣が横目で見る。

「…謝るよ…」

「…だから飢坊は…」

 太上老君は二人を見据える。

「大人しく帰るか?そしてもう二度とこんなことはしないと誓えるか?」

 二人は黙って頷く。

「金閣さま…銀閣さま…」

 袂から出した小さな墨車を大きく変えながら太上老君が何気ないふうに言った。

「八角は、そのうち帰ってくるだろう。何十年…何百年先になるか分からんがな」

 金閣と銀閣が目を丸くする。

「本当か!?本当かジジイ!?」

「嘘じゃないよな!?嘘だったら冥王に言って舌を抜かせるぞ!」

「ああうるさい、さっさと乗れ」

 若者と老人はそんな様子を微笑みながら見つめている。

 車蓋もなければ馬もいない墨車は朝陽を浴びて風のように飛んでゆく。まだ大麻花をかじりながら金閣と銀閣は地上を見下ろし

「あのブタさん…何だか八角兄さまに似てたな銀閣」

「俺もそう思ったぞ金閣。ブタだけどな」

 むっつりと前方を見つめている太上老君に大麻花が突き出された。

「食うかジジイ」

「うまいぞジジイ」

 渋々受け取った太上老君はひと口かじり、ふんと鼻を鳴らした。



「私も帰ります。お世話になりました」

 王子が玄奘法師一行に頭を下げる。

「あの、ご両親とは…」

 おずおずと訊ねる法師に王子は微笑み

「これからはもっとお互いに本心で話し合おうと思います。分かり合えるか合えないか…諦めるのはそれからでも遅くないですから。もう、後悔はしたくないですし」

「…そうですか」

「悟空さん」王子が悟空に向き直る。

「ありがとうございます。あのとき、久し振りに兄さんと話せた気がしました」

「…そりゃあ…」

「王子さまーうちの兄貴面と向かってありがとうなんて言われ慣れてないんで照れちゃうじゃないですかー」

「悟空…耳が赤いよ」

「う、うるせえっ!ほらお前ら、陽が高くなる前に進むんだろ!行くぞ!」

「ヴヒヒッ」

「何だよ白竜」白竜の手綱を取りさっさと先を歩き出す悟空に仲間たちが続く。

「…きっといい王さまになられますね。お兄さんのぶんも」

 いつまでも手を振っている王子を見やり言う玄奘法師に、小鈴は「ええ…きっと」と小さく答える。

 東の空に高くなった朝陽を背に、一行は再び西へと進み始めた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ