第三十一話
「何故お前は下界のことばかりに気を取られる」
師は弟子を鋭く叱る。
「お前がすべきことは煉丹術を体得することだ。他のことに気を取られていて成し得るとでも思っているのか」
「けど…」
「けどもデモもストもないわ!俗世のことなど忘れお前はひたすら修業に打ち込めばいいのだ!」
「けどお師匠さま」弟子がまっすぐに師を見た。
「私は…人間なんです」
「気に入らねえな」
ぺぺっと瓜の種を吹き出し悟空が言った。その隣で悟浄も頷く。
「俺も気に入らないぜ。結局女の子は皆お師匠さまのとこにいっちゃう」
「れもほほのひょーひおひひお」料理を口いっぱいに頬張った八戒が満足そうに頷く。
そんな弟分たちに悟空はぷぷぷっと種を吹きつけ
「そんなこと言ってるんじゃねえよ。おかしいと思わねえか?この歓待っぷり」
広間の中央では着飾った娘たちが舷や太鼓の響きに合わせ踊っている。その様子を鷹揚に眺める王の隣では玄奘法師がしきりにお茶のおかわりをすすめられている。
ことは数時間前、陽が熱だけを残し西の地平に隠れようとしている頃、一行はこの功密国にたどりついた。そして例によって泊めてもらえそうな寺を探しウロウロしていたところ突然現れた城の兵たちに捕まり、何故かこうして宴席の客となっている。
「見たとここの国は仏教国じゃねえ…なのに何でお師匠さまをこんだけもてなしてんだ」
悟空はふと、王妃の後ろに座る王子に目を止めた。涼しげな目をした王子はどこか憂いをおびた顔で宴を見つめている。
「ちょっとあんたたち!寛いでないで玄奘さまに寄ってくるあの女どもを追っ払ってよ!」
法師の側にいた小鈴が飛んできて怒鳴った。そこへ国王が四人に声をかける。
「お弟子の方々、我が国の瓜は西域随一と唐国でも有名だとか。どうか遠慮せず食されよ」
「だからって瓜ばっかバクバク食えるわけねえだろ」
「ほんと女の子の可愛さは西域随一だと思いますう」
「瓜もいいけどおいら葡萄も食べたい」
「言っときますけど私は玄奘さまの弟子じゃなくてもっと大切な存在なんですからね!この三人と一緒にしないで」
ほっほっほっと笑い国王は横の玄奘法師に目を向ける。
「面白いお供をお連れですな」
法師は「いえいえ」と恐縮する。
「とは言え長旅でお疲れであろう。今夜は我が城でゆっくりと休んでくだされ」
用意された寝台に腰かけ、玄奘法師は足元を照らす月光に見入っていた。
「この国の国王陛下は仏の教えに従う方ではない…けれど、とても寛容で慈愛に満ちた方です」
「そうですねっ私と玄奘さまを二人っきりにしてくださったんですもの」
「人のあるべき姿というのは宗旨を超えた…もっと普遍的なところにあるのかもしれません」
「思索にふける玄奘さまも素敵ですっ」
「父はそんな立派な人間ではありません」
二人が振り向くと、いつのまにか扉を背に一人の若者が立っていた。玄奘法師は立ち上がり
「これは王子殿下…この度は身に余るご厚意を頂きまして何とお礼を申し上げたら」
「よしてください」王子は怒りを含んだ表情で法師に歩み寄った。
「あなたはたしかに見たところ立派な方のようだ」
「見たところじゃなくて実際そうなのっ」
「だけど本当の事情を知ればいま礼を述べたことを後悔するでしょう」
「そんな…」言いかけた法師の鼻を異様な臭いがかすめる。次の瞬間窓から黒い旋風が飛び込んできた。
旋風は部屋中に埃を巻き立てながら、しばらく生き物のように法師と王子の間を行ったり来たりしていたが、やがてひと回り大きくなったかと思うと二人まとめて飲み込んだ。
二人は声もなく空へと連れ去られ、後には誰もいなくなった、荒らされた部屋だけが残った。
「あれまあ」めちゃくちゃになった部屋を眺め悟空、悟浄、八戒の三人は呟いた。
「おいおい俺たちが人生について思い悩んでるうちにまたしてもお師匠さまがさらわれちまったぞ。お前がしつこくやめないからだぞ悟浄」
「だって俺もうすぐ大富豪になるところだったんだぜ!?子供も三人いたんだぜ!?放り出せるかよ!
それよりお前の鼻はどうなってたんだよ八戒」
「おいら夜食の担々麺食べてたんだもん。担々麺食べてるときは鼻が利かなくなるんだもん」
「これはいったい…」騒ぎに気づいた国王たちがようやく集まってきた。一同が無言で惨状を眺めていると、足音も荒く王妃が取り乱した様子で駆けてきた。
「王子が…王子の姿が見えません陛下!」
王が鋭い目を向ける。
「王子はどこにいたんだ」
王妃が立ち竦む。
「何故法師殿が王子の部屋にいらしたのだ。王子はどこにいたのだ」
「察するに」悟空は腕を組み
「どうやらお師匠さまは身代わりにされるためにこの城に招かれたみてえだな」
「お前…そうなのか?」国王が王妃に詰め寄る。
「私はお前が唐僧の有り難い説法を聞きたいと言うから…」
「まあまあ」怯える王妃を庇うように悟浄が割って入った。
「これには何か事情がおありなんでしょう。ねえ奥さん」
「悟浄…何か気持ち悪い」
「節操ねえにも程があるよな」
「ひどいっ俺は王妃さまを気遣ってだな」
「噂では聞いていたのです」王妃がうつむきながらも語り出した。
「近頃この辺りで…見目麗しく、それでいて頭脳明晰な若者がさらわれる事件が起きていると…そして先日ついに我が城にもそれがやってきたのです…恐ろしい風と、恐ろしい声とともに。今夜までに王子を差し出せ、さもなくば力づくでさらっていくと」
「そこへ折よくお師匠さまがのこのこと来たと」
「神のご加護だと思いました…玄奘法師さまならば王子にまあまあ劣らず見目麗しく頭脳明晰なお方だと…」
「遠回しに息子自慢してない?」
「だからと言って我が子の身代わりにするなど…恥を知れ!」
怒気収まらぬ様子で国王が吐き捨てる。王妃は顔を覆い泣き崩れた。
「私はどうしても王子を守りたかったのです!恐ろしい魔物の手から!」
「そして結果的に王子もさらわれてしまった…」悟浄は首を振り国王を見た。
「陛下…どうか奥さんを許してあげてください。奥さんはもう充分に罰を受けています」
「いや誰だよお前」
国王と臣下たちは物問いたげに弟子たちを見る。
「しかし…あなた方のお師匠さまも…」
「ああ。それなら大丈夫だろ」欠伸をしながら悟空が言う。
「幸い俺たちのなかで最強の奴が一緒みてえだからな」
「だいたい事情は分かったわ」
ふよふよと浮かびながら小鈴が腕組みする。
「つまり親馬鹿の国王夫妻が魔物からあなたを守るために玄奘さまを身代わりに立てたけど結局あなたもさらわれてしまったってことね」
「小鈴」玄奘法師が王子を気にしつつ
「親が子を守ろうとするのは当然ですし…こうなってしまった以上きっとお二人ともとても心配していると思いますから…」
三人はどこともしれない洞穴の奥に閉じ込められていた。辺りは灯りもなければ物音ひとつ聞こえない。
「違うんです」
それまで膝を抱え黙り込んでいた王子がぽつりと言った。
「父や母が私を大切にしようとするのは…私が眉目秀麗で頭も良くてゆくゆくは国を継ぐ人間だからです」
法師と小鈴は何と言っていいか分からなかった。王子は構わず続ける。
「もし私がこんな優れた人間でなければ…父も母も大切に思いはしなかったでしょう。それでも己の血筋を王族として残すために王にはしたでしょうが…要するに私は王子としても息子としても都合のいい人間だから大切にされているに過ぎないんです」
「そんな…父母の愛情を疑うなど」
「では法師さまにはお分かりですか」暗闇のなかで王子の両目が法師を見据える。
「王家に生まれた人間の気持ちが」
法師はぐっと詰まる。王子はまたうつむき
「私も…一庶民の家庭に生まれていれば…父母の愛情を疑うこともなかったでしょう」
やはり何も言えず、法師はただ寂しげな姿を見つめた。珍しく小鈴も口をつぐんでふよふよと浮かんでいる。
ふと、あの旋風と同じ臭気が漂ってきた。それと同時に洞穴の向こうから灯りが近づいてくる。
灯明を持つのは赤ん坊のように小さく、それでいてシワシワにやせ細り、大きな目が飛び出そうな小鬼だった。小鬼は鉄格子越しに王子と法師を照らすと誇らしげに言った。
「功密国の王子でございます」
「何?」割れ鉦のような声が洞穴にこだました。小鬼の持つ灯りの位置が低すぎて気づかなかったが、その背後に何者かが壁のようにそびえている。
「二人いるではないか!」
法師たちは更に縮み上がった。同じ声が別の方向から上がったのだ。闇から巨大な手が伸び小鬼から灯りを取り上げた。そしてそれをかざし巨大な顔がぬっと牢屋のなかを覗き込む。法師、小鈴、王子の三人はそろって隅に後退った。
一方は金色の髪と髭を生やした大男、もう一方は銀色の髪と髭を生やしたやはり大男だった。
大男たちは炯々と目を光らせ法師と王子を見比べる。
「…俺にはどちらも大した奴には見えんぞ」
「俺もそう思ったぞ金閣」
「…気が合うな」
「俺たち、双子だもんな」
ニヤリと笑い合う二人に小鬼が怖々と
「で、では…この二人も…」
「違う!!」
揃った声が洞穴にビリビリと響く。
「八角兄さまはもっと容姿端麗でなおかつ隠しても隠し切れない聡明さを兼ね備えていらっしゃるのだ!」
「何度言ったら分かるんだ飢坊!悉くこんな末生りばかり連れてきおって!」
大男に双方から罵られ飢坊と呼ばれた小鬼は小さい体を更に縮める。その姿に哀れを感じた玄奘法師が思わず口を開いた。
「あの、どなたかを捜していらっしゃるんですか」
大男たちの大きな目がギロリとこちらを向く。法師は壁に張り付きながら
「そのあの…もしそうなら…こんなやり方は返って逆効果なんじゃないかと…」
「玄奘さま!」
大男の片腕が伸び、格子越しに法師の首を締め上げた。
「生意気な口を聞く奴だ…煮えたぎった鉛のなかに突っ込んでやろうか」
「俺もそう思ったぞ銀閣」
「気が合うな」
「俺たち、双子だもんな」
再び笑い合う大男たちに小鈴んが怒鳴る。
「ちょっとあんたち!玄奘さまに手荒な真似したら弟子の三人が黙ってないわよ!」
「玄奘…弟子?」
大男二人が改めて法師を見る。飢坊が飛び出そうな両目をむき
「玄奘法師…あの食らえば不老不死になると妖魔の間で噂の?あの孫悟空を従えているという?」
「ほう…」法師から手を離し銀色の髭を撫でていた銀閣の目と金閣の目が合う。
「…いいことを思いついたぞ金閣」
「俺もだ銀閣」
「気が合うな」
「俺た…」
「もおそれはいいわよ!凶悪で品の無い弟子たちにギッタンギッタンにされたくなければさっさと玄奘さまを解放しなさい!」
「駄目だ」灯りを持った金閣が背を向ける。
「思わぬところから思わぬ餌が手に入ったのだ。むざむざと手放すか」
「では…!」法師が格子を握り
「王子だけでも解放してあげてください!人違いなら捕らえておく理由はないはずです」
「やめてください!」
それまで隅で黙っていた王子が声を上げた。
「私は…城には帰りません」
「え…」法師と小鈴がまじまじと王子を見る。銀閣は鼻を鳴らし
「だそうだ。もうしばらく仲良くしていろ。飢坊、ちゃんと見張っていろ」
「は、はいっ」
大男たちが灯りとともに消えてゆき、法師たちは闇のなかに残された。
「気に入らねえな」
吹きつける夜風のなかで悟空は顔をしかめた。遠くには功密国の城壁の影が浮かんでいる。
弟子三人と白竜はとりあえず城から出たものの、どちらへ向かえばいいか考えあぐねていた。
「八戒…まだ鼻は利かねえか」
「まだほのかに花椒の香りが残ってる」
「白竜には…嗅ぐには距離があるか」
「ブヒヒッ」
「…打つ手なしか」
「ビミョーに無視されたみたいで寂しいんですけど。もちろん無理だけどね。鼻で捜せとか言われても無理だけどね」
悟空は顔をしかめたままぼんやりとした地平を見渡す。
「妙だと思わねえか。いつもだったらとっくに道具が締めつけてきてるはずだ」
悟浄と八戒は顔を見合わせる。
「小鈴が一緒だってのに、そう言われれば妙だな」
「お師匠さま…まさか弱音も愚痴も吐けないような状態なの!?」
「ブッヒン」
三人と一頭はぶるっと夜風に身震いした。
「あのう」暗闇のなかで玄奘法師が徐に口を開いた。
「何故…そこまでご両親に不信感を持たれるんですか」
闇のなかの王子は押し黙っている。
「国王陛下も王妃さまも見たところご立派な方のようです…それなのに」
「あなたには分かりません」
また王子が突き放すように言う。法師はうつむき
「たしかに…私は王族でもなければ父母もいません。だから、殿下がご両親に対して頑なになる理由が分からないんです」
「甘ったれてると仰いたいんでしょう」王子が鼻を鳴らす。
「そんなに知りたいなら教えてあげますよ。私には兄がいるんです」
「え…」唐突に言われ法師は言葉を詰まらせた。
「そうです…兄は公の場には出て来ません。いえ、出させてもらえないんですあの両親に。全ては、私が兄より何倍も優れて生まれてきてしまったせいです。父と母は兄を人目から遠ざけ部屋に閉じ込めているんです。まるでいない人間のように。私はもう何年も兄に会っていません」
「そんな…いくら何でもひどすぎる」
小鈴が法師の肩をぎゅっとつかむ。
「いやあ、親といっても結局はそういうものですよ」
三人ははっとした。
「…そういえばいたのよね誘拐犯」
「やめてくださいよそんな呼び方」
飢坊が闇のなかでため息をつく。
「私だってこれでも大昔は立派な僧をめざして仏門に励んでいた身なんです」
「そそうなんですか!?」
玄奘法師が格子に飛びついた。
「それが何故そのような…」
「理由を挙げればいくらでも挙げられます」飢坊の声に自嘲が滲む。
「でも結局は…自分を信じられなかったせいです。私は幼い頃から優秀な弟と比べられ、親には『お前は駄目な奴だ』と言われ続けてきました。だからと言って親のせいにするわけじゃありませんが、ここぞというときに思ってしまうんです。『駄目な自分にできるわけがない』と…そうやって逃げ回ってきた結果がこれです」
法師は黙って格子を握る手に力を込める。王子がまた鼻を鳴らし
「分かったでしょう。子供なんて所詮親の駒でしかないんです。使えそうならとことん使われて…使えなければ捨てられる」
洞穴に沈黙が流れた。
「飢坊!!」
どこからともなく響いた金閣と銀閣の声に全員が飛び上がる。
「無駄話をしてるんじゃない!!さっさと使いにいけ!!」
「は、はいいっ!」
飢坊が瞬く間に黒い旋風となって消える。
「諦めましょう」王子が冷めた声で言う。
「もう何人もの眉目秀麗で優秀な若者がさらわれてるみたいですから。きっとあの妖怪たちに食べられてしまったんですよ」
「そんな」法師が否定する。
「あの二人はどうやら人捜しをしているようです。決して捕らえた人間を食べるのが目的ではありません。諦めてはいけませんよ」
「…まだ分からないんですか」王子が横目で法師を見る。
「私にはどちらでもいいことです」
法師はまた口をつぐむ。小鈴はまだ言葉少なに黙り込んでいる。
「あったけー」
弟子三人と一頭は荒野の真ん中でとりあえず火を焚いて温まっていた。
「やっぱ夜は冷えるなー」
「でも昼の炎天下か夜の極寒か選ばなきゃ駄目なの、どっちも地獄じゃね?」
「おいら、おイモ焼きたくなっちゃった」
辺りは獣の声ひとつしない静寂で、頭上には満天の星が満ちている。
「はあ…焚き火って何でこんな見てて落ち着くんだろ」
「…やべ。眠くなってきた」
「瓜って焼いたらおいしいかな」
はっと八戒が鼻をひくつかせる。どこからともなく黒い旋風が近づいてきた。
「うおっ何だこりゃ蚊柱か!?」
「ぎゃああ虫いやああっ!」
「おいら刺してもおいしくないよ!」
三人にそれぞれの武器で追い立てられ、黒い旋風はふらふらと白竜に近づく。それを白竜が後ろ足で蹴り上げた。
「ぎゃっ」と小さな悲鳴を上げ、小鬼が地面に倒れ込んだ。
「でかい蚊だな」
「いやあああっでかい虫いやああっ!潰して八戒!」
「変な虫さん…妖怪とかすかに人の匂いがする」
三人と一頭に見下ろされ、飢坊は更に小さくなりながら
「つ、潰さないで!私はただあなたたちを連れてこいと…」
三人と一頭は顔を見合わせる。
「歩いてねえけど棒に当たったな」
「渡りに船?」
「棚からぼた餅」
「ヴヒヒッ」
悟空が飢坊の襟首をつまみ上げる。
「じゃあ、連れてってもらおうか。お師匠さまのとこに」
「え、それが、その」飢坊はブラブラ揺れながら
「ちょっと定員オーバーで…」




