第二十八話
ー暑い…
―熱い…
―水を…水…
炎のあぶられ、熱気のなかにむっとした血の匂いが混じる。
赤い滴の滴る剣を握ったまま、王はまばゆい揺らめきを呆然と見つめていた。
この火はやがて城全体に燃え拡がり、外で城壁を取り囲む敵どもを狼狽させるだろう。
―我が怒りの炎と知れ
王は低く笑い出した。炎を映すその両目には最早正気の色はない。
―誰にも触れさせん…何一つ…決して…
やがて高笑いに変わったその声は炎とともに城中を包み、赤く染まる夜空へと昇っていった。
「頭」
岩陰に潜んで辺りを窺っていた手下が、傍らの男に呼びかけた。
「どうやら鴨が来たみたいですぜ」
男はゆっくり身を起こすと、陽炎にかすむ荒野の向こうに目を凝らした。
「あぢい…」
言ってもどうにもならないが言わずにはおれない言葉を、悟空は何十回目か口にした。
強い陽射しが一行を容赦なくあぶる。
「悟浄…あれやってくれ…」
「ふぇいふぇい」
悟浄がフラフラしながら月牙鎩を地面に突き立てた。そこからちょろっとわずかな水が出て、瞬く間に蒸発した。
「あんだよそれ…ふざけんな…」
「しょうがないだろ…暑くて力が入んないんだから…」
「暑いって言うな」
ヒイヒイと舌を出す白竜の上で玄奘法師は朦朧としている。八戒はヨロヨロと玖棘棍をつきながら
「おいら…焼き豚になっちゃうかも…」
などと自虐的なことを呟く始末だ。
「皆頑張って!もう少し行けば泉の湧く小さな村があるはずだから」
唯一元気な小鈴が一行を励ます。ふと、向こうから数人の人影が近づいてくるのに気づいた。
陽炎のなかで刀がきらめくのが見える。
「皆…気をつけて…」
やがて幾人もの顔を隠した男たちが一行の行く手を遮った。集団の先頭にいる男がくぐもった声で言った。
「大人しくしてりゃ手荒なことはしねえ。黙って金目の物を出しな」
「玄奘さま!」
そのとき玄奘法師が白竜の背から落ちた。
「おっと」
法師を八戒の背に担ぎ、先を急ごうとする一行の前を再び男たちが塞いだ。
「聞いてなかったのか?先に進めるのは金目の物を出してからだ」
悟空が金目をギロリと向ける。
「さっきから…このクソ暑いのにクソ暑苦しくまとわりつきやがって…失せやがれ!!」
如意棒の一撃で盗賊たちは吹き飛ばされた。
一行は一心不乱に泉の湧く村を目指す。
「頭…」
手下の一人が側に倒れている首領に言った。
「またですか…もう何日もまともに獲物にありつけてませんぜ」
盗賊団の頭である董介は砂の中から顔を上げ、揺らぐ地平を睨んだ。
「こうなったら…もうあれに手を出すしかねえ」
それを訊いた手下たちは、悲愴ともいえる表情を浮かべ同じように地平に目をやった。
「あんたら無茶だよー」
村で一軒だけの宿の女将が丸い顔を振る。
「この辺りをこの時期にこの時間にフラフラ歩くなんて、盗賊だってしやしないよ」
「その盗賊に遭ったんですけど」小鈴が言う。
「そりゃよっぽど馬鹿な盗賊だよ。馬鹿な旅人を狙った馬鹿な盗賊だよ」
「お前、お坊さんに向かって馬鹿馬鹿言うんじゃないよ」
部屋の隅に座った小柄な主人がたしなめる。玄奘法師は濡れた布を額に横になり、弟子三人と白竜は泉で思いきり水浴びをしてすっかり元気になっている。
「しかし…どんなに馬鹿な盗賊でもさすがにあの城には手を出さんだろう」
主人は思わせぶりに呟き窓の外を見る。女将は肩を竦め
「またあの話をする気かい?来るお客来るお客によく飽きもせず。あたしは聞き飽きましたよ」
そう言い家の奥に引っ込んだ。主人は気にする様子もなく一行を眺めて
「お前さん方、さらに西へ向かって行きなさるんで」
一同が頷く。主人は窓の外へ目を向け
「じゃあお気をつけなされ。こんな、北東の風が吹き出した晩にはあの城が砂の下から姿を現す」
「あの城って…」小鈴がおずおずと訊ねる。
「黒龍城だ」主人は西日に顔をしかめ
「もう何百年も昔…この辺りを支配していた王があるとき他国の軍隊に城を取り囲まれた。…王は籠城して抵抗したが、敵に城への水源である河を塞き止められてな。やがて城のなかでは水をめぐって兵たちの殺し合いまで起こり出した。限界を悟った王は渇きに苦しむ妻子を自ら手にかけ、城に火を放った…」
一同はしんと黙り込んだ。いつしか窓からは冷たい風が忍び込んでくる。悟浄が頭をかきながら
「にしても…その話と俺たちが気をつけるのと何の関係が?」
主人はキラリと目を光らせ
「まだ続きがある。城が焼け落ちたあと、敵の軍隊は城の財宝を探し回った。しかし何一つ見つけられなかった。何一つだ。そして城に入った兵たちは誰一人戻ってこなかった。その後も、何人もの人間が黒龍城が姿を現すたびに財宝を探しに入ったが…一人として帰ってくることはなかった。噂では、焼け死んだ王が黒い龍に姿を変え、いまでも財宝を守っているそうだ…」
不気味な声音に八戒がブルブル震える。主人は一同を舐めるように見回し、それからニカッと笑った。
「な、な、面白かっただろ」
「ええ?いや、まあ」
「じゃ話賃な」
「金とんの!?」
「母ちゃんには内緒な」
夜になるととたんに辺りは冷え込んだ。月に照らされ生き物のように動く白い砂を踏みながら、玄奘法師一行は夜道を進んでゆく。
「この辺りを昼間歩く人間はド素人だとよお師匠さま」手綱を引く悟空が言う。
「モグリだとも言ってたなあの女将」
ニヤニヤする悟浄の隣で八戒がため息をつき
「おいら…あのまま干物になるかと思った」
「すすみません」白竜の上で玄奘法師が頭を下げる。
「西の回廊より先のこともろくに知らないで…危うく皆を危険な目に遭わせてしまって…おまけに自分自身も倒れたりして…本当に私なんか師たる資格なんてありませんよね」
「玄奘さま、そのくらいでいいと思いますよ」
見ると三人が砂の上でもがき苦しんでいる。
「自業自得よあんたたち」
呆れ顔で三人を見下ろしていた小鈴が、その先に目を向けはっとした。
月光の下、白い砂に半ば隠れるようにして黒々とした岩壁が突き出ていた。
「これが…黒龍城…」
間近で見上げると、朽ちてはいるがそれがかつては巨大な城の一部だったのが分かる。壁に穿たれたいくつもの窓から、深く不気味な闇が覗いている。
「あの親父の作り話じゃなかったってことか」
夜空にそびえる黒い城を眺めていた悟空がふと耳をそばだてた。城が唸るような声を上げている。
「風鳴り…でしょうか」
玄奘法師が不安げに辺りを見回す。
「違うよ」八戒も尖った耳をピンと立て気配を探る。
「このなかから聞こえる…お城のなかに人がいる」
悲鳴は城のなかから絶え間なく響いてくる。
「まさか…この城に手を出す奴が…」
「そういえばいたよなあ…馬鹿な旅人を狙った馬鹿な盗賊が」
一行は顔を見合わせた。




