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異説西遊記  作者: 圓堂
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第二十五話



  「俺は全てを手に入れる…」

 青光りする吾岌の全身の筋肉が脈打つように盛り上がり、額が破れ鋭く太い角が突き出る。

「そのために人になったんだ…俺は全てを手に入れ…俺が王になるんだあー!!」

 巨大な黄牛と化した牾王の大地を揺るがす雄叫びに、手下たちが歓声を上げた。

 悟浄と八戒は耳を塞ぎ

「どうなってんだあの牛のおっさん、元の牛に戻っちまったぞ!」

「すごい妖気の臭い…おいら鼻が曲がりそう」

「見たか!あれが吾岌さんの最強の姿だ!」

「月の光によって力を得た吾岌さんたちは満月が南天するとき最も力が満ちるんだ!」

「観念するのはお前らのほうだぜ!」

「って牛の姿が最強ならわざわざ人間になることないんじゃない!?」

 蹄を鳴らしたかと思うと吾岌は地響きを立て悟空に突進してきた。格段に上がったその速さに危うく悟空がよけると吾岌はそのまま突っ込み岩山一つを粉微塵に吹き飛ばした。

 吾岌が赤い目をむき振り返る。

「猪口才な孫悟空…逃げ回るばかりで戦うことを知らないか」

「そっちこそ鼻息が荒くなっても言葉は忘れなかったらしいな」

 わずかにかわしそこね角に裂かれた脇腹を庇い悟空が言い返す。と、吾岌の体が見る間に膨らんだかと思うとその口から青白い煙が渦となって吹き出た。

「何!?」

炎は生き物のように悟空を取り巻き、体の芯から熱を奪ってゆく。

「どうだ…凍えるだろう」吾岌は鼻を鳴らし

「生類は本来陽の光でもって生きる…しかし俺たちはその理に逆らい寒さに耐え、月の光を浴びその光のたまった夜露を飲むことで獣でも人でもない、それ以上のものになったんだ。お前にその辛苦が分かるか孫悟空」

 炎に包まれた悟空の顔がみるみる蒼白になってゆく。

「耐えられんだろう?お前は所詮その程度だということだ!」

 再び吾岌の角が悟空に向かってきた。そのとき、水の刃と地割れとが吾岌の猛進を妨げた。

 月牙鎩と玖棘棍を構えた悟浄と八戒が立ちはだかる。その背後では小鈴が悟空の口に小さな瓢を含ませていた。

「麗しい助け合いだな…全員まとめて串刺しにしてやるわ!」

 竜巻のように突進してくる巨体に立ち向かうかに見えた八戒と悟浄は悟空をつかむと素早くよけ、かわされた吾岌は岩山をもう一つ粉々に吹き飛ばした。

「ひーおっかねえ」

「急な方向転換は苦手みたいだね」

「おっお前…何飲ませやがった」

 咳込む悟空に小鈴は瓢を示し

「これよ。八戒特製ラー油」

「担々麺の辛さが物足りないときとかに使うんだよ」

 喉を押さえ更に咳込む悟空に玄奘法師はオロオロと

「だ大丈夫ですか、やはり四天王の一人ともなるととても敵う相手では…」

 法師がはっと口を塞ぐ。弟子三人がこちらを睨む。

 わずかに血色の戻った悟空が立ち上がり「牛一頭どうってことねえよ」と言い捨て觔斗雲に乗り離れてゆく。

「強がっちゃって」悟浄と八戒もその後を追う。不安げに弟子たちの背中を見つめる法師に小鈴が

「玄奘さま、大丈夫ですよ」

 と、法師の肩を白竜の鼻がつっついた。見るとどこで拾ったのか小さな金環を咥えている。

 それをためつすがめつしていた二人は「もしかして」と顔を見合わせた。

 もうもうと土煙を上げ吾岌が戻ってくる。勢い余って数里も先まで駆けてしまったそれを迎え撃つべく、悟空はその進路に立ち塞がった。

「何か策はあるのか」その両脇に悟浄と八戒が立つ。

「別に。ただ叩き潰すだけだ」

 悟浄は肩を竦め八戒はにこと笑った。地鳴りとともに雄叫びを上げ迫る吾岌の巨大な角が月光に光る。

 と、一方から白竜に跨った玄奘法師が駆けてきた。

「悟空!これを!」

 投げ渡されたものを三人が覗き込んでいるところへ吾岌が突っ込んだ。

「このおっ!」八戒が玖棘棍を撃ち下ろし築いた土壁を難なく突き破った吾岌に悟浄が水の刃を浴びせる。しかしそれも飛沫のようにその角に払われた。

「そんな子供騙しがこの牾王に効くと思ったか!」

 歯をむき出し笑う牾王はむっと赤目を見張った。

「俺ならここだぜ牾王」

 いつのまにか背中に乗った悟空が角をつかんでいる。その口に咥えられている金の環を見た瞬間、吾岌に恐怖がはしった。狂ったように頭を振り回し必死に悟空を振り落そうとするが、悟空も懸命にしがみつく。

 無理と悟った吾岌は辺りで最も大きな岩山めがけすさまじい勢いで突っ込んだ。

「悟空!」

 轟音とともに岩山が崩れ落ちた。雲霞の如く沸き起こる土煙を、法師たちと手下たちが息を詰めて見つめる。やがて、悟空の小さな影が現れると一行は安堵の息をもらした。

 悟空は片手で吾岌の鼻面を引っ張りながらその巨体を引きずってくる。吾岌の鼻にはあの金環がはめられていた。

「どうってことねえよ」

 ボロボロの体を気遣う仲間をうるさげに払う悟空に、新たな声が言った。

「さすがに四天王はなかなか手強かったか」

 一同が振り向くと、そこには太上老君のひょろ長い影があった。悟空は舌打ちし

「やっぱりてめえの道具か。この()()は」

「老子さま、一度ならず私のような者の旅路に助けていただきお礼の申し上げようもございません」

 跪く法師に頷き、太上老君は倒れている吾岌に目をやった。満月は西に傾き、その姿は既に人へと戻っている。

「これはもとは一軒の農家で飼われていた牛でな。年老いてスープにされそうになったところを逃げ出したのだ。そして此奴なりに考えた…牛とは何なのか…人とは何なのか…そして生きるとは何なのか」

「…そうだったんですか」

「おいちょーっとまて!」しんみりする一同に悟空が怒鳴った。

「何だよこの同情的な空気は!こいつはお師匠さまを食おうとしたんだぜ!?この一分一秒でも早く終わらせたい旅の邪魔をしたんだぞ!?八つ裂きにして火鍋にぶち込んでも飽き足らねえだろ!」

「たしかにその通りなんだけどあんたが言うと不思議と認めたくないわね」

「まあ儂も弁護してやりに出て来たわけじゃない」太上老君はあっさりと言い

「それにこの鼻輪を付けているうちはこの牾王も暴れることはできん。しばらくは大人しくしているだろう」

 埋まっている手下たちからモーモー不平が上がる。悟空も鼻を鳴らし

「余計なことしやがって。こんなふざけた道具がなくたって四天王だろうが何だろうが余裕で倒せたぜ」

「ごご悟空っ何てことを」

 太上老君が黄色い目を細める。

「ちょっと謝りなさいよ悟空っ太上老君さまは一度へそを曲げたらしつこいのよっ」

「そうだぜ兄貴、助けてもらえんなら鼻輪だろうが首輪だろうがいいじゃないか。牛なだけに鼻輪ってこれ最高なんだけど」

「お年寄りは大切にしなきゃ駄目だよ兄貴」

「ヴヒヒッ」

「ああよおく分かった」太上老君が大声で頷く。

「でしゃばってしゃしゃり出て差し出がましいことをして悪かったな。フン、何だ。危なっかしい戦い方をしとるから助けてやったというのに。お主らなんぞペッペッペッだ!」

「老子さま!?」

「じゃあな。この先もせいぜい妖魔たちに負けんよう頑張ることだ。さぞかししんどいだろうがな!儂はのんびり見物させてもらうからな!フン!」

 言うだけ言うと太上老君は夜気のなかにかき消えた。呆然とする法師の横で小鈴が

「…あれは何百年かは機嫌が直りませんね」

「どどどうしましょう」

「心配することねえよお師匠さま。太上老君の手助けなんかなくたって俺がお師匠さまをたとえ骨だけになっても天竺まで引きずってくから」

「あんたが骨だけになってもって意味よね?そうよね?」

 口々に騒ぐ一行の傍らで、鼻輪を付けられた吾岌はピクリとも動かない。その姿を、冴侶は遠目に眺めていた。


「四天王の一人が敗れたようだな」

 見るとすぐ横にあの謎の少年が立っている。

「…完全に敗れたわけじゃない。太上老君の手助けが無ければどうなっていたか…。まあ、どちらでもいいことだ」

 少年の鋭い目がちらりと冴侶を見た。

「お前はよく分からんな」

 冴侶もしの青白い顔を見返す。

「お前は牾王を真の王にしたかったわけじゃないのだろう。ましてや己が王になることを欲しているようでもないが」

「王ほど気楽なものもないだろうな」

 嘲笑う相手に少年は眉をひそめる。

「玉座にふんぞり返り配下の者たちは自分に服従しきっていると信じて疑わん。俺はそんなお目出度いものになる気はない」

 と、冴侶が踵を返し

「心配するな。あの連中はもう太上老君の手助けを得られん。この先はそう簡単にはいかん」

「…もちろんそうだろうな」

 そう言い残しすうっと消えた少年の姿を、わずかに見返り冴侶は呟いた。

「幽鬼めが…」

 暖かな朝日がようやく東の地平から現れた。



「そんな…」玄奘法師は魔降窟の前で立ち尽くしていた。

 囚われていた金嵬洞からここに戻り、怪我を負った老僧について訊ねたが、窟の修業僧たちは何も知らなければそもそもそんな老僧はいないと皆一様に答えた

「あの坊さん…ひょっとして牾王とグルだったんじゃないか?」

「でもおいら…妖魔の匂いに気づかなかった」

「そういやあの牛野郎が化けても匂いを消せる奴がいるとか言ってたぜ」

 法師はしばらく窟を眺め佇んでいたが、やがて小鈴に促され再び西に向かって歩き始めた。

 一行の背中を、魔降窟だけが朝陽に金色に輝きながら見送っていた。


 

 

 

 

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